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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
一章『馴れ初め』
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◆三話-下

 どこまでが人の許容なのかを考えた時、結論としては個々人に依るとしか言いようがない。


 けれど、それでも、その許容には通常、限度というものがある。


 人は異常に焦がれる。人は異常を忌避する。

 人は特別に憧れる。人は特別を恐れる。


 逸脱するからこその憧憬があり、埒外だからこその恐怖がある。


 ――さて、では天木秦のアレは通常か?


 スノウ=デイライトは金髪碧眼の見目麗しい少女だ。それは特別だろうが、まだ収まる範囲。


 スノウ=デイライトは魔術師だ。隠匿された存在。本来の彼には物語の虚構。とはいえ、最近の若者はそういった物語に触れる機会が多く、あの年頃ならば憧れを抱き実在を望むことも多いだろう。それ故の受容もまた、あり得ること。


 では、スノウ=デイライトが人殺しであることは許容できるのか? 受容できるのか? たとえ虚構の物語に於いて殺人鬼に需要があったとしても、それは現実に於いて恐怖でしかない。


 現実に侵食した恐怖は、容易く需要を変質させる。


 ――けれども彼は少女を受け入れた。少女を受け止めようと言葉にした。


 私――刀河火灼は魔術師であるが、一般人へと溶けこむためにその手の「普通の感性」というものに理解がある。それに基づけば、スノウ=デイライトという少女は『どうしようもない』のだ。


 たとえその『普通』が個々人に依って変動するとしても、その変動値には限度がある。


 スノウの『どうしようもなさ』はそれらを超える。その『どうしようもなさ』の一端を垣間見てなお、その先を教えられてなお、彼は少女と共にあることを良しとした。


「だからこそ、結論は出ているのよね」


 ――彼もまた、通常ではないのだろう。



『えっとね、スリーサイズはね、上からきゅうじゅうは――』

『知ってどうすんだそれ』

『ランジェリーショップをぶらついている時に、気に入ったモノがあったら私に合うモノを選べるよ』

『野郎がランジェリーショップを彷徨うとでも?』

『秦くんなら、あるいは……?』

『ないよ? 皆無だよ?』


 壁越しに聞こえる会話が段々と阿呆なモノになってきたので、壁から背を離して自室へと戻る。


 扉を開き、灯りのスイッチに手を伸ばすが途中で止める。ボールチェアに潜り込み、サイドテーブルを引き寄せて置いてあるノートパソコンを開き、電源を付ける。学府へのデータベースへと繋げ、検索を始める。


「魔術の世界にも電子化の波は押し寄せているのである」


 科学技術と魔術は相反するもののように扱われているが、実際はそうでもない。確かに科学の発達によって解明され薄まった神秘もあるが、それ以上に深まったモノも多い。魔術というのは極端な話『どこまでも手間を省き、過程を省き、結果を引き寄せる技術』となる。


 詠唱など、魔術において定型化してしまった手順などは『必要な手間』としてどうしても省けない、もしくは省くにあたって相当の技術や費用を必要とする箇所を科学技術では容易に踏み倒すことができる(そこに至るまでは容易ではないが、容易とさせるまでが科学技術の神髄となる)わけだ。


 科学における利便化、小型化、高密度化、大量生産というのは魔術とは別方向に進んでいるが故に、それは魔術と並べて行使できる。


 逆に、魔術は現状の科学技術では不可能なエネルギーの変換や解明されてない未知――現代の科学技術によって解明できていないが故に、なお一層その神秘性は強まっているモノ――の存在の力を行使できる。


「まぁ、現段階で科学技術を魔術と複合して主軸運用できるのは教会ぐらいなんだよねぇ」


 三位一体とか奇蹟とか掲げているくせに率先して取り入れて真っ先に実用段階まで叩き上げたのもあいつらだし。


「そのうえ秘匿して技術の殆どを外部に漏らさないようにしているんだからタチが悪いわぁ」


 おかげで学府に所属している私などが扱える科学技術は魔術に対する補助の補助程度と言ってもいい。微々たるものだ。


 教会の信徒どもが魔術印を刻んだ銃やロケットランチャーを担いで暴れ回っている姿は遠巻きに見ても楽しそうだったりする。


 あー、魔術世界でも独占禁止法が適用されて欲しい。


「さて」


 収集していた情報を整理する。


 天木秦。十六歳。男性。学生。五人家族の長男。


 天木家の血縁に魔術師、異能者は見受けられない。また、これまでの彼の人生においてそういった『異なるモノ』との接近はない。どこまでもどこまでも、彼の人生は『通常』だった。


