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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
二章『世界端末の失敗作』

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◆五話-2

 ――私の記憶に父と母の影はない。


 空海成世という一個体の記憶に存在する人間は、兄である空海玄外とその式神たちがほぼ全てと言っていい。


 物心つく前から兄に「失敗作」と呼ばれ、忌み嫌うような目を向けられ続けていたせいか、それを普通として私は育った。


 分別が付くようになると、私は兄から恨まれるのも当然だと理解した。父や母など、他の家族全てと引き換えに生まれた赤子など、好きになれるはずがない。父や母という存在にはいまいち理解が及ばないけれど、家族というものはよくわかっているつもりだ。兄に疎まれているけれど、それでも兄や式神たちは私にとって大事な家族であり、心の拠り所であることに変わりはない。その家族たちが一人の存在と引き換えにいなくなったとなれば、怨嗟の念も一入だというのは容易に想像できる。


 そんな私のことを兄が育ててくれていたのは生き残りだからに他ならない。


 空海家の生き残りはたったの二人。その貴重な血を絶やすことはできないからと、兄は私を忌避しながらも式神をあてがい十分な教育を施してくれた。ありがたいことだと思う。


 私の身体は産まれる前からすでに欠けており、左目と左腕、産まれてからは内臓のいくつかを物理的に失っている。ついでのように、五感にも欠損があったりする。味覚は酸味と苦味が特に感じられなくなっているし、触覚に関しては温点が機能していなかったりする。


 存在消失による欠損は再生できないし、他者からの移植を行ってもそれが私の身体として馴染むと『世界』によって存在を否定されて消失するため、なんらかの代替を行うしかない。


 失った目や腕は形成術で本物そっくりのモノをくっつけているし、内臓は代替機能を果たす術式符を埋め込んでなんとかしている。熱さに関しては怪我につながるようなものなら痛みで気付けるから問題はない。味覚に関しては……どうしようもないので好みが偏った。酸味を感じたいときはかなり酸っぱいものじゃないとわからないし、そこまでして得られる感覚があんまり好ましくない。苦味は論外だ。結果として、比較的感じやすい甘いものに傾倒していった。


 存在消失というものは、本来であればそんなピンポイントに一部の箇所に集中させられるようなものではないのだけれど、私の――というか、空海の才能はそれを可能とした。


 私に掛かっている存在消失は一族の中でも一番『重い』らしい。


 じゃあ、それでどうして生きていられるのかと言えば、こんなんでも空海の歴代最高傑作で「人の分際として」はかなり存在の耐久力が高いそうだ。


 それに加えて土地による補助を私と兄だけに絞ったからこそ、どうにか無事……とは言えないまでもこうして結婚できる年齢まで生きてこられた。


 当然のように学校には通えなかった。敷地から出られないのだからどうしようもない。


 とはいえ、このご時世だと家の敷地から一歩も出なくてもそこらへんはなんとかなるわけで。インターネットの普及と家庭学習教材の充実はすごい。


 ただ、学校は勉強をするだけの場所ではなく、集団生活を学ぶ場でもあるわけでして、私にはそのあたりの理解が足りていなかったりする。当時は、どうせその機会がないからと気にしていなかった。


 娯楽として与えられたのは漫画やアニメのサブカルチャー系だった。


 そのあたりの窓口だった式神の繊曰く「最近の若者はだいたいこれ」とのこと。


 私はこれにハマった。

 物語によって彩られる人々の交流というものに衝撃を受け、心を揺さぶられた。

 他者との交流という私に不足している要素を、そこから補うように吸っていたのだと思う。


 いくつも読むうちに、好みの傾向があることに気付く。


 特別な女の子が普通の少年と出会って幸せになっていくお話。私はそういうものを好んだ。


 私は悪い意味での『特別』だけれど、ヒロインたちと同じように『特別』であることに変わりはなく、よくわからない宿命や逃れられない運命に抗うという点では共感を覚えた。


 そして、そんなヒロインの隣にいるのがどこにでもいるような少年なのだ。


 普通だ。一般的な感性で、特別などというものから遥かに縁遠くて、だからこそ特別なヒロインと一緒にいても普通であり続け、普通をヒロインに与える存在。


 特別なことなんて起きなくて、それなりに穏やかな日々――けれど当人からしたら一生懸命に生きるような日々。そんな暖かい日常をヒロインに贈る存在。


 ――そういう関係に憧れた。

 ――まぁ、憧れは所詮、憧れでしかない。


 そんな存在に自分が遇えるだなんて思ってない。だって死ぬし。


 兄はなにをしているのかを私には教えなかった。けれど、式神たちはそれとなく私に教えてくれた。研究の停滞と延命措置の限度が如実なものであることを。


 当たり前と言えば当たり前だ。一族総出で行っていたことなのに、残った子供二人でそれを引き継ごうなどとは無理がある。文献や資料は残っているが、碌な引き継ぎもされていないものを十分に活用することなど不可能だ。


