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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
三章『その目に映るのは』

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◆十二話:てるてるぼうず

 お花を摘みに行くと言って私は離席した。口元に手を当て、呟く。


「さて……」


 ――脳裏に映るのは少女が着けているヘアピンだ。


 私は以前、似たようなモノを見たことがある。火灼さんが用意していた魔具の中にあったイヤリングの装飾――それに似ている。先輩は気付いていないようだが、先輩が身に付けているネックレスの装飾とも類似点が多い。


『――腕のいい金細工師が作ったモノでね。魔術的にも出来が良いのが多いんだ』


 火灼さんのそんな言葉を思い出す。


 あの人には蒐集家としての側面がある。珍品貴重品骨董品が大好きで、それでいてそれらを消耗品としてを使うことに躊躇いがない人だ。


 そんな人がわざわざ先輩に身に着けさせている装飾品――十字のネックレス。


 その効果は位置情報の共有だと聞いている。精度が恐ろしいほどに高く、よほど強力に遮断をしなければ地球の裏からだろうと簡単に場所が割れるというモノ。


 そんなプライバシーを著しく侵害するようなモノだけれど、先輩の希少性を考慮すれば、スノウさんに認めさせた上で肌身離さず着用するように厳命するのも頷ける逸品だ。


 私は形成術を使うこともあって、モノの造形に対する造詣は深いほうだという自負がある。一目見ればその構成を大まかに把握できるし、製作者の意図や癖といったものも読み取れる。


 ――あのヘアピンの製作者は、かの金細工師と同一人物である可能性が高い。


 スノウさんが認め、火灼さんが重用する魔具ともなれば金銭的価値も高い。実際、先輩の着けているネックレスは売れば一軒家が買える額になると聞き及んでいる。


 ただの小学生女子が気軽に身に着けていいものではない。

 十中八九、魔術師の息が掛かっている。


 それがわざわざ先輩――天木秦に接触したのは偶然か?


 その可能性もあるけれど、楽観的ではいけない。最悪は想定しておくべきだ。


 ともすれば受け身ではダメだ。先んじて動く。


 探るべきだ。そう結論する。


 ――頭の中で算段を立てる。


 持ち込んだスピッツ管は六種類。


 中に籠められた魔術は火灼さん謹製であり、性能は信頼できる。


 ヘアピンに刻まれた術式によるが、あの手のモノは性能を絞ることによって強力にしてあることが多い。実際、先輩が着けているのもそうだ。


 普段から身に着けているということは、本人の安全性に寄与する性能だ。増幅器(ブースター)の線もあるけれど、それならあんなあからさまに見せびらかすことはしないだろう。それこそ、見せることに意味がある筈だ。


 魔除け。おおよそ、その認識で正しいだろう。


 その効果は攻撃的な行為に対する返報性だろうか? ……いや、それだと一般人との些細な諍いで発動する危険性がある。ともすれば、対魔術師用だろう。


 攻撃性の魔術か精神干渉系――とりわけ悪意や敵意に反応する呪詛返し。それらの線が濃厚だろうと当たりをつける。


 スピッツ管を何本か組み合わせれば抑制は出来るはず。


 目立つべきではないので決行は深夜。部屋に忍び込めばいいだろう。


 ――もしもそこで気付かれてご対面となれば、話し合いの場を設ければいい。


 魔具を持っているということは魔術師、あるいはその手先だ。そして、教会の人間でもなければこちらが魔術師だとわかってもいきなり暴れ出したりはしないだろう。


 少なくとも、ここに来た目的が“イト様”であるとすれば、騒ぎにはできるだけしたくないはず。それは両者の共通認識として成立する。たぶん。


 もしもの場合を考慮して、スノウさんにも伝えておこう。


 あと、先輩が女児を引っ掛けていたこともしっかり伝えておこう。


 ――よし、やることは決まった。あとは実際に動くのみだ。



 □■■□



「……それなりに意気込んだのだけれどナー」


 小さく小さく、音にならない程度に抑えつつも思わず口にしてしまった。


 時刻は草木も眠る丑三つ時。悠理ちゃんが宿泊している部屋に私は忍び込んだ。


 火灼さん仕込みのピッキングで鍵を開け、どこぞの暗殺一家の三男並みに音を殺して歩いて部屋に入ってみれば、そこには熟睡しておりスヤスヤと小さな寝息をたてる悠理ちゃんの姿があるのみだった。


