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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
三章『その目に映るのは』

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◆二十話:レール

「で、あんた誰? 名前は?」


 俺はそいつに改めて訊ねた。スノウの身体を使うそいつに。


 ……少し待つが、何かを考えているのか名乗らない。なので、適当なことを言う。


「なるほど、スノウ(それ)の名前も俺の呼び方もわからないのか」


 名前がわかっているのならば、まずは騙るはずだ。俺の名前を呼ぶか、スノウの名前を名乗る。それだけで良かったのにそうしなかった。――まぁ、俺の名前はさっき名乗ったので意味がないというのはあるけれど、だとしても個人間での呼び方というモノがある。敬称付けや愛称呼びだけでも本人確認の一助にはなる。でも、そうはしなかった。


「つーことは記憶とかまでは乗っ取れていないわけだ。いや、その場合だと乗っ取りじゃなくて間借りみたいなモンなんだっけか」


 刀河の言葉を思い出す。


 肉体の乗っ取りは乗っ取り先の脳以外へ情報体を繋げる技術だという。脳の代替として魂などを使用するわけだ。やっていることは五感のジャックと言っていい。その間、本人の脳や魂は眠らされている――或いは、眠っているから間借りできているとも言っていた。


 対処方法としては、本体を起こすのが一番手っ取り早い。


 さて、どうしたものかと自分が取るべき算段を考えていると、


「――どうして、私が違うと思った? いや、違うな。どうやってコレの元と区別を付けた? 制御しやすいようにするため、髪や目は変質させている。この状態を一目見て、元を判別できるのか」


 スノウの身体を使っている存在が不思議そうに訊いてくる。


 ……人の質問には答えないくせに、自分の疑問が通ると思っているのか?


「まず、名乗れ」


 思った以上に語気が荒れてしまう。


 冷静でなければダメだと自身でもわかっているが、上手く落ち着けられない。


 そいつは名乗った。


「サン=デイライト」


 ――覚えている。ほとんど名前しか知らないけれど、俺はそれを知っている。


 サン=デイライト。それはデイライトという魔術師家系の起源。いわゆる始祖。いわゆる初代。


 そいつ――サン=デイライトを名乗る存在がスノウの肉体を乗っ取った上で目の前にいるという事実に思わず頭を抱える。


「あー…………」


 ――常々考えていたことがある。


 魔術師の本質は血による性質の継承だ。そして、それが目指し行き着こうとしたのは一つの永遠。同じ本質のモノが続き続ければそれはある種の永久とも言える。魔術師が長い――永い時間を求めるのは、人生が『何かを成す』にはあまりにも短いからだ。だから、本質を繰り返すことによって仮初の永遠を手に入れようとした。だが、どうしたって血を混ぜ続けることによってソレは変性していく。一つの個体を長引かせても劣化には抗えず、完全な複製は叶わず、継承によって繰り返そうともズレが生じていく。ヒトの仕組みに乗じるのが一番安定するとはいえ、それではダメなのだ。


 サン=デイライトという人間が望んだ願いがあったとしよう。彼は魔術師という道を選び、大願成就を子に託した。でも、それを子孫が叶えたとして、それで「よかったね」とはならない。それはサン=デイライト本人が叶え、辿り着かないと意味がないからだ。――では、どうする?


 スノウには吸血鬼の因子が混ざり込んでいる。もしかしたら本人が知らないだけで他にも色々入っている可能性もある。素の身体性能で明らかに人間離れしている部分が多々あるので、その可能性はわりかし現実味を帯びている。重要なのはその因子を引っ張り出す“先祖返り”という現象だ。


 スノウには『世界端末』を探す“探知機”としての性質とは別に、生殖本能が強いという特徴がある。これは決してスノウが好色(スケベ)だというわけではなく、デイライトが目指す到達点、その過程において世界端末の因子を取り込む必要があるからだろう。(いや、あいつ自身が好色でもあるのだけれども)


