幕間『交流』
学府。
魔術師たちが集い、魔術にまつわる知識や歴史、または関連する物品を蒐集する機関。また、魔術師に対する自治組織でもある。
その実態は教育と養成、及び研究の側面が強いため大学――教育機関に近いとされている。
表向きは学術機関であり、実際に大学の学位も取れる。――取れるとは言うけれど、表向きには存在しない機関で学位を取っても意味がないのでは? という至極真っ当な疑問を我らが生き字引たる刀河火灼にぶつけたところ、世界各地の伝手がある一般の大学から成績や功績に応じて学位が授与される形になっているので問題ないとの回答を頂いた。また、学府内でのみ通用する称号も授与されるらしいが、そっちは形骸化して久しいらしい。
学府のその本質は魔術師たちが集まりその立ち位置を強固なモノとするためにある。
教会――世界三大宗教の中の一つで、最大勢力のアレを指す――が魔術師の存在を認めておらず、教義に則り悪魔の法を扱う存在として滅ぼそうとしてくる。「邪悪滅ぶべし、慈悲はない」を素でかましてくる教会の聖人や断罪人の方々は大半の魔術師を塵芥のように轢き潰せる力を有しており、目を付けられようものなら死ぬ。本当に死ぬ。
死ぬのはゴメンだが、どうしたところで並みの魔術師が個人で対抗することはまず不可能であるという事実を踏まえた結果、魔術師たちは最低限のルールを制定した上で集団として行動することにした。
身も蓋もない言い方をすれば「魔術師同士身を寄せ合ってお互いに協力して教会を牽制しましょう」というのが本音だそうだ。
身を寄せ合って~などという言い方をすると、魔術師の集団をプレーリードッグやらカピバラやらミーアキャットやらのように錯覚してしまいそうになるが、魔術師という存在はそんな可愛いモノではない。断じてない。魔術師は魔術師である前に人間である。人間はどうしようもない生き物だし、魔術はその大半が人には過ぎたる力だ。人に対して過ぎてない力ってなんだよ、それって主観に過ぎないか? という話にもなるが、それは横に置いてく。とりあえず過ぎているのです。で、ろくでもない人間どもに過ぎたる力を持たせたらどうなるかは歴史が証明している通りで、まぁ酷いことになる。教会が「あいつら滅ぼした方が世のためでしょ?」とか言い出しても仕方がないぐらいには魔術師が結構やらかしている。
それでも、その力を手放すのは惜しいと思うのが人間の性だし、実際に存在してしまっている力であり、鍛錬を積めば万人が大なり小なり使えてしまう力である以上は目を逸らすのも得策ではない。そう考えると、まぁ、うん、魔術師の統制にも積極的に取り組んでいる学府はまだどうにかしようとしている方だろう。実際、教会の人達も学府そのものに対しては「滅ぼすのは最後にしてやる」という感じだそうです。後回しにしているだけだね。機会があれば普通に全面戦争してもいいとは思っているらしい。怖いよ。
そんな最後の防波堤たる学府は、魔術師の集積所。異常者の爆心地。狂人の土壌。などなど様々な呼ばれ方をされている。教会から後回しにされてこれ? 後ろ二つとかもう普通に蔑称だろ。他の組織はどうなんだよ。とまぁ色々とツッコミたくなるけれど、それは一旦横に置くとして、そんな学府は各国に支部を置いている。当然のように日本にもある。
日本支部という何の捻りもない名称で、場所は関西の方にある。京都のあたりらしい。詳しくは知らない。
日本にある支部はそこだけで、あとは東京や北海道や九州北部に『分室』と呼ばれる出張所みたいな施設があるぐらい。……あるぐらいだったのだが、去年になって学府第三席である南雲飾が関東圏の地方都市にて『学府・極東日本支部』なるモノを開設した。実態はただの五階建てオフィスビルであり、南雲飾とその麾下たちが活動拠点とするごく私的な施設だ。
通常であればアホが勝手にアホなことをして勝手に名乗っているだけと判断し、無視するなり潰すなりすればいいのだが、そのアホが学府における席次――最高権力である『席』に就いている南雲飾なのが問題だった。南雲飾の奇行はいつものことであるが、それはそれとして勝手なことをされると困る。学府の総務室と人事室は大変困った。困ったが、南雲飾に「NO」を突き付けられるのは同じ席次持ちか彼の直属の部下であるネセル=ベイルートぐらいなのだが、他の席次持ちは無関心であり、こういうときに抑え役として頼りになるネセルは「諦めてくれ」の一言とともに沈黙した。
それからなんやかんやで学府の支部として正式に稼働することになり、なんやかんやあって日本支部の人達と極東日本支部(以下、極東支部と呼称する)の人達で交流することになったのが本日のこととなります。
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そこは見渡す限りの平原だった。
限りなく平野に近い緩やかな丘陵を見渡す限りに覆い尽くすのは緑の絨毯で、頭上には雲一つない青空が広がっている。どこまでも続く緑と青は遥か遠くに見える地平線にてお互いに譲り合うことなくぶつかり合っている。山地の多い日本ではなかなかお目に掛かれない景色だろう。……日本にも平野はあるが、田畑になっていることが多いのでこういった耕地ではない緑がどこまでも続く景色は珍しいのである。
そんな平原にて、物騒な激突音と破壊音と少女の絶叫が響いていた。
「私はァア! 勝つのが好きなのであってぇ! 戦闘は好きじゃねぇええええエエエ!」
どこぞの氷炎魔団長みたいなことを叫んでいるのは後輩こと空海成世だった。
――現在、成世は死に物狂いでネセル=ベイルートとの手合わせに励んでいる。
符術と形成術を最大限に活用して一発一発が即戦闘不能に繋がるようなネセルさんの通常攻撃を凌ぎ続けている。通常攻撃が全体即死攻撃で二回攻撃で複数回行動の男、それがネセルさんである。クソゲーと言われても否定できない。
それを見学するのは俺――天木秦に加えて、二人の男性と一人の女性。
男性Aが呆れた口調で言う。
「そもそも凌げるようなモノじゃないでしょアレ」
刻術と呼ばれるモノがある。肉体に刻み込んだ魔術式に魔力を通して魔術を成立させる手法のことだ。その刻術を用いて形態変化魔術――別種の存在の特徴を引き出す魔術によって異形と化した今のネセルさんは全長が三メートル近くあり、その背丈に比例するように腕も脚も長くて太い。パッと見はゴリラもかくやというその姿は猿面に虎の四肢、狸の胴に蛇の尾――俗に鵺と呼ばれる幻想種となっているのだが、中身がネセル=ベイルートである以上、その一挙手一投足には無駄がない。暴力的なまでの肉体性能に技術を掛け合わせてくる以上、ただ獣が暴れ回るだけとはわけが違ってくる。
でかくて速くて重くて正確無比。つまりは強い。単純明快な図式である。
腕は振り回すだけで豪快な風切り音がここまで聞こえてくるというのに、それがただのフェイントとして繰り出されるのだからたまったものではない。フェイントっつっても当たったら普通にノックアウトだからね、アレ。それはもうフェイントじゃないだろ。
男性Bが感心したふうに言う。
「使い方が上手いのもあるけれど、術式符を実戦に投入できる段階まで洗練させているのが素晴らしい」
術式符。お札に術式を刻んで魔力を流し込むと魔術が発動するようになっている魔具の一つ。それを扱うことは符術と呼ばれている。西洋だと巻物形式のスクロールとか、金属や木の板に術式を刻んだ護符と呼ばれているモノが該当する。成世が使っているのは陰陽師とかが使っていそうな紙のお札で使い切りタイプのモノとなる。紙の利点は嵩張らないところ。携帯性は重要。
