第十九話『鼓動の場所を知っている』
唸りを上げる眼獣はフィリに負わされたその痛手からか顕現した時よりも猛々しい様子は見えなかった。現状俺と朝日が出来る行動は待ちの一手のみと言っても過言では無い。
「俺、右な」
格好をつけるつもりは無かったが、よりダメージが少なそうな右側の眼獣の方へと俺は一歩だけ踏み出す。刻景を加味すれば朝日の方が強いのは明白だが、俺にはこの仕掛け武器がある。ならば事近接戦闘に於いては彼女よりも優位には立てるはずだ。……少なくとも今のところは。
「ん、大丈夫。大丈夫……」
朝日は自分に言い聞かせるようにナイフを握りしめる。それはあまりにも心許ない武器だった。仕掛け屋はそれをどうにかする為にこの場にいないわけだが、それにしてももう少しマシな近接武器を調達すべきだったかもしれない。
「本番だけど、練習。練習だけど、本番……」
隣から緊張が伝わってくる。だが殺意はもう目の前に迫り始めていた。
ジリジリと距離を詰めてくる眼獣達、思った通りに右側のヤツが先に向かってきた。もう一匹はその様子を見るように未だ微動だにしていない。
「いくら眼があっても、見据える為に必要なのは二つ、だろ!」
その突進は想像以上に早く、そうしてその牙は俺の喉元をハッキリと狙っていた。眼獣も決め打ちで飛んだのだ。ならば俺も決め打ちでマチェーテを構え、口内を狙う。
「コイツは喰いもんじゃねえ、ぞ!」
口内にもある眼獣の眼が俺の刃を捉えていたのは知っていた。だからこそ、俺の待ちの一手は成功しないだろう。だが眼獣の牙もまた俺のマチェーテを牙で受け止め、その力のままに俺の腕を地面へと下ろす。
「つっても、聞こえないよなぁ」
牙が刃を捉えるのは折り込み済だった。だからこそ、攻めの二手目。俺が持っているのは仕掛け武器なのだ。威力は仕掛け屋のお墨付き、だからこそ俺はそのトリガーを引き、眼獣を叩き切る。火薬と血の匂いが入り混じる二片の物体が床に伏せたまま痙攣していた。血が溢れて二分割になった眼獣がそれでも死んでいない事に驚きを隠せなかったが、それでももう抵抗は出来ないようだった。
だが、気持ちの悪い事に、動けなくなっても未だに眼獣のその眼はこちらを見ている。そうして、同じようにもう一匹の眼獣もまた、奴らにとっては相棒とも呼んでいいかもしれない一方の眼獣が無力化される光景を見ていたのだろう。二匹の眼獣がフィリに格付けされ俺達を狙ったように、俺と眼獣との格付けも済んだ。つまり残った最後の眼獣は朝日をじっと見つめている。
「手助けばっかりされてちゃ、駄目だよね」
彼女は小さく呟き、手に持ったナイフを強く握りしめていた。
「私だけの、私の戦い方。動物をモチーフとしているのなら……」
呟いている内に、眼獣は朝日の方へと駆け寄っていく。俺の場合は待ちの一手でも受け止めきれるほどの武器だったが、彼女のソレは心許ない。だが簡単に避けられるようなスピードでも無い事は確かだった。
「まだ、生きてるのにな。それでも、ごめんね……刻景!」
彼女の首筋に眼獣の牙が突き刺さる瞬間に、朝日は一瞬だけ自らの刻景を発動させた。フィリには使うなと言われていたが、彼女の中ではそれがこの戦いに於ける最善手であると判断したのだろう。時間が減ると言うデメリットはあるにしても、彼女が使った時間は一秒にも満たない時間だった。
ナイフは的確に眼獣の一点のみを貫いている。刻景を解いたと同時に朝日は眼獣から距離を取るが、どうやらその一撃で眼獣の活動機能は停止したらしい。いくらか藻掻いた後で、俺が倒した眼獣とは違いその眼すらも動かなくなった。
「前々から思っとったが、アサヒは随分と無茶をするのう……。まぁ刺して引いたから良しとするがの……」
「無茶じゃ、ないですよ。生物が失えば死ぬ場所を知っていただけですから」
彼女は医者の家庭だと聞いた。実際に医療に従事していたということも知っている。であれば心臓の正確な位置が分かったのだろう。