 普通に生まれて、普通に生きて、そのうち普通に死ぬ。その筈だった。


 だから、それから外れてしまったのはスノウという要因が彼の人生に混じったからだろう。


 それ故に彼は巻き込まれた。


 ブロウルという男が仕掛けた『ナルコシスの剥奪』から逃れ、悪魔の記した『ヴェルデギェスの手記』を直視させられ、それでもなお意識を残したその特異性。


 いわゆる、原石と呼ばれる存在。


 血による積み重ねもなく、後天的な修練もなく、異能を持って生まれた存在。


「与えられたギフトは、精神への干渉の耐性――のみ」


 スノウから聞いた天木の魔術的素質は、血の積み重ねがない人間としては上の下。


『筋はいい』


 彼女の評価は適切だろう。


「原石としては、些か変なのよね」


 基本的には一つへの特化があったとしても、それは氷山の一角であり、連鎖的にその他の才が開花していく――それがオーソドックスな原石だ。


「それに対して、彼の才能は精神干渉耐性だけ。それ以外は通常の範疇に収まる、と」


 通常に収まる才能とはいえ、並の魔術師が悔しがる程度には十分に凄いのだけれどね。学府の研究棟にでも叩き込めば重宝されるだろう。


「そして肝心の精神干渉耐性はというと――」


 先ず『ナルコシスの剥奪』は強制睡眠の術式であり、その効力は三時間弱の意識の剥奪のみ。精神操作や精神破壊などを起こさず、意識の剥奪のみに限定しているが故に威力は絶大となる。


