幕間の一『噛めば噛む程、知れば知る程』
ドラッグストアのビルの三階、何らかのオフィス跡で各々選んだ食べ物を貪る。とはいえショッピングセンターやコンビニといった品揃えではなく、あくまで薬がメインであり、惣菜パンや簡単な即席飯くらいしか見当たらなかった。冷凍食品がどういう理由かは分からないが電気も無い中でキンキンに冷えていた。しかしどうやら電気の類いは通っていないらしい。だが飲み物もちゃんと冷たい。
「そこらへんは現実を元にしてるんだな。本当に変な世界だ」
「こふぇっへもういへはいでいいれすよねぇ?」
メンチカツパンをほうばりながら朝日がモゴモゴと何か言い、それとなく仕掛け屋に「はしたないですぜお嬢さん」と窘められていた。
選んだ食べ飲み物は独特で、朝日は意外とガッツリ食べたいようだった、飲み物は炭酸ジュースを選んでいる。というよりもカロリーを流し込んでいるようなイメージ。よくそれでその細い体を意地出来るものだ。
「あとで運動しないとなぁ……」
「行き届いてるもんだな」
パンを飲み込んだ朝日がぼんやりと呟く、おそらくはある程度現実のルーティンが残っているのだろう。
「そりゃ食べたら動かないと、何処でもできーるだけは可愛くいたいもんですよやっぱり」
女の子らしさが一番残っている、響なんかも顔の造形は良いが、その体は細い物の美容等への努力をしているようには見えない。食べても太らないなんて言い出して恨みを買いそうなタイプだ。その点美容に関して朝日は徹底的に意識しているらしく、生き死にがかかっている世界だというのに食料を運んだあとに美容ケアの商品を持ち込んでいた。
「分からんのう、アサヒの見てくれはかなり良いでは無いか」
「それでも頑張るのが大事なんですよう、羨ましいなあフィリさん。その若い見た目なら気にしなくていい事いっぱいあるもんなぁ……」
首を傾げるフィリに朝日は苦笑している。
「それって地毛なのか?」
出会った時から気になっていた。染めているにしてはあまりにも綺麗すぎる気がする。ケアが完全に行き届いていないであろうこの数日間の間もそのサラリと流れていて、チョコンと前髪の端が外に跳ねている金色の髪は変わらず綺麗だった。
「遺伝です! お父さんがイギリス人でした。ほら、よく見ると目も翠! カラコンじゃないですよ? 痛そうですし」
道理で違和感の無い雰囲気だったのだと納得する。その目もマジマジと近くで見る事は無かったが確かに翠眼をしていた。
「でも名前に英語は無いんだな」
「あはは、どうもお父さんがお母さんに一目惚れしたそうで。お父さんがお婿さんなんです。そのせいか私も日本名になりましたね。日本の初日の出に感動したんですって、だから、朝日」
そう言って少しだけ寂しそうな顔をした朝日はそれを隠すように美容品を持って「洗面所行ってきますねー!」と逃げるようにその場から離れていった。
「んだからお嬢。偏りが凄い事になっちまってる。せめて炭水化物くらい取らにゃ力も出ないってもんですよ」
仕掛け屋が自分のおにぎりを一つフィリに分け与えている。ご丁寧にちゃんとパッケージから開けて海苔も綺麗に巻いていた。ここらへんは性格というか、器用さが出る。
「んー、仕方無いのう。アクタ、それ飲ませ、口をなおさんと流石に食えんわ」
彼女は俺の飲みかけのお茶を間接キスなど知らぬ存ぜぬといわんばかりにごくごくと残り三分の一程まで飲んでから、おにぎりにパクついていた。確かにありったけのスイーツといちごミルクの後におにぎりを食べるのは少し抵抗があるのは分かるが、それにしてもやはり基本的に偉そうで自分勝手な気質は偉い立場が消えようと変わらないようだ。お茶はまぁ彼女に上げるとして。もう一度飲み物でも取りに行こうとドラッグストアに降りようと立ち上がる。食事は適当におにぎりで済ませ、ポケットにはエネルギーバーやエネルギーチャージが売りの飲料を詰め込んで置いてあった。
「葛籠の兄ちゃん、下か? なら一緒に行こうや」
彼もパンよりも米派らしい、種類こそパンより少なかったが同じ味でも構わないらしく幾つか重ねて見繕ったであろう梅干しおにぎりにフィリが「んんーー!!」と言いながら俺のお茶を飲み干していた。
ドラッグストアと言えど、薬局とは根本的に違いが大きい。そもそも薬局は薬剤師が常駐している為強めの薬も販売している。逆にドラッグストアは薬も於いてあるが美容品や化粧品、飲食物なども置いてある事が多い。近年では減ってきていたが、薬剤師がいない場合は販売出来る薬も制限が出るようだ。よくロキソニンなんて頭痛薬が鎮痛剤として好まれていたが、それも薬剤師がいなければ購入出来ない代表的な薬だった気がする。
