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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
三章『その目に映るのは』

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◆十九話:到達者

 一刀は空を切った。


 その認識が追い付くのと同時に、スノウ=デイライトの心の臓が破裂する。後背から打ち込まれた肘先が肋骨を砕き、折れた骨の破片は肺や肝臓を切り裂き、その衝撃は心臓を穿った。


 倒れ伏すスノウから意識を離さず、肥満体の中年男は残心する。


 心臓という喞筒(ポンプ)を潰した。生物である以上、心臓(どうりょくげん)が壊れて酸素(エネルギー)が脳に行き渡らなくなればそのまま低酸素脳症となり死に至る。たとえ再生能力に優れていて数分で回復するのだとしても、その数分が致命的なのだ。


 だから、男はこれによって十中八九終わったと、そう思った。


 それでも残心を未だに解かなかったのは、目の前の存在が一か二に分類されるモノだという思いがあったからだった。


 そして、その認識は正しい。


 三十秒ほどで、金髪()()の少女が立ち上がる。少しふらついたが、それだけだ。足取りに不確かさはない。その口元から血がこぼれ、気付いたスノウはソレをそのまま吐き捨てる。


 男は少しばかり愉快な気持ちになり、親しげに喋りかける。


「心臓、壊れているよね? なんで立ち上がれるのかな」


「心臓が潰れた程度で人が動けなくなるわけないでしょ。人間なめるな」


 一般的な人類に対するかなりの無茶振りである。


「いやー、大抵の人はそれだけでお陀仏だけれどね。一応の確認だけれど――」


 訊ねようとした男の言葉をスノウが遮る。


「神父は?」

「ん?」

「あなたが助けた神父。見当たらないのだけれど」


 その問いに、興味なさそうに男が答える。


「んぁ、あれか。あれは逃げた」


 スノウは結界に意識を割く。結界内に反応があった七名のうち、自身を除いた全員の反応が消失している。そして、目の前にいる男は依然として結界内の探知に引っ掛からない。


「チッ……」


 逃がしたという事実に舌打ちはするが、かといって積極的に追うつもりもスノウにはなかった。


 元々、教会の人間に対して積極的に事を構えるつもりがスノウにはない。それどころか教会に限定せず、全てに対して今の彼女は動くつもりがない。愛しの少年との逢瀬に忙しく、それが末永く続くことを願う彼女にとって現状は維持したいモノだから、わざわざ均衡を崩す理由が彼女にはない。


 降りかかる火の粉は徹底的に叩き潰すが、逃げる火元を追いかけるほどではない。


 だから、スノウはこの段階で神父――教会の人間への敵意を失くした。


 残ったのは意味不明な肥満体の中年男への警戒心。


 中年男はスノウからの質問が続かないことを見て、改めて訊ねる。


「一応聞くけれど、お嬢ちゃんさ、ゾンビだったりする?」


 スノウは視界にかかる乱れた前髪を鬱陶しそうにかき上げ、不躾な質問に三白眼で返す。


「なんでそうなるのよ……。殺したはずなのに立っているから、動く死体だってか? めちゃくちゃ血色いいでしょ」


「死にたてなら血色は関係ないでしょうに。――いやさね、お嬢ちゃんから鼓動が聞こえなくなったから聞いたわけだ。心臓が止まっていたら普通は死んでいるでしょ? 心臓が止まっているのに動くってのは、それこそゾンビだろう?」


「心停止状態は厳密には死亡判定じゃないけれど」

「細かいこと言うね」


 中年男の雑な態度に、スノウは大きく息を吐いた。


 その軽佻浮薄な雰囲気は知り合いの大人――南雲飾を少しだけ想起させ、癪に障った。


「心臓の役割って、血を押し流して全身に循環させることでしょ。血行をそれ以外の方法で行えるのなら、心臓の臓器としての価値は低くなるわ。それで、血液自体が淀みなく動くのなら、脈というモノは発生しない。そして私はそれができる。それだけよ」


 スノウ=デイライトは魔力によって体内の血液そのものを動かすことができる。


 彼女にとって、心臓の破損はそこまで問題とならない。


「なるほどねぇ、だから鼓動が聞こえないわけだ。――いやぁ、無茶苦茶だ」


 男は朗らかに笑うが、その内心では一つのことだけを考えていた。


 ――では、どうすればこの少女は死ぬのだろうか?


