第十八話『神の瞳に相対』
適当に歩いていた所で得られる情報なんて物は転がっていない。そんな事が痛い程実感出来るような異界じみた街並みを歩く。異世界と言うには妙な違和感があるような雰囲気だった。俺達が今歩いている所は細かくビルが立ち並んでいる街中のような場所だ。現実であればそこそこの人数が昼夜問わず歩きまわっていたり、酒を飲んでベンチで寝ていたり、それでも酒屋の行灯は消えていなかったり、ビルの奥にはそんな路地すら見える。
実際に、見知った名前のコンビニや店も存在していた。だからこそ異世界というより異界というイメージが出来たのかもしれない。残り火または篝火にいた頃は見る物や聞く事のリアリティの無さについていけなかったが、これはこれでリアリティの無い灰塗れの街だった。モデルがどの街なのかはピンと来ない。都会だろうか。それにしたってこれ程までビル等が立ち並んだ場所がモデルになっているのに喧騒も無ければ目立つオブジェのような物も見当たらなかった。
「なぁ、朝日は何処出身だ?」
俺自身が知らないだけで見慣れた場所が無いだろうかと朝日に聞いてみるが、芳しい解答は帰って来ないような顔をしていた。
「ときおシティーのそこそこ中心地の生まれではありますけど……」
「俺もそうなんだけれど、変な感じだよな」
二人して顔を見合わせてから、周りを一望する。
「何となく見えていたタワーも、犬の置物がある様子も無いですけど、感じは都会っぽいの気持ち悪いですよねぇ。人がいないし尚更……」
やはりどうやら同じような感想を抱いていたようだ。フィリはその話を興味が無さそうに聞いている。この世界由来であると思われる彼女にはピンと来ないのだろう。
「夜に星がよく見えるのは光が無いからか。ただ現実でも見えない事も無いって歌われていたけどな」
そんな事を言いつつ、ではこの世界で見えている星は何だろう? なんて事を考えていた。結局の所答えは一つも出ないまま、俺達は休みながらもたまに会話を混じえて進んで行く。
「お! 芥君とは音楽の趣味合いそうですね! とはいえそれも私が生まれる前の曲ですけどー」
どうやらやや選曲は古かったが知っている曲だったようだ。アサヒくらいの年代だと物心ついた頃には異世界病が流行っていたはずだから、生まれる前の曲なのも納得だ、だが少しカルチャーショックを受けてしまう。
「いつかゆっくりと……、話せる日が来りゃな」
それでも道中は何となく現実での話に花が咲く、映画にしても音楽にしても、アニメや漫画や小説にしても、今や記憶の中にしか残っていないが、死ぬ日を一日でも遅らせてくれた大事な思い出だった。もしかすると彼女にとってもそうなのかもしれない。
「ロックだって一時期よりはだいぶ息を吹き返して来てたしな。第何次バンドブームがあったんだったっけか」
「第三次……? いや第四次でしたっけ? ロックって聞くのは好きだったんですけど、習わされたのは遠縁の楽器だったんですよねぇ……」
習うと言えばピアノや、良い所のお嬢さんのようにも見えるからヴァイオリンかとも思ったが、遠縁というあたり違うのだろう。俺が死んだ時にはピアノもヴァイオリンも充分にロックの仲間になれる様な多様性が生まれていた。
「遠縁っても、限りがあるだろ。バグパイプだのってなら話もまた違うけど」
「……パイプオルガン」
想像の上を行っていた。パイプオルガンを弾かされる事があるような家庭なんてそうそう無いだろう。どんな家庭環境なのか、医者の家系というのはそこまでゴージャスな、何とも神秘的な家系かと言われるとピンと来ない。それ以上に何というか、逆にロックな気がして仕方がなかった。だが彼女は溜息をついていたので黙って親指を立てた。
「ふぅむ、お主らの話は良う分からんし口を挟むのも野暮じゃろうが。この街は欠陥品じゃからあまり飲まれぬようにの」
不意にフィリが寂しそうな顔をして歩を止めた。
「所詮は殺し合いの場、要は舞台装置じゃからな。だからこそ、じゃ」