 ――世界端末を宿すための母体。

 ――先祖返り。

 ――血の継承。


 きっと、条件は特定情報の流入だろう。俺とスノウは魂で繋がっており、スノウには“濾過後”とはいえ、世界の情報が入り続けている。条件付けが完全ではなかったのもあるのだろうけれど、おそらく、スノウは条件を満たしていた。だが、それを引き起こす切掛が今まではなかった。


 ――それが“今”なのだろう。


 一通りの考察が済んだので、サン=デイライトの質問に答える。


「顔は同じだからね、そりゃ分かるよ。――でも、顔つきが違う。声の出し方も違う。……それにさ、スノウ(そいつ)は俺に助けを求めないんだよ。もし、スノウだったら、きっと『逃げて』って言う」


 あいつは俺のことを信頼しているだろう。それは自信を持って言える。


 けれど、信用はしていない。それも、自信を持って言えてしまう。


 ――おそらく、スノウが信用しているのは刀河だ。少なくとも、俺の知る限りでは。


「コレと親しいのか」

「恋人です。清く正しいお付き合いをさせていただいております」


 そう言うと、サン=デイライトは目を見開いた。それはスノウがしないような表情だったので、珍しいモノを見られたという気持ちが少しだけあった。


「そうか、では、貴様が“端末”か」

「そうだよ」

「ほう、自覚まであるのか!」


 サン=デイライトが嬉しそうに言う。そりゃ嬉しいか。嬉しいだろうな。まだ途中とはいえ、その成果がわかる瞬間というのは誰もがそうなるよな。


「はぁ……」


 思わず、嘆息を漏らしてしまった。


「浮かない顔だな、どうした?」


「いえ、なんとなく、状況が分かった気がして……。一応の確認ですけれど、スノウ――その身体の持ち主は気絶していますか?」


「しているな。そうでないと私は浮かび上がれない。そもそも、この浮上そのものが誤作動に近いというのもあるし、どちらかと言えば防衛本能によって引きずり出されたとも言える」


「防衛本能?」


「私が動かさなければ、この男に破壊されていたのだからな」


 目線をウォンの方へと向けるサン=デイライト。


 こちらもウォンへと視線を向け、確認する。


「そうなの?」


 気まずそうな表情をしたウォンが頷く。


「ソウデス」


「……見捨てておくべきだったかー。恩知らずだったかー。口だけ義理人情かー」


「いやっ、ちょっ、知らなかったんだから仕方なくないかなぁ?」


「はいはい。とりあえず、少しでも恩義に報いたいのならその手を離してくれます?」


 そう言って、未だにスノウの首を掴んでいるウォンの手を指差した。



 □■■□



 剣呑な雰囲気が霧散したこともあり、俺たち三人はスノウがテントを設置していた場所に移動した。


 アウトドアチェアが二つあったので俺とサン=デイライトがそれに座る。ウォンは立っている。


 ――年長者を立たせるのはどうかと思ったが、スノウの中にいるサン=デイライトはアレだし、俺は俺で実年齢に二十数年ぐらいは記憶が追加されているので実質年上と言えるだろう。言えるか? 言えない気がするな。言えないな。


 まぁ、この椅子はスノウの私物なので、こちらが使うのが当然だろう。ウォンも自分が立つことに疑問を抱いていない。


 そして話を聞いてみると、神父の襲撃やその撃退までは理解できたが、ウォンの登場だけが唐突過ぎてキレそうになった。というかキレた。「なんかすごい気配のヤツがいるぞー」でこっちの地元にいた段階からスノウをストーキングしているのもアウトだし、ソロキャンを満喫するスノウの様子を森の中で気配を隠して窺っていたという時点で変態の所業だ。それでスノウが神父と戦闘を始めたかと思えば、触発されて疼きが抑えられなくなり横から乱入して殺す寸前だったという。


