06-26 事件の真相
意を決して布をどけると……
天井に通された丈夫な木製の梁。
そこに、全裸の女性が両腕を頑丈なロープで縛られ吊るされていた。
彼女がとうに絶命している事は直ぐに分かる。
首に大きな切り傷――そして全身にも無数の裂傷が。
流れ出た血は彼女の身体を伝いその爪先から、床に置かれた容器へと流れ落ちている。
余りに無惨な光景に、悲鳴こそ上げなかったけれど込み上げてくる胃の内容物をこらえきれず、近くに有った空の容器に夕飯に食べた物を全て戻してしまう。
嗚咽を漏らしながらもう一度女性の遺体を見る。
まだ10代だろうか。
素朴な感じだけれどとても綺麗な子。
ここに連れてこられるまで、きっと平和にの日々を過ごしてきただけの筈なのに……こんな惨い死に方をしなければいけないだなんて――。
ごめん、今すぐそこから降ろしてあげたいけれど、今は無理。
何かすれば直ぐに父にバレる。
警察は父の言いなりだ。
私が警察に駆け込んだところで、直ぐに警察が屋敷に踏み入る事は出来ない。
その間に父は証拠を隠してしまうはず。
父を止めるには、どうにかしてこの現場を警察に抑えさせるしかない――
目の前の少女から目を背け、布を元に戻してその場を去る。
全身の震えを我慢しながら、どうにか自室に戻る。
……幸い父はまだ帰って来ていないようだ。
……!?
そう言えば、こんな時間に何処へ!?
『野暮用だ』
父の冷たい言葉が頭の中を駆け回る。
急いでキティー・キャットの装備へと着替え、窓から外に出る。
父の行き先には――心当たりがある。
さっき書斎に忍び込んだとき、書類の山の一番上にあったメモ。
父の筆跡ではなかったので、おそらく誰かから受け取った物だろう。
『下町のある錬金術師が“賢者の石”の錬成に成功したという噂あり』
手紙の日付は今日。
間違いない、父は"八つ裂きジャック"だ。
そしてその目的は"賢者の石"を作る事。
手紙にあった噂が本当だとすれば、その錬金術師に会いに行ったはずだ!
手紙に記されていた住所へと急ぐ。
―――
夜の街を駆け、下町の家々の屋根を飛び移る。
……あった!
メモに書かれていた住所の家だ。
屋根から降り、付近にあった鉢植えの陰に身を潜めて窓から家の中を覗く。
本だらけの部屋。
父の地下室と同じように大きな釜が置かれているのが見える。
おそらく錬金術の工房ね。
その部屋の隅で向かい合う2人の男の影。
一方は……父だ!
家主と思われる男性と何やら話している。
声を殺して話しているのか中々聞き取りづらいが、どうにか話の内容は分かる。
「――この私を相手に白を切るつもりか? いいから"賢者の石"を出せ。言い値で買い取ってやる」
父の声だ。
「ですから! 私が作った物は“賢者の石”ではありません。その製法を元にはしていますが、本物には遠く及びませんよ」
「ならば尚更問題なかろう! そんな紛い物を高額で買い取ってやると言っているのだ!」
「あれは娘の薬の原料なんです! ……どうか勘弁してください」
「煩い! 平民の小娘など知った事か! ……まぁいい。どうしても渡さないと言うのなら私にも考えがある……」
「な、なにを……」
狼狽える男を尻目に、懐から何かを取り出す父。
(……小瓶?)
真っ赤な液体の入った小瓶を男に向かって投げつける!
男が反射的に手で跳ね除けると、床に落ちた瓶は音を立てて割れた。
飛び散る赤色の液体……まさか、血?
「こ、これは?」
「ふん。後悔するがいい庶民風情が」
そう言うとドアを乱暴に開け家から出て行く父。
直ぐにその後を追おうとしたとき、室内から声が聞こえた。
「――お父さん?」
若い女性の声だ。
見ると、少女が心配そうに部屋の中を覗き込んでいる。
「あぁ、ルル。まだ起きていたのか?」
「えぇ。……だれか来てたの? 何だか大きな音が聞こえたみたいだけど……」
「いや、心配いらない。……それより聞いてくれ。完成するまで内緒にしておくつもりだったが……もうすぐお前の病気を治せる薬が完成しそうなんだ!」
「――え、本当!?」
「あぁ。今まで色々と迷惑をかけたが、もう少しの辛抱だ。……母さんは救えなかったが、お前だけは何としても助けてやるからな!」
「そんか、迷惑だなんて……いつも私のためにありがとう、お父さん」
……成程、だいたい話が読めたわ。
この父親は錬金術士。
娘の病気を治すために"賢者の石"の製法を基礎にした類似品の“石”を作り上げた。
それが"賢者の石"の生成に成功したという噂になって流れた。
一方で父は沢山の人の命を奪ってまでなりふり構わず“賢者の石”を手に入れようとしていた。
けれど、最近の様子を見るに研究は行き詰まってるんでしょうね。
ヒントになる物なら何であれ手に入れたかった。
そこまで“石”に拘る理由は……
父はお母様を病で無くしてから異常に生に執着するようになった。
――目的はおそらく"不老不死"なんてところかしら。
我が父ながらとんでもないわね。
どうにかして辞めさせないと――
―――
作戦を練るため、その日は一端家へと帰った。
……けれど、結果としてそれでは悠長過ぎた。
直ぐ様動くべきだった。
翌日、八つ裂きジャックが逮捕されたというニュースが街に流れる。
犯人の家から被害女性の血痕が見つかったという事だ。
……昨晩父が投げた血の入った瓶。
間違いなく父の仕業だ。
あまりにも無茶なやり方ではあるけれど、証拠と父の権力があれば一般庶民を逮捕させる事なんて容易い。
そして、その日の夜。
父が珍しく興奮した様子で家に帰って来た。
その手には赤い宝石のような物が入った瓶を持っている。
それを目にした瞬間、決心した。
例え肉親とは言え、この男を野放しにしておいてはいけない。
"殺人鬼八つ裂きジャック"
このロンドの街で、これ以上好き勝手はさせないわ。
お前が貴族の権力を盾に横暴を繰り返すというなら、この"キティー・キャット"が『ノーブレス・オブリージュ』の意志の元――裁きを下す!