「いや、意識奪うだけでも大概だけれどね」


 発動の為の大規模な前準備と、発動時の結界、発動から実際に効力が発揮されるまでの時間差など、大抵の魔術師なら発動されるまでに気付き範囲外へと逃げられる類。


「それ故に、実際に発動し、その影響範囲にあれば、どれだけ熟達した魔術師であろうとその影響は受ける」


 それこそ、人外や埒外にいる『例外』どもでない限り。


「で、彼はその剥奪になんの反応も見せず、ただ特に何もせず、弾いた」


 ――なんの反応も見せなくて当然だ。何もしなくて当然だ。


 次に『ヴェルデギェスの手記』はブロウルが暗部から強奪していった特殊魔具の一つ。


 悪魔の一部から生成され、悪魔の文字を記された紙っぺら。


「六重封印されていたマジモンなのよね……」


 被験者は五名。内四名は上位階の情報への接続負荷に耐え切れず存在剥奪。最後の一名は存在剥奪の回避には成功するが、脳の大部分が焼き切れて廃人となる。


「これに対しては眩暈を覚え、若干の気絶――だけで済むと……」


 本人の弁では、文字を文字として認識する前に「何か」が入ろうとし、それは霧散したとのことだが、果たして彼は何を見たのだろうか。


「彼自身が文字を読めたとは思わないけれど、文字自体が上位階の情報を持っているから脳へと繋がった時点で『塗り潰される』――はず」


 ちぐはぐ。


 それが彼の在り様を示す適当な言葉だった。


「――そして、ブロウルの残した言葉」


 天使。本物。シーカー。――そして、端末。


「端末、ね」


 その言葉はここ数年の間で耳にする機会の増えたモノだ。


「一緒にいた女――ミランダって人が言っていたように、いくら天木秦が上位階の情報に耐えられるような原石だったとしても、所詮は原石で人間だ」


 彼らが降ろそうとしていた天使は上位階の存在だ。そもそもが違う。その位階を覗くことが出来る人間と、その位階にいる存在とでは天と地以上の差がある。


「それにも関わらず、ブロウルは彼を手に入れるべきだと判断したことになる」


 それが示すことは何か。


 ソレが示すことは何だ。


「ブロウルという男は数多の魔具を操り、それらの反動――リスクを完全に相殺し、悠々と生き続けた」


 が、しかし、それはあの男の本質ではない。アレは学府の暗部にてありとあらゆる知識を掻き集め、探り当て、隠し持って逃走を遂げた男だ。


 その男が天木秦の特性を見て、天木秦に利用価値を見出した。


 天使を降ろす最中に、一度手を止めさせるほどの価値があったということだ。


「もう、答えは出ているのかな。でも、それはあまりにも突飛というか。都合が――」


 考えているうちに、画面の右下に小さい通知ウィンドウが表示される。


『hello』

「あ?」


 なんだろうかと思い開くとメッセージが一件、知らない人から送られていた。


『話したいことがあるの』


 続けて送られてくる文章に首を傾げる。


「いや、そもそもあなたは誰よ」


 口に出しながら、そのまま打ち込む。


 誰にでも使用できるようなチャットソフトではあるが、アカウントを教えている人間は限られているし、そこら辺の人間に知れ渡るようなこともしていない。それにも関わらず登録に無い名前なので首を傾げる。


『天木秦について話したいことがあるので、会えませんか?』


 実にタイムリーな話題だった。


『午後六時、―――町の――通りにある「アロマ」という喫茶店で待っています』


 そこは電車で一駅の場所。何度か行ったことはあるので迷うこともない。


 つまり、こいつは私が住んでいる場所も知っているのだろう。私の関心事について把握しており、このタイミングで対面を提案する理由とはなんだろうか。


「用心した上で行ってみますかね」


 こちらについての情報をどこまで相手が掴んでいるのかが不明で、こちらは相手のことが全く分かっていない。思惑すら読めないから、放置も出来ない。


◆◆◇◇◆◆


 億劫がるスノウを引き連れ、私は喫茶店「アロマ」で紅茶を飲んでいた。


「ねぇ火灼、もう約束の時間を半時ほど過ぎておりますが」


 現役女子高校生らしく電子端末をぺたぺたと触りながら喋る。


「話すときは相手の目を見て話しなさいって。――確かにすでに六時半だけれども」


 会うと返事をしてから反応はないが、不要な情報を与えないためだと考えれば特に疑問には感じなかった。だが、結果として約束の時間をこうも過ぎているのはどうだろう。


「……寝落ち? そしてそのまま寝坊?」


 いや、そんな大学生じゃないんだから。などと考えていると――


「ひどいな。ちゃんと約束の三〇分前からいたのに」


 と、目の前から声が掛かる。え、と思い、真っ先に横に座るスノウへと目を向けるが、画面を見たままでその口は動いていない。


「こっちこっち」


 声のする方――前を見ると、女が座っていた。


 深みのあるブロンドで巻かれた髪をいじりながら、湯気の上がっていない珈琲をスプーンでかき混ぜていた。


「ミランダ」

「お久しぶりね」


 はぁい、なんて柔らかく微笑みかけてくる。


「いつの間に?」

「あなたたちが来る前からいたわよ? ここに座ったからすぐに移動したし」


 いつの間に? ――いや、言葉を信じるのならば、最初からここに居たということになる。だが、私はおろかスノウが気付いていないのはどういうことだ?


 横目でスノウを見るが、未だに気付いている様子がない。それどころか私がこの女と話しているということにすら気付けていない。


 ――なにより、私はこの女が『目の前にいることを不思議だと思うべきだ』とは考えたが、そのことに心底疑問を抱くことが出来ず、この事実に微塵も驚愕していない。


「まー、そういうものよ。これが私の魔術、いわゆる認識の阻害というやつだ」


 認識阻害。精神への干渉系か。


「ソレ、教えていいの? その手の術者は大抵の場合、非力でしょ?」


 そう言いつつ私は煙草を取り出し、オイルライターを手の中で弄ぶ。


「これ見よがしに触媒見せているけれど、使う気がないモノじゃ脅しにならんよ」

「よく分かっているねぇ」

「そりゃそうだ。これで食って生きているんだ、通用しているのは誰よりも理解しているさ」

「はぁん?」

「――通用しないやつも、しっかりと理解できているよ」


 苦みを帯びた表情で、つまらなそうに吐き捨てた。


「あの美術館で、私は――私だけは誰よりも生き残る自信があったんだ。私の術式は認識阻害。『害無きモノを害せず』っつーやつでね。周囲のありとあらゆるものに対して、私自身を……えーと、あー、日本的な表現として言うと『空気』のように扱わせるものだ」

