◆二話-下
「空間の完全解析を確認。気取られることなく、支配権を完全に奪取」
火灼の言葉と同時に、スノウは握っていた短刀を目の前の虚空へと解き放つ。
それは空間を切り裂き、歪ませ、割れ目を生み出す。
生み出されたその割れ目へと、スノウは躊躇なく身を投じる。
瞬間、建物の外にいたスノウは建物の中心部にいた秦の真横へと現れる。
伸ばされているグダドの腕へと、スノウは握るその刃を差し込む。
唐突に現れたスノウにまともな反応も出来ないまま、グダドの腕はそのまま地面へと滑り落ちる。そしてスノウはグダドが何かしらの動作を起こすよりも先に、彼の首を断ち切り、頭蓋を蹴り砕いた。
グダドが絶命すると同時に、ミランダとメレルは攻撃の動作へと入った。
闖入者へと、その瞬間に出せる最大火力を行使した。
グダドを不意打ちに近い形とはいえ、一方的に殺害した時点で出し惜しみなど不要。
「――召喚術士に、火炎術士か」
ただ、スノウは二人の最大火力が放たれたにも拘らず、憮然と二人の魔術を分類した。
スノウはメレルによって召喚された異形の存在へと手に持つ刃を放り投げた。
異形の存在は眼前へと放られた刃物を振り払おうとし、そのまま触れた箇所から崩壊を始めた。
「楔への直接介入っ――」
少女が行ったその行動が、自らと異形を繋いでいた契約を断ち切ったのだとメレルは気付く。それと同時に、契約が強引に断ち切られ、本来なら異形へと向けられる筈だった負荷が全てメレル自身へと逆流する。
「――――」
脳が潰れ、肉体が断裂し、メレルはそのまま絶命した。そして、勢いを失わない短刀はそのまま絶命したメレルの額へと突き刺さる。
「暑い」
異形よりワンテンポ遅れて襲い掛かる爆炎をスノウは手で払いのける。
炎は少女に焦げ目一つすら作れずに掻き消された。
炎が掻き消されて開けた視界の先には細見の男と首のない男の死体があるのみで、ミランダの姿は消えていた。
「目くらましか」
常に垂れ流していた自身の魔力の反射へと意識を向け、周囲の状況を把握する。そして、女が背後へと回り込んでいることを確認して振り向く。
「――――」
女はこちらへと杖を構えていた。その背後では、縛られていた腕を解放され、立ち上がらされていた秦がスノウを見ていた。
――スノウは理解する。少なくとも、この女は自身の敵ではないと。
目くらましのための大きな爆炎を作り、仲間一人を囮に差し出して、その上でこの女は闘争でも逃走でもなく、秦を守ることを選んだ。
こうして背後に回り込めるだけの余裕があるのならば、実力があるのならば、本来なら今の時間でこの女はこの戦闘から離脱できた筈だった。それなのに、彼女は秦を逃がすことを選んだ。秦の縛りを解き、彼に逃げる時間を与えるために、こうしてスノウへと立ちはだかった。
「その人、よろしく。その人に何かあったら、殺すから」
だから、スノウは名前も知らないその女へと秦を任せて部屋を出た。
「結界がまだ維持されている」
火灼は支配権を奪っただけであり、その形成は元々の術者によって行われている。今しがた殺した二人にも、秦を任せた女にも結界との繋がりは感じ取れなかった。つまり、この結界の主は他にいて、おそらくはその人物が首謀者だとスノウは直感する。
秦を危険な目に合わせた存在。
秦に人死にを見せなければならなくなった原因。
秦に自身が人を殺すところを見せることになった元凶。
スノウ=デイライトは、そいつを殺さなければ気が済まない。
◆◆◇◇◆◆
「――何だアレは」
唐突に現れ、躊躇いもなく二人を殺戮し、シンのことをよろしくと言って出て行った少女へとミランダは呟く。
「空間転移に変則防御を無視した攻撃、召喚術への介入、あまつさえ私の火炎をただ手で振り払うだけで打ち消すだなんて……。いや、今はそんなことはいいか」
