◆十六話:できるかな(できた)
携行性と高い殺傷性を両立させている“銃”。
それは人類が持つ暴力性の至った答えの一つ。
どこまでも“破壊”という暴力の効率性のみを追求されたが故の収斂された形。
たった一つの目的を目指し続けた機構。
ある種の機能美とも呼ぶべき美しさがそれにはあった。
その美しさに魅せられたモノたちがいた。
――魔術師という人種は大まかではあるが二種類に分けられる。
それは『使う者』と『求める者』。
スノウ=デイライトやネセル=ベイルートは前者に分類され、刀河火灼や南雲飾は後者に分類される。それらの対象は極端に偏ってはいるが、性質としての比重の話であり、どちらか一方でしかないということは殆どない。
使うために求め、求めるために使う。
――銃に魅せられた『求める者』たちがいた。
ただし、銃と魔術との組み合わせという彼らが夢見た運用方法はすでに頓挫していた。
その理由は至極単純であり、言ってしまえば、
「わざわざ銃火器にする必要がないから」
その一言に尽きた。
実際、その必要はなかった。
銃火器において、重要なのは弾丸自体の質と撃ち出す力、そして命中精度。
火薬による推進で『撃ち出す』という部分に魔力の使用を要求せず、ライフリングによって弾道の精度が保障されている分、弾丸そのものへと魔力を回せる。延いては威力を高められる。それは一見すると真っ当そうな理論だった。
だが、回した魔力を籠めるのが小さな弾丸ではその許容量にも限度があったのだ。
では、十分な魔力を籠めるのに適した弾丸を用意すればいいと一部の魔術師は考えた。そして、そこでぶつかったのは劣悪な費用対効果の問題。使い切りの弾にコストを掛けたとして、回収できる見込みがない。いつの世も、どんな職種であろうとも、人として社会で生きる以上はお金の問題が付いて回る。
ある魔術師は言った。
「これ、別に銃である必要ないよな。杖握って魔力を圧縮して撃ち出した方が良くね?」
誰もが薄々勘付いていたことだけれど、それを言ってはいけない雰囲気があった。
口を滑らした魔術師は一同から一通り殴られた後、謝罪をされた。正論だったからだ。
その後、銃の形をした杖にするのはどうかという話になったが、形だけ真似ても「だからどうした」という結論となった。
そもそも、魔術師が銃を必要としない。魔力と触媒さえあれば、銃よりも携行性が良く、銃よりも殺傷性が高く、銃よりも費用対効果に優れた魔術を使えるからだ。
もしも銃に魔力を籠める必要があるとすれば、魔術師でもない存在が、通常の銃弾ではなく魔力の籠められた弾丸を撃ち出す必要があるときぐらいだと、そう結論付けられた。
――彼らは泣いて、その研究を凍結した。
――そして、全くの偶然か、それと同時期に教会はとある祝福者たちを確保した。
――意思改変。
――生命の圧縮。
――肉体からの塑造。
教会は祝福者と、祝福者によって奇蹟を施された聖具を掲げた断罪人。それらを遣わして異端を狩っていた。だが、祝福にはばらつきがあり、祝福者の数には限度があり、作成できる聖具にも限度があった。それでも、教会は祝福者を用いるしかなかった。何故なら、神の祝福でなければ魔術師たちの扱う偽りの奇蹟を否定できないから。
どうにかして魔術師へと有効な手段を確立できないかと考えた。もっと効率的に、さらに画一的に、より先進的に、いかにして異端者を安全に駆逐するか。彼らは考えた。
そして、ある一人の司教が言った。
「魔には魔をぶつければいい」
魔道へと踏み外せと言うのか? 魔術を使えと言うのか? 魔術師を使役するのか?
