◆二話:餌を与えないでください
デブゴ……おっさんがしたり顔で言うのに合わせて、食後のアイスを店員さんが持ってきてくれたので、一旦そちらに意識を割いた。一分ほど無言でバニラアイスを口に運ぶ俺とおっさん。そして話が再開する。
「確かに殺傷性という面で見れば、ナイフや銃が頭一つ抜き出るよ? 人間は柔らかいからね。個人的には棍棒なんかも武器としての汎用性が高くてオススメだったりはするのだけれどな。実際、棍法や棒術を主要とした流派なんかもあるからね」
でも、と、おっさんは真面目くさった顔をして言葉を続ける。
「それらは結局のところ武器だ。今の時代に“武器を携行する”なんて普通ではないだろう? だからこそ、その辺にあるものを武器にできる技術はこれが結構重要でね。そして突き詰めると、武器になるものが周囲になくとも、武器として使えるモノがある。そう。自分の肉体だ!」
「あー、つまり、使えるモノを一通り使えるようにし、且つ普段使いを考慮すると素手による攻撃手段が視野に入る。と?」
「そう! 武器に対しての評価基準で、威力ではなく携行性に重きを置いた場合、自ずとそうなるってわけさ! ――まぁ、一応、携行性に優れる暗器みたいなのもあるけれどね。ただ、その手のモノは素手よりも扱いが格段に難しいし、素手の延長みたいなモノも多い。立ち回りという意味でも、素手で出来る範囲から知るのは大事だね」
「なるほど」
一理あると、そう思う。前提が違うし、想定が別物なのだ。おっさんが最初に言ったように、複数のチンピラに囲まれるような不測の事態……戦うことなど想定していない無手の状態で、その必要に迫られたときの技術でもあると、そういうことなのだろう。
「お、興味持ったかい?」
「まぁ、少しは。それこそ、チンピラ達に囲まれても返り討ちにできると言われると、すごそうに思えますし」
「あ、ごめん。それちょっと盛った」
「は?」
「多人数に囲まれたら基本は逃げ一択だよ。喧嘩とかしたことない子が勘違いしがちだけれど、数的不利って結構どうしようもないからね? 格闘技をやっていようが三人以上に囲まれたら普通に負けるよ。それこそ素手なら尚更さ」
「えぇ……」
「おっと、だからと言って、丸っきり嘘ってわけでもないさ。それこそ手頃な棒が拾えるのなら相手が三人掛かりでも結構なんとかなるしね。たとえ素手だったとしても、逃げて、一対一の状況を作り、仕留めていく方法なんかもあるしね。わざわざ相手に有利な状態で真正面から戦う必要なんてないわけだ」
「む。なんか現実的な話になってきたな」
「そりゃそうだ。実際にそうなった場合の話なんだからさ。さてまあ、興味を持ってくれているうちにセールスポイントを並べるとして……、おれのとこの流派は意思の統一、世界との合一を一つの極致として目指しているんだけれど、んー、噛み砕いて言えば気配を消すみたいなことができる」
「ほう。それは何に役立つんですかね?」
「……食い逃げがとってもやりやすくなる?」
「俺がしっかりと払うからここではやめろよ!?」
――いや、他のところでもすんな。と付け足す。
「ははは、冗談だ。あとはそうだな、尾行がほぼバレなくなる。意中の相手がいるのなら、家の特定とか余裕だぜ? なんなら常に背後に立っても気付かれない」
「おい。さっきから教唆的な方法しか挙がってねぇぞおっさん」
「んー……。……かくれんぼでめっちゃ勝てる」
小学生じゃねーんだぞ。いや、今日日の小学生がかくれんぼやっているのかは微妙だけど。
「ミリオン家族が放送されている時代だったらアリだったかなぁ……」
「なにそれ」
「昔のテレビ番組。まぁ、そんなのはどうでもいいんですよ。気配を断つとかそういう技術は現代で必要としません。他は? 他にはなにかないのですか?」
「んー、じゃあさっきの話に戻るけれど、それこそ色々なモノを武器として使うことができるようになる。適当な紐とか、木の枝だって立派な武器にできるぜ!」
「うわ、なんかそう言われるとプロフェッショナルっぽくて格好いい!」
「おっ、これは釣れたか!?」
「いやまぁ遠慮します」
丁重にお断りした。
□■■□
「……提案を断られはしたが、俺は一宿一飯の恩は忘れない男だ」
宿まで要求するつもりじゃないだろうなこのデブゴン。
「本当に覚えているだけ、みたいな魂胆ですか?」
「信用がないな!」
「あるわけないでしょこの状態で」
信用は日々積み重ねるモノで、会って間もない人間をすぐに信用するのはただのアホだ。
そしてこのおっさんに対する信用はそれ以前の問題だ。
「確かにな!」
男は心底楽しそうにからからと笑う。笑ったかと思えば、ちょっと真面目な顔をした。
「とはいえ、本当に感謝はしている。かなり差し迫っていたんだよ。最悪の事態まで考えていたがその選択をせずに済んだ。今は返せるモノがないが、次に会ったときはもう少しはまともな手持ちにしておくから、そん時には可能な限りの要求には応える。だから、考えといてくれ」