そう言い、ミランダは呆然と立っている秦へと手を伸ばした。
「シン、とりあえずここから出るよ」
目の前で起きた人死にと、それを起こしたのがクラスメイトであったという事実に放心状態であった秦は、ミランダに声を掛けられて意識を戻す。
「出るって、今の……。それに儀式は……」
「儀式は終わりだ。ブロウルの話だと天使を引きずり堕とすにはかなりの時間を必要とする。ブロウルが天使を堕とす前にアレがブロウルのところに着いて、ブロウルのことを殺すだろう」
「殺すって……」
「アレは間違いなく殺すだろう。ブロウルには学府の暗部で長いこと生き抜いてきたという経験と実績はあるけれど、明らかにアレはそういう次元から外れている。残念だが、ブロウルと天使は諦めた方がいい」
「助けに行かないのか」
「アレに私ができることは何も無いよ。それに、私はアレと強制的に取引をさせられている。キミの安全を確保さえすれば、私の命を保証するという取引だ」
先ほどのスノウの言葉を、ミランダはそう解釈した。そして、ミランダとしてはそれに乗らない手はなかった。ブロウルという人間が数多の魔具を所有し、それによって魔窟と言われる学府の暗部で生き残った逸材だとしても、あの手の本物には戦いようがない。
「大体、どうしてあんなのがここに現れるというんだ。学府から差し向けられた存在などではない筈だ、私がここにいるからな。他の魔術師や組織に天使に関する情報が漏れたとも思わないし、アレの領域に土足で入り込んだわけでもないだろう。そういった下調べと仕込みは万全だった。――それにもかかわらず、それだけしたにも関わらず、こうして計画が台無しになったのはやはりキミが原因なのかな、シン」
ブロウルがいる場所――スノウが向かった場所とは正反対の方向へと急ぎ足で歩きながら、ミランダはどこか楽しそうに秦へと問い掛けた。
「アレはキミの安否だけを気にしていた。おそらく、私たちが天使を堕とすつもりだということも知らない。それにも関わらず、アレは容易に私たちと敵対することを選んだ。さて、キミはアレのなんなんだい?」
そう問われても、秦にはあまりいい言葉が思いつかなかった。彼女が自分のために人を殺したのだと言われても、秦には彼女がそこまでする理由が思い当たらないからだ。
「えと、クラスメイト」
だから、秦は正直に自分とスノウの関係をそう表現した。
それを聞いてミランダは盛大に笑った。
「そうか、クラスメイトと来たか。これは傑作だ。私たちはアレのクラスメイトに危害を加えたが故に、失敗をしたということになる。魔術史上でも中々に阿呆な理由での失敗になるだろうな! ――まぁ、シンにとってはクラスメイトでも、アレにとっては違うのかもしれないけれどね」
秦を一瞥しながら、スノウのことをミランダは思い出す。秦がスノウを見る目と、スノウが秦を見る目は同じではなかった。片や知り合いを見る目ではあったが、一方はそうではなかった。アレは慈しむ目だった。愛おしむ者を見る目だった。それを守る為ならば、世界すら滅ぼすことを厭わない眼だった。
「デイライトは、本当に魔女だったのか」
ぽつりと、秦は言葉を漏らす。その名前にミランダは反応する。
「デイライト、デイライトと言ったか? まさか、アレの名はデイライトなのか?」
「デイライトを知っているのか?」
「知っている、知らない方がどうかしている名だよ。それにしてもデイライトか……、となると、アレはスノウ=デイライトか――」
「――そう、彼女はスノウ=デイライトだよ」
ミランダの言葉に答えたのは、秦ではなかった。
気付けば二人は建物の外に辿り着いていた。そして、二人を迎えたのは一人の少女だった。
「刀河?」