――否。
司教は否定した。そして取り出したるは一丁の回転式拳銃。
無骨な鉄の塊。
の、ような、なにか。
「これが、魔術師だ」
素材、五体。そのすべてが凝縮されている。そこに意思はない。あるのはただ、銃の構造を模り、身を削って弾丸の役割を持つ塊を生成し、装填し、発射する機構。かつて人だった存在がそういう在り方だけをするように施された成れ果ての塊。
Ceresと名付けられたそれは――魔術師を殺すために造り変えられた魔術師たち。
その銘の由来は、素材それぞれの頭文字。
□■■□
所有者の手を放たれた銃――Rosinaが脈動し、その鼓動が空間を侵食する。
そうして脈動が伝った半径約二メートルの空間が、ロジーナに集うように内側へと爆ぜた。
教会によって認可された断罪人以外が触れられないようにするための自爆機能であると同時に、非常に強力な一度きりの範囲殺傷攻撃。ロジーナを掴んでいたグレンの右手はこの世から塵一つの痕跡すら残していない。引き起こされた爆縮の範囲にあった地面はあまりにも綺麗に削り取られている。
だが、スノウは避けていた。
ただし、完全には避けられていなかった。
左肩が半分ほど無くなっている。骨と肉の詰まった綺麗な切断面。断面を空気に晒して、一秒と経過せずに血液がその断面をから溢れるように噴出する。
完全に意識外の攻撃だった。だというのに、それすらスノウの左肩をある程度抉るのみで終わった。けれど、グレンはそれを確認するまでもなく行動していた。グレンは今の一手すら避けられることを考慮していた。いや、確信していた。だから、それすら崩すためと割り切っていた。
左手に握る銃――Ameliaが銃口を震わす。
爆縮を避けるために重心の傾いだスノウへと直進する。
それにすら、スノウは冷静に対処した。左手の喪失も、左肩の激痛も、些事であるかのように痛覚を切り離しており、その思考に一切の翳りはなく、落ち着いて空間魔術を起動した。
その弾動は置きに行くモノ。ならば、そこに行かなければいい。
形にすらこだわらない。ただ、そこにあればいい。
身体を支える必要すらない。ただ一瞬、たったの一拍、この身が止まればいい。
固定された空間の面に当たる。空間が砕ける。その一瞬が、スノウを銃弾から遠ざける。
一発目が素通りする。それは当たる筈の位置だった。
二発目が素通りする。それも当たる筈の位置だった。
三発目が素通りする。それは元から当たらない位置だった。まるで、それ以上先に行かせないようにするための牽制で、そこに縫い留めるための軌跡を描いている。
そして、ネセルが思わず呟く。本人すら意識していない呟き。
「真上に撃てば、銃弾は落ちてくる」
四発目が落下して来た銃弾に当たる。
――は?
声は間に合わない。それはスノウの意識内で生じて消えた疑問符。
本来であれば、スノウには当たらない筈だった銃弾。
それが落ちてきた銃弾にぶつかり、弾ける。
弾と弾をぶつけることによる跳弾。絶技ではあるが、二度は通じない筈の奇策。片手を無くし、出来なくなったはずのソレはスノウの認識を潜り抜けた。
「――っ!」
スノウの顔の真横で、弾けた。
血が飛ぶ。肉片が散らばる。
□■■□
――立っていた。
少女は立っていた。
銃弾を下顎に受け、その部位を失ってなお、その金色は立っていた。
『認めましょう』
発声のための口の半分を喪い、今もその箇所から血肉を滴らせている女が喋った。
グレンは動揺する。スノウがなおも立ち続けたことに、ではない。
聞こえた声が、先ほどまで発していた声とは全く違うことに――遥か過去の記憶を揺さぶる声に、驚愕した。
□■■□
――腹話術という魔術が存在する。
喋らない筈のモノが喋る呪術。それは神秘に分類され、木や動物、人形が人と言葉を交わしたと言われている。現代において技術的にも再現できるソレは大道芸などの見世物として扱われている。そして、それとは別に、虚空から実際に声を生じさせる魔術も存在した。
魔術によって虚空を震わせる発声方法。
一人の魔術師は考えた。
「これに詠唱させりゃよくね?」と。
噛まないし、息は上がらないし、予め定型文を設定しておけば咄嗟に淀みなく唱えるので思考の邪魔にもならない。
詠唱は魔術の質を上げるが、発声というプロセスがある以上、どうしても扱いづらい。これが動き回ることの少ない研究職であれば大して問題にもならないが、激しく動きながら魔術を使用することの多いスノウのような戦闘を主体とする魔術師には『詠唱』という行為そのものが忌避されていた。事実、スノウはほとんどの場合を除いて術式を思考や動作発生にしているし、他の魔術師も同様であった。
詠唱による魔術の発動は凡そ戦闘に向いていない。それが結論だった。
だが、魔術師――刀河火灼はそれをあっさりと覆した。
腹話術式という些か間の抜けた名称のソレを用いて、一度に、同時に、六つの詠唱を重ねることすら実現させた。それも、一瞬の判断が生死を分かつ高速戦闘中に。
当時、未熟とはいえ『化け物』の片鱗を覗かせていた十歳のスノウ=デイライトと相対し、その隣に立つことを認めさせたもう一人の化け物。
□■■□
『認めましょう』
――腹話術式とかいうふざけた名称のくせに、要求される技術が独特であり難度が高い。
スノウ=デイライトは内心で愚痴った。刀河火灼はそれを平然と使いこなすが、スノウには不可能だった。自身の声の再現すらできない。だから、火灼が用意した“火灼”の声を使うことになるし、喋りながらの発声も上手くはできない。火灼が気軽に使う“定型文”すら再現ができない。