――彼女が歩を止めたのは、それ以上進めば戦う事になるからだ。
眼の前で嘲笑う目玉の珠が浮遊している。忘れるはずのない、俺が始めて引き金を引いた相手が、気がつけば近くに二体現れている。
「見ィつけたっと」
その珠の一つから声。聞いた事の無い男の声だったが、フィリが溜息をついたのが聞こえた。
「転移魔法とはまた鬱陶しいのうアルゴス。……久しいの」
「噂になってんぜ? 背信的逃亡者と家出少女の歌が聞こえるくらいにはなぁ?」
「よう言えたもんじゃ、目しか無い癖に」
フィリから溢れる言葉の棘、敵意は顕だったが。アルゴスと呼ばれた赤い球体に幾つもの眼球がついたおぞましい化け物からは陽気な声が聞こえていた。
「寂しいじゃねえか、ハラカラハラカラ。気になって見に来たってんのによ」
「フィリ、知り合いか?」
聞くと化け物の方から声が聞こえる。
「知り合いも何も、元は血の分けた神の子同士よ。今じゃまぁ随分とどころか、落ちぶれきったみたいだけどなぁ?」
「貴様が言えた立場か。この世界の状況を知りながら望んで悪魔陣営についた貴様なぞ元から落ちぶれるどころか地の底じゃろうが。その気色の悪い目玉。今すぐ消してもいいんじゃぞ?」
天使に味方した神の子と、悪魔に味方した神の子が睨み合う。悪魔の無数の目は、フィリの二つの眼に封殺されているように見えた。
「同胞殺しは怠いだろ。濁神にでもなる気かよ。神の子をやめたからって神性は残ってンだろ? それに俺が見に来たのはそっちの二人、兄ちゃんは数日ぶりか? 面ァ変わってやがる。クク、敵に塩送っちまったか」
濁神という言葉が気になった。同じ種族間の殺し合いはもしかすると禁忌とされているのだろうか。
「やって、いいんだよな?」
囁くとフィリは一瞬こちらを見てコクリと頷きすぐに視線をアルゴスの使い魔へと戻す。嘲笑う無数の目玉と睨む二つの目玉、両方の視線が交差している。俺は恐怖感を篩い落とすように銃を一挺取り出し二体いるアルゴスの使い魔の近い方へとその銃口を向けた。
「お、血気盛んで覚悟もあるか。悪くねぇなぁ。でもまだ弱い。その目、怯えが隠せてねえな。来いよ、今度は抵抗してやっからよお!」
核心を突かれたと思った。眼力か、それとも審美眼か。だがそれでも撃つ以外の選択肢などあるわけもなく、俺はその銃のトリガーを引く。小気味良いと評していいのだろうか。それとも恐怖を煽る音だろうか。おそらく奴らからすれば石を避けるような物。豆鉄砲と呼んでもいいかもしれない。それでも、確かに殺せた豆鉄砲だ。
「刻……ッ!」
後ろで朝日が刻景を使おうとする声がする。ならばこの戦いは勝ったも同然のはずだ。だが、それを戒める声も同時に聞こえた。
「待てアサヒ、持たぬアクタは一人でやらんといかん事もある。スパルタで行こうぞ」
要は実戦を兼ねた命懸けの訓練をしろというわけだった。言わんとする事も分からなくはない。アサヒが刻景を使い俺がその隙にトドメを刺す。おそらくその行為に高い練度は必要ないのだ。要はタイミングを見計らうという事が重要で、俺は俺一人で戦うという事を学ぶべきで、アサヒはアサヒで使うタイミングを待つという事を学ぶべきなのだ。
「でも……」
「黙って見とれ、時間は限られとる。しかも使い魔如き倒しても一秒にもならんのだ。使うとしても本当のタイミングを見極めろ」
銃声の合間に聞こえる声。そして銃弾が目玉の横を抜けていく風景。それは俺のコントロールが狂っていたせいではない。浮遊していた目玉がストンと床に堕ちたのだ。
「まぁ死ねば楽だが、つまらんから死ぬなよ?」
その言葉と同時に、二つある目玉の塊が獣のような姿へと変わっていく。
「その眼は万物を等しく観測する。
その四肢は砂煙を払い除け先を臨む。
その牙は汝の眼を喰らい我が物とする。
使い魔の檻を食い破れ、神の子アルゴスが眼獣の名を与える。
さぁ、此処から先は知らぬ事。主無き獣よ。眼を増やせ」