術式符は準備が手間だけれど、魔力を流すだけでいいのがメリット。魔術って普通に集中が必要な技術なので、戦闘行為中だと咄嗟の判断とか痛みとかで集中力が途切れたり鈍ったりするから、一から術式を構築する場合では術式の構築に失敗することがある。そういうのを気にしなくていい点は結構大事だったりする。あ、スノウやネセルさんは別です。あの辺の人たちは集中力がちょっとやそっとのことで途切れたり痛みで鈍ったりするような身体構造をしていないので関係ありません。お腹に穴が空こうとも術式を最短で構築できます。
一般的な――大抵の魔術師は特定の動作や発声、思考をトリガーにした術式を肉体に予め刻んで構築しておき、その動作と魔力を流し込むというプロセスによって省略して魔術を扱うのだけれど、そういうのはどうしても一度に扱える種類が限られるから、手数を欲しがる人はそういった外付けの省略手段を用意することになる。成世はそのタイプ。
成世が使っている術式符は五行思想である火・水・木・土・金に加えて、雷と風の七種なのだけれど、それらを組み合わせて扱うので傍から見ている分にはバリエーションに富んでいて面白い。しかもあの術式符、表面に記載されている文字が実際の効果とは合っていないモノもあるので、ブラフにもなる。それを理解して魔術の起こりで判断しようとすると、最初だけ爆炎が発生してあとは水流みたいなフェイントもあったりする。結構いやらしい仕様だし、それを間違うことなく使いこなせているのだから大したモノなのだろう。
惜しむらくは、ネセルさんがそれらの涙ぐましい小細工を小細工としてすら扱わずに真正面から粉砕しているという事実だろう。血も涙もない。
いいのをすでに二、三発貰っている成世は鼻血と鼻水と涙を流しながらも、小細工の通用しないネセルさんに対して木符と金符を最高出力で使用して壁や盾を作り上手く防御に使っている。
女性Cが興味深そうに言う。
「形成術の使い方が絶妙ね。構築段階でわざと完成を止めている部分がある。相手の動きが自分よりも速いから、その速さに後出しで対応できるように先立っていくつか置いているのでしょうけれど、その数が尋常じゃない。管理をミスったら一瞬でご破算になるわよアレ」
形成術は物質の形や性質を変化させる魔術である。
ざっくりと説明すれば、物質を解析して、分解して、変質させて、再構築させる魔術だ。例として挙げるのならば、鉄鉱石を好きな形の精鉄にすることができたりする。やっていること自体は魔術なんてなくてもできる製鉄及び加工作業ではあるが、魔力というエネルギーによってその過程を一瞬で行う部分が強みとなる(専用の設備が必要ないのも大きい)。地面が土なら鉱物だけを抽出して頑強な杭を生やしたりすることができたりする。環境に左右される部分はあるが事前準備が必要なく、魔力効率がいいので連続使用による負担もあまりないので、上手く使えるなら便利な魔術なのだとか。使用条件は手で触れて魔力と術式を対象に流し込む必要があるので、先ほどから成世は低い姿勢を維持しつつ頻繁に地面に触れている。
以前、形成術に対して俺が「ハガレンの錬金術みたいだな」とコメントしたところ、刀河には「まぁおおむね間違っちゃいない」と言われたので、やっていることの解釈そのものはしやすい。それでいいのだろうか……? まぁわかりやすさって大事だしな……。
成世はそんな形成術を使用してネセルさんの足場を崩したり、杭の時間差射出を行ったり、地面を津波のように変形させた質量による覆い潰し――と見せかけた目くらましをしたり等々、ありとあらゆる手を使ってネセルさんに対抗していた。
「お、いまのはすごい」
思わず声が出た。
先ほどから何度か形成術によって地面から杭を射出するというのを行っており、その中には時間差で遅れて射出されるように設定しているモノがあった。波状攻撃は有効な手段で、回避や迎撃を迫られ続けるとネセルさんといえど鬱陶しそうな表情を浮かべる。その時間差攻撃に対するネセルさんの解答は雑で、形成術を地面に流した瞬間に震脚で地割れを起こし地面もろとも術式を破壊するという方法で対処していた。力技が過ぎる。
そんな強引な方法で地面への形成術を潰された成世は世の理不尽さを呪いつつも、その後も何度も形成術を地面に走らせる。走らせるが、発動する前に潰されていく。すでに対策されたことを繰り返す成世の行為をネセルさんは訝しく思うも、丁寧に発動を潰していく。
そして、何度目かのやり取りとなる地面への形成術の発動と、それに対する震脚による地割れと術式の破壊。結果は先ほどまでと同じで術式が乱れて不発となる。ネセルさんは踏み砕いた地面など見向きもせずに成世へと肉薄しようとした。だが、そうして目を離した瞬間に割れた地面に術式が走り、杭の形を成した鉱物の塊がネセルさんの後頭部へと激突した。
――成世は形成術を一度に三つ走らせて起動していた。
一つは先ほどまで行っていた、ただの杭の射出。これはネセルさんによって踏み潰された。
一つはネセルさんが直接踏み抜く場所の周囲を囲うように走り、ネセルさんの震脚によって地割れが起きる前に発動して自発的に地面を割り、その余波が周囲に届かないようにしていた。
そして最後の一つは自発的に割れた地面に走っていて不完全な形式で構築された術式であった。それは計算された形に地面が割れたことによって本来の意図した正しい形に繋ぎ直されたのだ。繋ぎ直されたことによって術式が成立し、杭を形作り射出した。
実際に一つの術式は破壊させることで違和感を抱かせないようにした上での意識外からの一撃である。見事と言っていいだろう。
「ほう!」
だが、そこはそれ。学府における最上位戦力筆頭たるネセル=ベイルートがその程度でどうにかなるのなら世の魔術師たちは彼を恐れたりしない。
後頭部に太さ二十センチはある杭がかなりの勢いで直撃したというのにネセルさんは微動だにしなかった。威力だけで言えば厚さ十ミリの鉄板を変形させるぐらいのことは容易なはずの一撃なのだが、露ほども動じていなかった。せめて少しは動いて欲しいが、今の彼からしてみれば飛んでいた蚊がぶつかっただけに等しいので、仕方がない。
ネセルさんは上手いこと自身に攻撃を当てた成世に賞賛のアイコンタクトを送り、ギアを一段階上げることを頷きだけで示した。
今の一撃でこの手合わせが終わるどころかさらに過激になることを理解した成世は「嘘でしょ……?」という表情を浮かべた。絶望がよく伝わってくる。
――そして成世の心は折れた。
先ほどまでは反撃を試みていたのに、今は逃げに徹している。
成世の成長を感じることが出来て嬉しかったのか、はたまたダメージがないとはいえ一撃が入ってスイッチが入ってしまったのか、ノッてきたであろうネセルさんはその攻撃の手を緩める気配はなかった。
――……可哀想に。
一緒に見学している日本支部の魔術師のみなさんはネセルさんの猛攻(通常攻撃)を凌ぐ成世に対して各人なりのお褒めの言葉を送っていたのだが、少しギアを上げたネセルさんの攻撃を躱すことが段々とできなくなり、ボロ雑巾のように宙を舞ったり地面を転がったりし始めた成世ちゃんを見て、次第に口数が少なくなり始めた。
そして更に一分が経過し、完全に動かなくなった成世が出来上がった。
そんな成世を見て、お三方は少しばかり声のトーンを落とし、揃えてこう言った。
「「「かわいそうに……」」」
同情が多分に混じった感想だった。
