10-23 賢者の石
けれど、グレイラットさんの口から出たのは意外な言葉だった。
「皆さん、街の外まで撤退しますよ! 私が道を切り開きます、ついて来て下さい!」
迷わず城外に向け走り出すグレイラットさん。
「ち、ちょっと待ってください! でも魔人が!」
グレイラットさんに無茶をさせるのは勿論忍びないが、でもこの人に闘って貰う以外にモリノが生き残る術は無い。
申し訳ないとは思いつつ、魔人の居る方を指さす。
「――残念ながら、今の私ではアレには遠く及びません。全盛期の頃でもどうか……」
そう言って首を振るグレイラットさん。
「そ、そんな! それじゃあもう勝ち目なんか……」
伝説の剣士をもってしても勝てないなると……今のモリノにこれ以上の戦力は無いはず。
一瞬見えかけた希望を失い、絶望にひしがれる。
そんな俺の肩を髭じぃがポンと叩く。
見上げると、その顔は絶望どころか何処か安心したような顔をしている。
グレイラットさんも、今しがた敗北宣言をしたばかりなのに何故か穏やかな面持ちだ。
そんな2人と目線を交わし、ティンクが徐に頷く。
「賢王エイダン、剣帝グレイラット、それに賢人マクスウェル。これで役者はそろい踏みね。まぁ1人だけ頼りないのが居るけど」
そう言って俺の方を見るティンク。
「……それに貴女も居ます」
笑って答えるグレイラットさん。
「歴史は繰り返す……か。すまんの、また最後はお前達頼みとなるか」
髭じぃが何だかバツの悪そうな顔でティンクを見る。
「……いいわよ! こんな時のためにラージーは私を遺したんだもん。きっと」
そう言ってにっこりと笑うティンク。
「……ち、ちょっと待って。3人とも何の話してんだよ!?」
笑い合う3人の輪の中に割って入る。
昔馴染みだけで盛り上がられても、俺には話がさっぱり見えてこない。
説明を求めようとしたが……グレイラットさんに蹴散らされた魔物達が再び群を成し迫って来るのが見えた。
「説明は道すがら! とにかく一端街の外まで退却しますよ!」
グレイラットさんに先導され、魔物を蹴散らしながら郊外へ向かい走る。
―――
道すがら、救えそうな人達だけはどうにか助けつつ馬車の乗り場まで辿り着いた。
幸いな事に、街中は魔神が放った火球の着弾点以外はそれ程被害は酷くないようだ。
とはいえ、魔物はどんどんと数を増している。
街全体が埋め尽くされるまでそう長くはかからないかもしれない。
「おふたりとも、こちらへ!」
グレイラットさんが、近くに待機させていた大型の狼を連れてくる。
真っ白でモフモフの毛並み。
見た目はモリオオカミだが、うちの町のコテツよりも5倍は大きい。
「こ、この子は?」
その迫力に思わず狼狽える。
「大型のモリオオカミ……シンロウ種です。人を乗せてここからマグナス殿の街までものの1時間程で踏破します。これに乗って工房へ向かってください」
「こ、工房!?」
「はい。貴方のお爺様……賢人マクスウェルの錬金術は、小国であるこの国を戦争の危機から救いました! その切り札となったアイテムがあります。作り方のヒントがきっとまだ工房にあるはずです」
「"ヤオヨロズ"というアイテムに聞き覚えは無いか?」
髭じぃに尋ねられ思わず息を呑む。
【ヤオヨロズ】
それって確か……
「良かった、思い当たる節があるみたいね」
何も答えない俺を見て、ティンク察したように呟く。
「こっちは私達で何とかするわ。錬成が終わり次第直ぐに戻るから、それまで何とか持ち堪えて」
「えぇ、分かりました。おふたりもお気をつけて」
グレイラットさんと握手を交わすティンク。
続いて髭じぃとも硬く握手を交わす。
「……こうしてまた会えて良かった」
「私もよ。……こんな所で死なないでよ」
「あぁ。……おまえこそ達者でな」
「――さぁ、行くわよ!」
巨大なモリオオカミの背中に跨る。
俺が前に乗り、その後ろから抱きつく形でティンクがしがみつく。
ティンクとこれ程までにくっついた事は無かったかもしれない。
当然、背中ではラージスライムが大暴れしている!
