第二十話『天使の・ようなもの』
アルゴスの強襲を乗り越えて夜になる前に今夜の宿を探す。あの戦闘によって何となく俺達の関係性は強固になったように思えたのと同時に、少しだけ気まずい空気が漂っている事も事実だった。
「皮肉なもんじゃな」
「そうです、よね」
朝日とフィリの二人がそれぞれ全く違う雰囲気で話している。それは話し方一つ、歩き方一つで分かる事だった。朝日はトボトボと、フィリはシッカリと灰の道を踏む。そうして朝日は寂しげに、フィリはどういうつもりかやや棘があるような口調でハッキリと話す。
「生きていた頃の技術、か。まぁ正確には天使側の人間の生死は不明じゃから何とも言えんがの。アサヒのような刻景使いもそうそうおらんかったな」
不明、その言葉にも危うさが残っている。最早この世界の存在は謎だらけで、嘘だらけだ。事実魔法使い達は転生したのだろう。だが俺達はどうだろうか、転移というには少しおかしい気もする。だがそれを確かめる術は無い。フィリだって知っているなら教えているはずだ。
「俺なんて何一つ技術みたいな物は無いしな」
「そもそもな、天使陣営の奴らは現実で手に職があっても一定のレベルで止まってる奴ばかりなんじゃよ。しかも見るにアサヒのアレはちゃんとしたもんじゃろ。しかも聞く限りアサヒはイイトコの出じゃ、絶望の理由など聞くのも野暮じゃがな。死ぬまでに培った技術が半ば死んでから役に立つなんての」
言って良い事と悪い事があると思ったが、俺に何も言えなかった。何故なら朝日が怒るわけでもなく悲しくわけでもなく、小さく笑っていたからだ。
「絶望の理由なんて、何処にだって転がってますよ!」
あえて明るく振る舞ったのは俺も、またフィリも気づいていただろう。一瞬フィリがまた何か言いかけるが、流石にこれ以上何か言わせるのも少し癪だったので先に俺が一言だけ呟いた。
「希望の理由もな」
それは、俺達が最後に望んだこの世界へ来る為の扉の鍵だった。キーワードと言い換えても良いかもしれない。この世界がどんな世界だったのだとしても、俺達は最後の最後に『生きたい』と願ったのだ。生きていけるものならば生きていたいと。悲しみや絶望に支配されずに生きていけるのならばそうありたいと、願ったのだ。
死にたくて死にたかったわけではない。それだけが、たった一つそれだけが、俺達と異世界病者の違いであるように思えた。尤も死を救済して自殺する人間が多くいた事も確かだったが、その人達は死後があるとするなら救われている事を願う。
だが、聞く所に寄れば自殺した人間が行く場所は、地獄だ。
――暗がりの中で、銃声が"響"くような、地獄。
「や、みんな。ちょっとぶりーぃ……」
銃を天に向け立ち尽くす響のその姿は、目を逸らしたくなるような歪な格好だった。ほんの少しの時間でこれ程変わるかという程に、黒々しい気配に満ちあふれている。
「堕ちたか、ヒビ」
「響さん?!」
綺麗だった黒髪はバッサリと短く、ざっくばらんに切られている。切られた黒髪が纏わりついたような、飛べやしないであろう白と黒が混ざりあった翼が垂れ下がっている。カラスが罠にでもかかったようなその姿は傷こそ無いものの、余りにも痛々しく見えた。
「めーわくかけたね、それを謝りに来たんだよ。安心してよ、今はもうころしゃーしない。逆に今度は私が殺される側だ」
簡単に言うが、響のした事は決して俺らにとって許せるような事ではない。実際に殺されかけた。冗談で追いかけっこをしたわけではない。彼女がどんな姿であれ、何があったとしても、俺は朝日が、フィリが、仕掛け屋がいなければ確実に殺されていたのだ。
「迷惑で、済む話かよ」
「そりゃあ、済まないよね。だから、来たわけだ」
数歩近づいてきた響の声は酷く弱々しく、よく見ると目の隈も酷い。それ以上に、爛々と輝くようなその両目は絶望に染まりきっていた。
「説明、する?」
「いらん。その姿を見りゃ分かる。じゃが、殺してやらんぞ」
フィリは響の変わり果てた姿について理解しているようだ。しかし俺には何も分からなかった。響がやった事実だけが心に反響している。
「えぇーー……、フィーが私の刻景取ったんだよ? 殺したげるのが筋じゃない? この世界でも自殺なんて、皮肉だしさ」
「選ぶのが遅かったな。堕天する程に許せないならば、あの時ヤツに引き金を向けるべきじゃった。どうあれ事実はな、ヒビ。主はワシらを殺そうとした敵じゃよ。どんな理由があったとしても、じゃ」
堕天という言葉は、響のその姿とピッタリな言葉だと思った。そして引き金を向けるべきと言うのは天使長の事だろうか。そう考えた所で『同族殺し』という単語が頭をよぎる。
――濁神