 そして外部に助力を求めることもできない。今の空海の現状では、食い物にされるだけなのは明白だからだ。


 結果として、研究の手伝いをしていた一部の式神を用いて現状の打破を試みる毎日。


 そしてそんな日々も終わりが近づいていた。

 兄の限界が近いという事実。学府の人間に空海家の状況を把握されたという事実。


 内外ともに時間切れというあまりにも無情な現実。


 ――ある日、兄が言った。


「外に行け。情報を得てくるように。消失は私が肩代わりする」


 簡潔な指示だった。


 詳細をまとめれば、私はスノウ=デイライトという『探知機』の通う学校に行くことになった。私たちは土地に縛られているのではないかと疑問したが、曰く、私が土地から離れてもその消失を兄が肩代わりすることができるとのことだった。


 風前の灯火だった兄の寿命がさらに縮むらしいが、それでもただ死を待つよりは、ということで私は送り出された。


 送り出された先で私は生を謳歌した。まるで普通の女の子として日々を過ごした。知る常識と経験した常識を擦り合わせ、どこにでもいる人間の感性を学習した。


 潜入先の学校で一般人を装い、スノウ=デイライトや学府の関係者からの目を欺くための地盤固めに必要なことではあったのだけれど、それでも後ろめたさはあった。


 ――兄の命を削って実感する生はどこか背徳的だった。


 夏が明けて、私は学校へと足を踏み入れた。


 そこで、私は本物の『特別』を見た。私のような紛い物の特別とは違う存在。


 生命というモノに形を与えるならば、きっと彼女のような形を取るのだろうと、そんなことを思った。生命力に溢れ、彼女の周りだけは世界の彩度が一段階上がっているようだった。


 でも、その隣にいたのは、ただの男の子だった。

 有象無象に埋没しそうな特徴を備えただけのヒト。


 だけど、彼女は楽しげだった。少女と少年が寸歩不離の仲であることは疑いようがなかった。


 彼女が言葉を投げて、それに少年が答えて、彼女は無垢に笑うのだ。時に笑い、時に睨み、時に泣き、時に怒り、時に喜び、時に穏やかに、感情を用いてお互いに触れ合っていた。


 それは私が見た理想そのものだ。『特別』が『平凡な普通』によって日常へと足をおろしていた。どこにでもありそうな逢引きを『特別』が楽しんでいた。


 学府からの遣いの女――本当は協会の人間だと自称する――フェリシティはこう言った。


「その男に近づかない手はない」


 だから近づいた。大義名分はそれだった。けれど、本心ではどこかその接近を楽しんでいた。


 男は――天木先輩は私と向き合っても普通だった。


 退屈を楽しむように生きる人だった。

 先輩と話していると、私も彼女のようになれるのではないかと錯覚した。


 ――でも、本当の特別は先輩だった。


 それはダメだろ。ずるいよ。それは私の憧れから最も遠いよ。特別が特別と肩を並べるのなんて、あまりにも夢がない。私には到底不可能な理想を現実として突き付けるなよ。



 ――だけど、彼は私の手を取ろうとした。



◆◆◇◇◆◆



「っ……ん」


 水中で目を開けたかのように視界がぼやけている。


 五秒ほど時間を無駄にして、気を失っていたという事実に辿り着く。遅れて、身体中に痛みが走り呻き声を漏らしてしまう。


「無理に動かない方がいいです」


 声が投げかけられる。この声は、


(こつ)……」


 そう名前を呼ぶと、ぼやける視界を覆うように顔が入ってくる。


 ――目も段々と明瞭になってくる。


「はい、忽です。おはようございます、成世様」


 目の前にあるのは見慣れた忽の顔だった。空海家の式神のうちの一人。白髪を肩口で揃えた女性。


「おはよう……」


 そう返事をして、なんとなく理解する。あぁ、私は家に帰ってきたのだと。


 そして思い出す。スノウ=デイライトに完膚なきまでに叩きのめされたことを。


 失敗したということを。


 ……あれ?


 がばっと、掛けられていた布団ごと勢いよく上体を起こした。


 それに伴い激痛が走ったけれど、声にしないよう歯を食いしばって黙殺する。


 忽はそんなこちらを見て驚いたような顔をしている。


 やっと周囲へと意識を向けられる。――ここは本宅の離れだ。普段ならば兄さんが使用している場所。地脈が特に集中しており、消失の抑制を目的として建てられた小屋だ。


 いわゆる療養部屋というもの。


「忽! 先輩っ、天木秦は? 私と一緒にいた男の人!」


 私に仕込まれていた転送魔術が起動した際に、先輩は私に触れていた。つまり、あの人も一緒に来ているということだ。


「天木秦様は……現在、敷地内を散歩しているようです」

「なんでよ!」


 思わず叫んだ。どうしてそうなった?