「空気?」

「あー、あんた学生でしょう? いないかね、教室の端っこで静かに本を読んでいる奴。いじめにも巻き込まれないスクールカーストから除外されたような存在」


 毒にも薬にもならず、そこにあるにも関わらず不快にさせず、決して危害を加えようとは思わせない存在。


「あー、はいはいそういうね。根岸くんみたいな人か」

「誰だよネギシ君。いや、まー多分その想像したネギシ君みたいな存在になるのさ」

「それはなんというか……」

「地味?」


 違う。確かに表面をなぞるだけならば地味かもしれないが、それはこと潜入/調査という観点で見れば最上とも言えるモノだ。


 ――なにより、私はおろかスノウがその術式の影響を受けている。


「この子はその手の干渉に対して殊更耐性があってね。なのに、あなたの術は通用している」

「私の術はね、相手に対して敵意も害意も抱くことができないようにできているの。だからこそ、相手に対して害意を抱かれない。そういうものよ」


 術式の詳細を開示する理由は、知られても問題がないから。むしろ、知られていることの方が良いのだろう。意識すればするほど術中に嵌る類だ。


「特化させ過ぎでしょう」

「今の時代は一芸に秀でた方が就職に有利なのよ」


 魔術師が就職に言及する時代というのも嫌だなぁと思う。


「――そんな私の一芸は、シンに通用しなかった」


 そう、苦々しくミランダが吐き捨てると同時に、横で動きがあった。


「秦くんに、通用?」


 スノウがナイフを引き抜き、ミランダの首筋にソレを押し当てていた。


「ん? 誰?」


 そこまでして、スノウは初めてミランダを認識した。


「……お久しぶりね。美術館で会ったけれど、覚えてないかな?」

「あぁ、あー、秦くんのこと助けてくれた人ね! ……なして私はあなたに刃を向けているのかしら? ごめんね」


 まるで人を指さしてしまったことを詫びるかのように謝り、気軽にナイフから手を離した。


 手から滑り落ち、テーブルへと突き刺さったナイフを見て、私とミランダは息を呑む。


「……害意を抱かないんじゃないの?」

「抱いてないのよ、これ。だから気付いてから手を離したでしょ……」


 そういうことか……。害意なく人を殺すことが出来るのであれば関係はない。天木絡みで、何かしら彼に危害を加えたかのような発言をすれば条件反射で仕掛けるスノウは天敵だろう。


「それでも、殺す理由がなければ動く理由には至らないから、ここまでで終わるのよ。ただ、そこまでイってるのは弾みでそのまま滑らすこともあるからね……」

「あー……」


 よく見ると、ミランダの首筋に赤い線が浮いていた。


「なんの話?」


 話の全容が見えないため眉を八の字にしながら訊ねてくるスノウは一先ず無視する。


「デイライトのお嬢さんが現れた時、グダドとメレルを殺した時、私は私の安全に確信を得た。デイライトのお嬢さんが私にシンを預けた時、私は逃げ切れることを確信した。デイライトのお嬢さんがシンのためならば――シンの言葉にならば、それが例え如何に無茶だったとしても、敵意も害意もなく、殺意すら抱くことなく『空気』すら殺してみせる存在だったと確信して尚、私は私がその場での勝者だと思っていた」


 ――でも、


「でも、それは勘違いだった。私はあの場で見逃されたんだ」


 ミランダの握り締める手に力が籠る。


「――さて、お嬢さんがた。『世界端末(アーカイブズ)』って、知っているかい?」


◆◆◇◇◆◆


 ――世界端末。


 読んで字の如く、世界の端末。アーカイブズ。世界の末端。


 世界というモノを一つの存在として認識し、それに『意識』があると仮定したとして、では、その世界の意識に我々人間が触れる方法は存在するのだろうかという疑問。そも、世界の意識などというモノに触れる段階にまで人間が辿り着けるのか、そも、その仮定は前提として間違っていなかったのか。――いや、それに関してはすでに問題ではない。間違ってはいない。