 ――見立てが外れた。


 視覚に暗視補正の術を掛けているので、部屋の様子は不自由なく把握できる。


 悠理ちゃんが寝ている布団とは別に敷いてある布団があるけれど、そちらの主はどうやら外出しているようだ。小学生が一人で来ることを良しとするような宿泊施設ではないので、同行した保護者あたりだろう。気付かれないように気配を隠す魔術を使っているが、出来れば戻る前に済ませたい。


 そして、肝心の悠理ちゃんはぐっすりと眠っていた。


 暖房の効きが少し弱いのか、掛布団を顔の下半分を隠すように持ち上げており、布団の上からでもわかるぐらいには身体を丸めていた。


「ヘアピンも外しているし……」


 私が警戒したモノは外されており、枕元に置かれていた。


「まぁ、都合は良いか」


 左腕を捻る。義手の前腕が縦に割れる。そこに指を入れ、内部に仕込んであるスピッツ管を二本取り出す。蓋を開けると、管の中からそれぞれ黒い濁った泥のようなモノが這い出ようとするので、それらに私の魔力を通し、形を命じる。


「想起、釘」


 黒い泥の一つが五寸ほどの釘へと形を変え、固まる。


「伝心、鎚」


 そう言うと、もう一つの黒泥は金槌へと変形する。


「『想起伝心』」


 ――よし、準備完了だ。


 魂を喰らうモノと呼称される存在。魂に接触し、操作する異形。

 その残滓から掬い出して作り上げた記憶に触れる魔術式。


 相手の素性を探るのであれば、一番確実なのは相手の記憶や心を読むことだ。

 そして、私の手元には記憶を探るための手段が存在した。これを活用しない手はない。


「方法はとっても簡単。対象物に手を添え、その手ごとこの釘を打ち込めばいい」


 そうすれば釘を介して記憶を伝心できる。条件は難しいが有用性の高い魔術だ。


 固定するために釘を右手の甲に突き刺す。この釘は肉体に損傷を与えない。見た目はちょいとばかしグロテスクだし心理的にも抵抗はあったが、痛みなく釘は私の手の甲を貫通した。


 悠理ちゃんの肩に右手を乗せる。


 ――記憶は“再生”が一番無難だとあの人は言っていた。


 他者の記憶に触れるにあたって、初心者は追憶の形式を取るのが安易であり安全だと言う。記憶の始点を意識して、そこからは流れのままに追っていける。意識すればある程度の早送りと飛ばしは出来るらしいので、やって覚えればいい。


「さて、悠理ちゃん。あなたはどうしてここに来たのかな?」


 金槌を振り下ろした。



 □■■□



 ――最初の記憶は困ったような笑顔。


 その人はおっかなびっくりな表情を浮かべながらこちらを見て、喜んだ。


 ありがとう。


 感謝の言葉を小さく呟く。


 それは誰に向けての言葉だったのか。


 最初に貰ったのは名前。


 佐田悠理。


 それは母との繋がりを示す唯一の証で、自分が母の子どもであることの証明だ。


 ――物心がついたころに、自身の境遇が普通とは違うということを認識した。


 端的に言えば、貧窮していた。


 親は母一人のみ。父の顔は知らない。


 祖父母という存在が“ある”ことを知るのはかなり後のことだった。


 どうして自分には父がいないのだろう? そういった疑問を持つことすら出来なかった。


 母はあまり要領の良い人ではなかった。若くして子を身籠り、産み、そして男に逃げられた。


 学もなく、技能もなく、繋がりもなかった。


 誰も頼れなかったし、頼ろうという発想が抜け落ちていた。


 祖父母という存在を無意識的にとはいえ避けていたのだとなんとなく理解し、その概念を知ってからも母の前で言及することはなかった。


 母は苦労していた。思い返せば、拙い人だったのだ。


 人と交流する能力が劣っていた。生きることは出来ても、十分な生き方を選べなかった。


 それでも、母は自分を育てようと頑張っていた。


 誰にでもできて誰もやりたがらない賃金の低い仕事をした。


 衣服は近所に住む人に頭を下げ、擦り切れて捨てようとしていたものを貰い、それを修繕して使い続けた。


 小学校に通うにあたって使うことになったランドセルだって、近くに住んでいた家の一人娘が卒業したからと、そのお古を貰ったのだ。自分が背負ったそれは周囲の同い年が背負う艶やかな新品と違い、随分とくたびれていた。


