第十六話『乙女の髪一本は魔法に勝る』
夢のような世界でも夢を見るのかと思いながら、逃亡二日目の朝が来た。響と笑い合う夢を見ていた事を少しだけ悔しく思う。
「やーっと起きたか。まぁ疲れてはいたんじゃろうが、そろそろ陽も高いぞ?」
部屋にはフィリが一人、つまらなそうに窓から外を投げてみた。酒を飲んだからか酷く喉が乾いていた。それとも疲れと緊張の後だからだったのかもしれない。
「ほれ、昨日の礼じゃ、ありがたく頂戴しろ」
彼女は俺の横まで歩きながらお茶を置き、俺はそれを勢い良く飲み干す。
「飲みっぷりが良いのう。流石に飲み食いは基本じゃからの、それが出来る内は身体も心もまだ大丈夫じゃ。傷ついていたとしてもな」
そう言って彼女は昨日の残りのアタリメを齧る。時刻が昼時なのだとしたら食事も既に済ませているのだろう。
「二人は?」
「アサヒがどうも朝早くからソワソワしてるようじゃったからの、寝惚けた仕掛けを叩き起こして物資補給に行かせてやったわ。ずっと此処に居座るわけにも行かんしのう、ある程度溜め込んでこちらも拠点を作らねばいかん」
まだ悪魔陣営の拠点を目にした事は無いが、少なくとも天使陣営の拠点はしっかしとした砦のような場所だった。特に屋上またはBARから入る地下施設は相当頑丈に作られている。そのレベルの施設をどうにか出来るとは思わないが、少なくとも拠点作りは集まる場所を作っておくという意味でも大切だろうと思った。
「そりゃ悪い事させたな、俺も手伝いに行きたいもんだが……」
「やめとけやめとけ、アクタ一人じゃ魔法使いに絡まれても刻景使いに絡まれても死ぬぞ。アサヒに仕掛けを付けてやったのはそういう心配を消すためじゃ。仕掛けがおるなら赤に出くわしても一人くらいまでなら何とかなるじゃろうし、大人しくワシと待っとくが良い。急いては事を仕損じる、流石に今は動かぬが正解じゃよ」
少しつまらなそうではあるが、おそらくフィリが残るのが最適だと判断した上で俺を見守ってくれていたのだろう。仕掛け屋の実力こそその目で見てはいないが篝火のメンバーであった事と響を足止めしてくれた事を考えたならアサヒも心配は無いだろう。そもそもアサヒの刻景も破格の強さを誇るのだ。であれば戦闘経験が多いであろう仕掛け屋に指南してもらいながら街を探索させるのは正しい。
そうしてこの場には誰が来たとしてもほぼ負ける事がないフィリが残るのが正しいというわけだ。刻景を使わせてしまう自体になっていたとしたら心は痛むが、仕掛け屋が残していった仕掛けや俺の銃を彼女が使ったならば場合によっては刻景を使う必要すら無いのかもしれない。
「探索するにせよ一人か二人を倒してくれると心配も減るんじゃがな。こっちには五人くらい突っ込んで暴れたかったもんじゃが、昨日の今日で随分と平和で敵わんのう」
五人と軽く言うあたり相当の自信家なのだろう。銃撃の精度を見た後ではそう言うのも納得出来る。そう考えていると階下でガシャンと音が聞こえた。破壊音ではなく、これは仕掛けに引っかかったという感じの音だ。
「おお、丁度良いのう。野良が来おったか」
「二人が帰ってきた可能性は?」
こんなに頻繁に魔法使いと遭遇していたならキリが無い。とはいえ俺とアサヒも実際に誰とも会わないだろうと言われた探索で魔法使いと遭遇している。
「有りえんな。仕掛けのヤツは自分の武器をそう雑には扱わんし自分の仕掛けに引っかかるやつでもあるまい。どれアクタ。アサヒに負けてもおられんんじゃろ。ノコノコと来るようなら狩るぞ」
自信満々に、それでいて楽しそうにフィリは笑っている。それも空手で笑う。刻景を使うつもりなのかもしれないが、せめて銃の一つくらい持った方が良いのではと心配してしまう。
「使うか?」
睡眠時はまとめて避けて置いてあった装備を付けている時に、ハンドガンを見せると彼女は首を横に振る。
「甘く見るでないぞ、そもそも使えるだけで好まぬ。アクタは死なぬ事だけ考えろ、そしてトドメを差すタイミングだけ見計らえ」
階段を登る足音と、仕掛けを壊す音が聞こえてくる。足跡の数が一つでは無い事は確かだった。少なくとも二人以上。この部屋に到達するまであと十秒も無いだろう。
「仕掛けも強いがの、流石にワシよりかは……」
部屋の扉が思い切り蹴破られると共にフィリが魔法使いの顎目掛けて掌底を食らわせるのが見えた。逆に言えばそれしか見えなかった。いつのまにドアまで駆けたのか、距離こそ短いながらも物凄い瞬発力だ。そうして彼女は魔法使いの顎を打った流れで肘鉄を腹部を思い切り叩き込む。
