第九話『天使はそっと見てるだけ』
息を潜める必要こそ無いが、丘の上で棒立ちというのはそもそも大目立ちしていた事だろう。だから威嚇の意味で攻撃が飛んでくるのは理解していたしある程度気をつけて眺めているつもりではいた。しかしあの馬鹿天についてはそもそも最後には突っ込もうなんて考えのうちだったのかもしれない。
フライアウェイなんていう言葉通りに、彼女は浮ついてもいるし軽率でもあるし色んな意味で飛んでもいる。だが妙に飛んでいる瞬間に恐ろしさは無かった。それはやはり彼女が天使で、白い羽根が靡いているのを目にしたからなのだろうか。
しかし戦場に降ろされた挙げ句ゲットアウェイをされるのは流石に聞いていない。いつのまにか銃声も止んで、やかましい声も聞こえなくなっていた。十メートル程先にある遮蔽の向こう、意図的に作られたかのような遺跡のような場所で俺達は溜息をつくしか無かった。
「白、青、黄色、緑……むらさき」
朝日が指折り数えて頭を軽く揺らしている。色で言えば彼女の眩い金色の髪が一番強そうなのだが、勿論俺達に魔法の格は存在しない。当たり前だが逃げの一手が正しいだろう。見ている限りでは、この場で灰と化した天使陣営の十二人も決して今回が初戦だったわけではないだろう。どのくらいで悪魔陣営の魔法使いの色の格が変わるのかは分からないが、相手にも白がいなかった事から少なくとも戦いに一度以上参加している、殺すという覚悟がある奴らの集まりだった事は明白だ。
「逃げるのが得策だろうな、逃げられたらの話ではあるけれど」
相手の力はほぼ未知数、光の槍も撃つだろうし、地面を粘着化させる事も出来るだろうし、火球も撃てるだろう事くらいは分かるが、それが全力なのかどうかも分からない。そもそもそれらの魔法は緑の段階でもある程度使えているように見えた。
「んー、降伏に意味も無いですよねぇ……」
さっきは一瞬顔を出しただけだから何とかなった。というよりも魔法使いも俺達もあの馬鹿天の様子を見る為に顔を出していただけなので攻撃の意思は薄かっただろう。少なくとも俺は銃を構えて等いなかった。だが構えておくべきだったという事を、あの殺し合いを見ても理解していない自分が少し嫌だった。
「私達の手の内はバレてないですよね? 強いかどうかも向こうには判断がついてないはず。なら……」
朝日の刻景・スロータイムが五秒分、同じく俺の刻景……にまだ名前は無いがその状態で動けて五秒。武器の手持ちは彼女が持っている小銃とナイフ。俺が持っているハンドガン二挺とショットガンに――仕掛け屋に貰った謎の円盤が二つ。
円盤の片側には秒数設定用のツマミやその表示、持ち手等がついており、逆側には強く押すと粘着質になるサラリとしたジェルが塗布されていた。時限爆弾として使えるという事なのだろう。しかし起動の仕方が分からない。試しに秒数を三十秒にして円盤の回りを見てみるが、やはり起爆用のスイッチが見つからない。
「くっつけるとか?」
硬直状態は続いていたが、そろそろそうも言ってられないと思ったのだろう。朝日が円盤の逆側に手のひらを突っ込む。危ないと思ったがどうやらそれが起動の合図だったらしい。減り始めたカウントを見て俺達は焦って円盤を引っ剥がそうとする。お互いが思い切り力を入れているのに時間にして五秒程度の電子音が鳴り響いた。
――つまりそれが、紛れもない戦闘開始の合図だった。
この一連の流れで分かった事は三つ。
一つ、円盤の殺傷力はともかく、貼り付けても簡単に剥がれるという事。
二つ、一度始まったカウントダウンは止まらないという事。
三つ、すぐに動かないと魔法に穿たれるという事。