「玄外からの許可も出ておりますね。好きにさせろと」

「兄さんが……?」


 一体、どういう状況なのだろうか? 私と一緒に先輩が飛ばされたのは確かだった。それはいい。だとしても、それがどうして敷地内で自由を与えることになるのだ。


「それにしても」


 と、忽が私の戸惑いをよそにしみじみと呟いた。


「まさか成世様が男を連れて帰ってくるなどとは思いもしませんでしたよ、えぇ……。ですが、これで空海の血は繋がるでしょうから、私たち式神一同も頑張る所存でございます」


 両手で握り拳を作り、意気込みを聞かせてくれる忽。


「先輩はそういうんじゃない!」

「なんと! もしや成世様の一方的な傍惚れで、戻ってくる際に無理やり連れて来た次第でしょうか!」


 やりますねぇ! と、忽がサムズアップする。


「ちげぇ!」

「なるほど、それだと天木様に逃げられてしまう可能性があると思い、心配するのも当然です」

「間違ってるけれど合ってる!」

「ですが、それは杞憂ですよ。成世様も知っているように、部外者はこの土地から出ようとしても出られません。外へ向かおうとすると認識がずれるようになっていますからね。仮に外へと通じる場所に辿り着いても、純粋に強力な結界が張ってあるため脱出は不可能でしょう」


 本宅周辺の土地に張られている結界は二種類で、侵入者を惑わすものと、人の出入りを防ぐものである。前者は精神系で後者は物理系の壁となる。――物理とは言うが、コンクリで囲われているとかではなく、不可視の壁に覆われている形が正しい。魔力によって編まれた純粋な高強度の壁であり、地脈を介して組み上げられたそれは並大抵の攻撃を受け付けない。


 だから、忽の言うように逃げられるということは通常ありない。一般人であれば話にもならないし、通常の魔術師だろうと迷うのが必定だ。もし運よくそれを踏破したとしても、土地規模の魔力障壁などの前では人間など無力に等しい。魔術師という存在にとって、土地を持つということがどれほどの優位性を持つかなど誰もが理解している。


 だけど、天木先輩は一般人ではない。

 そして、天木先輩は通常の魔術師ではない。


「天木秦は、世界端末なのよ!」


 そう叫び、居ても立っても居られなくって起きようとするが、身体は上手く動かない。それどころか意識がまた遠退いていく。


「……成世様、あなたの怪我は重傷です。如何なる理由であろうと、動いてはいけません。無理に起きようとはせず、お眠りください」


 忽は私の身体を労わるように触り、言い聞かせてくる。


「でも――」

「あなたが動く必要はないのです」


 式神たちは私の言葉を疑わない。


「すでに他の式神にそのことを伝えました」


 空海の式神たちは、ある程度の意識を共有できる。


「私たちにお任せください。天木秦が世界端末であるというのならば、決して逃しません」


 強く、決意に満ちた声で式神は言う。


「空海の悲願、必ずやあなたの手の中に」



◆◆◇◇◆◆



「ここから先に行けない……」


 空中に手を押し当てると、一定の場所で止まる。見えない壁のようなものがある。


 ――よし、状況を整理しよう。


 どうせ逃げられないのだからと、成世が目を覚ますまではそこら辺で自由にしていればいいと空海玄外に言われた俺こと天木秦はこれ幸いと逃げようとし、案の定詰んだ。


 玄外や式神のいた屋敷を出ると、周囲にも同じような規模の屋敷があり、度肝を抜かれた。


 屋敷群というやつだ。多分。一族で固まって住んでいたのだから、それなりに広い場所なのだろうと思ってはいたが、想像できていたのは学校の敷地が精々で、実際はちょっとしたテーマパーク並みの敷地面積を有しているようだった。……自分の想像力が貧弱なことを痛感する。


