1秒 今日、死ぬ気がする
俺は自分が幸せならそれで良かった。
誰かの助けもいらない、1人で幸せに暮らしたかったんだ。
(どうして、生きるってこんなに辛いんだろう……)
絶望混じりの吐息が漏れる。
「はあ、はあっ……」
昨日から何も食べていない、空腹が絶望の感情を支配する。
舗装されていない土が頬につく、斜めに傾いた建物を眺めているといよいよ目眩が始まってきた。
――俺はこのまま、ゴミの山に埋もれて1人寂しく死んでいくのだろうか?
(腹が減った……)
何か食べたい、まだ死にたくない、程なくして全身の感覚が消えていくと視界がグラグラと揺れ始める。
加えて心臓の鼓動も速まっていく、その度に1歩1歩自分が死に近づいていると直感してしまう。
この世界では金がないとまともな生活が出来ない、パンを買うにしてもお金はいつも持っていないので、今日もこの国の地下から汲み上げている水で凌ぐしかない。
当然、水だけでは餓死してしまうので何かしらの食べ物を常に探さなくてはいけない。
お金を稼ぐにしてもこの歳、そしてこのボロボロの服を着た身なりでは大人は誰も俺を雇ってくれず、毎日物乞いしてはギリギリの生活を送っていた。
ドクン、ドクン、ドクン。
衰えてきた心臓が力無い音を鳴らし、徐々に狭まってゆく視界に俺は不安を抱き「死にたくない!」と心の中で願い続けた。
嫌だ、それだけは御免だ、まだ生きていたい。
もう、駄目か――。
その時口元に何かを感じた。
これは誰かの手だろうか?
奇妙な物体が口元にグイグイと押しつけられてくる。
やけに柔らかい、最初は粘土の類かと思っていたがどうにも違う。
また、ほのかに甘い匂いもする、これは一体何なのだろうか?
俺は残っている力を振り絞り、大きく口を開ける。
すると謎の物体は口の中へと押し込まれていく、何を入れられたのか?
歯を上下に動かして、その物の正体を確かめてみた。
モサッ。
わかった、これはパンだ。
噛めば噛むほど味がより引き立ち甘味を感じた。
いったい誰が助けてくれたのだろうか、空腹で行き倒れそうになっていた俺にひと切れのパンを恵んでくれたのはどこの聖人様だ。
「……え?」
確かめる為に目を開けると、そこには1人の女の子が膝を曲げて座り込んでいた。
俺より背が小さい少女だ、茶色の髪と全身を覆う赤い服が目に付く、この子が俺を助けてくれたのだろうか?
キョトンとした表情で俺は少女を見た。
「大丈夫ですか?」
女の子は心配して尋ねるともう1度千切ったパンを俺に食べさせてくれる。
それから俺はゆっくりと上半身を起こしてお礼を言った。
「あ、ありがとう……」
この子は聖女だ。いや天使か、どちらにせよ俺を救ってくれた救世主であることに変わりは無い。
「どうして倒れていたの?」
不思議そうに少女は尋ねてくる。
「お金がなくて食べ物が買えなかったんだ」
「そうなんだ! じゃあ、それは全部食べていいよ!」
無邪気な笑顔を崩す事なく少女は俺を見ていた、じっくりと顔を見ると純粋そうな青い瞳ともらったパンのようにふっくらと包む声色。
全身を覆う赤色の服を1枚身に纏い、茶色の髪をゆったりとした動作で撫でる。
その幼い表情からは純粋無垢という言葉が似合い、身長は俺よりほんの低く感じた。
恐らく年齢はこちらと大して変わらないだろうか?
「ありがとう、でもどうして俺なんかを助けてくれたんだ?」
この子と俺は接点がない、だから助けてもらう義理がない。
メリットもないのに、誰かを助けるなんて俺には信じられなかった。
俺は少女に理由を尋ねると、少し悩んだ素振りをした後に答えを返してくれる。
「……わかんない!」
「わ、わからない?」
「うん! っていうか、誰かを助けるのに理由っている?」
その少女の言葉は純粋で、嘘偽りなく聞こえた。
俺は嬉しさからかうっすらと涙を浮かべる、理由もなく助けるという実に尊い行為。
(優しくされる事が、こんなにも嬉しいなんて)
他人なんて肝心な場面では助けてくれないと思っていたのに。
理由なんていらない、その言葉が嬉しかった。
「えへへ、おいしい?」
少女が嬉しそうな顔で尋ねてくる。
コクリと頷くと、よしよしと言わんばかりに頭を数回撫でて、また笑顔を俺に見せてくれた。
俺が食べている最中、少女は畳んでいた膝をしっかりと立ち上げ、そのまま立ち去って行っていこうとしたので俺は呼び止めた、最後に自己紹介ぐらいはしておきたい。
「俺はネリス、君は?」
「ん? 私はタルト! 今度はもう倒れちゃだめだよっ」
片腕にバスケットを通し、スキップ混じりに可愛く手を振って去って行くタルト。
彼女を見送った俺は、人のいなくなった路地でポツンともらったパンを食べながら、密かに決意を固めていた。
(俺も誰かが困っていたら手を差し伸べよう)
人の悲しみや痛みを癒やせるような存在。そんな、優しい人間になりたい。
◇ ◇ ◇
タルトとの出会いから何日が過ぎただろうか、どうしても再会したかった俺は今日も救われた付近を歩きまわっていた。
服装から見てもこの地区の者で間違いはないはずなのだが、どうにも見つからない。
「うーん……」
俺たちが住むこの国には、2つの地区が存在する。
まずは俺のような、明日の飯にも困る貧乏人が住むエリア。
所謂スラム街ってやつだ、着ている服がみすぼらしいのは当たり前、ボロボロの家に住み何もかもが最底辺。
それが自然に思えてくると、金持ちになりたいだとかそんな高望みは失せてくる。
一方でもう1つの地区は貴族たちがひしめいているらしいが、一度も行った事が無いのでどういう場所になっているのかもわからない。
ただ街の中に割り込むように、石造りの壁と門だけがこちらから見えるだけの未知の領域。
まるで庶民たちの羨望の眼差しから逃れるかのように、高い塀で囲まれたその地区は、子供の頃からいつも印象に残っている。確か『選ばれし聖域』とか冗談半分で呼んでいたっけな。
ぐううっ。
この前のパンを食わせろと言わんばかりにお腹の音が訴えてきた。
……もしかして、タルトは本当に天使だったんだろうか?