 その一点だけを考えていた。


 そんな男の隠そうともしない好戦的な雰囲気に嘆息しつつも、スノウもまた疑問を口にする。


「私からも聞きたいのだけれど、さっきの振り下ろしにどうやって反応したの?」


 先置きは人間の限界を超えた刹那の動作である。それに反応しようとすれば、先ほどの神父のように人間の枠から外れるしかない。だが、スノウには目の前の男が人間にしか見えない。魔術師にも見えず、さりとて魔法使いにも見えず、言ってしまえばただの人の枠に収まっている。だというのに、どうやって先置きによる一撃に対応し、吸血鬼の原種が持つ接触権限を越えてスノウの強靭な肉体を傷付けたのか。それが疑問だった。


 その理屈を男は簡単に言ってのける。


「反応はしていないよ。あんなのに反応できるわけないでしょ。だから、その前に動いたんだ。一秒後に認識外の攻撃をされるとしても、場所さえわかっていれば予め避けられるし、そこに攻撃を置ける」


 至極単純な理屈。けれど、それは不可能だとスノウは否定する。


「私は動き出すその瞬間まであなたのことを見ていた。予め動けば、それに合わせて軌道を変えるわ。それに、私は構えてすらいなかったのに、次の動作が分かるわけがない」


「そうかな? そうだね。だけど、誘導はできるよ。あの時点でキミはオレを警戒していた。真正面からは危険だと思うし、身体の傾け方から死角や対応が難しい場所は絞り込まれる。足運び一つで進行方向を誤魔化せるのはキミもやっていたことだ。そういった積み重ねでキミの大体の動きは決めた。あとは、オレの一秒間の行動に意識が追い付かないようにするだけだ。――ほら、こんな感じに」


 気付けば、男はスノウの背後に立っていた。スノウの意識には今の今まで男が目の前にいた。


 男はどうしてスノウに攻撃を通すことができたのかを答えなかった。


 それは決して、答える気がなかったのではなく、攻撃が“通らない”という認識がなかっただけ。


「……っ」


 男の重心がやや沈む。一歩踏み出し、両足が地に固着したかのように踏みしめられる。


 たった一歩分の稼働によって生み出された全身運動の力が一箇所に集う。


 後頭部へとソレが振り抜かれる。


 頭蓋と手の衝突。


 人の身体から出たとは思えないような重厚で硬質な音が弾け、スノウは浮いた。足が地から離れ、立ち並ぶ木々に当たり、へし折り、倒壊させ、それを繰り返し、何本か折ったところで地に落ちた。


「石頭だね」


 倒れ伏すスノウを見て男が素直な感想を漏らす。


 粉砕とまでは行かなくとも、陥没ぐらいはさせるつもりの一撃だった。


 それでも、見た目上は頭部の変形も起きていない。


 意識は失っていた。


 ――命の取り合いを望んだ。相手は応じた。


 スノウは初手で決着させることを選び、男はそれを避けて反撃した。


 たった一合のやりとりでそれは終わった。


 それは相性の問題だった。


 男が一番に得意とする間合いであり、少女自慢の頑強さを無視できる拳を男は有していた。


「惜しいなぁ」


 これから摘み取る命。ソレのあり得た未来に思いを馳せ、惜別を済ませる。



 □■■□



 ク・ウォン。見た目は肥満体の中年男。年齢不詳であり、本人も正確な数字を把握はしていない。


 一応の国籍はルーマニアとなっており、職業は便利屋(ハンディマン)


 その主な活動地域は主要七ヵ国であり、依頼内容のほとんどは暗殺であった。


 本人は人探しとか、迷子のペット探しとか、そういうのを希望してやまないのだが、一人の人間である以上は最低限の衣食住を確保する必要があり、食い扶持のためには依頼の選り好みをしている場合ではなかったというのが実情だった。