「朝日! 走るぞ!」
手を掴むべきだったと後悔した。遮蔽自体は沢山あるにしても、まさか飛び出した方向が逆だなんて、パートナー相性が減点されているような気がした。ただ、電子音が鳴っていたであろう場所に光の槍が突き刺さる音が聞こえたから、走った事だけは正解だった
「芥君! 残り二秒まで耐えるよ! そこで使うから!」
逃げようと提案した俺と、どうやら戦う事を選んだ彼女。それもまたすり合わせが必要だろうと思った。もし生きていたらの話ではあるが。
「一人一匹だ、いいよな?」
丁度俺達が魔法使いを挟む形になり、彼らの声が聞こえる。予想に反して、彼らが臆している様子はその口調からあまり感じられなかった。チラリと覗けばそれもそのはず、彼らの回りには浮遊する幾つかの薄青色の壁が浮いている。
「ほら、撃ってこい! 餌共!」
こちらにも刻景というズルがあるにしても、あまりにも余裕がありすぎやしないかと訝しむ。戦場で場所を知らせる電子音を鳴らしたヤツ等しょうもないと思われているのだろうか。それとも彼らが魔法使いの中でも紫という格の高い位置にいるからなのだろうか。遮蔽の割れ目から姿を見ると、その二人の風貌はまだ十代後半にもなっていないような少年だった。
「オラ! 死ぬ前に撃ってみろよオイ!」
甲高い声で俺達を煽り立てる。遮蔽に割れ目がある事に気付いていないのだろう。であれば都合が良い、ハンドガンが撃てる事を確かめて、その割れ目から魔法使いの回りの壁を避けて良く狙う。
――だが、その必要はすぐに無くなった。
銃声が一発だけ鳴り響く、おそらくは朝日が牽制も兼ねて撃ち込んだのだろう。だがその銃弾は明らかに魔法使いの顔面を狙っていたのにも関わらず、即座に浮遊する壁に阻まれた。皮肉な事に壁を割る事すら出来ていない。
「って事はさあ、オートガードも知らないんじゃん。まーーーじで雑魚じゃ……」
「るっっさい!」
牽制を兼ねていた気がしたが、おそらく違う。単純に彼女は苛ついているのが勢いよく発せられた彼女の甲高い声はやけに大きく聞こえた。一発ずつしか撃てないであろう銃を魔法使いの方へと放り投げると同時に、二回目の一発を撃ち込む。銃弾こそ当たらなかったが、放り投げた銃そのものが魔法使いの顔に当たり、少年は舌打ちをする。
「ってえな糞女、ノーコンの癖して抵抗すんじゃ、ねえ!」
言うやいなや光の槍が遮蔽物を破壊し、朝日の姿が顕になる。
「ねぇ、最期に一つだけ、刻景があるの、知っててやってる?」
彼女は言いながらも銃を撃ち込み、壁に阻まれる。
「あぁ、雑魚の切り札な。悪いけど紫以上のストッパーは無いんだよね。だから僕らの魔法は止まらない」
幾重にも展開されていく光の槍、その一つ一つこそ遮蔽を砕いた時程の太さは無かったが、避けるにはあまりにも多すぎる。刻景の認識がこちらがわと少し違うのが意外ではあったが、生きて帰れなければそれも意味の無い話だ。
「後ろのヤツはビビって覗いてるだけだし、一緒にこの女からやっちまおうぜ。確キル取れなかった方が後ろの男を殺すって事で」
魔法を展開していなかった方の魔法使いが口を開く。確キル、ゲームで聞いた事のある言葉だ。確実に殺すというスラングだっただろうか。要は経験値は殺した本人しか貰えない。だから朝日の息の根を止めたヤツが一旦様子を見て、致命傷を入れど死に至らせられなかったヤツが俺を殺すという算段らしかった。
「ふーん……、余裕なんだね。魔法使いって。ねぇねぇ殺すのってそんなに楽しい? 強いから楽しいの? 殺せるから楽しいの?」
必死に抵抗するかのように彼女は言葉と共に銃を撃つ、幾重にも展開された薄青色の光の壁はたった一枚の動きでその全てを防いでいた。
