◆四話:魔法使い
「初めまして。南雲飾です」
「初めまして。空海成世です」
事務所内にて初顔合わせの二人が面と向かって挨拶を交わしていた。
成世の正面にいる男の名前は南雲飾。和装に身を包んだ痩身の見た目優男。学府という魔術の研究機関において『席』という最高権力の一つを獲得している凄い人。
……凄い人なのだけれど、最近はただの引きこもりなのではないかと俺の中で話題になっている。何故かと言えば、この事務所もといこのビルから一歩も外に出ないからである。ここに居を構えて以降、俺が知る範囲でこの人が外に出たことは一度もない。
ちなみに、スノウと刀河は面と向かってヒキニートと揶揄するときがある。
……怖いものなしだ。
「そっか、なるちゃんはそっちとは初か」
さっさとソファに座り込み、用意されたお茶とお茶請け(博多通りもん)をつまみながらスノウが意外そうに言う。
「まぁ、事務所に来るのが初めてだからな。――ところで、どうして通りもん?」
お茶請けを出してくれたネセルさんに質問する。
「客からの土産だ」
「へぇ、随分と遠くから来るんですね」
「国内なのだから近い方だろう」
「……さいですか」
グローバルな距離感覚だった。
自己紹介を終えた成世は、三人掛けのソファに座っているこちらへとやってくる。
仕事場兼応接室兼休憩室となっている長方形の当フロアの中心には長テーブルが設置されており、それを挟むように入り口から見て前方左側に三人掛けのソファが一つ、その対面には一人掛けのソファが二つ設置されている。そして、入り口から一番離れた位置――奥側にはやたら大きく豪勢な両袖机があり、それはソファに座って向かい合う人たちを一望できるように置かれている。いわゆるところの管理職席的なアレだ。どれだ。誕生日席的な位置だ。それか?
俺やスノウ、刀河は基本的に三人掛けのソファに座る。刀河が上座側に座り、その次にスノウ、その次に俺という順番になる。ビジネスマナーに従っているわけでもないけれど、気付けばそうなっていたので、なんというか日本人としての刷り込みだなぁと、そう思うわけで。
ちなみに、今回はスノウが奥で次に俺が座っており、成世は自動的に俺の隣に腰を下ろした。
――『嫐』の状態である。思春期男子が好きな漢字五本指に入ると思う。……ほんとか?
実際はよほど気心の知れた仲じゃないと気まずいけどなこの陣形。思春期男子は繊細だ。
「仕事の依頼です」
管理職席に座る南雲さんがそう言うと、対面に座っていたネセルさんがバインダーを開き、用紙をいくつか抜いてそれをテーブルの上に滑らせた。手に取ってみれば同じ紙が三枚――三人分用意されていたので、横の二人にも手渡す。二人ともその際にお礼の言葉を掛けてくれる。
「お前たちに頼むのは視察だ。目標となる対象は資料にも記載してあるように“イト”という人物だ。職業は占術師。『宣述会』なる団体の長を務めていて、『先識の眼を持つ者』『真実と繋がった者』と、そう呼ばれている。早い話が未来視――未来予知だな」
ネセルさんは手元の資料に視線を落とさず、こちらを見据えながら説明を始める。
一先ず、上から目を通す。対象の簡素な情報が載っている。
――五十代の女性。なるほど。なんかもうこの時点で興味が失せてきたな……。
そう思い、より一層気合いを入れて流し見する。人相のわかる写真もまともに見ていない。
で、成世が気になったのかさっそく質問する。
「宗教団体ですか?」
ネセルさんはその疑問に首を振る。横に。
「いや、形式としては公益法人でN県の山奥にある湯屋――温泉旅館を経営しているな」
「へぇ……」
占い師が経営している旅館。それだけ聞くと、なんだかキナ臭くて真顔になりそう。
「安心しろ。基本的にはただの旅館、それも高級とつくものだ。評判も良く、変な噂が流れるようなところではないぞ。勧誘が行われることもない」
断定的な言葉だった。
「行ったことあるの?」
スノウの言にネセルさんは頷く。
「以前に一度な。南雲と共に行ったが、ただの慰安で終わった」
「だったら、なんで今になって俺たちを送り出すんですかね?」
「もしかして、仕事の皮を被った旅行のプレゼントですか?」
成世の瞳が輝くが、
「違うな」
ネセルさんに即座に否定される。
「今回、お前たちが行くのは通常の慰安旅行ではない。宣述会では年に一度、申込による抽選でイトとのお目通し期間というモノが開かれる。それに参加し、占いを受け、そして対象が本物であるかどうかを確認してきて欲しい」