 信条に反しない程度の依頼を受けては各国を転々としていると、ゴミ掃除の評判だけがいやに広まり、思っていたのとは違う状態になりつつあった。


 ク・ウォンは現状からの方向修正を望んではいたが、不満を覚えていたわけではなかった。


 その理由は非常にわかりやすく、彼は戦闘狂でもあった。



 □■■□



 少女が事も無げに立ち上がった。


 その事実にク・ウォンは口端を上げた。まだ、終わりではないという事実に笑んだ。


 故に、少女のその見た目に変化が起きていることにはあまり興味がなかった。


 夜闇で染めたかのような黒髪が異様に長い。そんな長い前髪の隙間から覗く瞳の虹彩は、光の角度で様々な輝きを放ち、オパールを彷彿とさせる。


 姿かたちが変わる存在など何度も見てきたク・ウォンにとって、その程度の変容など些末なことだった。原型を留めているだけ落ち着いている方だろうというのが浮かんだ感想である。


 今にも飛び掛かろうとするク・ウォンを無視して、少女は小さく首を傾げた。


「?」


 違和感を覚えたのか、身体の調子を確かめるように動く少女。それに男は眉を顰める。


 万全な準備の上で行われる戦闘というモノはほとんど存在しない。それでも、ク・ウォンはそれを望んでしまうが故に、少女の疑問を続けさせた。


 時間にして十数秒、ク・ウォンの我慢が表面張力を発揮している瀬戸際にて、少女は現状に理解が追い付き得心したのか――


「ハ、はははっ、ははははは! あはははははははッ!」


 嬉しそうに、とても嬉しそうに哄笑した。


 そんな少女を見てク・ウォンは思う。


 ――性格(キャラ)が変わったというよりかは別人になっていないか?


 昂った結果としてのキャラ崩壊だろうかと、そんな疑問が浮かぶ。ただ、それ以前に呼吸が全くの別物になっている。まるで中身が変わってしまったかのようだった。


「ちょいと」


 だから、声を掛けた。楽しそうに笑っているところを悪いとは思いつつも、それを遮った。


 少女は笑うのを止め、ク・ウォンへと虹色に輝く瞳を向けた。


 その佇まいは自然体で、先ほどまでよりもなお強者然としていた。


 溢れる。男の我慢はそこまでだった。


「続きをしようぜ」


 そう言い踏み出せば、ク・ウォンの目の前には土壁が出来ていた。


 突き出された掌底はその壁を貫通するが、その先に少女はいない。男は気配を追って顔を上げる。


「やー」


 急激に隆起させた土によって上空の後方に跳んだ少女は空中で逆さに立って、そう呟いた。


 違う。よく見れば、足先が空間にできた罅割れに埋まっており、立っているのではなく足先を引っ掛けているだけなのがわかる。少女の冗談みたいに長い黒髪が重力に逆らうことなく垂れている。