「アンタ何がしたかったんだよ」


 強そうな人間に決闘を挑むとか、現代でそんなことをする人間がいるという事実に驚く。本人は至って真面目そうだから尚更理解できない。戦闘狂って現代で成立するのか。


 そして、肝心な人探しの仕事は進捗が芳しくないそうです。


 ……仕事への姿勢が酷い。こんな大人が居ていいのだろうか。


 ウォンに詰め寄る俺に対して、サン=デイライトがどうどうとなだめてくる。


「まぁ、そういう輩もいるだろう。そう責めてやるな」


「ほら、襲われた本人がいいって言っているし、そのへんにしてくれていいんじゃないかな?」


 襲われたのはスノウであってサン=デイライトではない。


「……いや、スノウもそこまで気にはしないかぁ」


 スノウにも戦闘民族みたいな部分はある。好戦的というよりかは割り切りの基準が一般人と違うのだ。場合によっては戦闘もやむなし、という考えだし、そうと決まれば恨み言など吐かないので、ここで俺が怒るのはお門違いなのかもしれない。……いや、我彼氏ぞ? 怒るのは当たり前だよな?


「――ふむ。それで、これからどうするんだ?」


 憤懣やるかたない気持ちを抑えきれないこちらを余所に、サン=デイライトが話を進めようとする。


 だが、それについてはほとんど決まっている。


「どうすると言ったって、あなたはそのうち消えるだろ?」


「そうだな。そう時間もない」


「じゃあ特に言うことはないよ。早く消えてくれ」


「……その、キミ、私に対して厳しくないか? 私はこの子の先祖なのだけれど」


「いや、先祖とかもうほとんど他人でしょ? 遺伝情報がちょっと似ているってだけで関係者ヅラするのってどうかと思いますよ? ていうか、サン=デイライトって二十代以上前ですよね? それだけ離れていると遺伝情報が残っているかも微妙ですし……。もう似ているのって塩基配列ぐらいなんじゃないかな? それってチンパンジーと大差ないですよね。その程度で関係性があるかのように主張されても対応に困りますよ」


 暴論の自覚はある。先祖返りに乗じてサン=デイライトという情報が浮き上がっている以上、少なからず遺伝情報は継がれているのだろうけれど、そこはそれとして、“親の願いが子供を縛る”みたいなのが好きじゃない自分としては心情的にも看過できない。それ以前に、スノウの身体を使われているのも普通に不愉快だし、亡霊が今を生きる人間を押しのけてしゃしゃっているのも個人的にはいただけない。


 ――思った以上に言葉尻に嫌悪が滲んでしまった。


 サン=デイライトは黙ったので、ウォンの方へと話を振る。


「ウォンさん、これは最初に言うべきことでしたが、――スノウの助命、感謝します」


「……殺そうとしていたのもオレだけれど?」


「両者同意の殺し合いにおいて加害者なんて言葉は生じませんよ。あの時点では生かすも殺すもあなた次第だった。その上で、あそこで殺すのを止めたのは俺の願いを聞き届けたことに他ならないです。だから、感謝を」


「そっか。まぁ、それならこれで貸し借りなしってことにしようじゃないか!」


 これで手打ちとばかりに手を打ち合わせるが、


「いえ、そうとはいかないんです」


「……だよな。明らかに釣り合い取れてないし、マッチポンプに違いはないからな。勢いで誤魔化そうとした部分があることは認めよう。何をすればいい?」


「違います。むしろこっちが借りを作っている状態です。だから、どうしたものかと考えています」


「えぇ……?」


「さっきは恩着せがましく言いましたけれど、別に恩を着せるためにメシを奢ったわけではないんですよ。だから、俺はあれを貸しとしてカウントしていません」


「え、じゃあどういう認識だったのさ」


「面倒事を避けるために、ドブにお金を投げ捨てたつもりでした」


 ウォンさんが人差し指を立て、それで自らを指し示す。


「……ドブ?」


 首肯する。


「はい」


「ちょっと、時間貰っていい? あっちで泣いてくるから」


「どうぞ。その間に考えておきますので」


 男の涙は他人様に見せるモノじゃないですからね。



 □■■□



 出た結論としては、ク・ウォンの人探しを微力ながらお手伝いするという方向性になった。


 とはいえ、俺に人探しのスキルなんて皆無なので、伝手を使う。ここで言う伝手とは刀河火灼のことだ。刀河はあれで色々な界隈に対して顔が広く、そのため情報収集能力が高い。今回はそれを当てにしようという算段である。