――確認してきて欲しい。
してこい、ではなく、して欲しい。仕事の命令ではあるが、その辺りの言葉選びから朧気ながらもスタンスが伺える。
「本物であるかどうかの確認……?」
成世が復唱しながら首を傾げる。俺が疑問を引き継ぐことにする。
「ネセルさんが仰る“本物”の定義は?」
「言葉通りの意味だ。その占い――未来視が本物かどうかの確認となる」
占い。卜占などとも呼ばれる事象の趨勢を覗き見る行為。運命の流れを掴む手段。
端的に――極端に言ってしまえば未来予知。
魔術としても様々な種類があり、多岐にわたっているため明確な区分けは難しいとされている。得られる結果を目指す上で取れる選択肢が多過ぎるというのもある。簡単なモノであればその日の天気を知ろうとする天気予報みたいなものから、人の行く末を見通す未来視と呼べるモノまである。前者はもとより後者だって極めて限定的な条件下のもとであれば予測演算によってある程度は可能になっていたりするのだけれど、結局のところそれは予知ではなく予測となる。統計学やら気象学やらの組み合わせによる天気予報と大差のないものだ。使っているのが電力で動くパソコンか魔力で動かしている脳かの違いでしかない。入力装置の違いでしかない。
なので、この場合の本物――未来予知と呼ばれるような“なんの情報もなくただその先を識る”だけの奇蹟。それは、
「……それ、下手したら『聖人』の可能性もあるってことじゃないですかね?」
「適切ではないな。少なくとも“教会”との繋がりはない。教会による認定がないものを聖人とは呼ばない」
「はぁ、じゃあ『超能力者』ですかね」
「学府の人間としては『魔法使い』と呼ぶべきだろう」
うわぁ面倒くせぇ……。
要は魔力の痕跡がないから魔術師の可能性は低い。と、当初はそう判断したわけだ。
表に出過ぎた魔術師は狙われる。学府にも教会にも協会にも。
学府には神秘の漏洩者として。教会には異端者として。協会には世を乱す不届きものとして。
けれど、くだんのイト様とやらはご存命であり、現在でも知る人ぞ知る占い師として腕を振るっている。つまりは無害認定されているわけで、漏洩も異端も不届きもないと。
ともすれば口が上手くて洞察力の高い相談員か分析家、はたまた収集能力の高い情報屋だと結論付けられていた。けれど、それらの解釈では無理のある予知を行ったりしたのだろう。
「一度は見切りをつけていたんですよね? よくもまぁアンテナ張り続けましたね」
「知り合いに物好きがいましてねー」
少し離れたところに座る優男が朗らかに言うが、アレの知り合いでアレに物好きと呼ばれるような人物なのでろくでもない存在なんだろう。
「視覚的に判別できるような――現実への物理的な干渉をするタイプの『魔法』ならともかくとして、未来視とかの類だと私たち魔術師でも判別が難しいけれど」
スノウが問題点を指摘する。そう、それだ。これが “念動力”や“治癒の奇蹟”とか“物質の変換”などであればそれに魔力を介しているかどうか、はたまたトリックがあるかどうかを確認するだけで済むので非常に分かりやすいのだけれど、感覚的な“精神感応”や“予知”とかになると証明が難しい。
真偽以前に、たとえそれが本物だったとしても別の要因により失敗する可能性があるからだ。
魔術師の定義する『魔法』や一般的に言われる『超能力』、教会が謳う『奇蹟』は再現性にムラが存在する。体調や外的要因によってその結果にブレが生じるのだ。
なので「今日は調子が悪かったわー」とか言われたらどうしようもない。
本物ですら調子によって失敗の可能性がある以上、尚更見極めが難しくなる。
「その辺りも含めて調査をして欲しい、というのがある」
「それ、結構な無茶ぶりじゃない?」
呆れた口ぶりのスノウだが、上司側もそれは理解しているのか否定しない。
「少なくとも、イトの調子が悪いという可能性は少ないだろう。期間を設けているのはあちらにとって都合が良い――イトの予知の成功率が高い時期を選んでいるはずだからな」
「そうか。イトって人の能力を誇示する機会でもあるわけだから、失敗の可能性が高い期間にやろうとはしませんよね」
納得する。
「加えて、数を撃てば当たるという言葉もある。今回、こちらからは二名がイトの占いを受けるわけだからな、どちらかで確証が取れれば御の字だ」
その言葉に引っ掛かりを受ける。
「…………ん? 二名? 三名じゃなくて?」
「あぁ、取れたのは二名分だからな」
さらりと言いますがあなたの前には三人いるんですよ?
