3話
──雨は嫌い。
寒くて寂しくて、でも誰もいない。
始まりの記憶は水浸しの暗い闇の中。濡れた身体からは体温が奪われていく。湿った土の臭い。ご飯を採りに行くと言う母の声が最後に、耳をつんざくけたたましい音に飲まれて消えた。
寒くて冷たくて寂しくて。
お母さん、と、声をあげる。
強くなる雨の音にかき消されても、ボクには声をあげる以外に出来ることはなかった。
お腹もすいた。流れる水は冷たくて。動きたくてもボクがどこにいるのかもわからないまま、冷たくなっていく母の傍らでただ、じっと母が起きるのを待つ。
何日過ぎただろう。
母はあれから一度も起きない。
何度か人間に追われ逃げ出したボクは、静かになった頃合いを見計らって母のもとへと戻る。
幾度めかの逃走のあと、戻るとそこに母の姿はなく匂いだけが遺されていた。
もしかしたら母が起きて、ボクを探してどこかへ行ったのかと、母のもとへと届いてと願いながらボクはここにいるよと鳴く。
母の匂いが風に流され、匂いがする方へとフラフラ。
お腹がすいた。冷たい土の上でパタリと倒れた。
冷えた身体はもうピクリとも動かない。
このまま死んじゃうかもしれない。
もう何日も声を出していないことに気付いて、お母さん。と声を出した。だけど掠れて消えた。もしかしたら声を出したつもりで出ていないのかもしれない。
お母さんに届いてないから、ボクを見つけられないのかもしれない。
だから、最後の力を振り絞って叫んだ。
まだ死にたくない。
まだ死にたくないよ。
もう起きていられなくなって、ゆっくりと息を吐いた。
声にもならない。誰か。お母さん。ボクは……。
「ねこさん、どうしたの?」
……何かの声がする。
でも、もうどうすることも出来ない。
助けて……。助けて……っ。
「ままー! かわいいねこさん! かいたい!」
「──? ───。」
「できるもん! おせわちゃんとするもん! だからおねがい!」
「………──? ───。」
「わーい! ねこさん、よろしくね……? まま、このねこさん──」
ふわりと身体は持ち上げられた。
初めて温もりを感じる。暖かい何かに包まれて、優しい匂いを最後にボクは意識を閉じた。
ポカポカと暖かい、優しく身体を撫でる感触に目を覚ますと、ボクの身体を撫でてたのは小さな人間の女の子だった。
「おきた? はじめまして、ねこさん! ていちゃんはていちゃん! ねこさんは?」
てい。それがボクを拾ってくれた女の子の名前。
お母さんからは人間は怖いから近づいちゃダメだと教わったけど、この子からは優しい匂いがした。
「ねこさんちっちゃいねー。おなまえつけていいですか?」
小さな指を唇に当てながら少し思案しつつも、もう片方の手はボクを撫で続けていた。
「ねこさんねこさん、ちっちゃいからね、こまめっておなまえどうですか?」
「にー……」
ハッキリ言ってこの時のボクには何がなんだかわからなかった。だけどこの小さな女の子が一生懸命に考えてくれたボクの名前なら、ボクはコマメと名乗ることにした。
かろうじて出た声に女の子は破顔し、キラキラとした笑顔を見せてくれた。
「ていちゃんもちっちゃいの、でもていちゃんおっきくなるからコマさんもおっきくなろうね!」
「にゃふっ!?」
コマメからすでにコマさんに変わってる。でもキミがそう呼ぶならボクは構わない。
キミに救われたこの命。キミのためにあるのだから。
それからは雨が好き。
寂しいときも、寒いときも、いつもいつだって側にいてくれる。
てい。ボクの大好きな心優しい女の子。
ていの側で過ごす日々は優しくて暖かい日々だった。
朝が弱いてい。
ボクの気分はお構い無しで抱っこしてくるてい。
ぐいっと押し退けても嬉しそうにするてい。
鼻先でちゅってするとニコニコするてい。
ボクの日々はていで埋まっていた。
一緒にいることが当たり前になったある日。
学校とやらに向かうていを見送ったあと、ボクの中にある変化が訪れた。
「ボクの身体に……何が……? 声が、言葉が……!」
不思議な力が宿り、人の言葉を介することも出来るようになった。力を解放すると、その不思議な力が何かを知ることができた。
──妖力。
これがあれば、ていと話すことができる。
もっと仲良くなれるかもしれない。
ずっと言いたかった。
あの日、あの時、死にたくないと願ったボクはキミに命を救われた。それから一日だって感謝を忘れたことはない。
あの暖かな温もりを。優しい匂いを。
ずっと伝えたかったんだ。
──ありがとう、大好きって。
ボクはすぐに外へと飛び出した。
妖力を使えばていがどこにいるかすぐに見つけられる。
塀を屋根を駆け抜けて、大好きなあの人のもとへとひた走る。
匂いを頼りに妖力を使って普通の猫より疾く走る。
逢いたかったその姿を見つけたとき、ボクはいつものように甘えた。ボクの匂いをつけて、てい。
「あれ? コマさん? お家から出したことないのにどうしてここまで? お迎えに来てくれたの?」
早くていとお話したくて、少しでもボクの想いが伝わるようにって。話そうとしたとき──
耳をつんざくけたたましい音がした。
あれは車だと、ていが言っていた。
危ないから近寄っちゃダメだとていが言っていた。
脳裏に甦る幼い日の記憶。今ならわかる。あれに母は殺された。
ていもまた、ボクから奪うのかと思うと身体が熱くなった。
ボクを逃がそうとしたていにしがみついて飛び出した。
宿したばかりの妖力を全開で使い、ボクはていを救うんだ。
「ダメ、コマさん……っ!?」
ボクなんかのために自分の命を優先したらいいのに。
この優しいご主人は簡単にボクを優先した。
だめ。そんなの絶対にだめ。
「にゃぁぁぁああああっ!」
スマホを片手に驚愕の表情をしている人間。
妖力の全力展開。こんなのにていをキズつけられてたまるか。
広がる妖力が、ボクとご主人を包むと同時に衝突する車。
ぶつかった衝撃により眩い光が辺りを覆い尽くす。
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