 世界はそこにある。意識をもって存在し、世界はそこに居る。


 世界に触れる方法はある。我々人間は常に世界と存在し、世界に触れ続けている。


 前例がある。解答がある。


 我々はそもそも世界を構成する要素だ。世界を構成する枠の中に敷き詰められたモノの一部が我々人間だ。その構成物のうちの一つに、世界は役割を与えた。


 予備。代用。代替。


 敷き詰められたモノとしてではなく、枠組みとしての代替品。


 ――世界の代替。


「それが世界端末」


 世界の器にして代替。


「もう少し諄さを取っ払って説明しよう」


 世界端末とは世界によって無作為に選出された世界そのものの予備。


「世界は完璧じゃあない」


 世界があり、そこに神が生まれ、天使や悪魔が発生し、生命は作られた。


「その生命の中に我々ヒトという種がある」


 生命は完成していないからこそ進化するがどこまでも不完全で、天使や悪魔は欠陥を持って発生し続け、神は万能であるが全能ではなかった。


「ソレが示すことは世界が歪みを持っているということに他ならない」


 完璧であるならば、そもそも完璧なものしか作ることが出来ない。


「にも拘らず、世界が内包するものはどれも完璧ではない」


 神は争い、天使は齟齬を生み、悪魔は欠陥を食み、生命は不幸を享受する。


「世界はそれを自覚していた。己に綻びがあることを」


 だから世界は因子を混ぜた。いつか迎えるかもしれない終わりを己が迎えた際に、続きの世界として存続する器をありとあらゆる存在に植え付けた。


「我々はソレらを『世界端末』と呼ぶ」

「――では、どうして我々はソレを知っている?」


 世界とは極地である。

 世界とは極致である。


「たかが『ヒト』の分際で! 世界の在り方を垣間見ただけのたかが『霊長』の分際で! 神を恐れ崇拝するだけの『徒』の分際で! 天使に触れ悪魔に唆され魔導の一端を学んだだけの『魔術師』の分際でだ!」


 簡単だ。単純だ。純粋だ。


「ヒトから端末が現れたのだ!」

「己を世界の端末だと認識することが出来てしまった『魔術師』がいた!」


 その魔術師は己が仕組みを究明しようとした。


 深く世界に根付く己を探求の為の極上の素材として見た。


「――その結果は、終末は、最期は、あまりにも呆気ない」


 滅んだ。


「自滅だった。世界とのつながりを強め、世界としての器を表層へと浮き出させようとした結果。そいつの肉体は限界を迎えた」


 極々自然な話だ。


「世界がそいつに与えたのはあくまでも予備装置だ。もう一つの己の発生ではない。世界が終わるその時まで、それは世界の器足り得なくて良いのだ」


 厳重なプロテクト。いつか迎える終焉まで、一つであり続けるための保護機構。


「世界の接続までは成し得たのだ。本来ならば狂おしいほどの歳月を必要とするその到達点へと容易に着いた」


 ――だが、その先は駄目だった。


「世界とは、情報の集合である」

「世界とは、それらを内包する器である」


 ソレは繋がったそばから流れ出る情報を受け止め切れずに消失した。


「端末に施されたプロテクトとは即ち、器の制限」


 迎えるその時まで、器が器として機能することのないように仕込まれた安全装置。


 その器の許容量を超えて世界へと繋がり、溢れ出る情報を受け止め切れずに一つの都市を巻き込んでその魔術師は消滅した。


 ――否、その消滅は一つの都市と、数百の魔術師と、一つの小惑星を巻き込んだ。


「暴走の果ての自滅だった」


 教会は粛清を叫んだ。


 世界とは父の創りし全てである。それの代わりなどあってはならない。


 協会は保護を選んだ。


 いつか終わる世界のその先に、ヒトという種が選ばれる未来を夢見て。


 学府は究明を求めた。


 それこそが彼らの求めた真理の一端であると確信して。


「ただし、その存在は秘された。秘されし存在達によって、さらにその奥へと消された」


 容易に踏み込んでいい場所ではない。


 容易に踏み込んだからこその甚大な被害。


「だから、ソレは今に至るころには知る者が僅かばかりとなった」


 実話は昔話になり。


 昔話は御伽話になり。


 御伽話は噂になり。


 噂は与太となり。


 いつか誰も口にしなくなった。



◆◆◇◇◆◆


「とまぁ、これが世界端末にまつわるお話なわけだ」


 ミランダはそう言って、手作り感満載の『世界端末ってなーに?』と表紙に書かれた紙芝居を畳んだ。横ではスノウが「ほえー」などと言いながら拍手していた。紙芝居見た後の子供かよ。紙芝居見た後の子供だなぁ……。