 イメージは城下町。ただし、並ぶのは家屋ではなく武家屋敷みたいな感じだ。


 そんな屋敷群を抜けて、それっぽい道のようなものを歩いていると塀のようなものが見えた。深く考えずにそちらに沿って歩いていくと大きな門が威圧的に建っていた。


 その門に近づこうとすると、見えない壁にぶつかった。そこに『在る』ことを認識できていなかったがために強かに顔をぶつけ、鼻っ柱を抑えて十秒ほど悶絶した。


 ――そして今に至る。


「ちょっとこう、明らかに俺がどうにかできそうなものではなさそうだな……」


 既にいくらかの試行錯誤は行った。


 横や上に移動して切れ目を探したり、地面を掘るなどしたが壁はどこにでも存在した。上空は一定の高さまで行くとそこで頭打ちとなり阻まれる。


 殴ったり、蹴ったり、爆発させたり、斬り付けてみたりしたのだが、ビクともしない。


 ――強度が高過ぎる。玄外の言葉を額面通りに受け取るならば、彼がこの土地の管理者であり、地脈などを通じて土地に流れる膨大な魔力によってこの壁を構築しているのだろう。


 おそらく、スノウやネセルのレベルでも容易には突破できない壁だ。


 なるほど確かにこれならば「どうせ逃げられない」と言い切れる。


「解析術とかが使えるわけではないしな……」


 俺が選べる選択肢は少ない。


 そして、すでに時間もいくらか経過している。すでに太陽は頂点を過ぎており、秋季であることも加味すれば正午は余裕で過ぎているはずだ。……というか、携帯を見たほうが早いな。そう思いディスプレイを見やれば、そこには午後二時を三分ほど過ぎた時刻が表示されている。


「スノウたちの助けも望めなさそうだしなー……」


 スノウのことだから刀河に無理言って俺のことを探らせているはずだ。そして、刀河が尽力した上でことこの時間に至るまで動きがないことを考えれば、まぁ間違いなくあっちは俺の場所を把握できていない。


 もしかしたら時間は掛かるが何らかの方法でこちらの居場所を特定できるのかもしれないが、現時点で来ていないのであれば、そう簡単にはできないのだろう。


 つまり、早い段階での助けは期待できない。

 ただ、それでも、スノウならば必ずやってくるという妙な確信もある。


 ちなみに電波は届いていない。手元の画面左上に映るは『圏外』の二文字。(文明の利器使えねぇ……)そのため、俺は現在地がどこなのかすら把握できていない。国内であることは確かだと思う。


 この壁が電波やら俺に仕込まれている追跡用の魔術やらを阻害していると考えていいだろう。


「…………」


 ――少ないどころか、取れる選択肢はないに等しい。


 今はこうして自由に放置されているが、成世が目を覚ませば状況はまず間違いなく悪い方向に転ぶだろう。時間の余裕もないという厳しい現実が目の前にそびえ立つ。


 なら、選択肢を選べるうちに選ぶのが良いよな。


 ――たとえそれが最悪の選択だとしても。


 なにもしないまま行き詰まりへと辿り着いてしまうぐらいならば、俺は選ぶことを選択する。

 そう結論を出して、ポケットに手を伸ばし――


「卒爾ながら、その両手を衣嚢には触れずに頭上まで動かしてゆっくりと振り向いて頂きたい」


 ――背後から声を掛けられる。



◆◆◇◇◆◆



 秦は止まらなかった。手はそのまま腰の短刀を握り込む。


 空気の揺らぎが肌に伝わる。数瞬遅れて何かが迫りくるのを感知し、秦はそれを避けるように横へと飛び跳ねる。――先ほどまで居た場所を大量の水が通過した。当たればただでは済まないであろう質量と勢いを伴った水の塊はそのまま障壁へとぶつかり弾けて四散する。


 意識と体勢を攻撃元へと向けながら秦は構える。 


「――おや、だいぶ動けるようだね」


 視線を向けた先には三人の人間――式神がいた。

 秦の身のこなしを見て意外そうな反応を示したのは老婆だった。


 顔の皺は深く声にも老いがあるが、それに反して肉体は着物の上からでもわかるほどに引き締まっており、背筋には一切の曲がりがない。また、秦を見据える眼光は鋭く、その色に翳りはない。その腰には日本刀を二振り差しており、手はそれらに添えられていた。