 南雲さんやネセルさんでもいいのだが、学府側の人間に貸しを作ることになるのはあまりよろしくないので、俺が個人的に頼める相手としての刀河だ。刀河であれば、以前から協力を要請されていたいくつかの実験に付き合えば引き受けてくれるだろう。もちろん人体実験だ。あいつにリスボン宣言は適用されない。一応、スノウが黙認しているので寿命が縮んだりする類ではないだろう。


「以前に挙げていた探し人の名前がありますよね。それに加えて、教えて大丈夫な範囲でいいので特徴とかを共有してください。知り合いに情報屋みたいな副業をしているやつがいるので、そいつに確認します」


 ウォンさんは携帯端末を壊しているので、こちらのメールアドレスと電話番号を紙に書いて渡す。


「んー、助かるけれどさ、キミが貸しだと思っていなくても、オレが恩義を感じているのは事実なわけだから、正直これだとオレの収まりが悪い」


 なんかほざいているけれど、


「ウォンさんの収まりとか知らん」


 結局は俺の自己満足だ。こっちの据わりの悪さを解消するために、相手に収まりの悪さを飲みこませようとしているに過ぎない。そして、それを飲ませることに関してはそこまで罪悪感がない。


「……なぁシンよ、もしやキミはオレのことが嫌いなのかな?」


「少なくとも、好意的ではないですね」


 スノウを傷付けていたことに変わりはないから。


 でも、それは俺の個人的な感情(モノ)だからほとんどを後回しとする。


「傷付くなぁ……。それでも、貸し借りとかはきちっとするんだな」


「そりゃね。親にそう教えられているので」


 ――礼には礼を。その言い聞かせに反発するほど俺は捻くれていない。


 正しさや、善い行いには報いがあって欲しいと願ってしまう。


 善人が必ずしも報われるとは限らない。それがこの世界の流れだなんてことはとうの昔に理解している。そも、善悪というモノは人の“価値観”や“そうであって欲しい”という願いでしかなく、環境によって揺らぐ以上そこには絶対性がない。現代の道徳倫理が百年前のモノと相違があるのは確かだし、そうなると百年後には今の道徳倫理が異常だと思われたっておかしくはない。というか、国やコミュニティによっては同じ年代でも分かり合えないほどの乖離が存在する。そのことからもわかるように、正しさに対する保証などどこにもないのは理解できる。


 でも、それなら、せめて、俺は俺が良いと思ったその今の善性を肯定したい。


 誰かが道義心や誠実さを発揮したとして、世界がそれに報いないのであれば、俺だけでもそれを認め、礼を尽くしたいのだ。


 礼には礼を。


 正しさには正しさで返報する。


 そうであって欲しいから、そうするのだ。


 ――まぁ、なんにだって限度はあるというのをここ一年で実感していたりはするのだけれども。


「ふぅん、なんつーか、キミは恵まれているな」

「えぇ、その自覚はあります」


 俺は恵まれている。それもまたここ一年で実感したことだ。


「――そういうところだよ。ソレを自覚まで出来るってぇのは、結構尋常じゃない」


 ウォンのその言葉に、深く考えずに返す。


「そうですかね、わりと普通ですよ?」


 数秒してから眉根を寄せる。本当だろうか? 自身の言葉に疑問してしまう。


 ――人生を軌条(レール)に喩えることがある。


 親の敷いたレールとか、レールから外れるとか、そういうふうに喩えるわけだ。


 親には子を導き育てる義務があるけれど、その義務を遂行するのは意外と難しい。


 でも、親はそれを成さなければならない。それが親の義務ではあるけれど、子供がそれを当然と思うのも違うとは思う。


 親が子に孝行を求めるのは違うけれど、子は親への感謝を忘れていいともならない。


 その塩梅は難しい。


 当たり前や普通というのはあれで結構得難い。けれど、それを成すことの大変さを子供は実感しづらい。何故なら、それが当たり前だからだ。そういう子供は他者の走るレールを見て、自身の足元に敷かれたレールに気付く。そして、それが当たり前であるが故に、他者のレールを羨む。