秦は少女の名前を口にする。
「やぁ天木。こんなところで会うなんて奇遇だね」
黒髪の少女――刀河火灼は秦に手を振る。
「なるほど、結界に干渉しているのはお前か。あのデイライトの血族が引き連れるような輩ならば、あれだけの無茶を行えるのも道理だ」
ミランダは火灼を見て、その実力を把握する。
その鋭い視線を火灼は何処吹く風と受け流す。
「別に、私とスノウはそんなんじゃないよ。たまたま波長が合ったからつるんでいるだけの友達」
「アレがこの街にいることを隠匿していたのも、お前の仕業だろう? デイライトの戦姫がいる土地だと分かっていれば、こんな無茶はしなかった」
「どっちかというと、あの子がいる土地だと知って無茶を仕掛けてくるような奴らを遠ざけるためのモノだったんだけれどね」
「長子が学府で席争いを始める際に国外へと追放させたとは聞いていたが、まさかこんな極東の田舎に来ていたとはな」
「おまえ他人様の郷里に土足で踏み入っておいてその発言をするとはいい度胸だなええおい?」
田舎という言葉に反応して、火灼は先ほどまでの落ち着いた物言いから一転してミランダにガンを飛ばす。ミランダは言葉選びを誤ったと少し悔やみつつも、当然のことを言っただけと考え、訂正はしなかった。
一方、展開に最初から置いてかれている秦は、そのやり取りをただ眺めるしかなかった。
ミランダと火灼が言葉を交わしている横で、会話の意味が半分も理解できないため手持ち無沙汰となった秦は辺りへと目を向けた。
「中庭か」
整備された芝生と、点々と配置されているオブジェがあるだけの開けた空間。
そして気付く、少し離れたところに横になっている人々がいる。
その中に、妹である奏もいた。奏は横になり、穏やかに寝息を立てていた。
横たわる奏に近づき、その身体に瑕がないことを確認して安堵する。
「良かった……」
連続する非日常。現実を否定する超常。
それらを前にしても、秦はどうにか己を保とうとした。
目の前で安らかに寝息を立てる少女こそが、彼にとっての日常の象徴だった。それを失わない為ならば、それが日常で緩やかに成長を遂げていくのならば、自らの日常が非日常となることも受け入れた。
だから少年は安堵した。心からの安堵をした。宝物の無事を喜んだ。宝石の輝きが曇っていないことに心からの感謝をした。
少年は今の己が無力であることを理解していた。
だからこそ、彼は妹の無事に感謝したのだ。
今の己では守ることが不可能だった存在。
約束はした。無事を取り付けた。だが、彼らがそれをどこで反故にするかは分からなかった。
あの男は、ただ自分を脅すためだけに、老婆の頭を斬り飛ばしたのだ。ただそうするのが良いと思ったが故の安易な行動。安易ではあるが脅しとして十二分に有効な行為。そんなことを平然と行う彼らが、人の傷を、人の命を、人の重みをどうとも考えていない彼らが、いつどの瞬間に「ただ美術館に来ていただけの一般人たち」を「亡骸の集合体」へと作り替えてもおかしくはなかった。少年にとっては理解が及ばない存在であるからこそ、そういった己の理外にある行動を起こす可能性が捨てきれなかった。
だから、少年は感謝を伝えたかった。
疾走して現れ、彼の非日常を破壊した超常へと。
金色の少女――スノウ=デイライトにありがとうと言いたかった。
◆◆◇◇◆◆
辛うじて繋がっていた左腕が、今、千切れて落ちた。
己の重さにすら耐えられなくなって、己の一部であったとは思えないほどに感覚を失っていた腕は、今、完全にワタシから別離した。残った四体すら、無事とは言い難い状態。直にこの肢体は腐り落ち、死体と成り果てるだろう。
見なくてもわかる。言わなくてもわかる。聞かなくてもわかる。
間も無く訪れようと、直ぐ傍で死が覗いていることを。