「玄外が言ったのと一致しませんね。魔力量が多いだけの素人という見立てですが」


 老婆の隣にいる十代前半ぐらいの見目をした少女が頷いた。こちらも他の二人と同じく白髪の赤眼であり、式神であることを秦は理解する。


「成世様の言では近接戦闘ではかなりの手練れだと、そのような一報があった。なので不思議ではないと思われるが」


 最初に秦へと声を掛けた男――美丈夫の中年は付け加えるかのように補足を入れた。


 そして、老婆は中年の男を蹴り倒した。淀みのない動作で背中を蹴り飛ばし、男は顔面から地面へと突っ込んだ。人の顔と地面の擦れる音が周囲に響く。


 構えて警戒を露にしていた秦は「えぇ……」と小さく呟いた。


「そういうのは先に言うんだよ阿呆!」


 老婆の怒号が地面に顔を擦りつけたままの男の背中に飛ぶ。


(じょう)が一番認識を細かく汲み取れるのに、その穣が共有を疎かにしちゃダメでしょ……」


 少女がこめかみを抑えながら苦情を入れる。


「いえまぁ、不意打ちに近しいことを行うのならば『当たったら僥倖』程度でとりあえず試し、外れたらそのことを伝えればいいかと考えたのだがな」


 かなりの勢いで蹴られたというのに、男は何事もなかったかのように立ち上がり老婆たちの隣へと戻る。よく見れば顔には擦り傷から血が滲んでおり、鼻血も出ていた。


 慣れたやり取りなのか老婆はそれ以上の追求を行おうとはせず、秦へと視線を向けた。


「お初お目にかかるよ、天木秦。――いや、世界端末」


 老婆の言葉を受けて秦は理解する。


 自身が世界端末であることが空海家の人間に露顕したことを。つまり、成世の目が覚めたということを。そして、秦の正体が判明した上で遣わされた三名がどういう式神なのかも察する。


「私の名は(さい)、そんでこの子は(けい)。それは(じょう)。三人ともこの家に仕える式神だよ」


 老婆――載によって自己紹介が行われる。会話をするということは、この三人組には対話の意思があるということに他ならない。――では、その会話の意図はどこにあるのか?


「で、世界端末の坊主。大人しく拘束される気はあるかい?」

「ないです」


 秦は会話に応じるが、警戒を解かない。


 自身が達成すべき条件と、相手が達成しようとしている条件を考える。


 秦が目指すのは帰還のみ。そのためには土地の結界から抜け出ることが絶対条件となる。スノウや火灼の救援を隠れて待つという候補もあったが、空海の敷地内で隠れ切ることは不可能に近いと判断し、自身の素性が割れた段階で完全に放棄した。


 ――結界の強度は高い。


 例え無理と無茶を重ねて結界を壊すか抜けるかをしたところで、そこからさらに逃げるだけの余裕などはないだろうと秦は判断した。


 秦は載たちの目的が捕獲であることを考慮する。世界端末の獲得が目的であれば、式神たちは秦に危害を加えることは出来ても致命となるような手段を選ぶことが出来ない。と、秦は断定する。この推測の確度は高い筈だと、それを前提として思考を続ける。


 そして定める。


 ――管理者である玄外を殺して結界を解く。


 地理も人数も状況も相手が有利だが、唯一と言っていい秦の優位性は手加減の必要性がないということだった。最低でも生きた秦を手に入れたい空海に対して、秦は全力で――必死で歯向かうことを選べる。そのことを踏まえて、秦は当主であり結界の管理者である空海玄外の殺害を決めた。


 ――それが一番順当で、適切で、むしろそれ以外に選びようなんてなかったのかもしれないのに、殺すということを普通に選んだなぁ……。


 自身の選択を、秦は反駁する。

 最後に、都合のいい希望のある仮説を立てる。


 ――無駄話には乗ろう。そうやって時間を掛けたら、俺が捕まるか玄外を殺すかする前に、スノウと刀河が駆け付けて連れ去ってくれるかもしれないのだから。


 希望的観測を心の拠り所にして、秦は覚悟を持ち直した。


「大人しく拘束されるつもりはほぼないけれど、もしも捕まったらどうなるのかって、教えてもらえたりします?」

「さてな。具体的なことはわからん」


 載が返答するが、その内容は要領を得ない。これは無駄話も早々に終わりだろうかと秦が内心落胆していると、載は言葉を続ける。


「だがまぁ、今の空海には何より時間が無いんだ。玄外の肉体はすでに限界が見えている。そして、それはそのまま成世様の限界もそう遠くないということだ」


 一族全体に伝播した世界接続の反動。空海家は独自技術によってそれを軽減し、遅らせているが、結局は鈍らせているに過ぎない。


「少なくとも、世界端末が手に入れば、それをどうにかする手段があるってことじゃないかい? じゃなきゃデイライト家の探知機とやらを探りにはいかないし、お前さんを捕まえようとはしないさ。で、それでよぉ坊主。お前、成世様といい仲なんだろ? 人助けだと思って、大人しく捕まってくれたりはしないのかい?」


 ――いい仲では決してない。そう心でツッコミながら、秦は言葉を返す。


「……それは、空海の目的と方法によるな」


 天木秦という少年はこんな状況に陥るような境遇になってしまってはいるが、元も――そして今も、ありきたりな一般人の感性を主軸にして生きている。困っている人がいれば助けたほうが良いとは思うし、泣いている人がいれば携帯しているポケットティッシュを差し出すことを考えるし、できることなら争いごとは避けたい。魔術師という人種を経験し、つい数時間ほど前には肩へと刃物が食い込み、水の塊をぶつけられそうになっていながらも、それでもなお、天木秦という少年は都合の良い――甘く優しい展開を期待した。