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手合わせを終えて感想戦に突入したネセルさんと成世を横目に俺と刀河は日本支部の三人と交流を深めることにした。
「あー、昆布茶おいしい……」
この平原にはぽつぽつと東屋が設置されており、俺と刀河と三人の大人はその数ある東屋のうち一つの屋根の下でお茶をしばいている。
「南雲第三席の秘蔵っ子って言うからどんな化け物なのかと思ったけれど、なんだかえらくまともだね」
寂れたサラリーマンみたいな風体の男性Aもとい羽純さんがこちらを見ながらしみじみと呟く。それに同意するかのように頷く他二人。
「半年前ぐらいまでは魔術のことを知らないただの男子高校生でしたからね」
今だってメインジョブは高校生である。魔術師なんてのは副業でしかない。
「……ん? 半年前までは……? つまりはなんだ? オマエはこの半年で魔術を習ってそんなポジションに収まっているってことか? 天才ってやつか? あぁん?」
女性Cもとい宮仕さんが悍ましいモノでも見るかのような目でこちらを見る。語気が少々荒い系の婦人である宮仕さんに俺はいやいやと反論する。
「確かに才能があるとは言われていますよ。といっても、学府にだって短期間で異常な功績を残すような天才はそこら中にいるんですよね? そんな目で見られる謂れはないですよ」
俺の反論に男性Bもとい岩垂さんが首を振る。
「学府にいる天才ってのは厳選に厳選を重ねた存在だよ。血統からして違うのが当たり前。才能があって当たり前の中からさらに突出して初めて天才って呼ばれる。そういった奴らが『席次』と関わるようになるんだ。君は両親が一般人なのだろう? そんな出自であの《第八超越者》の許にいるというのは異常だよ」
岩垂さんは和装に身を包んだスキンヘッドで顔の濃いおっさんである。そんな坊主頭のおっさんに異常だと言われたじろいでしまう。
「なるほど……」
とはいえ、魔術側、それも学府の話となると俺には知識が不足しているのでその道の人たちに言われてしまえば納得するしかない。なのでそういうモノなのだろうと、とりあえず納得しておく。
「まぁ、天木くんの一番の異常ポイントは――」
岩垂さんがそう言ったところで、俺たちが休息している東屋の少し遠くに何かが着弾した。
飛来したそれは地面を抉り取りながら着地して空気と大地を震わせ、俺の手元にある湯呑を揺らして大きな波紋を生じさせた。
少し離れたところにいる成世とネセルさんはこちらには目もくれない。
着弾した物――者が何なのかを理解しているからだろう。
「ただいまー」
スノウ=デイライトはお茶をしばいている俺たちへ向けてやや間延びした声を発した。
スノウは彼氏である俺の贔屓目を抜きにしてもたいへん綺麗で可愛らしい美少女なのだが、足元の地面はクレーターのように抉れているし、その左手の先には白目を剥いた十一、二歳ぐらいの少年が首根っこを掴まれ力なく引きずられている。状況は何一つ可愛くない。
そんなスノウを見て、岩垂さんは小さく小さく呟いた。
「――あのスノウ=デイライトの恋人であるところだよね」
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吾妻兼継は天才だった。
吾妻家は西洋に存在する学術機関である『学府』と古くから繋がりが存在する魔術師の家系であり、その吾妻家における最高傑作と呼べる程の才覚を備えて吾妻兼継は生まれた。吾妻兼継は齢六歳に満たぬ内に吾妻家に伝わる魔術式《音恢》の理論を把握し、独自に改築を施し更なる最適化を行い停滞していた吾妻家に革新をもたらした。
吾妻兼継は九歳になるとともに英国へと渡り、『学府』の本拠地にてその門戸を叩く。それから半年にて研究室を預かるまでに至り、そこで吾妻兼継の行動は一度停止する。目の前に出された課題を解決することは至極簡単なことであったが、研究室という目的を一から掲げる必要のある場所を渡されたことによって吾妻兼継は自分が何をすべきなのかが分からなくなったのである。
学府で吾妻兼継の後見人となったマンダ・リーは吾妻兼継に『体験』と『経験』を勧めた。その突出した才の土台を形成させようとした。世界の広さを理解させ、自らの『足りなさ』を把握させるためだった。
人は自らの不足を知って初めて何をすべきかを考えることが出来る。
そういう意図があって、後見人はそれの背中を押した。
そして、生粋の研究畑の人間だった吾妻兼継は《レッドガスト》と名乗る集団――魔術を純粋な暴力として活用する魔術師たちと交流を持つことになった。吾妻兼継はそこでも才能を遺憾なく発揮し、自らの才を確信するに至る。
幼少より周囲に天才だなんだと持て囃され、学府という才人の巣窟にいてもなお、頭脳と力が秀でていると証明されたのである。
そして、一つの結論を出した。
「ぼくは上に立つ人間なんだ!」
有り体に言えば調子に乗ったクソガキが出来上がった。当然の結果だった。
だが、そんな調子も長続きはしなかった。学府とは魔術師の集積所であり、異常者の爆心地であり、狂人の土壌である。たかが天才より優れた程度の天才が異常者と狂人をどうにか出来るわけがない。
学府第二席が保有する魔術師集団に《五の栄光》と呼ばれるグループがある。
五人全員が学府の上位戦力として個人ごとに記載されており、集団では最上位戦力として扱われる――かのネセル=ベイルートに並ぶ――異常者の集い。そのメンバーの一人が起こしていた勢力争いに不運にも巻き込まれてしまい、兼継は生まれて初めての挫折を味わうこととなる。全治三ヶ月となる肉体の損傷。仲良くなった《レッドガスト》の魔術師たちの半数が郷に帰り、残り半数が土に還ることとなった。
理不尽なまでの不条理に晒され、生まれて初めての挫折を味わうと同時に兼継は心からの渇望を得た。ただ、力を欲した。
それはそれとして、重傷となった兼継を吾妻家の人々は日本に呼び戻した。当然である。才気溢れる次期当主が治安の悪い連中と仲良くなってあわや死んでもおかしくない抗争に巻き込まれたのだからそうなる。結果として吾妻兼継は吾妻家の目の届く範囲――日本支部で療養をすることになった。
――ここまでが刀河火灼に教えてもらった吾妻兼継の来歴である。
そして今に至る……。
「いや、至るな」
状況に置いていかれることに慣れつつあるが、慣れてはいけない気もするのでちゃんと反抗する。
――冷静に状況を振り返ろう。
この交流会そのものは開始時点では至極平穏なお茶会だったのだ。
だが、学府の最上位戦力たるネセルさんとの交流ということで勘違いした日本支部の血気盛んな一部戦闘狂どもがネセルさんの胸を借りたいなどとほざいた。とはいえ、ネセルさんは南雲飾の懐刀でもある。そう易々と力を見せていい立場でもない。折衷案として白羽の矢が立ったのは空海成世である。空海成世を下した者であればネセル=ベイルートの前に立つことを許そう。そんな宣言がなされた。
「イヤだぁああああ! なんで私が戦わなきゃいけないんですかっ! 暴力反対!」
当然のように抵抗する成世ちゃん。まぁ、そらそうよな。
だが、そんな成世にスノウがこう耳打ちする。
――この人たち相手なら、なるちゃんなら余裕をもって勝てるよ。
それは悪魔の囁きと言えるだろう。周囲には上位者しかいなくて、そんな奴らにひたすらにしごかれる日々を送っていた成世にとってそれは甘美な言葉だった。端的に言えば「私つえー!」のチャンスに成世はあっさりと釣られた。自分に振るわれる暴力は嫌だが、自分が振るえる暴力にはそんなに抵抗がない成世ちゃんだった。普通にカスである。
