09-45 人に恋した人魚の最期
慎重に最終確認を行い、祭壇に向けおもむろに手を掲げる。
大丈夫だ。
術式は完璧に書き直してある。
注意するのは、根底にある属性が火か水かの違いだけ。
後はいつも通りにやれば問題ない!
徐々に魔力を込めていくと、祭壇から淡い光が立ち込め始める。
……よし! 起動はしてくれたみたいだ。
祭壇を中心に、島全体へ広がっていた淀んだ魔力の流れが徐々に引き戻されていくのが分かる。
よしよし、良い感じだ。
時間はかかるかもしれないけど、このままゆっくりやれば……
魔力も安定してきて、ひとまず安心したその時――
「ローラああぁぁぁ!!」
洞窟の入り口から地の底から響ような悍ましい雄叫びが聞こえてくる!
ティンクが入り口を確認しに行き、直ぐに戻ってくる。
「不味いわよ! あの男の亡者が来てる! めちゃくちゃ怒り狂って結界を掻きむしってるんだけど――」
ティンクが言い終わるよりも先に、泡が弾けるような音が聞こえてくる。
どうやら結界が破られたようだ。
「ローラぁぁぁ! 見つけたぞ!! 鱗をぉぉ! 血を!! 肉を寄越せぇぇぇ!!!」
くぐもった声で叫びながら、入り口に集まっていた他の亡者を引き連れ広間へと迫ってくる。
「あーもう! 煩っさいわねこの粘着ストーカー男! そんなんだから錬金術の腕も二流なのよ!」
スピアを構え、ティンクがローラの前に立ちふさがる。
「ローラ! あんた魔力はまだ残ってる!?」
「ごめんなさい! さっきの結界で使い切ってしまいました……」
入り口を確認するティンク。
亡者の数はさっきの3倍以上は居る。
さすがのティンクでも数分も持たないだろう。
「――っ! マグナス! 残りの工程は!?」
「全力でやったとして……あと30分はかかりそうだ」
そうこうしている間にも、亡者の群れはズルズルと祭壇へ押し寄せてくる。
その先頭で、男の亡者がローラに向かい手を伸ばす。
「ローラぁぁぁ」
その手は重力に負けボトリと床に落ちて朽ち果てる。
だが直ぐに再生し落ちた腕が生えてくる。
おいおい。トカゲのしっぽでもそう簡単には生えてこねぇぞ。
こりゃスピアやロングソードでどうこう出来る相手じゃねぇな。
とは言え大人しく食われてやる訳にもいかないし……
ティンクと目が合う。
分かってる、お互いに諦めは悪い方だからな。
やれるところまでやってみるさ!
意を決し、ティンクがスピアを構え直した時――
「――こっちです!」
突然、独り洞窟の奥へと駆け出したローラが大声で叫ぶ。
亡者たちが一斉にローラの方へと向きを変える。
「ち、ちょっと! あなたもう魔力残ってないんでしょ!? 大人しく下がってて!」
ティンクが慌てて連れ戻しに行こうとするが、亡者の群れがあっという間にローラを取り囲んでしまった。
「あの男は、私の血肉を寄越せと言っています。なら少なくとも私が襲われている間は時間が稼げるはずです。 ――最近少し太ってしまったので、食べきるまで結構時間がかかると思いますよ」
そう言ってにっこりと笑うローラ。
「ちょ、なにバカな事言ってんのよ!」
ティンクがどうにか突破する隙を探るが、亡者の数が多くて近づく事も出来そうにない。
「ローラがこれ以上酷い目に遭う必要ないだろ! 俺が何とかするから待っ――」
「マグナスさん、ティンクさん。こんな事に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい!! どこまでも我が儘で申し訳ないとは思いますが、1つだけお礼を言わせてください。 ――最期にマグナスさんと一緒にこの島をお散歩できて本当に楽しかったです。この島の為に死ねるなら思い残すことはありません。お2人とも、どうぞご無事で――!」
そうい言い残すと、亡者の群れに向かい自ら飛び込んでいくローラ!
歓喜の雄たけびを上げ、亡者たちが一斉にローラに纏わりつきその肢体を貪り始める。
押し合い重なり合いもはや緑色の肉塊となった亡者にあっという間に飲み込まれていくローラ。
まだ見えている右腕だけが必死に俺の方へと突き出されている。
だが、その手も直ぐに力なくダラリと崩れ落ちる。
「――や、やめろ――!!」
あまりにも無残な光景に、術の事も忘れ思わず叫び声を上げる。
魔力を込める手に思わず力を込めてしまったその瞬間――
床の文様の一部が突然激しく輝きを放ち始める。
何だ!?
そう言えば……あそこはさっきティンクが怪我をして血を落とした時にも光った場所だ。
光は瞬時に強さを増し、目も開けていられないような閃光を放ち洞窟内を真っ白に染めていく。
あっけに取られていると、何もしていないのに錬金術の術式が一気に加速をし始めた!
な、何だこれ!!?
とんでもない魔力量だ!
例えるなら――素材を必要量の10倍、20倍……いや、100倍以上もぶち込んだような圧倒的な力!
残っていた工程を一気にすっとばし――いや、工程だけじゃない。
順序や法則までも完全に無視してやめちゃくちゃな速度で術が完成する。
「――!? 出来た! とりあえず――いっけぇぇぇ!!」
よく分からないけれど、迷っている時間は無い。
歓声した術を一気に放つ!!
光は渦を成し爆発的に膨張していく。
ここからじゃ分からないけれど、おそらく島全土を覆う程まで広がっていったんじゃないだろうか。
暫くして、今度は一瞬にして魔力が反転、急速に収縮していく。
祭壇に向け収縮していく光に飲み込まれるように、亡者たちもどんどんと吸い込まれその姿が消え去っていく。
やがて……光が止むと、辺りから亡者の姿は消えていた。
「……や、やったのか?」
突然の出来事に理解が追いつかずその場にへたり込む。
周りを見渡すと、亡者の群れが居た場所にローラが倒れているのが見えた。
慌てて駆け寄りその肩を抱き起す。
「おい! 大丈夫か!!?」
ティンクも駆け寄って来て心配そうに覗き込む。
俺に肩を揺すられながら、薄っすらと目を開けるローラ。
「――うー、べとべとで、臭くて……最悪です」
そう言って力なく笑う。
体中にひっかき傷や歯形がついていて、すこし血のにじんでいる箇所もあるが大きな怪我は無いようだ。
「自分でもびっくりですが……人魚って相当丈夫みたいですね」
ローラの一言に、張りつめていた緊張の糸が切れ思わず吹き出す。
両脇に怪我をしたティンクとローラをかかえてどうにか洞窟から出る。
さっきまでの嵐は嘘のように止み、外にはチュラ島の美しい青空が広がっていた。