「――何か、言い残すことはある?」
そこで初めて、ソレは口を開いた。突如として襲い掛かった純粋なまでの暴力は、ワタシのことをここまで追い詰めて初めて、ワタシに対話という選択肢を与えた。
「……アナタは、ワタシが今何をしようとしていたのか、知っているのか?」
「知らない」
即答だった。考える素振りすらなかった。
「知らないのならば、なぜワタシを殺そうとする」
「殺そうと、思ったから」
それはあまりにも単純な答え。途中式をどこかに忘れたかのようなその答えを聞いても、納得など出来ない。
「ワタシがアナタに何かしたか?」
恨みなど買う筈がない。それらは全てあそこへ置いて来た。残るモノはすべて売り払い、処分し、微塵も残さないように徹底した。それ故に、思い当たる節が無かった。事ここに至って、このような存在が現れ、何もかもを台無しにするなどあり得なかった。
「私にはなにも」
だから、その返答は何よりも正しかった。ワタシが望む答えだった。
己の希望した回答であるにも関わらず、己の組み立てた式への解答は台無しの一言に尽きた。
「どうして、ワタシを殺そうとしたのだ」
だから、それこそが正しい問いだった。答えではなく理由を。結論ではなく原因を。
――そして、それは己自身がなんとなく理解していた。
――それは式へと紛れ込んだ未知数。
「秦くんに、手を出した」
万死に値する。億死に値する。兆死に値する。京死に値する。――少女は譫言のように呟く。
「――あぁ、やはり、あれが誰の手にも掛かっていないモノなどと、都合の良いことがあるわけないのか」
それは本物であるのならば天使すら凌駕する奇蹟。
なればこそ、それがあの年に至るまで見逃されるはずもなし。
――ただ、それは逆に見逃されるような存在ではなかったということ。偶然と呼ぶしかないような発見の仕方をしなければ見つけられないような、真の奇蹟とは異なるモノ。落とし子ではなく、ヒトの願いの結晶。積み重ねの果てに産まれる原石。
「秦くんは誰の手にも掛かっちゃいけないの」
真の奇蹟とは異なる――
「秦くんにそういうのは関わらせちゃいけないの」
神の奇蹟とは――
「秦くんは、そういうのじゃないから。世界の隅っこで、薄汚さとか暴力とか悲劇とか、そういう人間が抱えるような不幸に溜息を吐きながら、その中に垣間見える善性を感じて、ゆったりと微笑むのが似合うような、そうあるべき人なの」
秦の奇蹟――
「待て、お前は何者だ?」
女の名を問う。
金色の暴力に尋ねる。
アレを――天使すら凌駕する可能性を持つアレの傍にいて尚、執着して尚、アレがそういうのではないと言い出すお前は何者だ?
「私の名はスノウ。スノウ=デイライト。スコールの残滓。お前をここで終わらせるモノ」
デイライト。デイライト家の末裔。変わりもののデイライト。
あぁ、知っているぞ。知っている。ワタシはそれを知っている。
「――ぁぁ、まさか。本物か」
途端に、ワタシは笑い出す。あまりに可笑しくって。あまりにばかばかしくて。
――あまりにひどすぎて。笑ってしまった。
ワタシの目に狂いはなかった。
「あぁ、なるほど。見つけてはいたのか。だが発現はしていないというわけだ。なんという不出来さだ。いや、その不出来さこそが掻い潜るための要因か。あくまでも偶然に落とし込むために、シーカーには自覚をさせないということか」
ワタシの言葉に、スノウ=デイライトは眉をしかめるばかり。
「なんの話?」
「端末の話だよ」
「そう、遺す言葉はそれでいい?」
敗者に残せる言葉など、恨み言だけだ。禍根を残せればそれでいい。
「そうだな、これでいい。――あぁ、でも最期に一つ。名乗らせてくれ。ワタシの名前はブロウル。ブロウル=ソウ=クウィフト。キミに殺された有象無象の一人になる男だ」
