ex02-01 やっかい事はいつも突然に
閑話です。
またまたチュラ島〜最終章の間の出来事です。
薄暗い室内。
外からは激しい雨の音。
私は――泣いている。
寂しいから?
悲しいから?
違う……怯えて泣いている。
怖くて怖くて仕方がないけれど、幼い私は独りで逃げ出す事も出来ず、ただ助けを求めて泣きじゃくっている。
雨の音に混じり、争うような雄叫びが聞こえてくる。
剣の打ち合うような音、人が倒れる音……
やがてゆっくりとドアが開かれ、姿を現したのは……つま先から頭まですっぽりと鎧で覆った騎士。
ランタンの照らされオレンジに光るその鎧は――血に塗れていた。
「キ、キャァァ!!」
お化けでも見たかのように悲鳴をあげる私。
泣きじゃくりながら必死に逃げようとするけれど、部屋には他に出口は無い。
ガシャリ……ガシャリ……
重い金属音を立て鎧の騎士が一歩ずつ近づいて来る。
恐怖で身体が固まってしまい、ただただその姿を見つめながら涙を流すしか出来ない。
目の前まで迫った騎士は、ゆっくりと私へ腕を伸ばす。
その間私の視線は騎士の兜に釘付けだった。
左目の部分だけが欠けている。
その欠けた隙間から覗くのは――まるで獲物を狩る野獣のような研ぎ澄まされた瞳。
「や、やだ……助けて」
『お嬢様』
「お願い、誰か――!!」
『起きて下さい!』
「いやぁぁ!」
「お嬢様!!」
思わず飛び起きると――ベッドの上だった。
ぼーっとする頭で辺りを見回す。
見慣れた自室。
窓からは朝日が差し込み部屋を明るく照らしている。
「カトレアお嬢様、大事ございませんか? 随分とうなされておいでましたが」
ベッドの脇に立つ“ジイヤ”が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「……ごめんなさい。悪い夢を見たみたいで」
そう言いながら、目元に浮かんだ涙をそっと拭う。
寝ながら泣いてたみたいだ。
そんな私に、ジイヤがそっとハンカチを差し出してくれる。
「……ありがとう」
ハンカチを受け取り軽く涙を拭き直ぐに返す。
それを胸ポケットへと仕舞うジイヤ。
まだ朝も早いはずなのに、ピッシリと執事服を着こなし寸分の乱れも無い。
「お時間になっても起きておいでませんでしたので、失礼を承知で起こしに参りました。お許し下さい」
そう言って深々と頭を下げる。
「……大丈夫。ごめんなさい、直ぐに支度をするわ」
「かしこまりました」
一礼しジイヤは部屋から出て行く。
(……あの夢、久しぶりに見たな)
最近は楽しい事も沢山あって、あんな夢の事なんて忘れてたのに……。
「……ふぅ」
清々しい朝に似つかわしく無い溜息をひとつ吐き、ベッドから降りて身支度を整える。
―――
「おはようございます、当主様」
身支度を済ませホールに出ると、使用人達が整列して出迎えてくれる。
「おはよう。今日もよろしくね」
私が声を掛けると、皆一斉に深々とお辞儀を返してくれる。
父が存命だった頃から続く日課。
毎朝父が皆に声を掛けるところからファンフォシル家の1日が始まるものだった。
正直……未だに馴染めない。
堅苦しいのは苦手なので辞めにして欲しい、と当主を継ぐ時にジイヤに提案はしたのだけれど
『何事も威厳が大切です』
との事で聞き入れては貰えなかった。
“当主様”という呼び名もそう。
父が亡くなったその日から私の呼び名は“お嬢様”から“当主様”へと変わった。
これもジイが出した指示だ。
「当主様、本日のご予定ですが――」
皆を立たせたまま、私の予定を読み上げるじジイヤ。
皆も黙って耳を傾ける。
――2列に別れて並ぶ10人近くの人々。
それぞれに役割は違えど、皆父の代からファンフォシル家に仕えてくれる従者達だ。
つまり――この人たちの生活は私の当主としての手腕にかかっている。
当然若い私に不安を抱いているはずだけれども、それでも文句を言うでもなくしっかりと勤め上げてくれる。
「……以上が本日のご予定です」
ジイヤの報告が終わる。
今日もやらなければならない事は山積みだ。
「分かったわ。ありがとう」
お礼を言って早々とその場を後にしようとした時――逃がすまいと追撃を受ける。
「――それと、ノウムのシャムロック家、ヘンブリー様からのお誘いですが。本日こそお返事の程を」
先程までの事務の確認とは打って変わり、有無を言わせない物言い。
ジイヤの顔を見るけれど、じっとこっちを見据えて逃したくれそうにない。
ここ数日お茶を濁してきたけれど、さすがにそろそろ限界かしら……。
――チュラ島で亡者に襲われた時、ホテルに居た人達を先導して避難した場面があった。
その中に居合わせたノウムの大貴族の御子息が、私の事を大層お気に召してくれたそうで……結婚を前提としたお誘いを頂いている。
「――今日は日柄が悪いから、明日にしましょう」
一か八か、努めて明るくジイヤに返事を返す。
「……かしこまりました。当主様の仰せのままに」
少し間を開けた後、お辞儀をして下がるジイヤ。
ヘンブリー様……。
正直あまり覚えていないけれど、確か優しそうで悪い人では無かったとは思う。
それに、次男だそうで必要とあらば我がファンフォシル家に婿入りしても良いとまで言ってくれているそうだ。
シャムロック家程の大貴族と繋がりが出来ればうちも安泰ではあるんだけれど――。
……皆の顔を見渡す。
皆黙ったまま表情は変えない。
皆も本当は私みたいな頼りない当主より、立派な男性が上に立って家を取り仕切って欲しいと思ってるはずだ。
それでも――
皆には聞こえないよう小さくため息をつき、その場を後にする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
※カトレア