「本当に殺せるからサイコーだよ。まぁでも、お前には無理だけど。ほら手ぇ震えてんぞぉー?」
もう既に二人の魔法使いが頭上に光の槍を展開させている。おそらくもう、朝日に逃げ場は無いだろう。それでも彼女は銃を撃つ。明らかに攻撃としては意味の無い行動だ。
けれど彼女の目的はそれではない。
『残り二秒まで耐えるよ! そこで使うから!』
彼女の行動は生命を懸けてまでしている、時間稼ぎだ。
――銃声は広い戦場に鳴り響くだけで良かったのだ。
電子音をかき消して、成るべく気を引いて、こちらは動かない事が正解だと言う事は、途中から気がついていた。朝日が小さく何かを唱えている。俺と目が合うとやや不安そうな目をしてから、それでも銃を放つ。
「殺すっていうか、人じゃねえだろ」
そう言った魔法使いはきっと、言っちゃいけない言葉を教わらずにこの世界に来た。そうとしか考えられない言葉だと思った。それが常識なのかもしれない、俺達はそもそもこの魔法使い達に人じゃないと思われているのだ。
それがおそらく、朝日の逆鱗に触れた。彼女がナイフを手に走り出すのを見て、俺も焦って遮蔽から飛び出す。手元の基盤の秒数は『5.50』と表示されていた。
「刻景・スロータイム」
彼女の口から馬鹿にされていた俺達の切り札の名前が紡がれる。瞬間モノクロの世界に変わるが、俺達はそんな事を気にする暇など無い。
遮蔽から出るのに1秒。
駆け寄るまでに2秒。
そして思い切り円盤を魔法使いの胸に叩きつけ、俺は刻景の制止を叫ぶ。同時に彼女も叫んでいた。
「人じゃないわけ、無いじゃんか!!」
色の戻った世界で、最初に見たのは眼の前の円盤に表示されていた『0.70』という数字。直後起動して魔法使いの胸を刃が貫いていた。
もう一人の魔法使いも、朝日にナイフで胸を貫かれ何が何だかわからない顔をしている。朝日は涙を流しながら何度も無言でその胸を刺していた。時計の数字は『0.30』になっているのがチラリと見える。つまり俺の秒数もまた同じく、残り0コンマ3秒遅かったら俺達は時間切れで死んでいた。魔法使い二人の口から血が溢れる。
「は?」
それがこの少年達の辞世の句だった。コンティニューなんて、あるわけがない。
銃弾は弾き飛ばせても、心臓を貫かれて生きてはいられない。もしくはそれをどうにかする魔法もあるのかもしれないが、少年達はすぐに灰になった。
「どうか、してますよね」
彼女が呟く、時計の数字は『8.30』になっていた。つまり秒数を獲得するというのはこういう事なのだろう。俺の時計も確認すると同じ秒数になっていた。
俺は灰を酒で濡らしたが、朝日は灰を涙で濡らしている。俺達は人を殺したのだ。だが決して殺したのは一人目じゃあない。最初に殺したのは自分。だからこそこんな事をしても涙を流すだけで、吐き気を催すだけで済んでいるのかもしれない。覚悟を決めたという事では無い。ただきっと、俺達は死にたくなかった。それだけの為に殺したというのなら、許されるだろうか。詳しいわけではないが、現実の法律から考えるならば正当防衛みたいな物で甘く見てもらえるのだろうか。それとも、狂っていると称されて精神鑑定で無罪になるのだろうか。だが、それらの何もかも適応されないこの世界じゃもう、自分自身を強く持つしか無いのだろう。
この奇跡のような地獄で、俺達はへたり込む。経験値の為に俺達は人に殺されかけた。結果として8秒を得たが、その為ではないにしろ俺達もまた人を殺した。
「なぁ、何させたかったんだよ、大馬鹿天」