 ――隣の芝生は青く見える。


 羨んで、外れて、事故を起こす。


 事故を起こして、そこで初めて親によって整備された軌条の良さを実感するわけだ。


 ――俺は別に好きで踏み外したわけではないけれど、それでも、今現在においては自分の意思で親の敷いたレールから外れている。


 ――あぁ、そうか。なんのことはない。一度、外れたから分かっただけだ。


「――訂正します。普通ではないかもしれません。そこまで含めてもなお、俺は恵まれています」



 □■■□



 ――親が敷いた軌条(レール)


 スノウは親どころかご先祖が敷いたレールの上を走っている節がある。それは強固で、傍から見れば誰もが羨むようなモノだろう。特別を十重二十重と積まれたその人生は輝きに満ちているのだから。でも、その終着は決まっている。それは強固であるが故に、外れることすら難しい。


 ――それをどうするか決めるのはスノウで、俺はその選択を受け止めるだけだ。


 成世は逆に、先祖や親の敷いたレールが途切れたタイプだ。今、彼女のレールは刀河がせっせと用意している段階と言える。それがどういう道になるのかは不明瞭な部分もあるが、行き詰まりとなっていた以前のレールに比べれば、まだマシだろう。――いや、これは自身の行いを正当化しようとしただけだ。もしかしたら彼女は行き詰まりでもいいから親と兄の用意したレール上に居たかったのかもしれない。それを知っているのは成世だけだし、俺が勝手に推測していいモノではない。


 そこまで考えて、温泉旅館『糸杉屋』で出会った子供へと思考が飛ぶ。


 ――佐田悠理。


 成世が過去を覗いた存在。


 片親で、その母親には経済力がなく、かといってその貧窮から逃れる能力もなく、それ故に社会的信用がないせいで闇金融業者に借金をし、その取り立てに怯える日々を過ごした母子。


 俺の身近ではあまり見ない類の不幸だ。


 ――佐田悠理は親によってレールが敷かれなかった人間である。


 親がレールを用意できなかった子供。


 それは不幸と言ってしまっていいだろう。


 思うに、人生における選択肢の多さというのは、それだけ恵まれているのだ。選べるというのは、それだけで幸福と言える。選択するという行為、そこに自らの意思を見出せるだけで人は生きていける。だから、選べないときに人はそのことを呪うのだ。塞がれた未来を嘆くのだ。


 なによりも不幸なのは、選択を奪われ続けた人間だ。


 そういった人間は呪うことも、嘆くことすらもできない。その意思の選択すら奪われる。


 ――それはなんて、残酷なのだろう。


 そして、レールを用意できなかった親もまた惨めだ。


 子供に対して無責任でいられるのならばまだどうとでもなる。けれど、もし、子の幸福を願いでもしようものなら、レールを用意できなかったという事実はどこまでも心身を抉る。


 自身が選択をできないだけでなく、子に選択をさせてやれないという現実が苦しめる。


 そうやって選ぶことのできないまま進んだ道の先にあるのは、残酷な最後の選択肢。


 ――楽になるか、一縷の奇跡に縋って苦しみ続けるか、どうか。


 俺は弱いから、きっと楽になることを選んでしまう。


 だから、それでも、苦しみ続けることを選べるのならば、それはすごいことだ。


 ――だって、苦しみ続けるということは、続くということなのだ。


 続くからこそ、希望がある。終わってさえいなければ、もしもがあり得る。


 もがき苦しみながらも、這いつくばりながらも、それでも進もうとするのであれば、そういう人こそ救われるべきだと、俺は願ってしまう。



 ――きっと、彼女もそう願ったのだろう。

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