とにかく、薬局よりもドラッグストアの方が色んな物があるという事だ。ニヤリと笑って仕掛け屋が持っている酒なんてのも、勿論置いてある。
「酒は任せしゃんせ、兄ちゃんはツマミ。イカとライターがありゃ後は何でも構わねえや」
この男、どうやら飲む気である。それ程に自分の仕掛けに自信があるのかわからないが、少なくとも階段を降りるだけで彼の動きを真似しなければひっかかる程度には仕掛けが施されているようだった。
「軽いのも、今日はいるかね」
酒にはツマミ、近い位置にいたから仕掛け屋の呟きが聞こえる。もしや朝日にも飲ますつもりだろうか。
「適量を守れよ。ライター探してくる」
そう言ってアタリメを手に取ってライターを探す、とりあえず人数分をポケットにしまい仕掛け屋の元へ戻ると彼はカゴ一杯に酒と何使うのか良く分からない工作用具のようなものを重そうにかかえていた。
「自分が引っかかるなよ……?」
「馬鹿言っちゃいけねえよ、そもそも分かってりゃかかる所になんざかけてねえ。兄ちゃんも怖がらないで目を凝らしな。意識した動線ならかからんのが俺の流儀。例外は付き物じゃああるけれどもよ」
そう言われ良く見ると、確かに主に糸らしき物が張り巡らされているのは階段の奇数段と、一箇所だけ連続して奇数段と偶数段が三連続で並んでいるのが見えた。俺達はそれを飛び越して酒とツマミを手に今日の拠点へと戻る。ありがたいことに幾つか寝床代わりになるようなクッションが用意されていた、お陰で床ではあるもののある程度は満足に眠れそうだ。
「それじゃあこいつを、やりやしょうかね!」
洗面所から帰ってきていた朝日とボウっと寝床で眠そうにしているフィリの前にトトトンと酒を並べて行く。俺は自分の隣に本来の目的だったお茶を二本置き、頼まれていたアタリメを数袋その酒の近くへと置く。そうしてライターをそれぞれの寝床の方へと滑らせた。
「あ! 飲めそうな感じの! いいんですか?!」
「そりゃ朝日の嬢ちゃんが好きそうなモンを見繕ったからな、好きにやりな、適量で」
さっきの俺の言葉を仕掛け屋は繰り返して俺へは某社の亀のような見た目で角ばった瓶のウイスキーの中瓶を丸ごと渡して来た。
「ここらの酒なら角に限る。ほんとなら割りたいもんだが、もう今日は作るのは仕掛けだけで閉店ガラガラってな」
カチチと言う音と共にウイスキーの口が開く。二人で一瓶が丁度良いと思ったが、グラスを探すのが面倒だったのあろう。とりあえずこの世界の食べ飲み事情については安心して良さそうだ。
「これはなんじゃー? えらい硬いのう」
酒には目もくれずアタリメの袋を開けているフィリに仕掛け屋はライターで炙ったアタリメを手渡す。それを恐る恐るパクついたフィリはやや目を輝かせながらモムモムと少し柔らかくなったアタリメを黙って食べていた。
「あ、わらひも食べたい!」
朝日から何か怪しげなトーンの声がする。手元には極普通のほろ酔いになれる程度の3%程のチューハイが握られている。それをグビーっと飲み干して、朝日は三巻目を開けていた。
「あはー、イカさんおいしー!」
いつもにもまして酒が入った朝日はほわほわとしているが、酔っ払ってどうだこうだという感じは無く、飲むペースは早いもののある程度ブレーキがかかっているようだった、
「ひっはしまぁ……、んぐ。馳走といえば馳走じゃのう。コックのしっかりしたのには到底敵わんが、こういうのも一興じゃな」
フィリがアタリメと格闘しながら楽しげに笑う。その笑顔を有り難く想いながら俺は持ってきたお茶を彼女の前にそっと置いた。
「お、気が利くのう。くるしゅうないぞ」
流石にそんな言葉は初めてちゃんと聞いた。くるしゅうないなんて使う人がいたんだと驚きすらある。しかしそれもまた微笑ましい光景だった。
「くるしゅうないか、そりゃあ良かった」
どん底に落とされた気持ちを少しずつ癒やすように、仲間達が笑っているのを見て俺はチビチビと角瓶のウイスキーに口をつけた。
まだ名も無い天使も悪魔も無い俺達の一晩目はこんな風に終わった。やや絡み酒になりかけていた朝日の口にアタリメを放り込みながら、次第夜が更けていく。
灯りの無い部屋で、女性二人の寝息が聞こえ始めた頃、仕掛け屋がゴロンと横になる。
「お嬢にゃ、こういう日もあって良い。葛籠の兄ちゃん、よろしく頼むからな」
そう言って彼は何も言わなくなった、次第にズゴーという寝息が聞こえ始め、女性陣が自然と耳を塞ぐように眠っていた。
それを見て俺も横になった。良い夢は見れるだろうか。出来れば悪夢では無いことを祈りながら、口の中でいつの間にか柔らかくなっていたアタリメを飲み込んで、朝を待った。