01-06 マクスウェルからの手紙
「いや……申し訳なかった、ティンクさん。お怪我は無いだろうか」
「ぱっと見で分かる程のタンコブが出来てますが、それ以外は大丈夫です。お気になさらず」
冷たい川の水で良く冷やしたタオルを頭に乗せ、ニッコリと答えるティンク。
上品な笑みを浮かべてはいるが、目の奥は笑っていない。
「……しかしマグナス、驚いたぞ。奥手だと思っていたお前がこうも早々に女性を連れ込むだなんてな!」
わざとらしく笑う兄さん。
いたたまれなくなって無理矢理話題を変えたのがバレバレだ。
「……いや、そんなんじゃないから」
「そう隠さなくてもいいさ! お前くらいの歳の健全な男子なら抑えられない衝動の1つや2つあって然るべきだ! ……だが、時と場所くらいは冷静に選べよ! いくらなんでも真昼間から床でなんて――ティンクさんにも失礼だろう。こういう事は雰囲気が大事なんだぞ、雰囲気が!」
そう言ってバンバンと床を叩く。
「……え? えぇ!? 違いますから!! なにか勘違いしてませんか!?」
顔を真っ赤にして、慌ててブンブンと手を振るティンク。
うちの兄さん……根は優秀な人なんだけど、いかんせん栄養が脳より筋力の方に偏った感じがある。
良く言えば表裏が無く実直で熱い男。
悪く言えば……思い込みが激しくデリカシーの無い男。
まぁ、そんなちょっと(?)抜けてる辺りが可愛いとかで、街の若い女性からは結構な人気らしいけど……。
「それにしても――お前がどうしてこんな離れの工房に拘るのかずっと謎だったんだが。そうかそうか……これで理由が分かったぞ。――母さん達には俺から上手い事説明しといてやるから心配するな! この兄にドンと任せろ!」
そう言って自らの胸をドンと叩く兄さん。
全くもってこちらの話を聞いていない。
全然安心出来ねぇよ。物凄く不安なんですけど。
出来る事なら何もせずただそっとしておいて下さい。
過去の経験上、兄さんが“頼りがいのあるお兄ちゃんモード”に入った場合、もう何を言ってもムダだ。
どう足掻いても自分の都合良いように解釈して突っ走っていく。
諦めてあとは天運に任せよう。
……まぁ、最悪ティンクが追い出されたところで、俺としては何も困らんわけだし。
「……ところで、兄さんは何しに来たの?」
「ん? おぉ、そうだそうだ。爺さんの遺品を整理してたらこれが出てきてな。お前宛てだ」
そう言って1枚の封書を机の上に置く。
蝋の判で封緘され、裏面にじいちゃんの字で
『親愛なるマグナスへ』
そう書かれている。
「それじゃ俺は行くが、2人とも若いとは言え――ほどほどにな!」
何やら意味深な台詞を、飛びぬけに爽やかな笑顔で言い放つと兄さんは颯爽と去っていった。
「……ごめんな。兄さんあんな感じだけど、悪い人じゃないから」
苦笑いしながらティンクを見るが、顔を真っ赤にしてそっぽを向かれた。
やれやれと思いつつ、受け取った封書を開け中の手紙を取り出す。
そこには慣れ親しんだ懐かしい字が綴られていた。
――確かにじいちゃんの字だ。
けれど、所々震えたり掠れたりしていて何とも力ない。
……俺に錬金術を教えてくれていた頃の、独特だけど力強いあの字と比べるとまるで別物だ。
遺言書の字はそんな事は無かったので、これは遺言を書いたよりも後、もしかしたら死期が迫り筆を執る元気も無くなった頃に最期の力を振り絞って書いてくれた手紙なのかもしれない。
そう思うとまた目がしらに熱いものが込み上げてくる。
ティンクの手前、泣きべそをかくわけにもいかずどうにか我慢して手紙に目を通す。
『マグナスへ。この手紙を読んでいるという事はワシはもうこの世におらんのだろう。
遺言に残した通り、お前は工房を継いでくれただろうか。
……もしお前が他の道を選ぶというのならば無理強いはしない。
お前にはお前の人生がある。他にやりたい事があるなら迷わずに己の道を進むといい。
だが……我がままを承知で一言だけ言わせてくれ。
――あの工房はワシの人生の全てだ。
ワシが生涯で得た錬金術の知識、その全てをあそこに置いて来た。
お前にはワシと同等、いやそれ以上の錬金術の素質がある。だから……もしお前が後を継いでくれるというのならば、錬金術士としてこれ以上嬉しい事は無い。
……我がままついでにもう1つだけ頼みを聞いて欲しい。もしお前が工房を継いでくれるとして、お前があの工房で錬成する事になるだろう最初の……"アイテム"。
どうかそれを大切にしてやって欲しい。
やや癖があって一筋縄ではいかんかもしれんが、根は素直で……良い"アイテム"だ。きっとお前の力になってくれるだろう。
長くなってしまったが――お前の未来に栄光と無限の可能性があらんことを』
『追伸。錬金術を使ってみて、もし困った事が起きたら寝室にあるクローゼットを開けてみろ。きっと役に立つ物が入っている』
じいちゃん……"追伸"好きだな。
うっかりと涙が零れ落ちそうになる。
じっとこっちを見ているティンクに見られたくなくて、目を擦りながら寝室へ向かう。
部屋の隅にあるクローゼットを開けると――そこには真っ赤なコートと可愛らしいワンピースが大切に仕舞われていた。
じいちゃん――まさか女装の趣味があったなんて!?
……いや、今はそんな冗談は辞めておこう。
それらをクローゼットから取り出すと、手紙を添えてティンクに手渡す。
不信そうな顔をしつつも受け取るティンク。
黙って手紙に目を通し――やがて手紙を握りしめ、ワンピースに顔を埋めて静かに泣き始める。
その肩にそっとコートをかけてやる。
「サイズ……ぴったりじゃん」
堪え切れずに声を上げて泣き出すティンク。
……手紙の内容だけでは、この子とじいちゃんの間に過去何があったのかは分からない。
けれど、きっとお互いを大切に思い合う、そんな素敵な関係だったんだろう。
それだけは分かった。
ティンクの隣にそっと座る。
あんまりこういう事は慣れては無いけれど……変な下心とかは一切抜きで。
(じいちゃんのためにこんなに泣いてくれてありがとう)
ただその気持ちだけを込めてティンクの頭を優しく撫でる。
「……まぁ、何だ。さっきは追い出そうとして悪かった。魔力が切れるまでは俺が責任持って面倒見るから、安心しろ。――じいちゃんの頼みとあっちゃ断れないからな」
下を向いたまま、まるで赤ん坊のようにギュッと俺の胸元を掴むティンク。
その様子が何とも愛おしくて、それでいて胸が締め付けられるように悲しくて。
子供をあやすように再びその頭を撫でる。
「――い、痛ぁぁい!!」
……どうやらタンコブに触ったらしい。
※ティンク(デフォルメ)