そこから始まるは空海成世による百人組手。
いや、百人もいない。成世の相手となるは六人。日本支部の若手たちだった。
ネセル=ベイルートが遥か高みの存在であることぐらいはわかる。だが、自身がそこに届かないかどうかは別だ。勝つことは不可能でも、触れることぐらいは可能のはずだ。
自身の可能性を確かめたいという疼き。暴走も万能感も若さの特権と言っていい。自身は他とは違い一歩先を往ける、などと思えるのは思慮が足りず世界の広さも底の深さも知らないからでしかない。魔術という特別に触れ続け、その特別によって増長した十代や二十代前半などそんなものだろう。
そして、そんな若手たちを成世は遠慮なくボコボコにした。
空海家は『世界端末』という目標を掲げて失敗した血統ではあるが、失敗に辿り着けるだけの能力はあった。辿り着けてしまうだけの能力があったが故に滅んだ一族だった。
その空海家の最高傑作であり、刀河火灼に保護されたあとは化け物みたいな連中に暴力のいろはを叩き込まれた成世はそんじょそこらの魔術師を圧倒できる力を手に入れていたのである。半年近く血尿と血便を垂れ流しながらも必死に頑張った成果と言えるだろう。
「私ぃ、ちゃんと……つよいぃ……」
日本支部の若手六人抜きをあっさりと成し遂げ、涙ながらに力に溺れている成世を冷めた目で見る少年が一人いた。それが吾妻兼継少年だった。
「あんな奴らに勝ったぐらいで喜んでいるようじゃ程度が知れてる」
吾妻兼継少年ははしゃぐ成世を見てそんなことを吐き捨てるように呟いた。
「そう?」
そして、その呟きを拾ったのはスノウだった。眼前に突如として現れ、覗き込むように見てくるスノウに驚く吾妻兼継少年。
――吾妻兼継は交流会に対してそこまで乗り気ではなかった。支部長に参加するように言われたから不承不承ながらも参加したに過ぎない。最上位戦力であるネセル=ベイルートに今すぐ挑みたいなどとも思わない。上位戦力と呼ばれる『異常』に少しでも届くなどと勘違いした日本支部の身の程知らずどもも、そんな身の程知らずに勝った程度で喜ぶ極東支部の女もくだらないとしか思えなかった。
だが、極東支部のメンバーの一人であるその女性は違った。
まず、その異様さに目を奪われた。
発光しているかと見紛う美しい金色の髪。
宇宙を内包しているかのような力に溢れた青い瞳。
生命力に満ち溢れた肉体。
間近でスノウの顔を見てしまった少年の顔が真っ赤に染まる。
――恋に落ちる音がした。
そんな初めての感情にドギマギしながらも吾妻兼継少年は威勢よく言い放った。
「そうだ! あれぐらいでいい気になっているようならたかが知れてるんだよ!」
「へぇ」
スノウは真面目そうに相槌をうつ。
吾妻兼継少年にとってその反応は珍しいモノだったのかもしれない。温い視線でもなく、馬鹿にしたような視線でもなく、異物を見るような目でもなく、ただ一つの個として、吾妻兼継という個人を対等な人間として、一人の魔術師として、ただそういうモノであると捉えた瞳。
それは吾妻兼継少年が学府で仲良くなった《レッドガスト》の人たちと同じ目だった。柄も口も態度も育ちも悪いヤツらだったけれど、吾妻兼継という幼く未熟な少年を一人の人間として対等に扱った人たち。故郷では特別に扱われ過ぎて誰一人として自分という個を見てくれなくて、誰一人として知り合いのいない異国の地ではするべきこともわからずに立ち尽くすだけだった自分に手を差し伸べてくれたみんな。上位戦力という《異常》が引き起こした争いに巻き込まれて――構えていた拠点の近くで無関係の組織と偶然にも抗争を始め、その余波で壊滅した《レッドガスト》の人たちを吾妻兼継は思い出す。
「ぼくはいずれ最上位戦力となるんだ! ぼくは上に立つ人間なんだ!」
――みんなに仲間と認められた。才能を褒められた。いずれは俺たちの上に立つだろう! と嬉しそうに言われた。そうだ。ぼくは上に立つ人間だ。みんなの上に立つからこそ、みんなの仇はぼくが取らなければいけない。だから、力が欲しかった。上位戦力に勝てるだけの力が。
それはそれとして、目の前の気になる相手に対して格好つけてしまうのが男の子である。
スノウに指を突き付けて、叫ぶ。
「あんたはヤツらとは違う感じがする! ぼくの――おれのモノになれ!」
それは吾妻兼継少年が初めて『おれ』という一人称を使った瞬間だった。一部の人間からは蛇蝎のごとく嫌われそうなプロポーズではあるが、吾妻兼継少年は育ちが育ちなのでその言い方しか知らないというのもある。
「私には将来を誓い合った人がいるから無理」
俺のことだと思うけれど、将来を誓い合った覚えはまだない。学生の身分ぞ?
「―――~~っ! 力尽くで屈服させてやる!」
蛮族か?
「面白いね。最終的には力こそが全てだものね。受けて立ってあげるわ」
通じちゃったよ。……そんなことはないと思いたいのだけれど、これでスノウが負けたら俺は年下の少年に恋人を取られた存在になるよね? あ、その場合は俺が吾妻兼継少年に挑んで勝てばいいのか。いや、スノウに勝てるような存在に勝てるかって考えるとかなり厳しいのだけれど……。
蚊帳の外で状況をなんとなく見守る俺を余所に、スノウは顎をくいっと動かし、吾妻兼継少年を開けた場所へと先導していった。
そうして残された極東支部と日本支部の面々は当初の予定通りに交流会を始めることにしたのだが、成世ちゃんの戦闘とスノウの戦意にあてられたネセルさんが勝ち残った成世ちゃんと試合をすると言い出した。なお、成世に拒否権はない。
他人事である俺と刀河と日本支部の面々はその試合を肴に交流を深めていたのであった。
――以上、冒頭に至るまでの経緯である。
ちなみに所々差し込まれた吾妻兼継少年の心情は刀河が補足してくれた箇所なので実際のところどうなのかは知らん。
そして、成世がネセルさんと遊んでいる間にスノウは吾妻兼継少年をボロ雑巾のようにして戻って来た。
よく見れば吾妻兼継少年の両肩は脱臼しているし、左脚に至っては曲がってはいけない方向に曲がっている。引きずられて地面の凹凸に引っ掛かって振動するたびに欠けた歯が血とともに口から零れ落ちている。出来の悪い人形でも見ているかのような気分になるが、四肢欠損になっていないだけ手加減していたであろうことが窺える。その辺に落ちている歯は……乳歯であると信じたい。十代で総入れ歯なんて悲惨なことにはしていないはずだ。
手元に違和感を覚え――そういえばソレを掴んだままだったと気付いたスノウは引きずっていた吾妻兼継少年をその辺に放り捨てると、俺たちのいる東屋へとやってきた。
「こんにちは。あのスノウ=デイライトです」
どうやら俺たちの会話は聞こえていたらしい。その発言をした岩垂さんがびっしょりと滝汗を流し始める。海底洞窟でGTロボに遭遇したみたいな汗だ。汗って逆立つんだ……。
「慈悲を……」
手の平を空に向け、手の甲を地面へと落とす岩垂さん。命乞いがシームレスに行われる。それに対してスノウは無感情に手を振る。
「や、なんもしないよ。私は私の特異性に自覚的だし、そう言われるだけのことはしている。そして、そう言われることに対して特に思うところはないもの――」
――ただし、と言葉を続ける。
「私の恋人が許すかな!」
「許しましょう」
「許すってさ!」
まぁ隔意はあっても悪意はなさそうなので、こっちとしても特に不快だったりはしなかったしな。ていうか俺に裁定権を委ねるのやめようね?