 あの頃の食事で『満足』という感覚を覚えた回数は片手で数えられる。


 学校では給食費が払えなかったことだって何度もある。授業の教材も買えず、使わずに授業を受けることや他の人に貸してもらうことや見せてもらうことが多かった。


 平等の義務として与えられる学校教育でも、最低限の金銭すら納められない存在には冷ややかだった。教師はこちらを腫れ物として扱った。ときには母が教師に謝り続けている姿を見たこともある。


 母の存在を忌避する親は一定数存在した。


 こどもたちは無邪気であるが、悪意に敏感であった。


 親の話を聞き、その態度を見て、自分のことを『異物』として扱った。


 近付かないように言い聞かせていた親もいたのだろう。


 いじめは――悪質と呼べるほどには発展しなかったことが幸いだった。息苦しく、辛酸であり、涙を流す程度で済んでいたのだ。耐えられるのだからそれは特別なことではなかった。


 身体の成長も明らかに遅れていた。身体全体が細かった。倒れない程度の食事はどうにか取れていたが、それ以上の栄養は摂取できていなかったのだろう。


 文句など、言わなかった。

 文句など、言えなかった。


 ――違う。そもそも、文句など考えられなかった。


 そんな余分なことを考えられるほど生活に余裕がなかっただけ。


 母の苦労は見て取れた。


 母は苦労を口にはしなかったが、その姿はあまりにも――あまりにもやつれていた。


 肌は荒れ、指先はぼろぼろで、髪は手入れができないからと短く切り揃えていたし傷んでいた。若さなど微塵も感じられない有り様だった。


 それでも、母はこちらに笑いかけた。


 そういった苦労などなんでもないと、子供である自分を優先していた。


 まるでそれこそが生きる理由であるかのように、母自身は苦労をしても、こちらに苦労させないようにと必死だった。それでも、生きる上で明らかな不足はたくさんあった。


 だから、笑うしかなかった。


 笑うと、喜んでくれるから。


 自分にはそれしかできないから。



 ――綺麗な髪だねと、母はそう言ってくれた。


 伸ばされた髪を母が嬉しそうに触る。


 母は昔、髪を伸ばしていたそうだ。質が良く、ちょっとした自慢だったらしい。そんな母の髪質が遺伝したのだろうと、こちらの髪を触りながら嬉しそうに微笑むのだ。


 母の髪は、今はそんなことを言っていられないからと短くされている。


 母は「あんまり良くないんだけれどね」と言いながら、度々トリートメントなどの試供品を集めては髪の手入れに使ってくれた。そんなに興味は惹かれなかったのだけれど、母が喜んでくれるので髪の手入れには注意を払った。



 ――母はよく歌を歌ってくれた。


 家には何もなかったから、娯楽の選択が限られていたのだ。


 母は歌うのが好きだったのだと言った。自分もまた、母と歌うのが好きだった。


 歌えば喜んでくれたし、上手く歌えれば褒めてくれた。


 音楽の時間に覚えた曲はその都度、母に歌って聴かせた。


 喜んでくれるのが嬉しくて、嬉しくて。


 だから、歌うのは好きだった。



 ――体育でなわとびというものを知った。


 体力もあまりなく、力もそんなに強くないので体育自体があまり好きな科目ではないのだけれど、無心で跳ねるのはなんだか楽しくて、家でもやろうかと思った。


 歌だけでは暇を潰すのが難しくなってきたのだ。


 けれど、肝心の縄がないことに気付く。学校では貸し出されたけれど、それを持ち帰ることはできなかった。そして、母に購入を頼もうなどとは微塵も考えられなかった。


 どうしたものかと悩んだ。


 手頃な縄をどうにか入手できないかと悩みつつ、いつものように母に教えてもらった歌を歌いながら学校からの帰り道を歩いていると、路上にいつもはいない存在がいた。


 曲がり角の先にいたその存在は道の端に折り畳み式の長机を設置し、パイプ椅子に腰掛け、堂々とした態度で腕組みをしている。地面すれすれな長さのテーブルクロスを敷いた机の上には透明な玉が置かれており、その隣には三角柱型のポップが置かれている。