 男は少女へ近づこうと駆ける。


「さぁ、始めよう!」


 ク・ウォンのその言葉を合図に、少女は指を空中に這わせた。


 淡い軌跡が文字となるが、それがどういった意味を持つのかク・ウォンには理解できない。


『槍』


 少女直下の地面が膨れ、弾け、収束する。


 集まった土くれが棒状に固まり、ク・ウォン側の先端が尖る。そして射出される。


 ク・ウォンは回避を選択した。迫りくる土槍群を紙一重で回避し続ける。


 この程度であれば障害にすらならないと、飛来する槍を躱し、いなしながら進もうとする。


 一歩。


 少女はさらに空間へと文字を刻む。


『円環』


 一歩。


 槍の製造範囲が広がる。男を大きく囲むように地面から土が吸い上げられ、槍を形成していく。


 全方位から発射される槍の群れは男の心臓を目指して一直線に突き進む。


「おっとぅ」


 物量が跳ね上がり、大の男が潜り抜けられるような隙間がなくなる。


 躱すことを諦め、その時点で一番近い位置にあった槍をあっさりと掴む。物量に対抗するには手数が必要であり、男はそれぞれの手に槍を握った。


「無茶苦茶だねぇ!」


 楽しそうに叫びながら、握った槍で向かってくる槍を叩き落としていく。


 正面からの槍を叩き落とし、左右からの槍は駆け抜けることによって無視し、後方からの槍は背中に目でもあるかのように見ることなく躱していく。


 少女は異常なモノでも見るかのような目で男を眺める。ただ、そこから動こうとはしない。


「立ちんぼとか余裕だなぁオイ!」


 ク・ウォンが槍を投げる。綺麗な円運動からの音速を超える投擲に少女は反応が遅れる。


 意趣返しとも言える心臓目掛けて放たれた槍は、少女が横に動いたことによって脇腹へと着弾する。


 血肉に濡れた穂先が背面から生え、抉れた箇所から鮮血があふれ出る。


 けれど、スノウ=デイライトの肉体はその程度の損傷で止まらない。


『剣雨』


 天が裂け、数百を超える刃物が降り注ぐ。


『槍林』


 地が蠢き、数千の槍が生えようとする。


 逃げ場などないとばかりに、上下左右前後全てが埋まる。


「おいおいおいおい!」


 ク・ウォンはまず、槍の形を取ろうとした足元を踏んだ。


 震脚によって、展開された魔術式が破壊されていく。


 そうして踏み固められた足元を蹴り上げ、三畳分ほどの地面を()()()


「どっこいせぇー!」


 蹴り上げる。


「っ!」


 捲り上げられた地面の一部が少女へ向けて飛ぶ。その間にあった刃物を巻き込んで。


 少女の視界を塞ぐように迫るソレを少女は腕の一振りで粉砕し、


「ヘイヨー!」


 すぐそこまで接近していた男が元気に挨拶をして拳を振りかぶる。


 地面から約七メートルの上空。直線距離は十八メートルもあった距離を、ク・ウォンは跳躍していた。


 逃げ場がなければ道を作ればいいと、男は空中に道を作った。


「へろー」


 そして、少女はその時点で拳を振り抜いていた。


「え」


 先に拳を放ったのは少女だが、男の拳はそれにかち合う速度だった。


 空中で衝突し、浮遊することのできない両者は見事に弾けた。


 男は体操選手のように、空中で回転しながらも姿勢を制御し、両足で確かな着地をした。


 少女はきりもみ回転しながら地面を転がるが受け身は取っており、――勢いが収まると同時に立ち上がった。


「……いやぁ、本当に惜しい」


 その差が、致命的なほどまでに大きかった。


 男の手は少女の細い首を掴んでいた。


 いつでも、その首を握り潰せる状態。


 だというのに、少女はそれに焦る様子もなく、口を開いた。


「――そうか。お前は到達者か」


 少女の状況にそぐわない落ち着いた言葉を受けて、男は首を傾げる。


「なんだそりゃ」


 その意味を心底から理解していない男の態度に今度は少女が不思議がる。


「お前は協会の人間じゃないのか?」


「いや、全然。どっかに属していたりはしないよ。フリーランスさ。たまーに変な依頼を受けてお嬢ちゃんみたいなのとかに遭遇することもチラホラあるけれど、基本はしがない放浪人だよ」


「そうか……。協会というのは学府や教会とは違って理念や教義を持たない。持たないというか、そういうのを統一できないような人間が集まった集団だ。魔術を求める人間もいれば、神を信ずるモノもいる。それでも唯一、彼らに共通した認識と呼べるモノがあるとすれば、それは人の可能性とその存続。それらの追求だ」


「それがなんでオレの所属の話になるのかな?」


「可能性の追求。これはなんでもいいんだ。人ができることであればなんであれ可能性がそこにはある。そういう前提のもとに成り立っている。人の果て、人間のその先、人類の臨界点の拡張性。ありとあらゆるモノにそれはあるのだと、そう信じてやまない。とはいえ、その仮定の限界にすら簡単には辿り着けない。だから彼らは積み重ねられたモノを研鑽することにした」


「壮大だねぇ。すでに話についていけない気がする」

「そうでもないさ。お前は神の存在を信じるか?」

「え、いや、どうだろな。深く考えたことはない」

「そうか。それでも、お前の鍛えた拳は神に届くよ。お前はそこまでに到達している」

「急に褒められたな」

「とはいえ、それは我々の定義する神だ。全能には程遠く、上位概念というだけでもある」

「おっと、急に梯子を外されたね……」


「外してなんかいないよ。それがどれほど凄いことなのかを我々魔術師は痛いほどに理解している。お前は武術によって極致を目指して到達し、我々魔術師は魔術によってそこを目指し続けている。それだけの違いでしかなく、その程度の差異でお前は我々の随分と先を行っている」


