第二十二話『とんがり帽子が飛ぶ前に』
一歩ずつ、だが圧を感じさせないように丁寧にコンビニの入り口に向かう。
俺達から見れば入り口であるが、両手をあげたまま立ち止まっている魔法使いの彼女から見れば出口。もしかするとこの状況だとその第二の人生の出口にも成り得るかもしれない。
だからこそ、その頭にかぶった大きすぎるとんがり帽子の下からチラリと見えたその顔は、やや遠目にも青白く見え、それがこの状況によってもたらされているもので無いとするならば病的と捉えても良いくらいだった。
小柄で短髪なのは見た目で分かるが、その背丈に似つかわしく無いまさに古典的とでも言えるべき魔法使い的な帽子が印象的で、その色は赤褐色をしていた。そのまま受け取るのであれば色格だと思うが、聞くところによれば赤褐色の色格は無いはずだ。しかし、その大きなとんがり帽子で数メートルも無い程に近づいても未だに顔が見えない。
小柄で短髪である。声色からおそらくは若い。服装はそれもまた古典的な魔法使い……というよりも魔女が着ていそうな光沢の無い、光を吸い込みそうな真っ黒なローブ。もし箒でも持っていたならばちょっとしたハロウィンパーティーのコスプレをしているような印象だった。
「大した量の魔法使いは見てこなかったけれど、独特なもんだな……」
「あ、えっと……、色々と、ありまして……」
『色々とありまして』
それは俺達も同じ事だ。だからこそだろうか、魔法使いを灰にする為に動いていたはずなのに、少しだけ彼女への敵意を逸している自分がいた事に驚いた。それはきっと近づいた時に風が吹いたせいだ。灰を乗せて彼女の帽子が飛びかけるのを抑えた時に、その顔を見た。それが何より幼く見えてしまったのだ。フィリのような幼くも芯を持った顔つきでは無く、単純に怯えを隠しきれない顔つき。もう少しで大人だったかもしれない、だけれどその手前の不安定な時期を切り取ったような少し見ていて不安になってしまうような良くも悪くも成長手前、大人としての開花前の幼さが見えた。
「さっきのさ、当てる気あったか?」
最初にフィリに向けられた魔法、それは未だ見たことの無い電撃の魔法のように見えた。しかも狙ったのは見た目的に一番弱そうに見えるフィリであり、その電撃の強さも当たればどうなるか分からないようなレベルのように見えた、そうしてその強い電撃は瞬時に消えず、その場に小時間ではあるものの滞在していたのも見ていた。であればそう初歩的な魔法では無いだろうという素人判断を下す。ならばこの少女は決して何も考えずに行動する相手では無い。それに加えてすぐに敵意を捨てたあたり頭が悪いような印象も受けない。ただし受け答えはやや消極的な物だった。
「あ……、えっと、当てる気というか、魔力がほぼ含まれていないので、当たっても大した影響は無いんです。ただ、少し複雑な魔法だったので逃げてくれたならいいなぁ……と」
「分かるヤツは見れば逃げる程の魔法だった、と?」
聞くと彼女は少し間を置いて、小さく頷く。
「緑格三人程度でしたら……、紫格も一人くらいであれば、はぁ……」
「つまりは、運が悪かった、と」
「あーっと、そう、ですねぇ……。殺さないでくれると……」
どうやら事情がありそうな雰囲気だった。彼女は緑格と紫格という魔法使いについてへの牽制という意味で俺の質問に答えていた。という事ならばこの子もまた魔法使いの群れから逸れた存在なのかもしれない。彼女の目線はゆらりゆらりと左右に揺らいでいた。
「とりあえず、そちらに敵意が無い限りはこちらも何もしない事を約束したい。そっちにも事情、あるんだろ。とりあえず今晩の宿に……」
「なーに言っとる! 馬鹿者!」
いつの間にか俺の近くまで来ていたフィリに頭をジャンピングチョップされる。その隣で朝日もやや緊張した面持ちで状況を見守っていた。つまり俺が何やら考えている間に魔法使いの彼女からはフィリと朝日がこちらに来ているのが見えていたのだろう。
「魔法使いを殺す為にワシらはいるんじゃろうが、その前提を覆して何を魔法使いと一宿一飯をしけこもうとしとるんじゃ!!」
「前提、ですか」
魔法使いの目が少し厳しくなり、フィリを見つめる。それに応じてフィリも彼女を睨みつけた。俺や朝日から見ると幼く見える二人が、大人の睨み合いを繰り広げる。その内に魔法使いは小さい溜息をつく。
「その前提って、一体誰が、何の為に、どうして私達に与えたんでしょうか?」
「そりゃ、ここは天使と悪魔の戦争をする世界じゃろ。ならばワシらは殺し合って当然じゃろうが。ワシが知る限りこれだけ長く敵対している陣営が話す事も無かろうよ」
その言葉を聞いて魔法使いの彼女はもう一度大きな溜息をついた。
「この話はきっと、俺らの方が良い。な? 朝日」
「ん、そうなんだろうね。前提があるのは分かるよ。けれどまだ私達の中にはそれが染み込みきってない」
フィリが苛立ちを隠そうともせずにコンビニの中へと入っていく。
