06-04 霧に包まれた国
馬車に揺られる事丸一日。
昨日の早朝、日の出と共にモリノを出発した馬車は丸一日走り続けてようやくノウム領へと差し掛かった。
昨晩は満月という事もあり夜間の視界も良く、遅い時間まで走り続け予定よりだいぶ前倒しで進めたらしい。
ただ、流石に夜通し馬を走らせる訳にもいかず
小川の辺りに馬車が停めて予定通り一泊の野宿となった。
客車は屋根で覆われているのでそのままテント代わりになる。
夜風を凌げるのは有り難いけれど、狭い客車内に乗客が10人弱。
流石に横になって寝る訳にもいかず、全員座ったままでのうたた寝だ。
まぁ旅費をケチって格安の乗り合わせ馬車にしたのは俺なんだから、文句は無い。
『皆さん、もうじき出発します。身支度を整えられる方は今のうちにどうぞ』
御者さんに声をかけられ、乗客達が次々と目を覚ます。
皆一様に眠そうだ。
客車を覆う布の間から順番に外へと出る。
昨晩はよく分からなかったが、馬車の外には綺麗な小川の流れる長閑な草原が広がっていた。
小川のせせらぎと共に、小鳥の囀りが聞こえてきて何とも清々しい。
ひんやりと冷たい早朝の空気を目一杯吸い込み背伸びをする。
「う〜、腰が痛いー! 結局全然寝れなかったわ……」
隣に立って、腰を左右に曲げながら大きく背伸びをしてさも眠たそうにボヤくティンク。
「嘘つけ、お前は呑気な顔してグーグー寝てただろうが。ふぁ〜……」
口を開けた途端、思わず大きなアクビが出る。
ティンクじゃないが、昨晩は殆ど寝れなかった。
「は!? 寝てないし! てか、なに? 何人の寝顔覗き込んでんのよ!? えっち!!」
そう言って胸元を押さえながら俺から距離を取る。
「はいはい。なんとでも言ってくれ」
正直眠過ぎて構う気も起きない。
まったく、人の気も知らないで……。
昨晩の出来事――。
狭い客車内。
ティンクと横並びに座ってのうたた寝だったが、途中寝返りを打ったはずみにティンクが俺の肩へと寄りかかってきた。
直ぐに起きるだろうと思ってしばらく我慢していたが、スヤスヤと寝息を立てて中々起きない。
真っ暗な客車内で、かすかな吐息といい匂いのする髪が絶えず俺の頬をくすぐる。
少し横を向けば唇と唇が触れる程の距離にあるティンクの寝顔。
ヨダレのひとつでも垂れてれば引っ叩いて起こすんだが、まるで小動物みたいにスヤスヤと寝やがって……悔しいが正直かなり可愛いじゃねぇか!!
しかも、抱き枕か何かと勘違いしたのか途中からは俺の方に身体を寄せて抱きつくような体制で寝始めた。
さらに……! 事もあろうに、右手で俺の腕を握りしめ、左手は太ももの付け根辺りに置きやがってぇ!!
――こんな状況で寝れる訳ねぇだろぉぉぉ!!
結局、朝方ティンクが寝返りを打って離れるまで寝られず、悶々としながらほぼ徹夜で過ごした訳だ。
――冷たい川の水で顔を洗い、少しでも眠気を覚ます。
「んー! 冷たくて気持ちいい!」
隣で同じく顔を洗っていたティンクが元気な声を上げる。
ようやく目が覚めてきたか。
そりゃあんだけ熟睡出来りゃ元気だわな。
まぁ、悪気がある訳でもないし、言っても仕方ない。
そう思って立て続けに大きなアクビを噛み殺していると、呆れた顔でティンクに睨まれる。
「何よ、仕事で来てるのにだらしないわね。……何か心なしか――存在感まで薄っすいわよ?」
「んな訳ねぇだろ。――“霧”が出てきたんだよ」
周囲の景色が徐々に白くなり、遠くの方が見えなくなっていく。
どうやら川の上流の方から霧が流れ込んできているらしい。
すごそこに停まっているはずの大きな馬車すら朧げにしか見えなくなってきた。
『皆さん! 霧が濃くなってきたので馬車に戻って下さい! 危ないですから足元に気をつけて!』
御者さんの呼び掛けを受けて、皆慎重に馬車へと戻る。
しかし凄い霧だな。
モリノでも季節によっては霧は出るが、ここまで濃い霧は見た事がない。
本当に気をつけて歩かないと、直ぐ前を行く人とすらぶつかりそうだ。
「キャ!」
前を歩いていたティンクが突然よろける。
「おっと!」
慌てて手を取ったので、転ばずには済んだようだ。
「あ、ありがと」
「おぅ。流石に危ないなこの霧は。手、離すなよ」
「え? う、うん」
そのままティンクの手を引いて慎重に馬車まで戻る。
……
馬車に戻ると御者さんが点呼をして乗客の人数を確認する。
流石にこの霧では馬車が走らせられないという事で、朝食を取りつつ待機し霧の晴れ間を見て出発する運びとなった。
「――いよいよノウム領だぞ」
持ってきたパンをティンクと分けて食べていると、昨日ノウムについて説明してくれた男性が、真っ赤な果実を差し出しながら話しかけてきた。
礼を言って受け取り、ティンクと分けて頂く。
見た事のない果実だったが、程よく酸味の効いた爽やかな果物だった。
「……凄い霧ね」
ティンクが客車の外を見つめて呟く。
「ノウムは別名“霧の国”とも呼ばれてるからな。特にこの時期は霧が深い。泥棒が仕事をするには打って付けの条件だろうさ」
成る程な。
確かにこの霧じゃ数メートル先もまともに見えない。
天然の煙幕が延々と広がってるって訳か……。
こりゃ確かに厄介だ。
――暫く待つと徐々に霧が晴れてきた。
差し込んだ朝日が川の水面にまだ残る霧を照らし、何とも幻想的な雰囲気が漂う。
『お待たせしました。今のうちに出発します!』
御者の掛け声と共に、馬車がゆっくりと走り出した。
霧は多少晴れたとは言え、視界はそれ程良くない。
スピードを落とし馬車は慎重に進む。