「お嬢ちゃんたちの振るう不思議な力と、オレの修めたモノが同じだと?」


「同じだよ。同じさ。さっきも言っただろう。お前は神を信じるか? とね。我々魔術師は神という言葉に籠められた超常的な理解不能をただの上位概念という立場に押し込めた。でも、結局のところ私たちはその先を夢想したのさ。我々はそれを《世界》と呼んだ」


「特定の宗教で持ち出されるような“神”ではなくて、人々から漠然と思われるような“神”か」


 宗教における神とは、自然崇拝からの派生。その形は規格化されたものであり、統一させるためのモノ。人の手に負えぬ自然という埒外を、人々は神の枠に押し込めて制御しようとした。


 願い、祈り、捧げることによって、意味を作ろうとした。


 それを利用して、人々は神を以て人を導いた。


 宗教に於いて、神は人の為に在る。


 だが、本来、神は人の為には無い。神はただそこにあるだけだった。


 元始、世界そのものの躍動から人々は神を見出した。


「そうだ。苦しみの中で人々が無意識に縋ろうとする存在。喜びの中で人々が無意識に感謝する存在。そういった物事の流れそのものを示す運命。命の運びの軌跡。漠然と感じ取る大きなうねり。それを神と――世界と、我々は呼ぶ」


 少女は言葉を続ける。


 まるで少女らしくない口調で。


「古代。人はありとあらゆる現象に神をみた。超常に神を当て嵌めた。その上で人々はそれらに歩み寄ろうとした。理解しようとしたのだ。掴もうとしたのだ。芸術――音楽も、踊りも、絵画も、陶芸も、彫刻も、建築も、詩も、果ては闘争も、神――世界を表現するためにあった。それは神からの問い掛けであり、神への問い掛けだった」


「哲学的だね」

「芸術は哲学であるからな」


「でも、闘争は違うだろ。それは思考ではなく本能によるモノだ」

「いいや、闘争だって違わないよ。一対一の決闘や、国と国の戦争にすら芸術は存在する」


「そうかねぇ……」


 ――これは一部の人から非難の声が飛んできそうな話だと、ク・ウォンは思った。


「そうだよ。求めたのは表現の追求だ。だから収斂していく。洗練されていく。音が響き連なり、踊りが舞い流れ、絵画が深くなるように、そうやって追求されるように、闘争もまた機能美の追求だった」


 戦術や戦略、武器や兵器、技術や武術、それらは時を重ねるごとに先鋭化していく。一つの目的を持つモノは、有形無形関係なくその形を――その在り方を高次化していく。そして、それは同時に“美”を内包していった。そこに善悪はなく、ただ《求めた》だけの結果に“美”が備わった。戦争の醜悪さを知る者でさえ、銃や戦艦、戦闘機の美しさを否定できない。


 ク・ウォンが一考して、頷く。


「機能美の追求か。――確かに、武術にはそういう側面もある。人という器の持つ機能。それの研磨とも言える」


「そうした追求の先に、到達するモノがいる。人の果て。人間のその先。臨界点の向こう側。一つのことを究めんとしたからこその在り方。我々はそれを《到達者》と呼ぶ」


 到達者。


 世界の一端に触れし者。


 上位階に手を伸ばし、その指先が届いたモノ。


 だが、それは決して人の範疇から外れない。


 外れないが故に、世界が整合性を取る。


 それは結果として、触れた存在を自らの場所に引きずり出す。触れられるモノとして扱う。


 魔術師は虚偽の法則を纏う。


 魔法使いは上位の法則を振るう。


 それすらも、到達者は人に貶める。


 人間に落とし込む。


 ――魔法使いは天敵ではない。


 ――それは敵ではなく目標だから。


「――到達者こそが魔術師の天敵だ。我々が必死になって再現した奇蹟をお前は否定する」

「別に否定はしていないんだけどな」


 ク・ウォンの迷惑そうな言い方に、少女は喉を鳴らして笑う。


「だろうな。その否定は結果的なモノで、受け手側の問題だ。どちらかと言えば、僻みに近い」

「僻み?」


「到達者というのは、後天的な魔法使いとも言える。少なくとも、私はそう思っている。大多数の魔術師にとってそこは目指すべき場所で、決して辿り着けないところだ。何故かと言えば、魔術なんてモノは、そのほかすべての才能がないと見切りをつけたモノが手を出すからだ」