「で、これってなに? 『世界端末』なんて聞いたことないけれど」


 ひとしきり拍手を送ったスノウがミランダに問い掛ける。「……ん? あーかいぶず?」などと聞き覚えのある単語に首を傾げるが、それだけだ。


「そりゃね、学府内でもかーなーりーの機密事項だし」

「そのかーなーりーの機密事項、話しちゃっていいの?」

「いいのよ。そっちのお嬢さんは知っているようだしね」


 そう言って私のことを指さす。スノウは「知ってるの?」と目顔で問うてくる。ここまで開示されているのだから隠しても仕様がない。


「知っている。とはいえ、私が知っているのは今紙芝居でやった内容が殆どだよ。それ以上は知らない」


 実際、私が知っているのはそこまでだ。数年前から学府が秘密裏に研究を再開させ、それらの一定量の情報がある派閥の上層部にのみ渡った。そうして漏れ出た情報が様々なフィルターを通して私のところにまで伝わったというわけだ。


「で、そんな学府の機密事項をわざわざ私たちに――あまつさえ『席』獲得のための権力闘争なんかに勤しんじゃっている兄がいるスノウに話す理由って?」

「おいおい、私は最初に言ったよな? いの一番に言った筈だ。アマギシンについて話したいことがあるので、会えませんか? とね」


 世界端末とは世界の情報を一身に内包するべくして選ばれた器。


 ただし、世界が終わるその時までソレは目を覚まさないように仕組まれている。安全装置であるプロテクトが掛かったまま無理にでも世界との繋がりを強くしたりすれば、器は崩壊するだけだ。


 けれど、それはつまり、プロテクトは掛かってはいるが世界との繋がり自体は最初から存在し、あまつさえそのプロテクトが『器自体の安定』と『外部からの侵入を防ぐ』役目も持っているとしたならば、結果はどうなる?


「世界端末であることが、天木の突出した精神干渉への耐性の理由か」

「当たり」

「ただ、それだけじゃ理由としては弱いでしょう。世界端末である必要条件を満たしていない」

「まぁ、そうね。それだけじゃ弱い。確証なんて見えないし、仮定にすら程遠い。――ではここで私の素性の一部を教えてあげよう。私の名前はミランダ。元・学府所属で今はしがないフリーターをしている。特性は火。専攻は精神。少し前までは、ブロウルという人間と手を組み、天使を地上に降ろすことを画策していた」

「元……?」


 学府では基本的に入った後に『辞める』ことなど起こりえない。魔術師としての範疇であれば『常識的に考えて犯罪者として扱われるであろうこと』をやらかしたとしても、学府事態に被害が及ばなければ追われることはない。所属することによるメリットがデメリットに釣り合っていないのがあそこの在り方だ。だからこそ、通常の魔術師は学府の門戸を叩くのだ。


 であれば、学府から身を隠す/追われるような存在――それこそブロウルのように学府の蒐集物を持ち逃げでもすれば登録を抹消されるなり捜索と始末のための人員を送り込まれるなりするだろうが、それでは尚更おかしいのだ。何故なら――、


「学府のデータベースにはあなたに関する情報はなかった。私の伝手を使っても、あんたの情報は一切出てこなかった。たとえ元所属だろうと、その形跡すら残っていないのはおかしいでしょうが……」


 ブロウルのように形跡を消し去ろうと――いや、ブロウルが行った証拠の隠滅だって完璧ではなかった。私という一個人が持てる情報網を十全に使えばその片鱗は探れた程度だった。


 ブロウルほどの人物が行ってその程度だったにも関わらず、このミランダという女がそれ以上になる理由とはなんだ? ブロウルを上回るということはどういうことか?