「目的が誰かの不幸の上に成り立つようなら無理だし、方法によって誰かが犠牲になるなら俺はそれを受け入れられない」


 そして、現実は甘くない。式神の少女――京が口を開いた。


「求めるものが『世界端末』の時点でそれは不可能です。そういう理想論的で甘えた言葉を吐く人間は嫌いです」


 そんなことは言わなくても――考えなくてもわかることだろうと、京は秦を睨む。


「じゃあ、受け入れられないな。それだと都合が悪い」

「――っ、あなたの言うことは都合が良いとでも? あなたが拒絶するということは、成世様が不幸になり、成世様が犠牲になるということなんですよ! 結局は目の前の不幸と犠牲から目を逸らしているだけじゃないですか!」


 糾弾するかのような京の物言いに、秦は不思議そうに返す。


「だって、その不幸と犠牲に俺はなんら関係がない」

「……はい?」

「俺は関係ないだろ、それ。俺がなにかしたか? 目を逸らすも何も、それに目を向けなきゃいけない立場じゃないよ、俺は」

「――――」


 京は絶句する。


「俺が関わることによって、俺を含む誰かが不幸になって、俺を含む誰かが犠牲になるのは嫌だよ。でも、そもそも俺が関わっていなくて、俺にとって関係のない奴にしか影響がないなら――むしろ、俺が関与することによって無関係でない人にまでそれが及ぶ可能性が浮上するというのなら、見なかったことにするなんてのは普通だろ」


 天木秦という少年は一般的な感性の持ち主である。困っている人がいたら助ける。泣いている人がいればその涙を拭う。平和になるなら協力はする。


 けれど、それが自己犠牲と呼ばれるような献身を要求された場合、手を差し伸べようとせずに避けようとするのは至極当然の結論だった。


 天木秦は幼少の頃より、自身が世界端末だということを自覚出来ずとも、無自覚で「己が何かの代替でしかない」という意識を持っており、自身の優先度を極端に下げる傾向にあった。だが、その優先度は家族や一部の友人にしか適用していない。弟妹のためならば命を投げ出そう。父母のためならば四肢ぐらいは安いものだ。友人のためならば骨など折っても構わない。――だが、赤の他人のために己が傷付くのは違う。そういった普通を当たり前にしていた。


「目の前で苦しんでいる人がいたとして、それから目を逸らすことは悪くない。余裕があって、施せるならそれは良いことだけれど、飢えて苦しんでいる人のためにお前の脚を切り落として食わせろって言われて、それを断って責められるのはお門違いだ」


 秦は空海成世のことを助けたいとは思う。空海玄外の身の上も大変だとは思っている。


 だが、だからと言って、助けるために己の犠牲を強いられれば、頷くことは出来ない。


 秦にとって、空海成世と空海玄外はその程度の人間だった。


 困っているようなら可能な範囲で助けたいとは考え、話も聞くが、それで「お前が犠牲になれ」と言われて「ハイそうですか」などと頷くような精神性は有していない。


 最初の質問で秦が捕まった後にどうなるのかを聞いて、載は即答した。玄外に説明を求めるでもなく、不明瞭な返答をした。まだ交渉が可能だったかもしれない段階で確認をしなかったということは、実際は玄外が行うことを載は知っており、それが秦に害を及ぼす可能性があることを理解していたと、秦はそう判断した。


 低く冷たい声を京が発する。


「お前はもう、喋るな。――何故、成世様はこんな奴の手を握ったのだ」


 京は腰の日本刀に手を回した。


「どちらにしろ、お前を成世様へと献上することに変わりはないのだ。手足の一本や二本は落とすことになるだろうが、生きてさえいれば問題はない」

「発言が物騒だな……」


 ――どうやら無駄話は終わりらしい。と、臨戦態勢に入った式神たちを見て秦は呟く。


 最初に動いたのは、構えていた秦ではなく、今にも飛び掛からんとしていた京でもなく、腰に差した刀に手を添えていた載でもなく、両手を背に回して棒立ちしていた穣だった。


鳴神(なるかみ)


 穣の背後から雷撃が放射状に発生し、秦を包むように伸びた。


 しかし、視認など出来ようもない音速を優に超える一撃を秦は避けていた。避けられた雷撃は地面へと当たって弾け、土と石を焼いた。


「それを避けるか!」


 側転による回避を行い、雷撃の着地点から横へと飛び跳ねた秦へと、載は追撃を仕掛ける。


 空海家の式神が用いる武器は日本刀と術式符。


 加護の重ね掛けによって強度と魔力伝導率を高めた日本刀は魔力を流し込むことによってその鋭さを増して鋼鉄すら容易に引き裂くことができる。また、術式符は五行思想に加えて雷神・風神を基礎とした七種の術式と魔力が込められており、札に対して起動のための魔力を流し込むことによって、任意の術式を発動させることができるようになっている。


