ex02-04 お嬢様の受難
話し終えると、シューは置いていたグラスを取り口に運ぶ。
が、さっき飲み干したばかりでグラスは空だ。
空いたグラスをティンクに向かって掲げる。
やや億劫そうにグラスを受け取るとキッチンへと向かうティンク。
「……ファンフォシル家の事情は分かったけど、それこそ跡取りならカトレアが居るじゃねぇか。別に問題は――」
「あのな。この絶好の機会を他のモリノ貴族達がみすみす見逃すはずないだろ。どこの貴族もいつ噛みつこうかと虎視眈々と狙ってる筈だぜ。のほほんと構えてるのはお前んとこくらいじゃないのか?」
皿に置いてあったフォークでビシリと指差される。
あぁ――確かに。
いかにもうちの家族は興味が無さそうな話だな。
そんな折に突然舞い込んできたカトレアお嬢様と俺の婚姻話か。
そりゃ確かに寝耳に水ともなる訳だ。
「――まぁ、嬢ちゃんもかなり頑張ってはいるみたいだが……正直、若い女が矢面に立ってどうこうするにはちと荷が重すぎる話だわな」
「――男だからとか女だからって、何よ! ほんっと下らないわよね、貴族のしきたりって!」
ドンッ!
と音を立てて、ティンクが運んできた飲み物をテーブルに置く。
「おいおい、俺はただ状況を説明しただけだぞ」
シューが宥めるが、ヘソを曲げたティンクはむくれっ面でキッチンへと下がって行った。
あの様子だと、頑張ってるカトレアの苦労をよく知ってるんだろう。
「……まぁ、大体事情は分かった。けど――何でそこに俺??」
「さぁな。そこんとこの事情は本人に説明してもらったらどうだ。――なぁ嬢ちゃん!」
シューが店の側道側の窓に向かって大きな声を掛ける。
驚いて窓を見ると――物陰から気まずそうに顔を出す、カトレアの姿があった。
―――
「本当にごめんなさい!!」
カトレアが俺に向かって深々と頭を下げる。
まぁつまり。
カトレアの説明によるとざっくりとした状況は、チュラ島での亡者襲来の時に助けたノウムの貴族から婚姻を申し込まれて困ってる……と。
「だいたい事情は分かったよ。で、お相手のシャムロック家って確かジェルマン家に次ぐノウムの大貴族だろ? 別にそんなに悪い話しでもないんじゃ」
確か名門貴族が多数存在するノウムの中でも指折りの大貴族だったはずだ。ノウムのガイドブックに載ってた気がする。
モリノ随一と言われるファンフォシル家だが、モリノとノウムの貴族では歴史も規模も違い過ぎる。
恐らく格としては先方の方が上だろう。
「――しかしよ、そうなると婚姻したらノウムに嫁ぐ事になるんじゃねぇか? ファンフォシル家はどうすんだよ」
テーブルで話す俺たちから少し離れ、カウンターに座っていたシューが問いかける。
「それが……お相手のヘンブリー様は次男だそうで、必要ならばファンフォシル家に婿入りしてくれるという事なんです」
なるほど。
となるとファンフォシル家としては家を存続しつつ、ノウムに強力な後ろ盾が出来る訳か。
風向きが良くないファンフォシル家としては願ってもない縁談という訳になるな。
けれど……カトレアの顔は浮かない。
「……どうした? 嬢ちゃんにとっちゃ悪い話じゃないはずだろ?」
カトレアの様子に気付き怪訝な顔を見せるシュー。
「おおかたそのヘンブリーとかいうのがろくでもない男なんでしょ! さっさと断っちゃいなさいよ! 言いにくいなら私がガツンと追っ払ってこようか!?」
カトレア用のお茶を沸かしながら、明らかに不機嫌な様子で吐き捨てるティンク。
さしずめカトレアを誰かに取られるのが寂しいんだろう。
まぁ気持ちは察するが、親友ならカトレアの幸せを第一に願ってやれよ。
「……ううん。チュラ島ではほんの少し話しただけだったけど、優しくて誠実そうな方だったと思う」
困ったような笑顔で答えるカトレア。
「じゃあなんで?」
「その……。今は、結婚とかまだあまり考えられなくて。でも家臣の人達の事を考えるとこんな良い縁談無下に断る事も出来ないし……」
そう呟くとカトレアは黙って俯いてしまった。
静かな店内に、沸騰したお湯がカタカタとヤカンの蓋を鳴らす音だけが響く。
「――ところで、何でその状況でコイツと婚姻の話が出てくるんだ?」
話しの雰囲気を変えようとしてか、シューがやや明るい口調で話しかける。
「実は――ヘンブリー様のお誘いがあまりにも熱心なもので、せめて一度食事だけでもって家臣からも強く迫られて。それで断り切れなくなって、その、思わず咄嗟に――意中の人が他に居ると言ってしまったんです!」
「ま、マジか……」
思わず固まる一同。
つまるところ、その発言が発端となり、あれよあれよと家臣達に連行され家に挨拶に来る羽目になったそうだ。
まぁ今じゃ俺もモリノではそこそこ名の知られた錬金術師だし、"欲付き"という箔もある。
もしかしたら髭じぃ――エイダン前国王やグレイラットさんとの親交も調べ上げられた上かもしれない。
それなら良しと、ファンフォシル家の方々のお眼鏡に叶ったのかもしれない。
無論――ただの事実調査という事もあるかもしれないが。