――普段なら思わず叫びたくなる程のラッキーな状況だけれども、今回ばかりはさすがにそんな気分にはなれなかった。
グレイラットさんの合図と同時に、俺たちを乗せたモリオオカミは勢いよく駆け出した。
―――――
グレイラットさんの言ってた通り、1時間もかからずに工房まで辿り着いた。
母屋に帰り家族に危険を知らせたい気持ちもあるが、今こうしてる間にも王都は刻々と魔神に支配されつつあるはずだ。
今は“ヤオヨロズ”を完成させるのが先決。
「なぁ!? その“ヤオヨロズ”とかいう訳わからないアイテムに頼るより、今ある素材でありったけの武器を錬成してった方がいいんじゃねぇか?」
「そんなんで勝てる訳無いでしょ!? 小型の魔物だけでもどんだけ居ると思ってんのよ! 早く“ヤオヨロズ”のレシピを探すわよ!」
「てか、何なんだよさっきからその“ヤオヨロズ”って!」
「……まぁ、言ってしまえば魔神と同じ錬金術の兵器よ。かつてサンガクからの侵略を退け、世界中にモリノの戦力を見せつけ戦争を終焉に導いた立役者。勿論魔神みたいに暴走する心配は無いわ。モリノに万が一の事態があった時のために、この工房にレシピを遺しておくってラージーが言ってたみたいだけど……あんた聞いてないの?」
「……そういう事か」
じいちゃんからそんな話は全く聞いた事無かったけれど、確かに心当たりはある。
部屋の隅にある机の前に立ち、その下に隠された小さな鍵を取り出す。
下の引き出しを開け、中から秘蔵のコレクション……エロ本を取り出す。
「ちょ、こんな時に何やってんのよ!」
顔を真っ赤にするティンク。
「俺がじいちゃんから託された物だよ。じいちゃんが生きてる頃に見せて貰ったときは全然気付かなかったけど、錬金術師になった今読むと分かるんだよ。これ、絵に混ぜて所々に錬金術のレシピが散りばめて隠されてる。しかも、隅々まで舐めるように凝視しないと気付けないほど巧妙にだ」
つまり、錬金術の才能が有り、かつよっぽどのむっつりスケベにしか見つけられない。
じいちゃんは俺がその両方を満たしてるって早いうちから気づいてた訳だ。
じいちゃんらしいというかなんというか。
思わず乾いた笑いがこぼれる。
「ま、まぁ、隠し場所はともかくレシピが分かってたなら良かったわ。それじゃ早速錬成するわよ」
「……だめだ。素材が足りない」
「国の緊急事態よ。話せば何でも用意してくれるはず。何が要るるのよ?」
「いや、必要なのはびっくりするほど基本的な素材ばっかだ。元々工房にあった物だけで事足りる。もしかしたら分かっててじいちゃんが用意してあったのかもしれないな。……けれど、1つだけ足りないんだ」
「だから何が足りないのよ?」
「……“賢者の石”」
読み解いたレシピにはっきりと書かれていた。
銅や鉄、植物や鉱石を混ぜ合わせ、最後に【賢者の石】の力を注ぐ。
付加される特性は――“真理”
勿論、ルルのお父さんが作ったような模造品じゃなく本物が必要だ。
まさか……ここに来てとんでもないもんを要求してきやがった。
じいちゃん、そりゃないだろ。
俺の勘が正しければ、賢者の石って――
黙って頷く俺をじっと見つめるティンク。
月明かりがその横顔を優しく照らす。
お互いに暫く黙った後、ティンクがそっと口を開く。
「――あるわよ。賢者の石」