ex02-12 消せない過去
誰も居ない静かな中庭をゆっくりと歩く2人。
ティンクのカフェで顔を合われせれば気兼ねなく話す仲ではあるが、こうして改めて2人きりになると中々に気恥ずかしいものがある。
暫し黙ったまま秋の星夜を堪能し、広い庭の片隅に置かれたベンチに並んで腰掛ける。
先に口を開いたのはカトレアの方だった。
「さっきのお話ですけど……」
「ん?」
「父が亡くなってからの話です」
「あぁ。すまない、不躾な物言いだったな」
「いえ。……正直、今回のお話。私の我儘で断ってしまって良いのか迷ってるんです」
「……我儘?」
「ええ。今回の縁談、私の個人的な感情を抜きにすればファンフォシル家にとってまたとない好条件なんです。皆口にこそしないものの、日々の庶務すらままならないような当主では心許ないでしょう。ヘンブリー様のような立派なお方を当主としてお迎えした方が据えた家の皆も安心なはず」
掌を組み親指をもじもじとさせながら、伏し目がちに呟くカトレア。
「貴族の権力争いってのは今でもそんなに大変なのか?」
「はい。政治的な権力や利権を巡っての争いは日常茶飯事です。うちのように既得権力が大きければ大きい程標的にもされやすい……。ジイヤを始め、皆の協力でどうにか耐え凌いだいますが――やはり父のときのようにはいきません」
「……」
シューは何も答えず月を見上げる。
「正直――この辺りが限界なのかもしれません」
そういって、今にも泣きそうな笑顔を見せるカトレア。
今までに人前で見せた事のない彼女の表情に戸惑い、どうしたものかと頭を掻きながらもシューは答えを絞り出す。
「俺に政治的な事は分からねぇが……お前はそれでいいのか? そんなに思い詰めるまで頑張ってきたのは、何か理由があんじゃないのか?」
膝の上で組んだ掌を見つめ、じっと考え込むカトレア。
やがて観念したかのようにゆっくりと口を開き、消え入るような声で答える。
「父が――父が亡くなる寸前に私に言ったんです。“ファンフォシル家を頼んだぞ”って」
(……成る程な。齢十代そこからの女子にとっちゃ、中々……)
居た堪れなくなり、どうにか励まそうとシューは努めて明るく返す。
「――にしても、親父さんもとんでもなく重い置き土産を残してってくれたもんだな。マグナスといいお前といい、もう少し子供は気楽に生きさせてやれってんだ!」
「――はい。全くです!」
シューの笑顔に合わせ笑って答えるカトレア。
言葉とは裏腹に、その顔に父を恨む意図は微塵もなく、ただただ不甲斐ない自分を恥じるようだった。
胸の内を明かし少し気が楽になったのか、ふと笑いながら話を続ける。
「それと……実は理由がもう一つあって。あ、これは絶対内緒にしておいてくださいね?」
「ん? あぁ」
「好き……な人が居るんです」
そういって薄っすらと頬を赤らめる。
「――ま、まさか!? マグナス!?」
驚いて思わず声のトーンが上がるシュー。
「いえ! 違います!! マグナスさんも素敵な方ですけど――ほ、ほら! マグナスさんにはティンクさんが居るじゃないですか!」
シューの言葉に過剰反応し、慌てて手をブンブンと振るカトレア。
いつもの調子が出てきたカトレアを見てシューも安心したのか、足を組み直しリラックスした様子で話し出す。
「何だ。恋愛なんて遠慮したら負けだぞ? 攻めろ攻めろ」
「そ、そういうのじゃなくて!」
頬を膨らませ抗議しようとしたが、シューの表情を見て揶揄われているだけだと気づき小さく笑うカトレア。
夜空へと視線を移し、静かに話し始める。
「――あの、笑わないで聞いてくれますか」
「あぁ。約束する」
「……私、実は小さい頃に誘拐された事があるんです」
「ちょっと待て。それは――なんというか。……急に物騒な話になったな」
シューが慌ててカトレアを見る。
「時代が時代でしたから。外国との戦争こそ集結していましたが、内政はまだ混乱しっぱなしで各地で政治的な小競り合いが絶えなかったと聞いてます」
「……それでその争いに巻き込まれたと」
「はい。事件の主犯者がまだ捕まってないんです。……血塗れで、全身を鎧に包んだ男。怖くて今でも夢に見ます」
膝の上で組んでいた掌に強く力が入り、細く白い指が小さく震えている。
「でも、いい思い出もあるんです! 怖くて記臆が曖昧なんですけど、捕まっていた私を通りすがりの騎士様が助けてくれたそうなんです! 後から聞いた話ですが……その騎士様、単身で誘拐犯の軍団に斬り込んで私を助け出すと、名前も告げずに去っていったんだとか。ジイヤ達が何度も騎士団に問い合わせたくれたそうですけど、結局誰だかわからなかったそうで。……白馬に乗った謎の騎士様に恋焦がれる――だなんて。笑っちゃいますよね?」
嫌な記憶を振り払うように、笑顔で話締めくくるカトレア。
「笑いはしねぇけど……もう10年以上も昔の話だろ? 記録に残ってない以上、今から見つけるのは中々に難しいと思うぜ。悪い事は言わねぇから、思い出は思い出として早くいい男見つけな」
いつも適当な事しか言わないシューが、珍しく真面目に答える。
その様子が意外だったのか少し驚いた顔でシューを見るカトレア。
「まぁ、今回のヘンブリーとかいう奴は辞めといた方が無難だとは思うがな。ありゃダメだ」
「じゃあ。いい男ってどういうのですか?」
そう言ってカトレアがシューの顔を覗き込む。
「そうだな。まぁ目の前に居るのが、良い男のお手本みたいなもんなんだが」
「シューさんみたいな男の人はまずダメだって、ティンクが前に言ってました」
自信満々なシューの顔を見て、可笑しそうに笑いを堪えるカトレア。
「あのヤロウ……」
そういってシューも笑う。
「――冷えてきましたね。そろそろ戻りましょうか」
「あぁ。――トイレも行きたいしな」
「あ! そうでした! ごめんなさい、大丈夫ですか!?」
「正直……ギリギリだ」
「こ、こっちです!」
2人は慌てて屋敷の中へと戻って行った。
……物陰に隠れ密かに盗み聴きをしていた人物が、そんな2人の背中を目で追うのだった。