言えば出てくるだろうなと思えば、もう大馬鹿天は俺達の前に立って笑っていた。楽しそうに、そりゃあもう楽しそうに、手を叩こうとして辞めた素振りまで見えた。
「何させるんですか、この、馬鹿天め……」
もう既に朝日すらも響の事を馬鹿天呼ばわりしている。グスグスと涙は止まらないようで、しきりに赤い目から溢れる涙を拭っていた。それくらいにこの一連の流れは訳が分からないし、意味の分からない事だったのだ。信用回復をさせようにも時間がかかるだろう、特に朝日は。
「ライオ……」
「ライオンが生まれた子を崖から落とすのは殺し合いさせる為じゃねえよ」
絶対にそんな事で誤魔化そうとするだろうと分かっていたので先んじて否定する。怒りくらいは見せておかないと納得がいかない。理解をする事は出来るかもしれないが、コレだけはふざけさせてはいけないと思っていた。
俺についてはまだ良い。この戦闘に於いて必要なのは確かにそうだったかもしれないが、事実大した事が出来ていない。だが朝日は生命を懸けた。泣く程に、震える程に怖がりながらも生命を懸けてこの状況を乗り切って見せたのだ。それを茶化されるわけにはいかない。朝日の涙が止まらないのならば、俺が詰め寄らなければいけないのだとそう思った。
「説明、しろよ。お前は悪いヤツじゃないとは思う。けどさ、透けてんだ。道化が」
その言葉には流石に響も真面目な顔でこちらに向き直った。
「ふへ、道化じゃないとやってらんない理由、分かったと思わない?」
「だからって……!!」
俺が声を荒らげると一瞬巫山戯たように見えた彼女が言葉を続ける。
「私が見てんだ、今回は何があっても君らを殺させやしなかったよ。でもね、これなら死んだ方がマシだって思ったなら、死んだ方がマシなんだよ。朝日ちゃんはまぁ頑張ったけど、刻景は後二秒待てた。それに色格高い癖にクソガキで良かったね。舐められてなきゃおしまいだった。あんなのばっかじゃないからさ」
つまり彼女は常に俺達を見ていた上で、あの状況をあえて作り出したのだ。それも格が高い紫である事と少年であることまで計算に入れていたように思える。
「目的は? 私達にさせた目的って何です?」
泣いていた朝日が口を開く。その言葉に響は改めて俺達に質問を投げかけた。
「死んだ方がマシだって思った?」
その言葉は、現実で俺達が思ったであろう問いだった。そうして、死んだ方がマシだと思ったから俺は飛んだのだ。だからこそ、俺は首を横に振った。朝日もまた、少し考えてから首を横に振っていた。
「たった今君達はさ、人を殺したんだ。そうしてこれからも殺していくんだよ? 良いの? 現実だったら殺人鬼、何人も何十人も殺す事になるかもしれない、耐えられる?」
天使が問うような言葉ではない。だけれど試されているのはよく分かった。魂胆こそ分からなくても、何を隠しているのだとしても、彼女の手を取った時に俺は覚悟が出来ている。
「あぁ、それでもやるだけはやるさ」
「私も……、まぁもう、何やったって変わんないよ」
俺達がそう言うと響は心から嬉しそうに笑って、へたり込んでいる俺達を無理やり引き付けてハグをした。
「頭バグってる! だから好きなんだよなあ君達みたいなの! 私の事は嫌いになってもいいけど! あくまでもこっちはずっと好きでいるからね!」
もう既に彼女は馬鹿天……いつもの道化に戻っていた。そうして俺達の手を掴んで無理やり立たせると、両手をブンブンと振って笑った。
「それじゃあお二人さん!『篝火』へようこそ!」
『残り火』と呼ばれる拠点から出発して『篝火』などと言われる。やはり、天使はどうにも秘密主義なのだと思っているうちに、俺達は馬鹿天に思い切り手を掴まれたまま、上空へと連れ去られていた。