そんな気すらしてくる、あるいは、俺を救うために地上に舞い降りた女神様だったのかもしれない。
15年楽して俺は生きてきた、そろそろ独力で生きていく力、それを身につけていかなければならないのはわかっている。
何もしてこなかったツケが今まわってきているんだ、それはわかっている
「ここならいいだろう……」
暗い気持ちのまま闇雲に歩いているうちに辿り着いたのは、人が多く集まる広場だった。
布1枚貼っただけの簡素な屋根と木箱に並べられた食べ物、そんな質素な店が建ち並ぶこの広場は中央に座れるベンチと噴水があり、商人や冒険者が多く集まる憩いの場となっているのが特徴だ。
この場所で突然地面へ倒れれば、誰かが救ってくれるかもしれない。
下世話な思考だ、でもこうしなければ明日を迎えられない。
今はこうするしかないんだ。
俺は意を決して、地面へ倒れようと身体を傾けた。その時――。
「助けて! お願い誰か!!」
1人の悲鳴が聞こえる、とても聞き覚えのあるあの子の声だ。
急いで声の方へと向かうと、声の主が屈強な男に腕を掴まれジタバタと藻掻いていた。
とりあえず近くにいた人に「すいません」とこの状況を尋ねると、どうやら男が商売をしている最中に1つの商品が盗まれたそうだ。
その娘は、タルトだった。
(ど、どうしてタルトが!?)
男は犯人であろう近くにいた彼女を捕まえ、この街の【騎士団員】という傭兵団体に突き出そうとしているという。
騎士団員というのはこの街の秩序を守る者達で、主に犯罪が起きないよう街を見回る事が多い。
もちろん窃盗自体、この国では1、2を争う大罪だ。
騎士団員がいない場所で起きようものなら、駆けつけるまで市民達から木の棒でボコボコにされていてもおかしくないだろう。
男はグイッとタルトの手を掴むと、上へ持ちあげる。
「オラ!! さっさとその膨らんだポケットを見せやがれ!!」
「いたい! 離して!!」
タルトは必死にポケットを見せる事を拒絶していた、あの様子だと本当に物を盗んだのかもしれない。
でも、タルトは俺にパンを与えてくれた聖人だ。あんなにも優しい子が、どうして盗みなんて働いたのか?
よく分からないけど、とりあえず理由は後回しだ。
(大事なのは、タルトを助けることだろ)
その為にはどうやって彼女の無実を証明すれば良いのか、俺は2人を観察しながら必死で打開策を練る。
すると何やら様子がおかしい事に俺は気付く。
「この……ど、ろ、ぼ、う、が」
タルトを掴んでいた男の声が段々とスローになっていき、周りの者達も同じように動きが固まった、何だ、何が起きたんだ?
(いったい……ん? あ、あれ!?)
自分の耳から声が聞こえてこない、ノドにしっかり力を込めても擦れた声どころか魚のようにパクパクと口が動くだけで、俺は自分がおかしくなってしまったのかと疑った。
(なんだよこれ……)
先ほどから懸命に声帯を震わせ、パクパクと口を動かしているにも関わらず自分の声が全くもって聞こえてこないのだ。
理解不能な事態が起きている、異常現象の類だとしか考えられなかった。
疑問に思いながらも俺はすぐ横に立っていた人に手を伸ばして触れてみた。
しかしこれがまた石像のようにとても硬く、思いのほか重量も伴っていて持ち上げる事すら出来ない。
横にズラそうとしてもそこから1歩も動いてくれはしない。
(止まって……んのか?)
何度も指で頬を突いたり、ベタベタと手の平で様々な人達に触っていた、その時――。
「やあ、こんにちは」
1人の女性の声が、どこからか聞こえてきた。
プロットは全6章で終わるように構成しております。
文章力を上げつつ完結まで頑張ります!