09-43 錬丹術師の末路
青年が施設に捕らえられて、どれくらいの月日が流れたのか既に解らない。
連日続く狂気じみた実験により、毎日拷問のような人体実験を受け続ける。
肉体はどれだけズタボロにされても翌日には再生するが、精神の方がいよいよ擦り切れそうになっていた。
最早自分が何者で、いったい何のために存在しているのかすら分からなくなってきていた……そんなある日。
――事態は一夜にして一変する。
実験中の事故により、研究所が大火災に見舞われたのだ。
特殊な薬品を大量に貯蔵していた事もあり火の廻りが尋常ではなかったそうだ。
施設は瞬く間に焼け落ち大勢の職員が焼け死んだ。
青年も火災に巻き込まれ、黒焦げになった焼死体の1つとなりながらも……やはり死ぬ事は無かった。
混乱に乗じて施設から逃げ出した後は、熱りが覚めるまでの長い時間、島の密林に身を隠してひっそりと過ごした。
幸い時間だけは腐る程に待ち合わせいたので、彼の事を知る人間が島から居なくなるのをじっくりと待ち、その後は独りで練丹術の研究を続けた。
そしてやっとたどり着いたのが……人魚の鱗を素材にして作る"不死者を死に至らしめる毒薬"の製法だと言うのだ。
「――そのためにまずお前を人魚に戻す必要がある! あの島に行ってお前に使った錬丹術を逆流させるぞ!!」
あまりにも身勝手な男の要求。
しかし、ローラは黙って頷いた。
彼の今日に至るまでの壮絶な日々を知り、ボロ雑巾のようになったその姿を目の当たりにして、その苦痛に自らの責任を感じたのだった。
全てを終わらせるため、2人は小島へと向かった。
――
小島に着くと、男はローラにあの日と同じ練丹術を、逆の手順を追って施す。
以前と同じように男の肉体は割け血まみれとなるが、不死の身である今の彼は難なく再生を果たした。
一方のローラは、人魚の尾ひれを取り戻していた。
美しく輝く鱗がキラキラと光を反射している。
その姿を見るなり男は駆け寄り、何の断りもなく揚々と鱗をはぎ取り始める。
鱗が剝がされるたび激痛が走るが、ローラは唇をかみしめ声も上げずに必死に耐えた。
男が受けた苦痛に比べればこの程度は大した事ではないと、自分への罰だと思い受け入れたのだった。
鱗を1枚残らずはぎ取ると、それを抱え祭壇に向かう男。
祭壇に空の薬瓶を置き、周囲に刻まれた術式を書き換え、床にローラから剥ぎ取った鱗を散りばめる。
そして男が呪文を唱えると、散りばめられた鱗は次々と雨露となり――祭壇に設置された薬瓶へと集まっていく。
その様子を見て、狂気じみた高良笑いを上げながら天を仰ぐ男。
「これで――これで終わりだ! やっとこの苦痛から解放される!! やっと死ねるぞ!!」
尾ヒレから血を流し横たわるローラ。
男は彼女の事などもはや眼中に無いようだった。
それでもローラは嬉しかった。
自分のせいで長きに渡り苦しんできたあの人が救われるのならと、心から男の成功を喜んだ。
――しかし。
海の悪魔は冷酷だ。
薬を手にし一気に飲み干した途端……男の体から薄気味悪い緑色の泥が溢れ出てきた。
「ぐ!! ぐぎぎぎぎぎぃ!! こ、これが! 死の苦痛というものか!!!」
目を見開き、自らの喉や胸を必死に掻き毟りながら悶絶する男。
迫り来る壮絶な苦痛に耐えかねて床に倒れ込み転げ回る……が、どれだけ経ってもその命は尽きる事がない。
「……ど、どうなってる!! まだか! まだなのか!!!」
自ら生み出したヘドロにまみれ、血走った目でローラを睨む男。
当然のことながらそんな事はローラには分からない。
ただただ怯えて首を横に振るしかない。
男の体から止めどなく溢れるヘドロは、床をつたいやがて洞窟の外へ。
……そして海へと流れ込んだ途端――
あっという間に辺りを汚染し海を呪っていく。
海藻や珊瑚は一瞬にして腐り、泳いでいた魚達が大量に海面へ浮かび上がってくる。
男が手に入れたレシピは蘇らせてはいけない禁忌だった。
しかも、彼の錬丹術の技術も未だ未熟。
それらが相まって恐ろしい呪いを生み出してしまったのだ。
結果として、島は呪われ誰も住むことは出来ない環境となった。
人間たちは我先にと島から逃げ出し、人魚たちも新たな安息の地を求め遠くへと去ってしまった。
それ以降、チュラ島は誰も近づかない死の島となったのだ。
島に残ったのは、ローラと男の放った呪いだけ。
鱗を失い、遠くまで泳いで逃げる事も、呪いで死ぬことも出来ないローラ。
元よりこの惨状を放置して逃げ出すつもりはなく、美しかった島の自然を取り戻すため、独りで呪いを解く方法を研究し続けた。
研究の中で、陸で生きるために人間に化けるための魔法も手に入れた。
これには彼が遺した錬丹術が大いに役に立った。その点では非常に感謝している。
そして長きに渡る研究の甲斐あって、島の原生植物である"雷花"という花にこの呪いを浄化する作用がある事を突き止めた。
今度は農業を研究し"雷花"の繁殖に全力を注いだ。
徐々に呪いは中和され、根絶さえ出来ないものの島は再び美しい生態系を取り戻したのだった。
そして徐々に人間が戻ってきたのが――ついここ100年程の事だ。