「お主らのその甘さで死なれるとあまりにも興醒めじゃが、今この場で発想を転換出来ぬ程ワシも阿呆では無い。前提とやらの考え、言ってみろ。飯と安全を確認してからな」
「あ……、多分大丈夫です……。大抵の食料は上階に、この場所自体もだいぶ穴場なのでそうそう簡単に見つかる事は無いと思うので……」
「ワシらに見つかったじゃろうがっ!」
「それは、そうだな……」
「あぁ……、それもそうでした……。とりあえず、こちらです……」
彼女はしょんぼりととんがり帽子を深くかぶってコンビニの中へと入り、階段があるであろう方へと向かっていく。フィリはどうやら自分の食料は自分で持っていくらしい。彼女らしい危機管理能力だと思った。
「芥君、どう思う?」
朝日は信用しているのかは分からないが、食料等は取らずに俺の横について少し不安げな顔をしている。食料ならばまだリュックの中にもある、だからこその取捨選択だとも考えられた。
「俺達っていう例がある」
「ん、分かった」
朝日はある程度ボウっとしている時や怖がったりする時もあるが基本的には察しが良く頭もよく回る。俺の一言だけで納得してくれたようだ。とはいえ俺について来た時といい、少し俺に言葉に素直過ぎるのが何ともむず痒いというか、心配でもあったが。
魔法使いに続いて階段を登り三階まで上がると、そこはちょっとした秘密基地のような場所だった。
確かに彼女が言う通りに食べ物の類いは揃っているし、仕掛け屋と比べられるレベルではないが、本当に簡単な空き缶に紐を通しただけの簡易的な警報装置のような物もいくつか見受けられた。
「登らせるのう」
あえて不満を溢すフィリに魔法使いは心底困ったように苦笑いをしている。
「す、すみません……、ただ二階だと対処が遅れますし……、四階だと気が緩みますし……」
理由としては尤もだとは思うが、どうにも自信が無さげだった。彼女の性質だろうか、だが『前提』の話をしかけた時の彼女はとても強い目をしていたように感じる。
「じゃ、じゃあ、私は待ちますので……、食事等々終わりましたらお声がけを……」
「ならお言葉に甘えて少しだけ休むが、朝日は何か食うか?」
「んーん、私は後でいいや。何があるか分かんない内にお腹一杯にはしたくないんだ」
言い得て妙だった。これから殺し合いが始まる可能性だってある。ある意味残酷な一言ではあったが、事実なのはお互い了承済みだ。その言葉に魔法使いは何も言わず、顔も冷静なままだった。
「あーっと! じゃない! えと、ごめん。言葉が悪いよね。違くて違くて。あのね、これからフィリちゃんを納得させられなきゃ駄目な訳じゃんか。だからさ、ご飯は楽しく食べたいじゃないですか!」
初対面の魔法使いに向かって彼女は申し訳無さそうに普通に謝って、笑いかけた。殺し合いを予見したように聞こえた台詞だったが、朝日の中では今言った通りの言葉だったのだろう。だが魔法使いはその言葉に驚いた素振りを見せて、帽子を深く被った。
「そっちでコソコソやっとるが、流石にワシは食うからな! 飯が不味くなるのはごめんじゃからの!」
フィリを悪役のようにしている事が少し申し訳ないと思ってしまったが、それも仕方のない事だ。
「気にするな、敵か味方か、手を取り合えるか、殺し合うか。こんな世界でこんな話をする方がおかしいんだ」
「フィリちゃん……あの子を悪く思わないでね。私達の為なんだ……」
その言葉に魔法使いは小さく「は、はい……」と溢す。
俺と朝日は、少なくともこれから始まる勝敗が決まった舌戦『前提』についてピンと来ており、フィリはその『前提』を飲み込みきってしまっている。俺達に課せられている『前提』があまりにもあやふやであるのにも関わらず、それが陣営間の殺し合いという競争で塗りつぶされている。
この魔法使いの少女がその答えの欠片を少しでも持っているなら、世界の謎に一歩だけ近づけるという事になる。
「そういえば、自己紹介がまだだったな、俺は芥、彼女は朝日だ」
隣で朝日が小さくピースを作っている。
「えっと、私は……」
「良し!! じゃあやろうじゃないかボーシ! 前提とやら、打ち負かせて見るが良い」
魔法使いの自己紹介を遮るようにフィリがこちらへと啖呵を切るようにこちらへ近づいてくる。
その大きなとんがり帽子が印象的だったからか、彼女の事を勝手にボーシと呼ぶあたり、名前を覚えるつもりはとりあえず無いらしい。
「ま、まぁ……、私の名前は知らなくても、良いですよ。だって最悪殺されちゃいますし……」
「そうさせたくはないんだけどな」
天使と悪魔の世界なのだ。天使のルールだけじゃ成り立たない。
だからこそ俺は悪魔の世界のルールにも足を踏み入れるべきだと思ったのだ。
「じゃあ、俺達は天使陣営の新人という立場をまずは明確にしよう」
フィリが少し顔をしかめる、だが彼女がこの話の切り札であるのだ。
だからこそ彼女に多く話させるのは後の方が良い。
そうしてあやふやな前提の上に成り立つ世界の上で、決して隣り合わない天使と悪魔の手駒と、どうしてかその頂点にいない神という存在の子達の舌戦が始まった。