 ポップには簡素に『占い』とゴシック体で書かれていた。


 当時、文字の意味はわからなかった。知らない漢字だった。


 その存在はフード付きのマントを羽織っており、フードによってその顔はよく見えない。ただし、マントの上からでもわかるほどに恰幅は良く、身体の丸みは女性的だった。


 なんとなく、近付いてはいけない存在だと悟った。


 定期的に家にやってくる『お金かし』の人が持つ雰囲気をさらに強くした存在感だったのだ。


「そこの」


 刺激するのも良くないからと歌うのをやめ、それでいて早歩きにもならないようにしたのだが声を掛けられた。しゃがれてはいるが女性の声だった。


 立ち止まり、周りを見る。誰もいない。


「あんただよ。赤いランドセルを背負ったそこのあんたさ。その可愛い顔で周りを見ても誰もいやしないよ」


 どうやら自分のことのようだ。


 こういう人たちは自分の思い通りに行かないと声を荒げるので反応する。


「なんですか?」


「あたしは占い師ってやつなんだけどね、この道は人が全然通らなくて暇なんだよ。丁度いいからあんたを占ってやるよ」


 おや? となる。たいそうぶっきらぼうな口調であり、近寄りがたさはあの人たちよりも凄いのに、あまり恐れを感じさせない雰囲気だった。少し、違う。


 思う。“うらない”とはなんだろうかと。


「遠慮します。お金ないですし」


 よくわからないけれど、何かをしようとしているのはわかる。そして、そういった行為には対価を求められることも理解しているつもりだった。だから、断ることにした。


「子供から巻き上げるようなことはしないよ」


「ただ働きなんてダメですよ」


「子供が言うような言葉じゃあないね……。なんだい、あんたぐらいの子は占いって言われたら一も二もなく食いつきそうなんだけれどね」


 フードを目深に被っているせいで占い師の顔は陰になっていてよく見えないが、呆れているのはわかる。


「よく知らないし」


「朝の占いとか、そういうのは見ないのかい?」


「朝の占い?」


 なんのことだろうかと思い、聞き返した。


「ほら、テレビでやっているだろ。ニュース番組とかでさ」


「うち、テレビないから」


「なんと。教育方針かなんかかね? 今どき珍しい」


「ううん、そんなお金がないだけ」


 占い師の女性は少し、口を噤んだ。


「占いって、なんですか?」


 相手が黙ったので、こっちから聞くことにした。すると、占い師は答えてくれた。


「一般的なのは、運勢を知るという行為だ」


「うんせい?」


「運の勢いって書いて運勢って言うんだけれど、まーなんだ、この先、良いことがあるか悪いことがあるか、そういうのを知りましょうってのが占いさ」


「知ってどうするんですか? 悪いことがあるとして、知ったとしても、なにか変わるんですか? 知れば、その運勢は変わるんですか? 変えられるんですか?」


 この先に待つ悪いことなんていくらでもわかる。そんなことを知ってどうしろと。


 そう思い尋ねると、占い師は頬杖をつき笑った。


「運勢は変わらないね。変えるのは心構えだよ。『良いことがあるらしい。じゃあ、それをしっかりと享受できるように注意しよう』『悪いことがあるらしい。じゃあ、それ以上酷くならないように注意しよう』――そういう心構えをさせるものさ」


 苦い顔をした自覚がある。それになんの意味があるのだろうかと、何の意味もない行為ではないかと言いそうになった。というか言った。


「意味がないですね」


 占い師と目が合った。フードの奥にある目がこちらの目を捉えた。


「意味を決めるのはそいつ自身だからね。意味を定めたい、もしくは意味を定めて欲しいやつがされるものなんだよ。占いってやつはね」


「――じゃあ、必要ないです」


 自分には無意味なものだ。


「いいや、それを決めるのは、終わった後でもいいはずだよ。ほら、そこに座りな。最初に言っただろう。暇なんだ。暇な年寄りの相手をしてやろうぐらいの心持ちで頼むよ」

「…………」


 どうせ、帰ってもやることはない。最近は母の帰りも遅く、家で一人の時間も長い。


 ――部屋はとても狭いのに、一人の家はとても広く感じる。あの広さは、少し怖い。


 だから、占い師と名乗った女性に付き合うことにした。


 占い師の女性と交わした言葉のほとんどは世間話だった。


 こちらの身の上を聞かれて、それはあまり人に言い触らしていいような内容ではなかったのだけれど、どうしてかそれらのことが口からするすると出た。――占い師の相槌や頷き、話の聞き出し方が巧みだったのだと理解したのは、とても後になってからのことだ。