 穣が初手で使用したのは雷撃の術式符の多重起動。包み込むように軌跡を描くその攻撃は、いかな使い手であろうと目視することが不可能な一撃。雷撃は速度と威力に優れており、その軌道を設定している術者本人であろうと空間を走るその雷撃自体を認識することは出来ない。


 だが、秦はそれを避けた。穣自身の動きと視線から察知し、術式の起動よりも先にその攻撃の範囲を経験から割り出し、先んじて動くことによって避けた。


即刃(そくじん)


 載が抜刀する。その柄には術式符が巻かれており、水流と風撃の術式が刀へと流れ込む。刀身を包む水は鞘との摩擦係数を下げ、風は腕を振り抜くための通り道を作り空気抵抗を減らす。そこから生み出される一振りは音を置き去りにし、対象を一刀にて断つ。


 ――はずが、その刃は流されていた。


 そのことを載が認識したのは、秦の脚を狙って抜き放った刃があらぬ方向へと振り抜かれており、己の腕の健が断ち切られていることに気付いた段階だった。


 握り込むことが出来なくなった刀が振り切った勢いそのままに飛んでいき、生えていた大木へと突き刺さった。


「チィ!」


 神速の抜刀を受け流しながら載の腕を斬りつけた秦は滞空中に身体を捻り、勢いをそのままに載の脇腹へと蹴りを入れる。およそ人間を打ち付けたときには鳴らないであろう金属が拉げる音が響き、載は後方にあった屋敷へと飛んで行った。


「載ッ!」


 屋敷の内側へと吹き飛ばされた載に京が声を掛け、そちらへと近寄ろうとする。だが、それを穣が手で制する。


「無事だ。『鉄硬』で腹を覆っていたから蹴りによるダメージはそこまで入ってはおらん」


 穣は秦を見据えながら、口を動かす。


「気を引き締めたほうがいい。アレを少年と侮るなかれ。今の数合で理解したが、アレは明らかに人間を仕留めることに特化した存在だ」


 先手を取り、二人掛かりで連撃し、その結果として腕一つを持っていかれ、相手は無傷。


 その事実を式神たちは認識する。


 ――なお、秦はというと、『鉄硬』によって硬質化した載の腹を蹴ったために脛が痛く、若干だが涙目になっていた。


「色々と、想定と違うねぇ」


 半分ほど崩壊した屋敷から抜け出て来た載が会話に入る。


「世界端末ってのは、存在としては特別だが、魔術師としては特別にならないってぇのが見解だったはずだろうにね」


 載は切られた腕の一部に術式符を貼って固着させ、一時的なテーピングを施す。そして手を何度か握り、握力の低下具合を確認する。


 ――人差し指と中指、薬指の腱が切れているね。と、載は内心で舌打ちする。


 腕の完全な切断にまでは至らず、腱にまでしか刃が届いていないという事実から、あの反応と一振りが秦の速度であると載は考える。そうでなければ、わざわざ中途半端な位置に刃を通す理由がないからだ。無力化を狙っての腱の断ち切りではなく、腕を取ろうとしたがそこまでには届かなかったが故の、腱の切断止まり。だからこそ、腕が繋がったままで済んだのだと判断を下した。


「『世界』の端末だろうと、結局は機能制限の施された人間という存在でしかない。それは間違いじゃないはず」


 京はこちらの様子を窺い動こうとしない秦へと視線を向けながら、載の言葉に頷く。


「魔術師としての世界端末は、世界との親和性の高さから術式の澱みが少なく、また内包する魔力量の多さが特筆すべき箇所となる。故に、方向性としては純正の魔術使い。並外れた魔力による強力な使い魔の召喚とそれらへの後方支援として中遠距離魔術を得意とするようになる。その認識だったが――」


 ――初手の『水塊』を避けられた時点で考慮すべきだった。と、穣は続けた。


「私たちは戦闘を主体とするように設計された式神だ。それに対して数的不利を感じさせないあの動き……さて、どうする?」


 載の問い掛けに京が答える。


「――やることは最初から決まってる。なら、そのために動くまで。援護、よろしくね」


 腰に差した刀を握る力を強め、鯉口を切り、その小さな体躯を跳ねさせる。



◆◆◇◇◆◆



 一直線の――愚直とも言えそうな突進。


 京と呼ばれた式神の少女がこちらへと突っ込んでくる。――速い。


 その小さい身体に刀を隠すように半身で突っ込んでくる。先ほどの老婆――載と同じように超速の居合術による一撃を狙っているのだろう。


 大丈夫。理解できる。認識できる。


 呼吸の間隔、筋肉の動き、視線の運び、重心の移動、それらを本能的に無意識的に経験と照らし合わせることによって先を予測して識ることができる。そして、それを自身で知覚するよりも先に肉体が最適を行う。


「っ」


 浅く、短く、息を吐く。動きの起点としての始まりを身体が作り上げる。


 さっきのより速い! だが、これなら同じように捌ける!