呪術と呼ばれる体系化されていない――或いは体系化できなかった魔術。刀河火灼は膨大な量のそういった呪術を習得しており、スノウはそれらの中からそれなりに使えそうなモノをいくつか教えて貰っていた。腹話術式はそのうちの一つだった。
こうして、口や喉に問題が生じている状態で言葉を必要としたときに便利な程度。
――でも、今はとても役立つ。
銃弾がスノウへと迫る。それを右手の短刀で弾くたびに、傷口から血液が噴き出る。
『あなたは私の敵ね』
日本に来て、三度目となるスノウの障害認定。
一人目は、ブロウル。
二人目は、ネセル。
そして三人目、グレン。
スノウ=デイライトは日本に来てからも、度々戦闘行為を行っている。魔術師とも、両の手では数えられない程度には殺し合った。そして、スノウ本人が、殺し“合った”と思っているのは、ブロウルとネセルの二人だけ。
その手が自らの命に届き得るとスノウが感じた相手は、たったの二人。
――目の前に、三人目。
『私は何処から発生した?』
自身の定義をなぞる。
『私とは何だ?』
自身の根底を覗き込む。
『私は何処へと行き着く?』
自身の終着を再定義する。
そこまでが詠唱。純粋種へと回帰するための式。スノウの肉体が変質する。
そこへ、加える。
『――あゝ、君の為なら死ねる』
自らの根源を確信し、
『――然れども、この身朽ちるとき、願わくは君と連理の枝を』
自らの願いを確定させる。
純粋回帰――吸血鬼。
周囲の魔力がスノウに集う。
砕け飛んだ下顎が戻り、抉れた左肩が戻り、弾けた左手がその形を取り戻す。その形こそがあるべき姿であるかのように、グレンの死闘を塗り潰していく。
碧眼が金色に染まり、一雫の真紅が滲む。男を射殺すように見つめる縦長の瞳孔は人の特徴から外れている。口元から覗く牙は獣を想起させ、ただでさえ人間離れしていた白皙がさらに白くなる。
グレンはその特徴を知っていた。だから、叫んだ。
「ヴァンパイアッ!」
魔力と呼ばれる世界の歪み。
万物が抱え続ける歪みの一つ。
それらの歪みを喰らう分解者。
吸血鬼と呼ばれる怪物。
魔術は魔法の再現であるが、その本質を模倣することはない。あくまでも結果を真似るのみであり、同一の過程を辿らない。だが、純粋回帰はその『本質』そのものの模倣だった。
因子を持つからこそ可能とする過程の再現。
過程を辿ることによって到達する現象そのものへの変質。
『さぁ、殺し合いましょう」
□■■□
――その声に戸惑ったのは最初だけだった。
幼少の砌にて、頬を優しく撫でてくれた女性の手。
動かなくなって冷めた父親だったなにかに縋りつく私の手を柔らかく包んだ手。
手を引っ張り、連れられた孤児院。
「正しくありなさい」
優しい声で女性はそう言った。正しさとはなにかと、そう尋ねたら、
「それを見つけるところから始めよう!」
だから、私は正しさを決めて、それに従い続けた。
――心尽くし、尽力し、神を、主を、人を愛した。
すぐに正気を取り戻す。目の前の化け物に意識を戻す。
詠唱中に何もしていなかったわけではない。何発も銃弾を撃ち込んだ。魔術師数人分の魂と肉体そのものを削り出して精製される弾丸は高純度・高質量の魔力によって生半可な変則防御を打ち破り、内包された触れるモノを破壊する術式によってあらゆる物質を破壊する。
だが、その全てが弾かれた。
詠唱を始めた瞬間に、スノウ=デイライトを何かが包んだ。見えないなにか――見えざる手のようなモノが彼女に触れることを拒絶した。
そして詠唱を終えれば、少女は完全な人外へと変貌していた。
赤みがかった黄金の瞳。発達した牙。再生する肉体。人間離れした雪膚。
吸血鬼。それも、おそらくは純粋種だ。
『さぁ、殺し合いましょう」
これまでのが殺し合いではなかったと、そう言われた。
私が命の危機を感じ取りながら、どうにかして与えたはずの損傷は無に帰した。
何かが一つ、折れた気がした。
それでも、残ったモノもある。譲れないモノがある。
私が取れる行動は、ただ一つ。
「逃げろ! 全力だ!」
あらん限りの声を張り上げて叫んだ。
事前にこの付近で待機させていた人員に聞こえるように。
伏兵として潜ませていたが、目の前の化け物はすでにそういった次元を超えている。
すでに祝福は切れている。架空の感覚器は消失し、肉体の再生は停止している。
せめて、彼らが逃げられるだけの時間を確保しようと、した。
「なるほど、それがあなたの勝利条件か」
スノウ=デイライトはそう言って、一度、柏手を打った。
瞬間、世界が暗転する。陽が消えた。辺り一面が突如として夜になった。
否、夜ではない。黒くはあるが闇ではない。なんだ、これは。
「結界だよ。事前に配置していたモノを起動した。声が聞こえるような範囲なら、まず間違いなく入っているし、出られない」
この少女は私のことを『敵として認める』と言った。つまり、先ほどまでは私のことをそう思っていなかったということだ。それはつまり、油断ではないけれども、本気を出す必要がないと考えていたということだ。そして今、少女は油断なく、本気――その一端を惜しげもなく振るおうとしているということに他ならない。
「先にそっちから狩るか」
私から視線を外して、横に駆けた。
させてなるものかと、銃口を向ける。
だが、その先にはすでに姿がない。視界から完全に見失った。
気付く。今の全てが、思考と視線の誘導であることに。
――敵として認めた私から、あの少女が目を離すはずがないのだ。