「そう」
少女の右腕が歪む。霞む。空間へと融ける。
濃密な魔力がこの空間を包む。空気を押し退けて、魔力が充満する。
◆◆◇◇◆◆
それは刹那にも満たない瞬間。
少女は腕を振るった。空間そのものと化した右腕を振り下ろした。
同時にブロウルは弾けた。莫大なエネルギーを伴ったその一撃は、ブロウルの身体のほとんどを消失させ、残った滓を辺りへと散らさせた。
◆◆◇◇◆◆
空間への侵食を解除し、私はその場を後にした。
――空間への侵食によって繰り出した高密度の一撃は、ブロウルと名乗った男に絡みつくありとあらゆる因果を壊し、彼が『何か』へと変わる可能性ごと消失させた。
そうでもしないと、アレは死後にヒトではない何かへと変わり果てていた可能性があった。
様々な魔具を繰り、その呪いをものともせずに御しきっていた異常。あの状態まで追い詰められてなお、その眼はどこまでも鈍く輝いていた。中途半端に残すようなことをすれば、魔人の誕生すらあり得ただろう。
「後片付けは……火灼にお願いしよう……」
散らばった辺りを眺め、その隠蔽工作を諦めて友人へと丸投げすることを決めた私は火灼たちがいる場所へと歩き出す。
「秦くん」
彼の無事を確かめたかった。
「秦くん」
あの女は彼を親友の下へとしっかりと送り届けてくれただろうか。
「秦くん」
私の親友は、彼のことをしっかりと保護してくれただろうか。
わかってはいる。あの女は秦くんを守ろうとした。
わかってはいる。火灼は私のわがままを聞いてくれる。
わかってはいる。きっと彼は無事なのだろう。
それでも、やっぱり、この目で一刻も早く、彼の安否を確かめたかった。
中庭へと出る。彼を探す。――いた。設置されているベンチに腰掛けていた。
彼の膝を枕にして、まだ幼さの残る女の子が眠っていた。
「だっ――――」
誰よその女! と、危うく叫びそうになった。喉まで出かかったし、なんなら少し出た。だが、すぐにその女の子が彼の妹である奏ちゃんであることがわかる。秦くんのことを調べていればすぐに知ることになる彼の妹。綺麗な少女。秦くんが溺愛する最愛の妹。
奏ちゃんの頭を撫で、その安らかな寝顔を見ながら微笑んでいた秦くんが、こちらに気付く。漏れた声は彼へと届いて、私が来たことを彼に気付かせる。
秦くんは私に気付き、何かを言おうとしたがすぐに口を閉じた。膝の上で寝る奏ちゃんを気にしている。私は意図を理解し、彼へと静かに近づいた。
「こんにちは」
なんと話し掛ければいいかわからず、とりあえず挨拶をした。奏ちゃんを起こさないよう、声量は抑えて。
「こんにちは」
秦くんは律儀に返す。返されて、さてどうしたものかと困る。彼を前にして、言葉に詰まる。色々と言いたいことがあった、聞きたいことがあった、たくさんあった筈なのに、彼を前にすると言葉にならなかった。
「ありがとう」
口をぱくぱくとさせていると、秦くんはそう言った。
「え?」
「さっき刀河に教えて貰ったから。デイライトは俺たちを助けるためだけに彼らに立ち向かったって。正直、今も結構混乱している。魔法とか、魔術とか、まだちょっと理解が及んではいないけれど、それでも、デイライトが俺たちを助けてくれたのは分かった」
混乱しているとは言うが、彼の口調はとても落ち着いていた。
「だから、ありがとう」
膝に乗せた宝物を見て、それが無事であることを確認して、彼は今一度そう口にした。
「えと、どういたしまして」
「それにしても、びっくりした。魔法って実在するんだな。デイライトが魔女だって噂が流れていたけれど、あれも本当だったんだな」
「厳密には、私たちが基本的に使っているのは魔術であって魔法じゃないんだけれど」