 ――思った以上に長話をしてしまった。


 帰り道はすでに昏い。古びた街灯がちかちかと点滅する。陽の匂いを残したアスファルトが足元でぬるくなっていく。日中はあんなにはっきりと存在していた色々なモノの境界が黒く溶けて曖昧にぼやける。輪郭なんてモノはさいしょからなかったのだと感じてしまう。


 占い師の言葉を思い出す。


『あんたの帰り道の途中にある赤いポスト、そこで道を一つ右に曲がりな』


 まるで見たことがあるかのような言い方だった。


『そのまま真っすぐに進むと、道の外れに工事用の規制看板がある。その後ろを覗き込みなさい。ソレはもう捨てるだけのモノで忘れられたモノだから、あんたが持っていっても問題ない』


 言われたとおりに、言われた場所にあった看板の後ろを見ると、古ぼけた縄が束ねられて裏の出っ張りに引っ掛かっていた。


『ソレが丁度いいよ。あぁ、うん、本当にちょうどいい』


 手に取ってみる。

 手頃な縄だ。ほどいてみると授業で使った縄跳びよりやや長いぐらい。占い師には縄跳び用の縄を探していることも漏らしてしまったのだけれど、こうまで丁度いいものがあると教えてくれたことに驚く。


 占い師、すごい。思わず唸ってしまった。


 話がとんとんと弾んで、思いがするすると言葉にできて、占い師ってすごいと思った。こちらの思いを引き出して、言葉の形を整えるのを手伝ってくれて、そうして出てきた声を聞いて、頷いてくれる。そして、こうして望んだモノがある場所を教えてくれる。


 占い師、ほんとうにすごい……。


 ――それに、母以外とあそこまで話し込んだのは初めてかもしれない。


 そうやって、ぼろっちい縄を片手に意気揚々と帰途につきながら、ふと考える。


 ――あれ、けど、あの女性は『占い』をどういったものだと言っていたのだっけ?


 家に帰っても、母は居ない。さいきんは「借金」の「とりたて」が多くて、そのために母は仕事を頑張っている。帰ってくるのは夜遅くて、母を迎えたいのだけれど、眠くなってしまって「おかえり」と言えない日が続いている。今日はいつもより、眠くなるのが早かった。知らない人と長話をするのは疲れるのだと知った。無意識に緊張して、肩が強張っていたからだと思う。布団で寝ないと母が悲しむので、ローテーブルを部屋の隅にずらして、布団を広げる。母の分も広げる。


 あぁ、そうだった。と、占い師の言葉を思い出す。


『それは部屋の目立つところに置きなさい。そうすれば少しはマシになる』


 理由はよくわからなかったけれど、占い師は縄を見やすいところに置くように言っていた。なので、眠い目をこすりながら、縄を目立つ場所に置いた。


 これでよし。


 占い師はすごいので、これにもきっと何か理由があるのかもしれないけれど、べつになくてもいい。今日は疲れたので縄跳びをしなかったけれど、明日からはあれを使って跳ねるのだと思うと、少しわくわくした。起きたら、そのことを母に話そうと、そう思った。




 ――――――。

 ――――。

 ――?


 ――喉が熱い?


