◆五話-3
「え」
空へと放り出される。跳んだ先にあったのは私たち以外になにも存在しない空間だった。
眼前に広がるのは黒と青の境界線。遥か頭上では太陽が煌々としている。
下方へと目を向ければ雲海が広がっており、その景色には少しばかり心を動かされる。
「うっわ! クッソ! 結構補正したんだけれどなぁ! そういう方向性かよぉおおお!」
横で火灼の叫ぶ声がする。そして、同時に身体が落ち始める。重力に捉えられた私たちはそのまま落下を開始した。
事前に火灼から「座標で繋げるようにはするけれど、土地規模の結界となると乱れが生じて位置にズレが出るからそこは留意するようにして。当然、できるだけ干渉してはみるけれどね」などと聞かされてはいたが、どうやら盛大にズラされたらしい。
高度は……三万メートル越えぐらいだろうか。雲が結構下にあるし、そんなものだと思う。
低酸素やら気圧やら気温やらと色々な問題で生身の人間が生きていられる場所ではないのだが、そのあたりは常時展開している魔力によって生命維持は問題ない。というかまぁ、私一人なら別に生身でも大丈夫なのだけれど、火灼は包んでいないとちょっとまずそう。
「火灼、一人で着地できそう?」
と、隣で一緒に落ちている火灼に聞く。魔力越しに音声を伝達しているので、本来なら届かなそうな声も問題なく届く。
「無茶言うなや!」
気持ち急いでいるので、先に向かいたかった気持ちもあるのだけれど怒られた。
火灼はそう言いながらも、ものすごい勢いで色々な術式を展開し起動している。流石に成層圏からのスカイダイビングは想定していなかったのか、それ用の術式なんてものはなく、有り合わせの術式や魔具を組み合わせてそれっぽいのを作っている。
「火灼はそういうのほんとすごいよね」
などと感心しながら呟く。
「言っとる場合かぁああああああ! 起動ぉおおおおお!」
火灼が組み合わせた術式を起動するのに合わせて、私たちの落下速度が大幅に低下した。
「……これなら私だけ先に降りても大丈夫じゃない?」
「生命維持はスノウ任せだからやめて!」
逃がさんぞと、肩を思い切り掴まれる。
「おっけおっけ。……にしても、火灼がここまでズラされるものなのね」
「阻害と撹乱にパターンがあったから、あとはそこだけ突き詰めていけばかなり絞れると思ったんだけれど、ていうか実際に絞れていたんだけれど、そっちの精度が高くて他に意識が向かないようにされてたわ……。あー、しかも高度のズラしかたがかなり大胆だ。クソ」
女の子がクソとか言わない。
「緯度と経度にばかり気を取られて、標高が疎かだったってこと?」
「まさにその通りなので、何も言えんわ」
ということは、
「――今、落ちている先が目的地ってことでいいの?」
「気流に流されて若干のズレはあるけれど、まぁそのはずね」
言われて、下を見る。雲の切れ間から覗く地表をよく観察する。
「確かに大規模な結界が張られているね」
見た目はただの森林地帯だけれど、魔力の流れ方が綺麗なのだ。綺麗なのに、ところどころに不自然な歪みが発生している。あれは結界が張られている場所特有の現象だ。
「そ。私には見えないけれどさ……。なんか緑って感じ」
雑な感想だなー。とはいえ、確かに遠視とかをしないとそんなものか。まだ雲が下にあるような標高なのだから仕方ない。
――そして、下にあるということを踏まえれば?
すべきことを定める。
『解除』
取り込んだ現象を再生する。
『拘束』
発生した理を再現する。
『抽出』
超常を再演する。
『顕現』
再誕させる。
――ネセルとの戦闘時に発見した私の欠点、それは空中戦における優位性のなさだ。
あの時は敷地内を私の魔力で満たし、それによって過程を省略した空間魔術によって足場を空中に高速展開することによってどうにか付いて回っていたが、ネセルレベルの存在と殺し合うことを想定し、相手が竜種と同等の飛行能力を持ち、何より空間を私の魔力で満たすことが出来ない場合を考えると、そこは課題になると考えた。
そして、出した結論は飛行能力の獲得だった。
都合よく、私の中にはそのための欠片が残っていた。
『回帰転換』によって私の魂に刻まれた天使の情報。
その再構築と落とし込みにこの数ヶ月を費やした。
試運転はすでに兄の軍隊相手に済ませている。
――たったの一秒でも早く、彼の許へ。
『天の翼』
背に流れる膨大な魔力が熱を帯び露出する。可視化された魔力光が形を成していく。
光は翼となり、翼は展開される。この翼は羽ばたきを必要としない。これは大部分を飛ぶという概念で凝縮した力の具現に過ぎない。
「火灼ごめん」
一言、断りを入れる。身体からの延長として――新たな部位として増えた翼を操り、下に展開された減速の魔術へと振るう。
機能制限を施し、長時間の展開を可能とするために幾重にも転写してこちらの階層へと落とし込んだとはいえ、天使の羽であることに変わりはなく、上位階の羽は火灼の魔術をいとも容易く砕く。
「おいコラ! ていうかアンタ――」
これから私が取る行動を理解し、額に青筋浮かべて喚く火灼を脇に抱え、私は飛んだ。