「学府そのものに保護されている。それも、ブロウルですらあなたが学府の人間だったという素性を掴めなくなるほどに」

「ぴんぽーん。私の真のお仕事は学府によって遣わされたブロウルの監視役だった」


 個人ではなく学府自体がバックアップに回っているからこそ行えた力技のような素性の抹消。


 ――考えていた可能性のうちの一つではあったが、その線は低いと考えていた。私が見立てていたミランダの魔術師としての質はどう足掻いても『特別』には成り得ないものだった。それ故に、この女が学府でブロウルすら超える立ち位置にいるとは思っていなかったのだ。


 だが、実際はブロウルのような『特別』を追うのに適した特化を持っているが故に、この女は学府から選ばれている。


 そこまで考えたところで、さらに思考する。


 では、なぜこの女はブロウルを監視することになった?


 ブロウルが天使を環世界に堕とそうとしたから?


 ――いいや、違う。それは行き着いた結果であって原因ではない。そもそも、『天使の現界術式』などという荒唐無稽なものは数多の魔術師が今なお挑んでいるもので、その中にはブロウルと同等の存在もいる中、わざわざブロウルにだけ監視を付ける理由がない。


 では、ブロウルが監視を付けられた――監視を付けねばならなかった要因とは、彼が持ち出した数多の魔道具に由来するものか?


 ――それはあるだろう。否、それ『も』また、あるのだろう。天使と対を為す悪魔の生成物など無所属の一個人が所有していいものではない。でも――


「一番の理由は、ブロウルが暗部で収集した情報を漏洩させないことか」

「大正解だ」


 ブロウルが何よりも危険視されたのは、彼自身が持つ知識ということだ。学府の暗部にて様々な事情に関わり続けた結果として、彼は通常の魔術師では不可能なほどの膨大な知識量を――学府において上層部しか知り得ないような様々な機密事項をその脳に持つこととなった。


 そして、


「そして、その中には『世界端末』にまつわる情報があった」


 私の言葉を受けて、ミランダは言葉を引き継いだ。


「そして、私からの報告を受けて、精査して、吟味した結果。あの状況下で『ナルコシスの剥奪』及び『ヴェルデギェスの手記』の影響を無効化ないし軽減し、ブロウルが『天使』という上位階層の存在よりも優先するような存在は『世界端末』の可能性が極めて高い。という結論に学府は至った」


 ――そこまでミランダが話したところで、黙っていたスノウが口を開いた。


「その、結論に、至って、学府が、定めた、方針は、なに?」


 一言一言、区切るようなその喋り方は非常に心臓に悪い。


 ――スノウは常に魔力を身体から周囲へと放出し、その反射を感じ取って五感とは別に周囲を知覚しているのだが、その放出される魔力量が莫大に増え、喫茶店をスノウの魔力で埋め尽くさんばかりの勢いになっていた。


 濃密な魔力は空気すら塗り潰し、通常の人間の生存に適さない空間へと変貌していく。


 人払いを行っていて正解だったなーと思う。他に客がいたらもれなく全員が昏倒してガス漏れ事件として隠蔽工作を行わなければいけないところだった――あ、カウンターの奥にいた初老のマスターが倒れた。あとで心身の検査をしなきゃいけないな……。


「……決まっているだろう、暴走すれば小惑星一つを滅ぼすような存在で、その解明が殆ど出来ていない存在だ。危険の一言に尽きてしまう存在に対して行われることなど、捕獲と解剖、暴走の兆候が見られれば無力化のために殺害し、死体は今後の研究のためのホルマリン漬け以外に……何がある?」


 その言葉を受けて、スノウは右腕を掲げた。指揮棒を悠然と構える指揮者のように。


 それと同時にミランダの周囲の空間が歪む。ミランダが歪みに気付くのに並行して、スノウの腕が振り下ろされるために肩を起点に肘、手首、指先がしなり――爪先が頂点へと達すると同時に――振り下ろされた。


「――違うか。壁を殴ることになんの意味がある? それで気が晴れるならまだ意味はあるけれど、こんなのを殴ったところで秦くんの為にはならない」


 腕は振り切られることなく水平の段階で止まっていた。


 そして、ミランダの周囲に発生し、空間の裂け目から飛び出した数百を超える刃もまた、ミランダにその刃先を向けたまま止まった。


 裂け目と刃の隙間から覗くミランダの頬には冷や汗が伝っており、その滴は彼女の皮膚を突き破ろうと寸前まで迫っていた刃へと移る。


「それで、あなたはどうしてそれを私たちに教えようと思ったの?」


 突き出した刃を空間の裂け目へ逆再生させるように納めつつ、スノウは疑問を口にした。


 ――そう、結局のところ『そこ』だ。


 ミランダは学府に雇われていた魔術師で、天木秦は『世界端末』で、その天木秦を学府が捕獲しようと動き出している。確証は得られずとも、虚言と否定できない程度には筋が通っている。


 では何故、ミランダがそれを私たちに伝える理由がある? 教えることによるメリットとはなんだ?


