第二十三話『しんじつ、しんじつ』
これから始まる舌戦に、実際のところ勝ち負けなどは無い。ただ一つの納得が一致すればいいだけだ。もっと言えば誰と戦うという事でも無い。フィリが理解してくれさえすればいいのだ。だがそれは彼女にとって残酷な事実になるのかもしれない。
この舌戦、もとい話し合いに手札があるとするならば、俺達が持っているのはこの四枚だ。
一枚目『俺と朝日が天使陣営の新人である』という事
二枚目『フィリが神の子という役割を受けていた』という事
三枚目『始まりの二人の自殺時期よりも響の自殺時期の方が早い』という事
そうして四枚目『それを知ってはいけないと天使長が判断し俺を殺そうとまでした』という事。
この四枚のカードがあれば、そもそもこの世界はあやふやな構造だという事が分かってくる。そしてまずフィリがボーシと呼んだ魔法使いへと俺が提示した最初のカードは『俺と朝日が天使陣営の新人だった』という事。俺が考えている事が間違いでなければ、これでまずは円滑に『前提』について理解がある事を示せる。
「な、成る程。だから前提への抵抗が少なかったわけですね……。戦闘には誘導されました……よね?」
そう言われた時点で、情報量の多さは圧倒的なまでに負けているという事が分かった。それに、あの戦闘の導入の不自然さ、新人の俺達にとって無理だと言わんばかりのやりすぎた響の行動。
「あぁ、不自然なまでに誘導された。つまりは灰場の戦いもまた仕組まれた物ってわけだ」
「いや、それは周知の上じゃぞ。灰場の戦いはそもそも陣営同士、ちゃんとした取り決めで行われとるはずじゃ」
フィリが口を出す。おそらく言っている事は間違っていないのだろう。だが俺達が話しているのはそういう点ではないのだ。
「だけどさ、灰場の戦いの開催は不定期だよな?」
「確かにそうじゃが、毎回酒飲みが悪魔陣営と取り決めをした上で行っていたはずじゃぞ。勝ちも負けも分からぬ団体戦。じゃが分かりやすく力を示す平等な場、悪くは無い」
「だ、だけどですね。灰場は団体戦での実際の殺し合いを見せた上で、期待出来そうな新人を戦闘に慣れさせる為の取り決め……なんです」
彼女の手札は圧倒的な力を持っているように思えた。嘘だと信じたいフィリには苛立ちすら覚える言葉だろう。だが俺にはもう薄々予感があった。戦わなければいけないというこの世界の絶対的な『前提』の刷り込み。それがつまりあの灰場という殺し合いを見せる事と、実際に体験させるという事なのだ。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみてってヤツだね……」
朝日も妙に渋い事を言う。『誉めてやらねば人は動かじ』と続くとある軍人の名言ではあるが、まさにその通りだった。
「刻景を見せられ、状況を教えられ、絶体絶命に追いやられ、それを打破させ、力を認められる。たしかによく出来た話だよ。気付かなかったのが悔しいくらいだ」
今ではもう、未だ名前も聞けぬ魔法使いの彼女に出会えて良かったとすら思っていた。あの『前提』という言葉は俺の中で燻り続けていた疑問の煙を晴らすような言葉だったのだ。だからこそ、フィリには納得してもらわなければいけない。
「なんでアクタまでボーシの味方をしとるんじゃ。言われたとて証拠が無いじゃろうに!」
灰場の戦いについての名目としてはなんらフィリの認識で間違いは無いはずだ。だが俺が考えている『前提』が嘘であるならば、その灰場の戦いで生き残った天使陣営の刻景使いに心当たりがある。
「コックと、キーパー。アイツらは灰場の視察に連れて行かれて、魔法使いを倒し帰ってきた。違うか?」
「なっ……」
フィリが狼狽える。であれば間違いは無い。
「最初から決められてたんだろうさ、死ぬべき人間と生きるべき人間が」
言いながら、少しだけ苛立ちを覚えた。天使と悪魔の取り決めという胡散臭さが、あんまりにも鼻に付く。
フィリの顔が青ざめるのが見える。思い当たる節は彼女の中に幾つかあったようだ。毎回灰場に顔を出すわけが無く、天使陣営が勝つ時も悪魔陣営が勝つ時もあっただろう。
「じゃ、じゃが……」
あくまで認めたくないのだろう、けれどフィリが俺と共にいてくれるというのならば、もし目的が変わってもついてきてくれるというのならば、真実は明らかにしなければならない。
「新人の視察が無かった日は天使陣営の負けだ。誰一人帰らない」
「逆に、新人の視察があった日は悪魔陣営の負けって事だね、私達が帰ってきたみたいに」
朝日が俺の説明を補足する。つまりは、悪魔陣営側の新人に勝たせる回と天使陣営側の新人に勝たせる回が灰場の戦いには存在したという事だ。
「ただ、上から見ていた時の戦いの結果に違和感こそ無かったけどな」
「そ、そういう風に仕組まれているんです……。色格も、刻景ですら誤魔化せる。天使と悪魔が作り出した強く……酷く大きな力の上で成り立った『前提』になんて、本来は、絶対に気づいちゃいけない」
そう言われフィリは悔しそうな顔をして、一瞬俺の目を見た。
「じゃから、お主は一人か」
知るべきでは無い事を知る事は、この世界でのタブーなのだろう。だからこそ『前提』の嘘に気付いた彼女は悪魔陣営から逃げ出す羽目になったのだろう。それは俺達が今いる理由と、そう変わらない。