「あと一人はどうするんですか? 占いは受けられないけど部屋は取ってある、とかですかね?」
「いや、通常の宿泊としての予約は満室で取れなくてな。というか、意図的に閉じているな。おそらく、その期間中は対象者以外の宿泊者はいないようになるのだろう。イト本人がいることもあって、警備や護衛の数を増やす都合だろうな。そういうわけで、四キロほど離れたところにある湖畔キャンプ場で待機だ」
「なんの意味があるんですかねそれ!?」
意味が分からんのでしっかりと追及する。
「今回、占いを受けるのはアマギとソラミの両名だ」
「……え、なんでそこでスノウを外す?」
この面子の中で魔術関連における適切な状況判断ができるのはスノウだ。
重ねてきた経験が違う。
踏んできた場数が違う。
超えてきた死線が違う。
そのスノウをわざわざ外すとはどういう了見なのだろう。
「私がキャンプ場送りの理由って教えてもらえます?」
その問いにネセルさんは一度頷き、口を開く。
「いくつかあるが、一番の理由として貴様は顔が知られ過ぎている。というのがある。イトへの目通りだが、他の組織にも動きがあるという情報があってだな」
「それなら、なおさらスノウさんが行くべきだと思うんですけれど。スノウさんなら並大抵の存在に後れを取るようなことはないですし」
先ほどまで黙って聞いていた成世が当然の疑問を口にする。
「その通りだ。では逆に、スノウ=デイライトにも引けを取らないような存在がその場にいたとして、もしもそれが教会の人間であればどうなると思う?」
ネセルさんにそう問い返された成世は固まり、ゆっくりとこちらへと顔を向ける。
「…………どうなるんですか?」
――合点がいった。
明らかによくわかっていない表情を浮かべる成世を見て思い至る。黙っていたのではなく、黙らざるをえなかったのだ。教育方針を思い出してみれば、成世が今までの話についていけていないということがよく分かる。
「あー、教会の人間は基本的に魔術師を唾棄していてな。心底から存在を許容できないといった姿勢なんだよ。で、スノウの顔を知っているレベルとなると必然的にその実力も伺えるし、実力があればあるほどに信心深くなる傾向がある。そして信心深いということは、それだけ“魔術”という“奇蹟”の真似事をするような魔術師連中のことを根絶したいと考えているのが普通なわけだ」
スノウはその手の界隈においてはちょっとした有名人だ。
「スノウの人相は知っているやつは知っているし、知っているようなやつは大抵ヤバい。これが教会の人間以外であればお互いに様子を見ようとするぐらいで済むけれど、もしも教会の人間だった場合は……」
「教会の人間だった場合はどうなるんですか?」
ちょっとした溜めを作ったら食い気味に先を促された。
「良くて殺し合い。最悪は周囲を巻き込んでの小規模災害の発生かなー」
半年ほど前のスノウとネセルさんの戦いを思い出す。個と個のぶつかり合いによって発生する規模としては異常な熱量。あの時は刀河が『場』を作っていたことにより被害が校舎一つで済んでいたが、もしもあれがただの市街地で行われてでもしたら、更地が出来ていてもおかしくはなかった。
そして、場合によってはそれが実現する可能性だってある。
「はー、ろくでもないですね」
後輩から頂いたのは率直な感想だった。
「その点、お前たち二人は顔が一切割れていない」
片やほんの少し前までただの一般人で、片や魔術師の家系だけれどとびっきりの箱入り娘。俺たちを知る関係者などほぼいない。いたとしても学府の関係者とかが精々なので、問題になることもない。
「なるほど。けど、そうなると、わざわざスノウさんを近づけさせるのもよくないのでは?」
「ふむ、至極真っ当な意見だ」
俺も同意見なので、ネセルさんに疑問の視線を向ける。
いくら距離を取るとはいえ、スノウがそんな場所に近づくことの方がリスキーだろう。
「そしてそれに対しての主な理由は二つある」
そう言い、ネセルさんは指を二本立てる。
「一つ、保険だ」
「ほけん」
成世の復唱がひらがな発音だった。かわいい。
「うむ。保険だ。教会の人間を筆頭として、こちら側の人間がいた場合にそいつがアマギに危害を加えるような存在だった際のことを考慮すると、スノウ=デイライトを即座に駆け付けられる場所に待機させる必要がある」
「四キロって、即時対応は無理では……?」
成世のとてもまともな疑問。いくら魔術師と言えど結構な無茶ぶりなことに違いはない。だが、お前の前にいるのは異常な魔術師の中でも特に振り切れている二人だということを忘れるなと言いたい。
「そうか?」
そんなことを疑問に思われるとは心底思っていなかったであろうネセルさんが不思議そうにスノウに目線を向ける。
「直線距離で四キロでしょ? 中間にある障害物にもよるけれど、そのあたり考慮しても頑張れば三秒でいける」
「頑張れば三秒でいけるそうだ」
ほら、何も問題ないではないか。みたいな感じでネセルが成世の疑問を解決させる。
「…………二つ目は?」
色々と言いたかったのだろうけれど、そんな諸々は呑み込んだようだ。
「アマギを他の異性と二人で泊まりに行かせたら、ここに残ったスノウ=デイライトが暴れるだろう」
神妙な顔で、真剣な声で言われる。
「あぁ、うん。確かに。なるちゃんには何もしないけれど、少なくとも上司二名には当たり散らかすと思う」
スノウも納得のご様子である。
「そう考えると、確かに妥協点としてはギリギリ合格の処置ねー」
「あぁ、そう……」
成世は疲れた表情を浮かべていた。