アルゴスは使い魔を通してそんな言葉を言っていた。神の子であるアルゴスを、その名を捨てたとはいえ神の子であったフィリが殺すと『濁神』になるという話。後に使い魔はアルゴスの詠唱により使い魔ではなく眼獣として一つの化け物と化した事もあり、彼女もそれを確認して手を出したが、その前段階では神の子では無くなったにしろフィリは攻撃行動を躊躇していた節があった。
この世界のルールとして同族殺しがタブーとされているならば、もしかすると響は何らかの理由で同族を殺したという事になる。
「やったのか、天使長を」
であれば、天使陣営は総崩れどころの騒ぎではない。篝火はたったの二人。展開が読めないどころの騒ぎではない。
「アイツは私を、何もかもを舐めてやがったからなー。ま、お陰様でもう私はおしまいだけどね! 天使からも悪魔からも狙われる。時間も経験値もタップリのはぐれのメタルな堕天使になっちゃったわけだね。だからせめて迷惑をかけたキミらに殺されてあげようってね。探してたわけ」
自暴自棄としか言い様が無かった。同族殺しの結果がイレギュラーなボーナスになるというのは性格の悪い世界だと思うと同時に、まかり通っているこの世界のおかしさを再確認した。
「だからって、お前を殺せるかよ」
「そう、ですよ。確かに許せない事はしましたけど、天使長が悪かったって事なんですよね?」
俺と朝日は概ね同じ事を考えていたようで、響の申し出について怒りを残しながらもやんわりと拒否する。しかしフィリの場合はそうではなかった。
「引っ掻き回すつもりか、ヒビ。天使長殺しなぞ、タダでは済まんぞ」
そういうフィリの顔は、ほんの少しだけ邪気を帯びるような、イタズラの共犯者のような笑みを浮かべていた。
「刻景さえありゃまだ何とかなったんだけどね、フィー。殺してくんないならいいよ。精々暴れてやるさー」
そう言って彼女はロクな説明も無しに立ち去ろうとする。朝日が「待って!」と引き止めるが彼女は白黒入り混じった羽根を背に後ろ手を振る。
「言い訳はしないよ。本当に悪い事しちゃったからね。私はさ、間違えた。だからまぁ一人で償うさ。生きてたらまた会えたらいいよね」
何となく、何となくではあるが彼女の葛藤や彼女が俺達を殺そうとした理由が見えてきていた。だけれど、共に行こうとは口が裂けてもいけなかった。
――俺は仲間を守らなければいけない。
響が言う通りに同族殺しが全ての存在の敵になるのだとしたら、共にいるだけで仲間に危険が及ぶ可能性が高まる。だからこそ、背中を見送っていたが「あ! そうだ!」と響はこちらを振り返る。
「落っことすなよなー! あのクソBARでいっっっちゃん良い酒!」
俺の方へ銀色の何かを投げて寄越す。その顔が少しだけ綻んでいて、思わずキャッチしそこねそうになるのを見て、響は少し笑う。
中身を開けてみると芳醇な匂いが鼻に広がる。少し大きめで装飾の付いたスキットルには、ウイスキーがたっぷり入っているようだった。匂いだけでも高級だと思える程の酒、銘柄は分からないし、仲直りの印にもならない。きっと彼女の気まぐれなのだろう。だけれどほんの少しだけ寂しく、ほんの少しだけ彼女を哀れんだ。だからこそ、あえて少し明るい声を絞り出す。
「他の酒はどうした?」
答えは何となく知っていた。彼女はもう既に振り返って、俺達の前に姿を現した時のように銃を空へと向けた。
「ぜーんぶ!」
その言葉と同時に銃声が鳴り響き、直に彼女の姿は見えなくなった。俺はスキットルのウイスキーを一口だけ飲み込み、彼女が行った方向とは真逆へと歩き始める。
「良かったんですかね……?」
「仕方ないさ、理由はわかっても、いられないのは事実だ」
俺達の少しだけ彼女を憐れむ言葉をフィリが鼻で笑う。
「ふん、良いも悪いもない。間違えたならば相応の報いは必要じゃろう。だがそう思うならばいつか、いつかな、お主らが今のヒビを守れる程強くなった時、それでもあやつが生きとったとしたら、もう一度考えてみる事じゃな」
半ば諦めているような口ぶりではあったが、彼女自身も俺達が思っている事については否定的では無いようだった。
「いつか、な」
追うように俺がその『いつか』を呟く。
「……はい」
納得できないのを噛みしめるような、朝日の声が小さく響く。何よりも俺達はこの感情を伝えられなかった。それが後悔となって押し寄せ、俺はもう一口だけスキットルの中身を飲んだ。
いつか、いつかそういう日が来るのならば、とほんの少しだけ願うのは、甘い考えだろうか。そう考えながら、あんなに綺麗な姿だった彼女の酷く落ちぶれた姿を思い出しながら、同情をしているような気がして、俺は一人、静かに首を横に振っていた。