 ――そう結論し、音越えの白刃を逆手で持ったナイフの刃先で流そうとして、気付く。


 身体は動いた。流すのではなく、避けた。それも大仰に。寸前での回避ではなく、十分な距離を取るように上体を後方へと逸らした。これでは先ほどのように即座の反撃はできない。


 そして居合術は、納刀状態から最速で攻撃姿勢に移るための技術だ。


 ――つまり、その真価は追撃にある。


 少女――京は避けられた勢いそのままに回転した。振り回した刃を止めるのではなく、さらに身体を捻ることによってそれを加速させる。


 跳躍しながらの居合抜きは地に足を付けることによる安定した体勢を捨てる行為だ。それを捨ててまで行われた一撃は流れるように二撃目へと繋がった。


 眼前を通り過ぎた刃は、軌道を逸らしながら離れ、一瞬で近づき、今度はこちらの脚を両断する軌跡を描いた。


「ィっ!」


 逸らした身体を戻すのではなく、そのまま腕は万歳の要領で頭上へと掲げて地面へと手を付け、そのまま右脚を蹴り上げた。


 靴の先端底部分で、刃の腹部分を蹴り上げた。絶縁使用の安全靴で!


「なっ!」


 得物をかち上げられ、バランスを崩す少女。


 地面につけた腕を動かす。腕を脚として、地面を強く踏み込み、そのままがら空きの腹へと蹴りを叩き入れる。


 渾身の一撃が入った感触。先ほどの老婆と違い、その感触は金属ではなく肉だ。肉の途中にある骨が砕ける感触まで伝わる。


 京は放物線を描いて、先ほど老婆が突っ込んだのとは別の屋敷へと突っ込んでいった。


スノウ(あいつ)、カポエラとかもやっていたのか……」


 そう呟きながら、体勢を戻す。


 ――同時に、空間魔術を起動する。


 己の正面から背後へと迂回するような道をいくつか作る。そして、そこを雷撃が通り抜け、背後に植えられていた生垣へと当たって爆ぜる。


 ――簡易的な起動だからそこまで耐久力のある固定じゃないのだけれど、雷相手ならこれで防げるのかぁと、内心で感心する。


「なんでソレに反応できるんだい。京の帯電(アレ)だって目視できるようなもんじゃないだろうに」


 呆れた声で言われる。


「ほんとうにね」


 気持ちは分かるので同意する。視線を向けると、載がこちらに手を向けながら立っていた。その手にはいくつかのお札みたいなのが握られおり、まぁわかりやすく牽制しているのだろう。


 中年男性――穣の方は京を屋敷から引きずり出しているところだった。


「さっきから二人まででしか攻撃してきませんが、三人掛かりでは来ないのですか?」


 なんとなく、訊ねてみる。


「三人で連携した攻撃ってぇのは結構な技術を要求されるんだよ。その相手が強ければ尚更ね。下手に増えると、むしろ隙が増えて危ないんだ。だから、二人で動いて、一人はどちらかが動けなくなったときに入れるようにした方がいいのさ」

「なるほど」


 思った以上にしっかりと解説されて少しばかり面食らう。


「刀とかは特に顕著でね。三方から切りかかるのは相手に手数を要求するから強そうだけれど、捌かれたときに全員の可動範囲がかなり狭くなるんだ。横には動きづらくて、逃げ場が後ろにしか存在しない。そして、そんな分かり切った動きをしたら相手に取られるよ」

「あー、なるほど」

「だから、一人が対応させて、もう一人が隙を見て回避なんてほとんど出来ない筈の雷撃を撃ち込むようにしているんだが、ねぇ?」

「…………」


 ちょっと、詳しく教え過ぎではないですかね? と、疑惑を持ち、不信感を抱く。


「じゃあ、見逃してくれたりしませんかね? あなたたち三人では手に負えないと思っていただけたようなら、放っておいて欲しいなぁ、なんて」


 ――そう思ってみたり。


「そうは問屋が卸さないだろう」


 そう言って、式神たちはそれぞれ構え直した。


「ですよねー」

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