「あぁ、それはブロウルも言っていたな。違いが分からないけれど、誤用は気になるよな。うん、魔術ね、魔術」
「うん、魔術だね。……秦くんは、怪我とかない? あいつらに何かされた?」
「変なモノは見せられたけれど、とりあえず怪我はないよ」
――変なモノ? 少し引っ掛かるが、呪術や精神干渉に対する検査の類は簡易的なものを火灼がやっているだろう。だから、怪我がないというのは本当のはずだ。
「そっか、良かった」
胸を撫でおろしていると、秦くんは凄いモノを見るかのような目で私を見る。
「デイライトは強いんだな」
「そ、そう?」
「うん、強い」
彼は目の前で私が人を殺したとこを見ている。ブロウルのところへと向かった私が、私だけがこうして戻ってきている意味も理解している。人殺しは別に普通ではない。そんなものに塗れるほど私の日常は物騒ではない。でも、魔術師という人種において、人殺しとは別に非日常でもない。日常の延長線上にあるモノだ。でも、秦くんのような普通の人はそうではない。
彼らにとって殺人は日常の延長には成り得ない。線を踏み越え、踏み外した先にあるモノだ。
強いは怖い。怖いは強い。
「秦くんは、私が怖い?」
――あぁ、なんでこんなことを聞いているんだろう。せっかく彼と話せているのに、せっかく彼と接点を持ったのに、どうしてこんなことを。
「別に怖くはないかな」
「人殺しなのに?」
「あー、それはあんまり重要じゃないからな。怖いのは、自分と自分の周りにとって害悪のある存在だよ。俺たちのことを助けてくれようとした――助けてくれたデイライトを怖いとは思わない」
「そうなの?」
「強いとは、思うよ。誰かを助けるために動ける人間ってのはそれだけで強い。もしもその強さが自分たちに向けられたら、その時に初めて怖いと思う」
「向けないよ。秦くんには絶対に」
「そっか、じゃあ安心だな」
彼は笑った。どこか儚さを秘めたその表情に、私の胸はきつく締め付けられる。この笑顔を守れたということが誇らしい。
「そういえばさ、デイライトとこうして話すのって初めてだよな」
「そ、そうだね」
彼と会話を交わしたのはプリントなどを渡すときや、朝にすれ違った際に挨拶を交わした程度しかなかった。
「同じクラスなのに、ろくに話したことなかったんだものなー。あぁ、でも、よく目は合っていたよな?」
「えっ、そ、そうかな?」
結構ずばずばと斬り込んでくる。秦くんと会話をするようになればその話になるのも予想して色々とシミュレートしていた筈なのに、上手い言葉が出てこない。日々の努力は全く役立たない。助けて欲しい。
「やっぱり俺が意識し過ぎていただけか」
秦くんは少し恥ずかしそうに頬を掻く。嘘をついて申し訳ないという気持ちもあるけれど、そういった仕草が私に向けられているという事実に興奮する。
「そうだ。デイライトが良かったらだけれど、何かお礼をさせてくれよ。俺にできることなら、なんだってやるからさ」
「っ――」
その甘美な提案は、激しく私の心を揺さぶった。
その台詞って現実で言う人いるんだ。とか考えている場合ではない。
秦くんと交遊を深めるチャンスだ。ここで下手な要求はできない。実現可能な範囲で、それなりに高い要求をして、今後に繋がっていくような提案をしなければならない。物の要求は駄目だ、そこで終わる。お礼なんてと謙遜するのは良くない、相手の厚意を受け取らないのは相手に失礼だ。やはりデートの約束だろうか、見たい映画があるからと誘い、映画だけは奢ってもらってそれ以外の買い物とかには付き合ってもらうのが無難だろう。いい雰囲気になれば帰り際にまた遊びに行こうとでも誘えば完璧だ。
――とか、そんな打算に塗れたことを頭で考えているうちに、口が動いていた。
「じゃあ、結婚を前提にお付き合いしてください」