「それがそうでもないんじゃよ。運も良かったんじゃろうな。ああいった異形の類は常識は通じん、たまたま犬の姿だったからこそその部位が致命部位だったというだけの話じゃ。事実アクタの方はまだ生きておるじゃろ?」
だからこそ刻景を解除してすぐに距離を取った事が正解だったのだろう。それは彼女の危機管理能力の賜物だ。その話を聞きながら、朝日は俺が倒した眼獣へと向かい、その心臓にもナイフを突き立てた。そのうちに眼獣は全ての眼を閉じた。
「ん、覚えておきます。それにー、流石にドラゴンの心臓の場所は分かりませんしね!」
ドラゴンなんていてたまるかと思いながらも、笑って答えた彼女の顔に憂いが残っているのがどうにも気になった。
「でもきっと、人ならちゃんと殺せますね。もしかすると私には銃よりもこっちのがいいのかもしれないなぁ……」
すっかり忘れていたが彼女がマントを開くと幾つもの小銃が目に入る。響によって強引に紫格の魔法使いと戦わされた時、俺の仕掛け武器のタイマーが限界を迎えるまで朝日が時間稼ぎの為に使ってくれた銃だ。思えば、あの時も朝日は一撃で魔法使いの急所を刺していた。それもまた、彼女の現実での経験によるものなのかもしれない。
「魔法使いならまだしも……、流石にワンちゃんに当てられる自信は無かったです。とはいえ魔法使いは魔法使いで何だか分からないガードしてきましたけどね……」
眼獣を以てワンちゃんと呼ぶあたり何とも言えない彼女独特の世界観が垣間見えたが、俺が躊躇ったわけでも無いのに俺の代わりに眼獣にトドメを刺した辺り、生命という物について一家言持っているように思えた。
「とにかく少しは前進じゃな。アサヒ、目的を決めた上で一瞬の刻景使用は見事じゃったぞ。アクタも多少見込みありといったとこか。武器に頼りすぎないようにの」
フィリ先生の簡単な寸評、当たり前だがやはり俺の評価の方が厳し目だった。今更褒められて伸びるというわけでもないし、そんなタイプでも無い。とにかく少しでも力になる事と、生き延びる事こそが付いてきてくれた人達への恩返しになると信じて、精進を誓った。
眼獣がいた場所には、決して人間が死んだわけでも無いというのに灰が積もっていた。
「あの子達も灰になるんですね」
「顕現した物は等しく灰になる、人も獣も天使も悪魔も、情などはいらんぞ」
先を進むフィリには見えなかっただろうが、朝日がその言葉にややムッとした表情を浮かべるのが隣で見て取れた。けれど少し寂しい顔をしてから、彼女はごく自然に了解の旨を伝えていた。
「それでも、ありがとな」
俺は前を歩くフィリに聞こえないように、朝日にそっと感謝の言葉を伝えた。俺だって敵であっても痛がらせなぶり殺しにするなんてのは当たり前だが趣味ではない。たとえたった一瞬前まで敵対していたとしても、トドメを刺すなら一撃で葬ってやりたいという気持ちは俺の中にも存在していた。だが、おそらく俺では後何度かの痛みを眼獣に与えていただろう。
「俺なら多分、アイツも安らかには逝かなかっただろうよ」
そう言うと、少しだけ朝日は寂しげに微笑む。
「ん、ありがとです。私も甘いですけど、芥君も案外甘いんですね。怒られますよ?」
朝日はクスリと笑って少しだけ早足で俺の前へと歩いていく。後ろで結んでいたその両手が、ギュッと固く結ばれているのを見ながら、俺は彼女の強さのような物を感じ取っていた。
「とりあえずお腹空きましたね……、ちょっと休んで今日の寝床見つけたら、私の武器探しに付き合ってくれません?」
もう既に気持ちを切り替えたのか、それとも無理をしているのか分からないが、朝日はあくまで明るくフィリに話しかける。
「ふむ、それもそうじゃの」
時刻はもう夕方くらいに差し掛かっていた。俺達はだいぶ遅めの昼食を日陰で食べてから、もう一度灰が積もる街へと歩き出した。廃墟のようで、新築のようで、けれど人よりも灰の方が多い街は、あまりにもチグハグで心を乱す。ただ、空が落とす夕焼けだけが灰色にオレンジを差して、少しだけ心を癒やしてくれているようだった。