こちらを見据える瞳には強い意志が宿っていた。
妙な威圧感があり、真剣であることを肌で感じ取れる。
先ほどまでのふざけた雰囲気とはあまりにもかけ離れていたため、つい頷いてしまった。
「えと、じゃあ、考えときます」
そう言葉を返すと、男は口角を吊り上げ、
「よろしくな!」
大人にしては屈託のない笑みを作る。
――最近、様々な大人の顔を見る機会が増えた。
色々な大人がいるのだと実感している。
さて、俺はいったいどんな大人になるのだろう。
そも、俺は大人になれるのだろうか。
どうすれば、大人になったと言えるのだろうか。
そんな俺の思春期的な悩みなど知ったこっちゃねぇと、おっさんが会話の舵を切る。
「あ、そうそう。少年は舘野千聖って名前に聞き覚えはあるかな?」
「……知らん」
「じゃあ、ツァオ・ミンメイ。あとは、法霊崎桑折とかは?」
「本当に知らねぇ。てか、それ名前です?」
「他には……、なんだっけか。確か、レーネ・ケルソーだったかな? あと、蓮舎世那」
「待って、覚えられない。そんな一度にたくさんの人名を叩き付けられるのは年度初めのクラス替えで自己紹介されるときぐらいだし八割方聞き流しているから覚えていないんです……」
人の名前を覚えるのは苦手な部類なので勘弁して欲しい。
――それに、ここ半年で俺の人生における登場人物が加速度的に増えているのもある。
こういった名前の類は聞いたら意識の片隅に残るモノであり、そういったモノは意識することによって『遇う』可能性が上がる。これは別に『妖怪を見ると、妖怪を見やすくなる』といったオカルト的な話ではなく、実際に意識の問題なのだ。
人間は流入してくる情報の取捨選択を無意識に行っている。機械的に、半自動的に処理している。五感によって入ってくる情報は莫大な割に、その大半が必要のないモノであるからだ。けれど、そこに既知の音や造形、文字列があった場合に意識は“とりあえず”でそれを拾う。
この“とりあえず”が厄介で、情報の整理が下手な人間が拾い上げる情報の幅をむやみに増やすと、変な引っ掛かり方をして日常的にフリーズを起こしやすくなる。
俺は上等な性能をしていないし、中学の時に自分がそういう性質であることを理解したからこそ人間関係を閉じるようにしていた。ただ、最近はそうとも言っていられなくなったので、半ば諦めながら必死に適応しようとしている。
――とはいえ、流石にこのおっさん関連でわざわざ意識の幅を広げる必要はないだろう。
これ以上は聞きたくないので、お手上げであると示した。
「まぁ、そうだよな。知っていたら驚きなぐらいだし」
「……どういう人達ですか?」
「んー? そうだな、探し人? もし小耳にでも挟んだら、おれが探していたことを思い出してくれると嬉しいね」
「はぁ、まぁ、すでにほとんど忘れていますが、思い出せたらそうします」
「ダメそうだなー!」
□■■□
「またなー!」
いい笑顔を浮かべながら手を振り去っていくデブゴン。
「その顔、二度と見たくないっすわー!」
できるだけ満面の笑みを意識しながら手を振り返す。その姿が見えなくなるまで――曲がり角へと消えたところまで見送って、手を楽にする。
「さて」
そう独り言ちて、ポケットにしまっていた携帯端末を取り出す。画面に映るのは午後一時を少し経過したぐらいの時刻であることを伝える数列。事務所へ来るようにと、南雲さんに指定されているのは午後二時半ごろ。今から電車に乗ったとして、事務所のある駅に着いたとしても時間が余ることになる。
……散歩のつもりが不審者との遭遇で思った以上に時間を使ってしまった。まぁ、元々が時間潰しというか、ちょっとした息抜きのつもりだったので問題はないのだけれど、今から家に帰ってゆっくりできるほどの余裕はないし、今すぐに向かえば早過ぎると言われるような時間だ。……早いに越したことはないとも思うが、早過ぎてはいけないのだと刀河に言われたことを思い出す。特に仕事関係で先方のところに向かう時は、早く行き過ぎても相手の準備が出来ていない場合もあって迷惑にしかならないとかなんとか、そんなことを注意された。
「事務所近くで暇を潰すか」
なので、そんな結論となる。
事務所がある駅の周辺には商業施設が密集しており、ちょっとした繁華街の様相を呈している。自宅周辺よりも暇を潰す際の選択肢が多いし、悪くはないだろう。
足を駅の方へと向けながら、ふと、先ほどのデブゴンとの会話を思い出す。
「確実に仕留める。気配を消す。なんでも武器にする……」
なんというか、
「それだと、戦闘よりも暗殺とかのほうがしっくりくるよなー」
なんて、考える。
「……映画の見過ぎだな」
と、愉快な連想を笑って流した。