「弱い」
その一連の動きだけで一人目の魔法使いはその色格すら確認する前にノックダウンさせられていた。
倒れ込んだ魔法使いからトットットとリズムを取るかのように距離を取って、後ろに続く魔法使いをあえて部屋内へと引き入れる。
「つまらん、白を先を進ませたか。魔法使いは相変わらずじゃのう……、まあ紫あたりがしそうな事じゃが」
「るせぇ! なんでお前みたいなガキが……!」
入ってきた魔法使いは二人、色格は紫と緑だった。おそらく紫がリーダー格なのだろう。倒れ込んで意識が無い様子の白格を蹴り飛ばして火球を練り上げる。その後ろでは緑格が地面に向けて手を当てていた。
「させるわけがなかろう。ガキは貴様じゃろうに。刻景……」
フィリが少々苛立った雰囲気で自分の髪の毛をプツンと千切る。まさかそれと等価交換出来るとでも言うのだろうか。ならば今までフィリはどれだけの魔法使いと等価交換してきたのだろうかと思ってしまう。
「ロストタイム」
途端に彼女の指先から一本の髪の毛が消え、モノクロの世界へと変わり、火球が消え失せる。
「食いかけじゃが、これも貴様らにくれてやる」
そう言って彼女が吐き出したアタリメが空中で消滅し、緑格の魔法もおそらく中断させられていた。
「アクタ、トドメは主じゃからの」
そう言って彼女は紫格の顎に飛び蹴りを入れ、緑格の顔面に拳を叩き込む。まだ意識があるらしい緑格については二、三度拳を叩き込んでいた。その小さな身体にどれだけの身体能力、力が入っているのだろうと不思議になる程、あざやかで一方的な空手での格闘だった。ならば銃火器を使わないというのも納得というものだ。
「悪いな」
俺は言いながら気絶している魔法使いの頭にハンドガンを突きつけ、一発で仕留めていく。秒数がその度に増えた。覚悟はもう出来ているし、何人も殺した。ならば心は痛めど、仕方のない事だと割り切ってしまっていた。そう考えれば早いのだと、言い聞かせていた。
「敵は悪いなんて思わずこちらを殺すんじゃぞ、悪いなどと思うな」
汗もかいていないフィリが少々怒ったように灰を踏んで近づいてくる。
「違う、悪いって言ったのはフィリにだ。髪、抜いたろ」
そう言って俺は新しいアタリメを彼女に手渡す。彼女は意外そうな顔をしてから俺の手からアタリメを取って軽く口に咥えた。
「にゃらばよい、髪は乙女の生命とも言うひの。あの程度の魔法ならかんぷーじゃよ」
少々行儀がなっていないのは良いとして、彼女の等価交換の価値が何となく分かってきたような気がした。もしかすると彼女が他人から思われている価値と、彼女自身の価値観によって失う物の価値の強さが決まるのでは無いだろうか。彼女の口から詳しい事は教えてもらっていないが、そもそもロストタイムを使えるのは彼女だけなのだから聞くのも野暮だろうと思い、俺は自分の時計を確認した。
「十六秒ひゃな。上々じゃろ? 感謝するんみゃぞ。じゅる、しょろしょろアサヒりゃも帰ってくるじゃろしな……、あひゃつらは何秒増えたかのぅ」
「流石に柔らかくなってきたら喋るのは辞めないか……」
柔らかくなったアタリメを噛みつつふにゃふにゃした事を言うフィリに突っ込みつつ、俺は魔法使い達がいた場所、灰が積もった入り口を見つめる。
俺が殺した時点では全員まだ生きていたのだ。特に白格については意識もあった。懇願の目を見つめて、心を殺して銃弾を撃ち込んだ。たった一秒の為に俺は人を殺したのだ。出来る事ならば、来世では本当の異世界に行けば良いと思った。異世界病者は嫌いだ。だが弱きを囮に使うような奴らはもっと嫌いだった。だが見逃すという選択肢は無い。白1秒、緑5秒、紫10秒の合計16秒。俺の時計には『20.45』の文字が表示されていた。
それをマジマジと見て、やっとこの数字は人の命の上に成り立っているのだという実感が湧いてくる。
「白を囮にすんだな。アイツも病気ではあっても夢見た一人だろうに」
「天使も悪魔も変わらんにゃろ。そりぇでも悪魔陣営のほが生き急いでる気はするがにゃ、もう死んどるのにの。そもそみょ灰場だってきな臭い話にゃしの」
アタリメ噛む噛む少女は何を言っても決まらないが、言わんとする事は何となく分かる。灰場と呼ばれた場所での決闘行為は明らかに天使と悪魔の共謀のような物だ。もしかすると何かしらの八百長があるのかもしれないと、天使と悪魔の両方の的になっている俺は訝しんでいた。




