10-30 ティンクトゥラ
王都からの帰路。
用意して貰った馬は相当な健脚の持ち主のようで、まだ薄暗い明け方の道を物ともせず猛スピードで駆け抜けていく。
馬車だと1時間以上かかる道のりも、これなら数十分で走破しそうだ。
……けれど、何度も通った筈のこの道がこんなにも長く感じたのは今日が初めてだ。
小さな頃は、馬車に揺られて父さんや母さんと喋りながら過ごした道中。
錬金術師になってからは、口うるさいあいつの話に付き合わされながらも退屈することなく過ごした。
そんな道を今はたった1人で行く。
冷たく突き刺すような夜風を頬に感じつつ、つい数刻前の工房での出来事を思い出す――
―――
「――あるわよ。賢者の石」
いつになく真剣な表情で俺を見るティンク。
「い、いやいや。こんな所で強がってもしかたないって。無いもんはしょうがねぇんだから何か他の手を――」
思わず目を逸らすが、ティンクは構わず話しを続ける。
「何今更ビビッてんのよ? あんたもバカじゃないんだから気づいてるんでしょ」
ティンクは俺を見据えたまま微動だにしない。
さすがに見透かされてるか……
気付いてるんでしょ――
あいつの言葉が何処までを指しているのかは分からない。
けど、思い当たる節は沢山あった。
アイテムさん達の事を知れば知る程浮かんでくる疑問。
『ティンクはいったい何のアイテムなんだ?』
出会って直ぐの頃、何の気なしに聞いてみた事はあった。
けれど――
『私はちょっと特別なの。……そうね、錬金術師の事を色々と教えてくれる便利な妖精さんとでも思っておきなさい』
と話をはぐらかされた。
色々事情があるんだろうと思い、それ以上深く追求する事はしなかったけれど……
「――お前が"賢者の石"なんだな」
ティンクは小さく笑い、コクリと頷いた。
長い間、聞けずにいた疑問が解決し思わず肩の力が抜ける。
「ちなみに、いつから気づいてたの?」
子供のようにいたずらな笑顔を浮かべ、ティンクが俺の顔を覗き込んでくる。
「割と最初の頃からだよ。割かし分かりやすいだろ」
自信満々なティンクの顔を見ると、思わず小さなため息が出てしまう。
「え!? ウソ!?」
最近までは隠し通せていたと思ってたのか、驚いたという様子で口元を隠すティンク。
「……特徴的なその紅い髪に深紅の瞳。それに、“賢者の石”の別名は“哲学者の石”。またの名を――【ティンクトゥラ】」
錬金術を志す者なら結構簡単に思いつく。
根拠は他にもある。
"賢者の石"の特性。
『気体・液体・固体全ての状態を内包し、その形や情報量も常に変化していく』
普通のアイテムで考えるとあり得ない話しだが、それが生物だというならば条件に完全に合致する。
「一生懸命隠してたみたいだから、今まであえて追及はしなかったけどな」
「――ま、まぁアンタの事だから中々気づかないだろうと思ってね。少しヒント出し過ぎたかしらね!」
ティンクが目を泳がせ口を尖らせる。
「……それじゃ、あとは"ヤオヨロズ"を錬成するだけね。レシピは分かったんでしょ? 早く作って王宮に戻らないと」
一通りの茶番を終わらせた後、ティンクはまじめな顔で釜の準備を始める。
「……なぁ。その前に、1つだけ聞いておきたい事があるんだけど、いいか?」
「なに?」
釜に牧をくべながら振り向かずに返事をするティンク。
「俺の錬金術の力。自分で言うのも何だけど、割と才能ある方だよな?」
「……何よこんな時に。まぁ無いほうじゃないわよ」
「けど、いくらなんでも上手く行きすぎなんだよ。釜を引き継いだなりでいきなり使いこなせるし、レシピさえあれば、見た事もないアイテムまで錬成できるとか……。あれってお前がこっそりサポートしてくれてたんだな」
「……そうよ。魔人の件もあってあんまり時間がなかったから。おかげですんなり釜に馴染めたでしょ?」
やっぱりそうか。
いくら自信家の俺でもさすがにおかしいとは思っていた。
特にチュラの事件なんて本来は到底新人錬金術師の手に負えるようなもんじゃない。
「だから……悪いけど今後は今までみたいにはいかなくなるわね」
薪を火にくべティンクがポツリと呟く。
「……いいよ。元々無かったはずの物が元に戻るだけだ」
多少の困惑を覚えつつも、ある程度覚悟はしていた事だ。
そこまで驚くような事じゃない。
それよりも気になるのは……
「……なぁ、もう1つだけ聞いていいか」
「いいけど、あんまり時間ないわよ」
「あぁ。分かってるけど、大事な事だ」
何も答えないティンク。
「……お前を錬成に使ったら――消えて無くなる、って事なんだよな」
釜の火が落ち着いたのを確認し、ティンクが静かに立ち上がる。
「……まぁ、私も"アイテムさん"なんだから当然ね」
「じゃあ、賢者の石のレシピはどこにあるんだ? 当然じいちゃんはどこかに残してくれてあるんだよな」
俺の問いを受けて黙って後ろを向くティンク。
「レシピは……無いわ」