その言葉を最後に、二つある目玉の塊は全身が赤く薄汚れた犬のような姿へと代わり、雄叫びを上げる。眼獣と呼ばれた化け物には毛のような物が無く、影のような身体には球体だった時のように無数の眼がついていた。
「なぁフィリ、想定内か?」
「どうじゃろうなぁ、ワシもあやつの趣味なんぞ知らんよ。何が出来るかなんて事もな」
溜息と同時に漏れる言葉は三人全員が思っていた事だろう。
「趣味、悪いな」
俺は駆け寄って来る眼獣を目の前にして、手に持った銃をホルスターに収める暇も無く、その場に置きマチェーテへと武器を持ち替える。遠距離でどうにか出来る相手では無いという事はハッキリと分かった。
一瞬先に牙が見える。口の中にすら眼があるのが、何とも悪趣味だった。だがあくまで獣の突進と言ってしまえば、刃物を構えていたならば多少のアドバンテージがあるはずだ。たとえそれが殺意に満ちあふれていたのだとしても。
「ツッ! 避けんのかよ」
俺のマチェーテの軌道を読むかのように眼獣は俺の横を通り過ぎ、その背中に一撃をお見舞いしようとすぐに後ろを向いて振り下ろした斬撃も器用に避けて距離を取る。その時に眼獣の尻尾の付け根あたりの眼が嘲笑っていた。
「簡単には使わないん、で! 加勢くらいいいですよっ!ねっ!」
もう一体の眼獣は彼女の方にも走り寄っており、彼女は眼獣の噛みつきをそのナイフをエイエイ! と言わんばかりに振り回して距離を取っている。
加勢というか、何というかと思ったが、刻景のタイミングは此処では無いというのは確かなのだろう。
「まぁ……いいじゃろ。アクタ! 銃借りるぞ!」
フィリはタタタと俺が置いた銃へと走る。それを追いかけるように眼獣は二匹とも彼女を追いかけた。おそらく見た目だけで言えば一番弱そうに見えたのだろう。それは獣の本能のような物なのかもしれない。眼獣達のその俊敏な動きに一瞬俺とアサヒはたじろぐが、彼女に限ってという確信もまた持っていた。だが一つ、気になる事がある。
「濁神が何とかって! 手出してもいいのか?!」
焦って聞くと彼女は銃を手に取りながらも説明をしてくれる。
「ヤツの詠唱を聞いとったじゃろ。もはやあの獣は主無き獣じゃからの、魔法使いにとっての詠唱はそのくらい重い。ある種の契約、約束、縛りみたいな物じゃ、だからこそ……」
彼女はニヤリと笑って嘲笑う目玉を的確に撃ち抜いた。
「ワシも楽しめるってわけじゃな!」
小気味良い音が鳴っている。持ち主によってこれ程までに変わるのかと思う程に、的確に眼獣の身体中に存在している眼が潰されていく。
「しかし、多いのう。眼なんてもんはの、二つしか無いから良い。欠けてはいけない。けれど一つならばまだと、失う事を許され、されど守る事も強いられる神聖なる奇跡の一つ。その両目を喰らうなぞ、おこがましいにも程があろうて」
大食らいを叱るかのような口調でフィリは確実に眼獣の眼を撃ち潰し、そこから血液のような物が溢れる度に眼獣は軽く鳴き声をあげる。だがそれでも決して致命傷を与えられているという印象は受けなかった。
「これだけあるんじゃ、喰わずに満足せい。それに、お主らもこのくらいで満足するんじゃな。丁度弾も切れたしな。……ほれ!」
彼女は撃ちきった俺の銃を灰の上に放り投げ、怯む眼獣達に一発ずつ蹴りをお見舞いした。
その時点で眼獣とフィリの格付けは決まったようだ。幾つもの眼を潰され、その影のような体躯に密集した眼から血を流しながらも立ち上がり、それでもまだ残った眼が映したのは俺とアサヒの姿だった。
「あぁ。いつかは自分でやれるようになるさ」
「私はー……、どうかなぁ……」
また手助けしてもらったという後悔の両目と、不安げな両目が一瞬交わる。
だが、どちらとも無く頷くと俺達の視線は殺意の視線へと向けられる。
無数の殺意が牙を剥いている。アルゴスが唱えた呪文のような、詠唱のような物が本物ならばもう奴らに主など無く、だからこそアルゴスの声ももう聞こえないのだろう。ただその本能のまま、眼を喰らおうとして唸りを上げながら近づく眼獣へと、俺達は再度それぞれの獲物を向けた。。