「そうなのかい?」


「そうだ。魔法(トクベツ)に憧れたとしても、そこで魔術を選ぶ必要はないんだよ。それこそ、何かを極めればよかったんだ。ただの“走る”や“投げる”という行為すら、極めれば魔法みたいに特別なのだから」


 なんてことのない、とても当たり前なことを少女は言う。


 男はその言葉に心底から同意した。


「それは――そうだね。じゃあ、どうしてキミは“それ”を選んだのかな?」


 その問いに、間断なく答える。


「辿り着きたい場所があったんだ。そこはトクベツ程度では到底叶いそうにないところだった」


 ――きっと、そこに立つにはすべてが必要だった。


 だから、すべてを得るために――


「――選んだこの道は、きっと、間違いではなかった。今回は失敗だったけれど、私の血は他でも続いている。だから、今はこれでいいんだ。進んだことを確かめることができたのだから」


「そうかい。そいつはよかったね」


 男は雑な相槌を打った。


 そして、手に力を込める。


 この殺し合いに一先ずの決着をつけようとして、


「良くねぇぞ!」


 背後から掛けられたその言葉に男は肩を竦めた。


 その理由は恐怖ではない。


 その理由は驚愕ではない。


 その理由は――



 □■■□



 全力で森を走り抜けると、なんか結界が張られていた。


 認識が出来ない相手には無意識で避けさせる人除けに加えて、認識が出来ても侵入そのものを良しとはせず、明らかに「ヤバいですよ~」といった威圧のようなモノを放つタイプだ。


 魔術的なモノであり、スノウが何らかの事態に巻き込まれていることが理解できる。ここで問題なのは、この結界がどういった代物なのか、ということだった。結界というモノは多種多様であり、下手に触ると不味いことが起きる可能性もあるのでおいそれと触れられない。特に、この手の在り方が威圧的なタイプは「関係ない奴は関わるな」という警告でもある。


 結界を見つけ、その中について知りたい場合、最初にやることは解析術によってその指向性を確認し、大まかな対処法を絞るところから始まる。


 ――これがわりと焦る。


 秋頃の件(空海家のアレ)から反省し、結界魔術についてそれなりに知見を深めようとしたのだけれど、俺――天木秦には結界に関する才能が欠如していた。指導にあたってくれた刀河のお墨付きなので、マジで才能がないのだと自信を持って言える。


 ――常人なら十数秒で終えるような解析に五分掛かった。


 自身の不出来さを実感する瞬間はいつだって泣けてくる。急いでいる時はなおさらだ。


 ――ただ、泣けてくる一番の理由は別にある。


「わーい顔パスだー!」


 俺はヤケクソに吠えながら結界に突っ込んだ。


 結界は俺の接触に一切の反応を示すことなく、その侵入を許した。


 ――刀河作・スノウ使用の結界だった。俺は顔パスだった。


 さっきの五分が無意味なモノだったのではないかと考えそうになるが、もしこれで他の術者によるモノだったら痛い目にあっている可能性は勿論あったので、あの五分は無駄ではなかった。無駄ではなかったのだと、そう自分を慰める。


 そうして結界内を走っていくと、明らかな戦闘音が響いており、そちらへと足を向け、そして――今に至る。


「――良くねぇぞ!」


 トドメを刺そうとしたらしい男が俺の声を聞いて動きを止めた。


 ――……状況がまったくわからん。


 音の方へと辿り着いてみればそこには微妙に恰幅のいい男と黒髪ロングの少女がいて、男の方が少女の首に手を掛けており、今まさにそれを絞ろうとしているようだった。


 ――思わず止めてしまったが、これで良かったのだろうか?