 そう思って、息ができないことに気付いた。


 苦しくて、瞼が開かない。意識が落ちようとしているからなのか、目を開けてはいけないような気さえした。首が――喉が押さえられているのだと、遅れて気付く。声を出そうとしてそれができない。口がぱくぱくと動くだけ。音が聞こえた。声が聞こえた。とても小さく、這うような声音だった。


「……さえ……ければ」


 母の声だ。苦しい。苦しい。助けてと、出したい声が音にならない。首を絞めるなにかをどかそうとしてみるが、手に力が入らず、触れるだけになる。だから、頑張って目を開けた。母を見つけて、助けてと、そう言おうと思って、


「あなたさえ、いなければ」


 母の顔は目の前にあった。泣きそうな顔だ。泣いていた。ぽろぽろと雫がこぼれている。疲れている顔で、表情が消えていて、なんだか今にも死んでしまいそうな顔だった。母の手が自分の首に伸びていることを理解した。


 ――理解した。母はもう、疲れたのだ。がんばっていたことは知っている。誰よりも知っている。不器用で優しくて温かい母の手が首に触れている。母の手は乾燥していて、かさかさで、荒れていて、そのことが母はあまり嬉しくないらしくて、けれどそんな母の手が自分は大好きで、そんな母の手が首を絞めていた。


 ――時々、思うのだ。


 母はどうしてこんなにも辛そうなのだろうかと。


 母はどうしてこんなにも苦しそうなのだろうかと。


 ――そして、思ってしまうのだ。


 自分がいるから、母はこんなにも苦しんでいるのではないかと。


 なんとなく、そう思ってしまった。でも、それを母に訊ねるのは、絶対にしてはいけないことなのだろうと、なんとなく思っていて、だからどうしても聞けなくて、けれど、もし、それを母の口から聞いてしまえば、母がそうなのだと教えてくれたのなら、


「ぃ……ょ」


 かすれて、たったの三文字すらちゃんと言えないけれど、せいいっぱい、声に出す。


 首に回された手を撫でる。大好きな母の手を撫でる。その荒れた手が母は嫌だったらしいけれど、それでも頭や頬を撫でてくれるときの感触がとても好きで。だから、それが伝わるように、母の真似をして、撫でる。


 かすれた声だったけれど母には伝わっただろうか?


 笑う。がんばって笑う。母が笑ってくれると、嬉しいから、笑う。


 ――意識が遠のく。



 がたん、と、音がする。肩をすくめる。


 ――意識が浮上する。


 咳をする。喉が痛い。喉が熱い。頭がぼーっとする。けれど、あれ、いきている?


 不思議に思い、ぼやける視界で周りを見る。


 視界に映るのは、


 おおきなてるてるぼうず。


 ローテーブルの上で散乱する雑誌。


 てるてるぼうずがゆれている。


 その首には、今日、占い師に言われて持ち帰った縄がくいこんでいる。


 あ、


 ああああ、ああああああ、



「――――――――――」



 そこからの記憶はぐしゃぐしゃと潰れていく。

 何らかの干渉が起きたようで、私の意識はそこで弾かれる。




 ◆◆◇◇◆◆




 衝撃が走る。意識が急激に戻る。事態を把握しようと目を見開き、微かな光を取り込もうとする。胴体にずっしりと重みがあり、なにかがのしかかっている。


 すわ敵襲かと思ったけれど、寝ていた俺にタックルをかましてきたのは成世だった。


「なんぞ?」


 状況が飲み込めないので説明を求めるが、成世は強く組み付くばかりで返事をしない。布団越しとはいえ、こうしてマウントを取られるとろくすっぽ動くこともできない。


 ん? と、成世が震えていることに気付く。


 恐れているかのような震えで、まるで縋っているかのようで。


 とりあえず、落ち着くまで待つことにする。


 手を布団から出して成世の背中に乗せ、一定の間隔で緩く叩く。


 幼い頃の妹――奏を思い出す。心霊特集を見た日の夜は涙目で俺の部屋に来て、一緒に寝ようとするのだ。その時の奏は寝るのが怖いのか、目を閉じるのが怖いのか、理由はどうあれ一向に眠ろうとしないのでこうして寝かしつけていた。


 ――しばしそうしていると、俺の上からかすかな寝息が聞こえてきた。


「寝やがった……」


 落ち着かせようとはしたけれど、そこまで落ち着かれても困る。とはいえ、ここで叩き起こすのもどうかと思い、もうこのまま寝ることにした。


 魔術を使用し、成世の使っていた掛布団を引き寄せる。それを成世の上に掛ける。


 俺は掛布団二枚重ねに加えて人間湯たんぽを乗せていることになるけれど、暑さにはかなり鈍くなったのでそこまで苦しくもない。


 ぐう……。


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