「だから、えっと……」
「いや、その前に俺達の話をしよう。前提の嘘を知った君の共犯者になるなら、俺達の共犯者にもなってもらわなきゃいけない」
魔法使いは覚悟を決めたようで素直に頷き、フィリと朝日に目線をやると、朝日は気安く、フィリは気難しそうに頷いた。
俺は手札の二枚目『フィリが神の子という役割を受けていた』という事を話すと、魔法使いの彼女は納得したように頷く。
手札の三枚目『始まりの二人の自殺時期よりも天使である響の自殺時期の方が早い』という事は、流石に意外だったのか驚いていた。それでいて納得もしているように見えた。
四枚目の『それを知ってはいけないと天使長が判断し俺を殺そうとまでした』という事については、どうやら他人事では無かったようで、少しだけオドオドしながら「私も……」と呟いていた。
そうして、知ってはいけない事を知った彼女もまた、俺達の共犯者となる。
「これで、共犯だ。だから『前提』を、壊すぞ」
全員の顔をチラリと見てから、この世界の嘘をもう一つ壊す。
朝日は少しだけ笑い、魔法使いの彼女は少しだけ期待した目をしていた、フィリは珍しく不安げだったが、それでも俺と目が合うとフンと鼻を鳴らして笑って見せた。
「戦うべきは、人ではない」
その言葉を以て、俺は、俺達はこの世界に刷り込まれかけていた『前提』を壊した。
「少なくとも、刻景使いと魔法使いが戦う理由はでっちあげられた物だ。全ては分からなくても、それを知る必要はある。違うか?」
未だ納得しきれていないようなフィリに聞くと、彼女は不敵に笑ってみせた。
「知らぬ、知らぬよそんな事は。じゃが良い、乗りかかった船じゃからの。ワシの前提は少しだって崩してやらぬが、この世界の前提などいくらでも壊せば良かろう。楽しませろ、アクタ、アサヒ」
そう言ってフィリは、そこらへんに置いてあった水のペットボトルをベコベコと言わせながら飲み干した。流石に今回は彼女に悪役をやらせてしまった。申し訳ないと思いながらも、彼女だって緊張くらいはするのだと分かって少しだけ微笑ましく思えた。
「あ、えと……、結局どういう……?」
「仲間! そういう事だよ! ね?」
俺が頷くと、魔法使いはパアっと明るい顔をして、フィリはそれを見て小さく溜息をついた。
「とはいえじゃ、話す事は沢山あるじゃろうが。ワシらしか知らん事、主しか知らん事。色格から使える魔法に、ワシらの刻景。それに仕掛けの事もそうじゃ、巻き込む事になったがまあ、あやつなら良いか」
そう言いながら、フィリは自分が持ってきた食事ではなく、魔法使いの彼女が用意していた食料をガサゴソと漁る。
「それに、ワシの好みも覚えるんじゃな」
「は、はい……!」
いつの間にか、立場があっという間に逆転しているのがフィリらしい。そうしてまた、少し意外な事を口走ったのが印象的だった。
「そもそも名を教えろ。不便じゃろうが」
止めたのは自分だろうに、だけれどそれが彼女なりの歓迎の言葉だと魔法使いは少しも気付かない。俺と朝日だけが互いに顔を見合わせ少し笑って、彼女が『ボーシ』では無くなるのを待った。
「わ、私は、中原春っていいます……」
――中原という名字に、聞き覚えがあった。
その名前を聞いて一瞬寒気がしたのは、気の所為だと思いたい。だが、おそらくは俺と同じような顔をしているであろう朝日を見てその寒気は俺だけの物ではないことを知った。フィリは何とも無いようだが、それは当たり前だ。それは現実を知る人のみぞ知る名前。こちらを見ていた春の表情が少し曇っていた事もまた、ゾッとしてしまった。それでも、その恐怖を顔に出さないように必死に俺は笑みを浮かべようとする。
「ああ、よろしくな、春」
笑いかける事は出来たみたいで、彼女はホッとしたような顔をして幼い笑みを浮かべてくれた。俺と朝日が感じたであろう寒気と、春の曇った表情の理由は先延ばしにしたかった。今はただ、『前提』を壊した仲間として手を取り合いたい。
ただ、一つだけ確かに覚えている事がある。異世界病を産んだ始まりの二人に、子供はいなかった。だからその始まりの二人の名字であるところの『中原』という言葉を聞いたとしても、それは俺達がその名前から寒気を感じただけだ。俺や朝日とは違って、よくある名字でもある。
だから、あの曇った表情の理由はまだ知らなくて良いと、そう思った。
どうせ、長い夜はきっとまた来る。この世界は、そう簡単には全貌を見せてくれないみたいだった。
だけれども、怯えて目深にとんがり帽子を被っていた少女が、朝日の隣で緊張を見せながらも笑っている。魔法使いと刻景使いが隣同士でお菓子を食べている。
それだけでも俺は、さっき感じた寒気が消え去るくらいに、暖かい気持ちになっていた。
人と人が殺し合うという『前提』は、少なくとも俺達の中では壊れたのだ。異世界病者が憎くないかと言われると素直に首を縦には振れない。だとしても、それは全であり、一である彼女を憎む道理が無い事も分かっている。けれどきっとそんな話をする夜も来るのだろう。そんな事を考えながら、俺は揺れるとんがり帽子を眺めていた。