 一瞬、自分の行動に疑問を抱いたが、その行為が間違いではなかったと確信する。


 ――スノウだ。


 黒髪の少女はスノウだった。髪が普段の倍ぐらい長くて黒いし、なんか目も遊色効果バリバリの虹色だけれど、それでもあれはスノウだ。


 いや、厳密には――


「誰だお前」


 身体はスノウだが、中身が違う。


 ふと、視界が少しだけ広がった。周りの音が遠くなる。心音が近くなる。


 そいつは口を開いた。男に首を握られ、声を掠れさせながら喋る。


「た、すけ――」

「誰なのか聞いているんだよ」


 それ以外を俺は聞いていない。


「…………」

「…………」


 俺もそいつも沈黙した。


 そうして睨んでいると、男がおずおずと小さく挙手した。


「……あの」


 こっちに発言の許可的なのを求めているのだろうか、とりあえず先を促す。


「はい、なんでしょうか」

「この状況でオレにノータッチってどうかと思うのよ」

「そうですかね?」

「マジ? 少年てば胆力が鋼鉄で出来ていたりする? ていうか、オレだよオレ。こんなとこで会うなんて奇遇だな少年」


 おっさんがすげぇ馴れ馴れしくこちらに手を振ってくる。なんだ? オレオレ詐欺か?


「…………誰でしょうか」

「えっ! いやちょっ? 嘘でしょ? それは冗談キツくない? 本当にオレのこと忘れたの?」


 知らねぇおっさんが慌て、顎下に肉を蓄えた自身の顔を示すがそのツラに見覚えはない。


「知らない」


  正直に伝えると、おっさんが叫ぶ。


「一日で忘れるかなぁ! ていうか、オレたちの出会いって中々にインパクトあったと思うんだけれどぉ? アレを早々に忘れるとかどういう脳ミソしてんだよ少年は!」


「まず、そう何度も『少年』って呼ぶのやめてくれませんか? 思春期の少年を少年呼びしていいのは大人の色香を漂わせるお姉さんだけって法律で決まっているので」


「嘘つけや!」


「はぁ? 嘘じゃありませんが? 日本の法律をちゃんと読んだことないもやつが決めつけるな!」


「……っ、いや、確かにこの国の法律には明るくないけれど、それでもそれが嘘なのはオレでもわかるぞ!」


 ――話している内に思い出した。この肥満体。この胡散臭さ。デブゴンだ。つい先日、道で行き倒れているところに遭遇したおっさん。子供にメシをたかるような大人の風上にも置けない中年。


 ……なんでここにいるんだこの人。


「思い出しました。デブゴンですね」

「いや、違うけど? 思い出してないよね。テキトー言ってるよね?」

「焼き肉を奢ってもらった命の恩人になんだその態度は」

「思い出していた! ……なんでデブゴン?」

「名前を知らないので仮称として」

「あー、そう言えば名乗っていなかったな……。聞いてくれれば良かったのに」

「いや、知りたくないですし」

「……ひどくない? ていうか名前を知らないとしても忘れるかな? つい先日一緒にメシを食った相手の顔なんて普通は忘れないよね?」


 デブゴンが普通を説いてくる。普通ってなんなのだろうな。


「人の顔とか名前を覚えるのが苦手なんですよ……。特に顔と名前(それら)を連動して覚えるので、片方がぼやけているとかなりあやふやになるんです。それに、もう会うこともない存在のことなんて、覚えようとしてもその大変さには見合わないですし」


 理由を述べると、こちらを信じられない目で見るおっさん。なんだその目は。


「だとしても、一日で忘れるのはどうかと思うよオレは」


 おっさんの責めるような視線を無視して話を進めることにする。


「それでデブゴンさん」

「――ク・ウォンだ。その呼び方が悪いわけじゃないけれど、その呼び方はやめてくれ。オレの名前はク・ウォンだ。少年、今度は忘れないでくれよ?」


 名乗られてしまった。


「……天木秦」


 不承不承ながらに名前を伝えると、おっさん――ウォンはにかっと笑った。


「シンか。いい名前だな」

「えぇ、気に入っています。それで、ウォンさん」


 改めて、要望を伝えることにする。


「おう、なんだい?」


 なんでも言ってくれ、みたいな雰囲気を出すので、はっきりと伝えた。


「ちょっと黙っていてもらえます?」


 おっさんは黙った。


 少し、悲しそうだった。


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