「助かった……」
無罪放免を言い渡された岩垂さんが安堵の吐息を漏らす。
「俺は詳しいこと知らないのだけれど、スノウは学府でなにやらかしたの? いい大人がちょっとした失言を拾われたら本気で命乞いをするような存在なの?」
未成年だろうと容赦なく叩きのめす姿を見せられたらそりゃ恐ろしいとは思うが、岩垂さんのそれは過剰な気もするのだが。
「…………」
日本支部のみなさんが口を閉ざしてそっと目を逸らす。下手に発言してスノウの不評を買いたくないようだった。俺は仕方なく刀河に視線を向ける。
「言っていい?」
刀河がスノウに問うと、スノウはしばし悩むような表情をしたあと、
「だめー」
語尾にハートマークでもついてそうな可愛らしい口調で却下した。
□■■□
それから交流会はつつがなく進行し、問題なく終了した。
「お前なんかがスノウ=デイライトの伴侶だなんて認めない」
はい、願望でした。終わってくれないね。なんでだよ。
「いや、そもそも伴侶じゃないし……」
治療を受けどうにか復活した吾妻兼継少年はスノウが学府の上位戦力に記載される人物であることを知り、謝罪を行った。
寛容――というか無関心なスノウはそれをあっさりと受理した。なぜかそれでめでたしめでたしとは行かず、吾妻兼継少年はスノウのお相手とやらを見極めるとか言い出した。
どう考えても面倒なことにしかならないので、お茶会を通してアイコンタクト程度であれば成立させられる程度には仲良くなった日本支部のみなさんに即座にスノウとの関係は話さないようにと視線で懇願し、三人ともが協力の視線を返してくれた。……くれたのだが、スノウは基本的に俺のことを自分の恋人であると紹介するのが好きなのであっさりと吾妻兼継少年に教えた。
吾妻兼継少年に詰められる俺。
やれどのような魔術師の家系なのか「一般家庭です」やれ魔術を修めて何年になるか「半年とちょっとです」学府では何をしていたか「強いて言えばアルバイトを少々」と素直に答えたら、
「こんな、こんなヤツに……?」
と、異物を見る目で見られた。
この幼い魔術師さんは偏った考えをお持ちのようですねと考えたが、どうやらごくごく一般的な魔術師である日本支部のみなさんからもその経歴でスノウの隣にいるのは意味不明な存在だからねと目で言われた。ここだと俺の方が常識知らずの扱いを受けるのな。
そして日本支部のみなさんと吾妻兼継少年との間にある唯一の認識の違いは「そんな経歴なんだから異常な何かがあるのだろう」という結論なのだが、吾妻兼継少年はそういう考えをせずに俺がスノウを上手いこと誑かしただけのゴミだという結論を出した。思い込み激しいなこの少年……。
なんて、俺がどうしたものかと考えていると、
「――いいじゃん。やれば?」
ここまでほとんど静観だった刀河が自ら口を開いた。
□■■□
「基本はなんでもありあり。致命傷も可。できれば四割以下の欠損で抑えて欲しい、それ以上だと治すのが面倒なので。ただし脳の破壊はやめてね。私じゃ再生はできても復元はできないから。そうなったら記憶が虫食いで済めば御の字で、最悪の場合は幼児退行――どころか肉体が成長した状態で人生一からやり直すことになる。じゃあ開始。ファイッ」
全く覇気のない語り口でルール説明を行ったあと、刀河火灼は上げた手を振り下ろした。その緊張感のない開始の合図に戸惑うことなく対応した天木秦は意識の比重を非日常へと傾けた。
秦の視線が吾妻兼継という個を捉える。
先刻、スノウ=デイライトが纏っていた雰囲気と同等のそれに兼継は反応する。反射で動く。一瞬で後方へと跳ねた。全力で距離を取った。距離を作りながら防御に集中する。
だが、一秒経っても攻撃はこなかった。
兼継をただ見るだけで、何かをしようとはしなかった秦が今の一連の動きを見て理解したかのように言う。
「あー、君。スノウに何も出来ずに負けたでしょ。それも開幕の一撃で継戦能力を失って、遅れて起動させた防御魔術によって気絶するまでの時間を無駄に延ばした。そうでしょ?」
まるで見てきたかのような言い方。そして、それは事実だった。
兼継はつい数時間前に自身が受けた暴力を思い出す。
吾妻家が有する魔術――そして兼継が発展させた――《音恢》を発動する間もなく腹に掌底を叩き込まれ、身体が自然な反応として胃の中身を逆流させようとしたところを下からの蹴り上げで口を閉じさせられ、行き場を失った吐瀉物は鼻と目へと殺到した。そして、鼻腔と目の奥を駆け抜ける酸味という生まれて初めての感覚にリアクションをすることすらスノウは許さなかった。そのまま足払いを行い兼継の天地を逆転させ――なお、このときのただの足払いで兼継の左脚は開放骨折となった――いつものように無力化の手順として四肢と喉の破壊を行おうとしたところで兼継の肉体に刻まれた防御術式が自動的に起動した。それによって遠退きかけていた意識の回復と防御に魔力出力の殆どが注がれる。吾妻家が組み上げた堅牢な防御は並大抵の攻撃を通さない性能であり、スノウはそれの突破に少々手こずることになった。
――五秒で終わるはずだった地獄が、五分以上も続くことになった。
火灼は暇なので、なんとなく解説役を買って出ることにした。
「スノウって基本的には先手必勝の人なのよねー。何もさせないのが一番確実なのだから、何もさせないためにまずは最速で動いて、何もできないようにさせる。これすなわち必勝なり。単純だけど、一番効果的な手よね」
「それができたら苦労はしねぇのよってなりません?」
隣に立つ成世が一般的な魔術師たちの総意を代弁する。静かに小さく頷く日本支部の人々。
「スノウはそれができるからあんまり苦労しない」
「………………」
無情な答えだった。
そんなあまりにもどうしようもない敗北を経験した兼継は開幕に放たれる最速の一撃を警戒し過ぎて攻勢に出ることが出来なくなっていた。
秦は観衆を巻き込まないように元居た場所から歩きながら距離を取りつつ、兼継に呼び掛ける。
「安心しなよ。俺はあいつほど速くも強くない。さっきは何も出来ずに負けたのだろうけれど、俺が相手ならそんなことはない――」
――だから、
「さっさとご自慢の魔術を使うといいよ、天才魔術師。なんだっけ? オンカイだったかな?」
小馬鹿にするように、見下した目で、嘲笑うように言う。
「なんで煽るんですかね? カスなんですか?」
わざとらしい煽りをする秦を見て成世が疑問を口にする。
それに対して火灼は簡潔に答える。
「煽られた相手がそれで通常通りの調子を維持できなかったら儲けもんだからだよ。煽りってお手軽なデバフ呪文だからね。ノーリスクローリターンならとりあえず使うでしょ」
当然のように煽りが効かない相手もいる。その場合はその行為そのものに意味がないし、下手に言葉を発するとそこから思考を推測される可能性もあるので、実際には必ずしもノーリスクであるとは言えない。ただ、それはリスクとしては微々たるものであり、無視していい度合であると秦は考えていた。
「陰湿~」
「弱者の知恵だよ」
「弱者って……」
そこまで言い掛けて、成世は魔力の奔りを感じ取る。
「後悔ッ――しろッ!」
兼継は秦に向けて右手の人差し指を向けて《音恢》を起動させた。
指先から放出された魔術式が音となり空間を駆け抜ける。
独特な甲高い音が秦の鼓膜を震わせた。音としてのそれを認識している時点で、すでに魔術は着弾している。秦の胸元に切れ込みが走り、血が流れる。
――浅い。
最初の一撃で胴体と切り離すつもりだったというのに、たかだか真皮までにしか届いていないことに兼継は舌打ちしたくなる。
その結果を見ても攻撃の手は止めない。スノウ=デイライトとの戦闘では反応できない速攻の一撃によって沈黙することになったが、速戦即決こそ兼継の――音恢の本領である。
魔術式の音への変換。音として発された魔術式は起動時に指定した箇所に着弾すると音から魔術式へと戻り、込めた魔術――この場合は切断の魔術――が起動する。
指向性を持たせることによって暴発はなく工程も少なく済み、魔力の調整も容易。吾妻家が長い年月を掛けて研鑽したこの術式は魔力の変換ロスもごく僅かで済む。技術のある者が真似をしようと思えば出来るだろうが、表面上の工程をなぞったところでその変換効率は模倣できない。そうした吾妻家の血筋でないと扱えない魔術を生来の内包魔力が多い兼継が使うとどうなるか。音速の波状攻撃。例え浅くしか切れなくとも、それを数十、数百、数千、数万と叩き込めば関係ない。秒間三千の斬撃が天木秦の胴体を粉微塵に解体する。
――筈だった。
「――――?」
秦が駆けている。
音は届いている。
魔術も起動している。
――では、どうして切断が不発となる?