「天木が『世界端末』であることも、その『世界端末』を学府が捕獲しようとしていることをわざわざこのスノウに教える理由がない」


 教えない理由ならば腐るほどあるのだ。そのような義理がそもそもないし、『世界端末』自体が一応とはいえ秘匿事項だ。そのうえ、その『世界端末』捕獲ともなれば極秘事項だろう。もしもそのことを外部に漏らしたとすれば、学府からの処罰だって相当なモノになる筈だ。それにも関わらず、それを私たちに教える理由とはなんだ?


「私は受けた恩には報いる主義なんだ。――そして、借りは必ず返す主義でもある」


 理由の説明になってねぇ……。


「話を最初に戻そう。私の認識阻害魔術はシンに通用しないんだ。その理由はわかるな?」


 認識阻害は大まかに二種類ある。外側からフィルターを被せて誤認させるモノと、対象者の内側にあるフィルターそのものを弄って認識を変換させるモノだ。そして、ミランダが使う『害無きモノを害せず』は後者にあたる。


「対象者の認識――精神へと干渉する魔術であるが故に、天木の精神干渉耐性の前では一切通用しない」


 天木秦が『世界端末』であることが真実ならば当然とも言えるだろう。


「私があの場であなたたちを前にして堂々と逃走を図れた理由は、私の魔術に他ならない。いてもいなくても気に留められない存在がその場からいなくなることに対して疑問を覚える人間はいない。当然だろう?」


 私たちはあの美術館でミランダがいなくなったことを意識できていなかった。認識はしていたが、意識の外にあった。では、どうしていなくなることに疑問を抱く必要のない人間のことを調べようとしたのかと言えば、それは意識され続け、認識され続け、逃げることに――逃げようとしているのに私たちから干渉がないことに疑問を持った存在がいるからに他ならない。


「わかるかなぁ。平然と、悠然と、堂々と立ち去ろうとしたら『帰るんですか?』って声を掛けられてさ。驚愕するこちらに対して『二人はどうするのかな?』って言いながらスノウ=デイライトに声を掛けようとして、その動きに私が慌てた表情をした瞬間に止めて、笑いながら『まぁいいか。それではまたいつか。どこかで』なんて言いながら手を振られた私の気持ちが分かるかなぁ」


 その場の光景がありありと浮かぶ。そして、もしも私がミランダの立場だったら抱く気持ちは屈辱以外のなにものでもないだろう。己の研鑽の証である魔術が――スノウすら誤認させる魔術が、つい先ほどまで魔術など知りもしなかった少年に通用しなかった。


「それどころか天木は無意識下で理解していたのでしょうね。もしもその場で天木がスノウに『ミランダが逃げようとしている』と伝えれば、スノウは道端の石を蹴り砕くかのように害意すら抱くことなくミランダを殺していたことを」


 ――天木が言うのならば、自分は全くなんとも思わないけれど、とりあえずその存在を終わらせよう。などという発想を当然とするスノウに、天木はあの時点で気付いていた。


「シンは私を助けたんだよ。スノウ=デイライトという脅威から私を守った。だから――」


 そこで一度言葉を区切り、取り出した煙草を咥えてオイルライターで点火し、吸って、吐き出す。


「――だから、数時間以内に学府から遣わされる捕獲者たちによって、生け捕りないし殺害されるアマギシンを助けることができる可能性を持つあなたたちに、それを伝えることを私は恩返しとしたんだよ」


 そしてそれは意趣返しでもある。『世界端末』の捕縛などという重要事項を遂行するにあたって、学府が遣わす人間がまともなわけがない。


 スノウという『デイライトの戦姫』を侍らせている存在に対抗できるだけの存在を送っている筈なのだ。


「スノウ」


 私の呼びかけに答える少女は、もうそこにはいなかった。

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