不発ではない。起動しているがそれと同時に打ち消されている。
兼継がそのことに気付くのは秦が一足の距離に迫った段階だった。
秦はその手に武器を握っている。
「ごめん」
兼継の視点ではいつの間にか手に握っていたソレ――長さ一メートルほどの金属製の棒を秦は振り抜く。風切り音の中に軽い衝突音が混じる。顎先を掠るように振り抜かれた一撃は兼継の脳を激しく揺らし、その意識を一瞬で刈り取った。
防御術式及び意識回復のための治癒術式の自動発動もその起点となる部分――右肩、左胸、臍下――を突いて別の術式を流し込むことによって阻害する。
意識のない兼継はそれに抵抗することも出来ず、完全に無力化された。
成世が言う。
「――弱者? あれが?」
気まずそうな顔をしつつも兼継をお姫様抱っこして自分たちのいる場所へと向かってくる秦を見て、日本支部の人たちは遠い目をした。
――スノウ=デイライトとは別ベクトルで十分に化け物では?
みんな思ったけれど言葉にはしなかった。
□■■□
兼継少年の患部を触診した刀河が笑いながら言う。
「下顎が粉々じゃん。ウケる」
「私もちょっと前に下顎吹っ飛んだけれど、喋りづらくなるんだよね。不便」
「待って。スノウさん待って。俺それ知らない。いつ? いつそんなことになったの?」
スノウの至極平然とした感想に俺はめちゃくちゃ驚き追及してしまう。
「年始のときだよ。占い師の件で出掛けたときに神父に襲われたときのやつ。あのときはちょいと危なかった。次は逃さずに仕留める所存です」
「えぇ……」
あのときか……。俺が見たときには既に再生済みだったということなのだろうけれど、そんな重傷負っていたの? そっちの話を深掘りしなかった俺も悪いけれど、教えてくれてもいいじゃん……。いや、スノウからしてみればあんまり重要なことじゃなかったんだろうけれども。
スノウの発言にドン引きする俺の横で日本支部のお三方もドン引きしている。
「神父って、教会の断罪人と会敵したってことか……?」
宮仕さんがスノウを怪物でも見るかのような目で見る。
「断罪人と戦って生きているだと……?」
「言い方的には敗走させているかのような感じなんだけど」
「えぇ……」
呆れた声を漏らす羽純さん。
「どちらも敵対したくないな」
くわばらくわばらと手を合わせる岩垂さん。魔術師ってだけで教会の人間からは抹殺対象なのでは? と思うが、口には出さないでおく。
なんて、そんなやり取りをしている間に刀河が一先ずの治療を終えていた。
「――はい。とりあえずこんなんでいいか。顎外固定の器具を付けるほどではないけれど、一週間ぐらいは大口開かなければ大丈夫かな。できれば数日は流動食で顎に負担を掛けない方がいい。しっかり診て欲しいのなら後で時間を設けるからそのときは言ってね」
そう言いながら兼継少年を俺に差し出す刀河。
なんで?
「手合わせ後の反省会、するでしょ? 私たちは先に上に戻っているから、起きるまでスノウと一緒に見ていてあげて。目が覚めたら今言ったこと伝えてくれればいいから。それじゃ」
刀河は成世の手を取ると、魔術を行使してこの空間の出口を出現させた。出口というか、エレベーターの扉を出現させた。このエレベーターは極東支部の地下に繋がっているものである。――そう、この交流会は極東支部の地下にある拡張空間の一つにて行われていたのである。
刀河と成世は日本支部の人たちを連れてぞろぞろとエレベーターに乗り込む。どうでもいい補足として、エレベーターは大型商業施設にあるようなデカいタイプなので、五人が乗り込んでもスペースには余裕がとてもあったりする。
途中までは南雲さんとネセルさん、日本支部の方の重鎮っぽいお爺さんとお婆さんとおっさんがいたのだが、兼継少年が俺に喧嘩を吹っ掛けたタイミングで先に上――事務所のほうに戻って会談へと移行している。刀河も早々にそちらへ向かうつもりだったようだが、治療技術が一番高いのが刀河だったので残って貰っていたわけである。面倒を掛けるね。
刀河たちを見送ると、広い平原に俺たち三人だけとなる。
平原の草を撫でるように柔らかい風が吹き、俺やスノウ、まだ意識が戻っていない兼継少年の髪が揺れる。心地よい風だ。……ここって魔術で作られた空間だから、風が吹くのはおかしいのでは? などと思ったが、まぁ、たぶん魔術的なアレソレで気温の調整も兼ねて空気が循環しているのだろうと雑に納得しておく。
しばしぼうっとしていると、スノウが疑問を口にした。
「急いで仕留めたよね? どうして?」
「あー、わかる?」
「秦くんのことだしね。なんかこう、最初はいい感じに引き分けとかに持って行くつもりに見えた。なのに、いきなり戦闘不能にまでもっていったからちょっと驚いた」
「流石は俺の彼女。考えていること明け透けじゃん。浮気したら秒でバレそう。しないけど」
「私が一番なら火遊びしてもいいよ? ちゃんと帰ってくるならよし」
ラオウ系彼女?
「しないって」
「うん。しないってわかっているから言ってる。その上で、こうやって寛容な発言をすると私が器の大きい女に見えるでしょ? それで、秦くんはそういう人が好きでしょ?」
したたかだぁ……。
スノウさんの疑問に答えることにする。
「えっと、兼継少年の魔術がな。ちょっとまずかったんだよ。だから早急に畳む必要が出た」
「音恢だっけ? 私は使わせなかったし、秦くんもそんなに効かない感じだったじゃん」
「そうだな。一回受けて解析出来たから、大まかな仕組みは把握したんだよ。最適化はできないから魔力効率が悪いけれど、俺なら無視できる程度だったから術式を組み立てて逆位相で打ち消しをし続けられた」
実際、最初の一発で《音恢》を把握した時点であの切断を音として飛ばすことに関してはどうとでもなった。
「それがどうしてマズいことになるの?」
「音恢ってそこが本質じゃないんだよ。魔術を音に変換して飛ばして着弾と同時に起動させるのは応用というか副次的な結果なんだ。まぁ、それを極めると兼継少年がやったみたいに音速で波状攻撃を仕掛けるという普通に頭おかしい攻撃になるんだけれど、大事なのはそっちじゃなくて……、ちょっと待ってくれ、なんて言えばいいのか今考えている」
スノウの眼前に手のひらを向けて「ちょっと待った」のポーズを取ること十秒。適した言葉が出る。
「生物とかに対して洗脳じみたことができる。正確に言えば言霊かな。早い話が催眠や暗示。誤認の刷り込み。複雑な条件付けは無理だけれど、動くなとか、伏せろとか、そういうのができる。というかシンプルにしている分だけ術式の強度が高くて、生中な魔術師だと防ぎようがない」
しかもこれ、誤認をさせるという部分が強力で、火傷とかそういう人体の反応まで引き起こさせることができるのがすごい。「燃えろ」って言えば、高温に晒されていないのに肉体がそうなったと錯覚して全身が水ぶくれになるようにさせるとかもできる。なにそれ怖い。
「秦くんは催眠効かないじゃん」
「まぁ、そうなんですが……」
世界端末の副次効果として精神干渉耐性があるので、俺はそういうの全般が効かないのである。もうそれだけでかなりの数の魔術師に対して優位性があったりする。あと、スノウにも催眠は効かない。スノウは生物としてのスペックが全体的にその枠を超えており、このレベルの精神干渉には俺ほどではなくとも耐性がある。
「一番の理由はその先で、兼継少年が使う音恢は事象――世界に対する干渉ができるんだよ。この音恢は存在に対して作用する。魂という事象に干渉し、その在り方を捻じ曲げる」
精神干渉の言霊。
音速の波状攻撃が可能な殺傷魔術。
シンプルではあるが応用性の高い二種。
そして、吾妻兼継という少年が切り拓いた《音恢》の可能性のその先、彼だけが辿り着けた音恢の本質。その境地。悍ましき制圧の祝詞。言葉による存在への強制。――魂への干渉。これが一番の問題だった。
正直、前者二つはタネが割れれば大したことはない。
音は音でしかない。振動でしかない。空気や物質を伝う震えでしかないのだ。
その震えが伝わらないようにさえすれば簡単に防げてしまう。俺は万全を期すために逆位相による打ち消しをしたが、妨害だけであればもっと単純でいい。
そう、伝う震えを邪魔すればいいのだ。間に音を遮断する壁を作るか発される音を掻き消すような衝撃を生み出せばいいだけ。それでたとえ完全に消せなくても、著しく減衰して威力は微々たるものになる。遮音の魔術とかもあるしな。――いや、勿論それに対する対策だって吾妻家にはあるのだろうけれど、少なくとも対策の対策が必要になる時点で押し付けが弱いのだ。タネがわからない初見の相手にはかなりの強さを誇るだろうし、それで十分だったのだろうけれど、ネタが割れた時点でゴリ押しが通用しないのは弱いのである。
本当に強力な暴力はネタが割れようがタネがバレようがゴリ押すだけでなんとかなるものだったりする。酷い結論だけれど俺の周りの強者どもが大体同じ認識なので真理なのだろう。
そして、吾妻家の最新であり最高である兼継少年が辿り着いたソレにはそのような生温い対策が効かない。言葉として発した時点で世界への干渉を引き起こし、対象の存在――魂に作用する。遠くなれば指数関数的に世界からの抵抗が強まるため射程も精々が数メートルから十数メートルで、そのくせ魔力の消費量が膨大で日に数度も使えないとはいえ、使用さえすればまさしく必殺となる魔術式。術者が対象を射程距離で捉え、起動した時点で回避も防御も不可能な――魔術師が使う変則防御も上から塗り潰せるような――暴力的な魔術。
その《音恢》は使用さえできればスノウにも届く脅威だった。
俺のためにも、兼継少年のためにも、それを使わせてはいけないと理解した俺はスノウと同じ手段を取ることにした。それ以上の行動を許さないことにしたのだ。
「――あぁ、なるほどね。それは確かにマズいね。コレが精神への干渉としてではなく、魂への干渉として音恢を使用したら大事になる可能性があったね」
精神干渉耐性ならば問題はない。その程度は特別であっても異常ではないから。
だが、魂への干渉に対する消失反応は特別ですら生温い。異常だなんて段階ではない。
上位階への越権行為。
触れようとすることそのものが間違い。
そのようなことを行動に移そうとした時点で滅びは免れない。
第八超越者でもなければ瞬時に蒸発する愚行。
それが示すのは神や世界、或いはそれに比肩する存在への触発。
場合によっては俺の『世界端末』という性質が露見する可能性――そのきっかけになり得るかもしれない可能性はあった。
流石にそれは看過できないため、さっさと状況を終了させる必要があった。
「でもまぁ、うん。兼継少年は口だけじゃなかったな。この子普通に強くね?」
切断魔術を音にして秒間三千発で飛ばすとか、普通の魔術師なら一瞬で粉微塵だろう。成世が相手だったら負けていたと思う。
「いや、弱いでしょ。私の先置きでもない初撃に対応できなかったし」
「………………」
先置き、というのは肉体派の魔術師が扱う技術の極致とも呼べるモノで、平たく言うと「活動電位(電気信号)より早く行動を開始して終了させればだいたいの相手はなにもできないよね?」という天才どもが考えた馬鹿の理論を全力で成立させる技術だ。対処方法は先に先置きするか、亜光速を超える反応速度で展開される自動迎撃防御的な魔術を予め起動しておくしかない。無茶言うな。
「魔術師なのに肉体性能に重きを置くのってなんなんだろうな……」
こう、創作とかだと魔法使いとかそういう系のやつって後衛だよな。
「人間はどこまで行っても形而下にあるのだから、そうなるのもむべなるかなじゃない?」
「そうかなぁ……そうかも……?」
魔術の根底にあるのは奇蹟の再現だ。そこにあるのは上位階への到達だ。神や世界という在り方へ近づこうとするのなら、肉体という器に囚われていてはいけないようにも思えるが、魔術を技術として捉えている節のあるスノウにとってはそれでいいのかもしれない。
「まー、コレは元々が研究畑の人間だったって聞くし、殺し合いというモノに対する認識がぬるいのは仕方ないのかもね」
「コレて……」
呼び方がぞんざいなのは薄っすらと機嫌が悪いからだろうなぁ……。
俺に対する害意を滲ませたせいでスノウの中での評価が落ちている。たとえ兼継少年が俺をどうにも出来ないと分かりきっていても、それでも、俺に対して刃を向けたという事実が許せないのだと思う。
俺の膝を枕にして眠る兼継少年を見ながらスノウは言う。
「仕方ないで済んでいる内に、たくさん失敗するといいよ」
□■■□
「私、思ったんです」
「フム?」
「あのツンツンした少年のこと、わざと先輩に嗾けましたよね?」
ツンツンした態度の少年こと吾妻兼継のことを思い浮かべながら疑問を口にする。
「おぉ~。わかる? 成世ちゃんてば鋭いねぇ」
極東支部の事務所内にはワンフロアの三分の一ほどを贅沢に使用した厨房があり、私と刀河火灼さんはそこで調理をしていた。
本日のメニューは中華である。
交流会――親睦会なら立食形式のビュッフェか丸テーブルで中華っしょ! という謎の持論をぶちかました火灼さんが自ら厨房に立っている。私はそのアシスタントだった。和食には自信があるけれど、中華や洋食は詳しくないので火灼さんに言われた通りに事前準備をしている。まぁ、事前準備って言っても下処理とかの仕込み自体は昨日の時点で終わらせているので、調理器具の準備とかがメインだった。
「鋭いっつーか、先輩に対してわりと過保護なところがあるのに、日本支部は南雲さんの影響が及ぶ範囲とはいえ直轄ではない――そんな人たちから刃を向けられることを許すだなんて、なにか考えがあるんだろうなー以外の感想は出てきませんよ」
「まー、その通りだわ。じゃあ次の段階ね。どうして私はそうしたと思う?」
「犯行動機ですか……」
ホワイダニットというやつだろう。
「成世ちゃん、火灼さん罪は犯してないよ……? 言葉選びに悪意があるよ? 語弊があるよ?」
「やっぱり、わかりやすくマウンティングですかね? わからせ、ってやつですね!」
今日の結果を見れば極東支部の人員が日本支部の人員より『暴』に優れていることは明白だろう。そして暴力は単純だが強力な交渉材料となる。とりあえずそれさえあれば相手を交渉のテーブルに強制着席させつつ有利な条件を押し付けられる。やはり暴力、暴力は全てを解決する!
「おっ、クソガキの発想。ちなみに不正解。ていうか引っ張る気もないからさくっと教えるけれど、お披露目だよ」
「お披露目」
思わず復唱してしまう。
「そ。厳密に言えば、成世ちゃんと天木のお披露目。正式に南雲の派閥の人間として顔を広めていくことにしたからね。今日はその第一歩だよ。外に向けて知らしめるのは数年後になるけれど、内々にはこうやって少しずつ浸透させていくの」
「私はともかくとして、先輩は隠さないとダメじゃないですか? ほら、先輩ってアレじゃないですか。表に出していい存在じゃないでしょ」
「隠し続けるのにも限度があるからだよ。だからこの半年で表に出しても問題ない段階まで磨き上げた。南雲飾が直に面倒を見るだけの価値がある存在、それを日本で見つけたという噂に信憑性がある段階まであいつの環境を押し上げた」
「へぇー」
――南雲飾が日本で手駒の育成をしている。
――第二のネセル=ベイルートを獲得しようとしている。
と、そういう物語を用意したとのことだった。
実際に私や先輩の他にも、有望そうな日本原産魔術師のスカウトはしているとかなんとか。
本日の交流会はその手駒の中でも特に見込まれている二人を用意した。一人は地方で年月を重ねた魔術師の家系で、同世代の魔術師の中では群を抜いている。――私、空海成世のことだ。
大本命のもう一人は魔術師の家系ではない。お遊びで魔術に傾倒していた人間ですらない。正真正銘の一般人。『原石』と呼ばれる偶発的に発生する才能。正しく研磨すれば魔術界において新たな可能性を持った祖となり得る天然の最高峰。世に十六人しかいない『超越者』のうち二名はその原石であるらしい。ちなみに私は『超越者』がどういうものなのかを詳しく知らない。南雲さんがソレであることは知っているが、私からしてみれば「なんか胡散臭くてすごいひと」でしかない。
とまぁ、話は逸れたがそういう筋書きなのである。天木先輩一人だけだとその異様さが目立つから、私という「それなり」の魔術師も並べられると丁度良かったのだそうで。……要は当て馬だった。
「スコール=デイライトが席を確保するために動き、その際に妹を南雲飾がいる日本に送り込んだ。送り込まれたスノウ=デイライトはそこで南雲が拾っていた『原石』に出会い、二人は恋に落ちる。実に劇的だね。……ロマンチックな言い方になったけれど、南雲の秘蔵っ子とデイライトの長女だ。格の釣り合いも取れているから、おかしなとこがない」
「三流作家が書きそうなプロットっすねー」
「でも、道理は通るよ。荒唐無稽な真実よりはよっぽどね」
「実際に日本支部の人たちは先輩がツンツン少年を瞬殺(殺してない)した姿を見て納得していましたしね。ネセルさんの再来として先輩を認識している感じでしたし……。誰も先輩についてそれ以上の詮索をしようとはしていないから、火灼さんの思う壺って感じでしたね」
「人間って納得が優先されるよねっ!」
火灼さんは中華鍋を豪快に振り回しながら私にサムズアップした。
ジャイロみたいなことを言う……。
――結局、南雲さんも火灼さんも天木先輩を中心として動いているのだ。どこまでも、どこまでも。それを羨ましいと思えるかと言うと、微妙なところだ。こんな人たちに常に意識されながら囲まれながら生きるなんて疲れそうだし……。というか、その二人ほどでないにしろ私だって先輩を軸にしている節がある。あんなんでも命の恩人だ。今現在も命の恩人なのだ。なんのメリットもないのに、私を生かすために代償を支払い続けているお人好し。
「それなら、私がネセルさんにシバキ回された甲斐もあるってもんですね。説得力も増したでしょうし」
そう考え、本日受けた理不尽を納得させて飲み込む。
が、火灼さんは笑って手を振った。
「いや、アレはネセルが暴走しただけだよ。成世ちゃんの六人抜きと、スノウと天木が幼き上位戦力候補を一蹴したってだけで十分だもの」
「………………すぅーっ――」
その直後、厨房内にて臓腑から絞り出したかのような怨嗟の絶叫でネセル=ベイルートの名前を叫ぶ少女の姿がそこにはあった。
□■■□
その後、俺とスノウは目が覚めた兼継少年と反省会を行った。
兼継少年は俺が音の斬撃の性質を把握したことと、消費魔力度外視の不格好な模倣によって相殺を起こしたという事実に驚愕していた。そして、初撃の時点で把握できた《音恢》の性質と本質である「魔術の音への変換」「言霊」「言葉による世界への干渉」を挙げ連ねると黙った。
「たったの一回で音恢を解析した……? それも、ぼくが辿り着いた段階まで……?」
そんな感想を漏らしながら異常なモノを見る目でこちらを見てくる。
「俺はそういうのができる性質なわけ。とはいえ、把握はできても再現は無理なモノもある。血による最適化だってないしな。音への変換ですら効率が悪過ぎた。再現性も確実じゃないから不発もいくつかあったし、真正面から撃ち合い続ければ俺は簡単に競り負けるよ。言霊の方は防ぎようがあるけれど、言葉による魂――存在への干渉はマズいと思った」
だからさっさと畳むことにしたのだと、嘘ではないけれど真実ではない伝え方をする。
「……なんで、それを教えてくれるの?」
「なんでって、今日は交流会で、さっきの手合わせは君と俺の交流戦だ。やることやったらあとは感想戦をするものだからね」
「…………」
この子供は敵意を抱いて向き合ったつもりなのだろう。だというのに、そのことに対して思うところがない俺を不気味だと思っているようだ。敵意を持って相対した人間が眼前にいて平然としていることが理解できない、そういうよくある機微は理解できるのか。
訝しむ兼継少年を見てスノウがこちらの言葉を引き継ぐ。
「当然だけど、全てを教えるわけじゃないよ。そしてそれはあなたも同じ。話してもいいと思ったことだけ話せばいい、それだけだよ。とりあえず私から言えることは、もっと身体を鍛えたほうがいいってことぐらいかな。思考に対して肉体が追い付いてない。実戦経験の少ない魔術師によくある傾向だね」
スノウは魔術師というよりかは戦士みたいなアドバイスをする。ただまぁ実際にそれは正しいのだろう。今回だってルール無用みたいな感じではあったが、殺さないこと、後遺症を残さないこと、終わればノーサイド、そういった前提はあった。けれど、もしもこれが殺し合いであればそんな前提は存在せず、兼継少年の命もすでになかっただろう。
日常で不意に殺し合いが始まることは滅多にないだろうが、魔術師である以上ただの一般人よりもその可能性は高い。であれば、そういったもしもに備えておくのは大事だろう。
……認識が暴力に汚染されている気もする。
「次は俺からだな。まずは――」
その後、俺とスノウは伝えても問題ない範囲で兼継少年に思いつく限りのアドバイスを送った。スノウからは武器の使用と携行。俺からは魔術式の改良と使い方の応用。その他適当。
最初は眉をひそめるばかりだったが、天才と呼ばれるだけあるのかしっかりと説明し、根拠を示し、実際に例示してみると早い段階で疑いの目を引っ込めて貪欲に知見を求め始めた。探求心が強いのだろう。そして純粋さが残っている。
そうしてたっぷり一時間近くの時間を費やしたあと、刀河にそろそろ上がってこいと連絡があったので三人で事務所へと戻った。
その頃にはもう兼継少年との間にあった摩擦は殆どなくなっており、その後の会食では問題なく雑談をすることができるぐらいには親睦を深められていた。
――こうして交流会は無事終了した。
成果として、俺は日本支部の人たちと連絡先を交換した。
兼継少年に至ってはスノウともども懐かれたようで、京都にある吾妻家の本家に招待したいと誘われた。魔術師の家に行くとなると刀河や南雲さんに一応の許可を取る必要は出てくるが、スノウも一緒であれば概ね問題ないだろうということで、頷いておいた。
――あと数日もすれば新年度となる三月の下旬。
出会いと別れの季節。
ここ最近は至って平和で平穏だった。こんなに日々が続けばいいのにと思ってしまうぐらいには穏やかに過ごせている。この調子で四月を迎えられそうではあるが、はてさて、春というのは得てして変化の時期である。本人が望むと望まざるとに拘わらず変化が起きるものだが、願わくは、何も起きないで欲しいばかりである。
本文中に記載するほどでもない自問自答。
Q:雷と風は五行思想の木行に含まれるのでは? 八卦の震と巽だよね?
A:木行を木に特化させた結果、雷と風を別のところから引っ張ることにした形っぽい。というよりも、一度は切り捨てたけれど、改めて取り組もうとしたら上手くいかなくて別口から入れようとしたんだと思う。風神雷神なんだろうけれど、中国の道教由来ってよりかは手前のインド神話のほうだと思う。そっちとの混成が起きているからか火の魔術は他の術式とほんの少しだけ毛色が違ったりするのですが、特に描写はしていません……。




