◆四話-2
昔、異国から流れ着いた人間がいた。その女は故郷を追われたのだと言う。
その女を嫁にした男の家は不思議と栄えた。丈夫な子が生まれ、聡い子が生まれ、大病なく、大過なく、女の血筋は順調にその土地へと溶け込んでいった。
――女は魔術師であった。
――女が抱く理想の過程には『世界端末』が必要不可欠であった。
――女は子供とその先に続くであろう子孫に対し、厳重にいくつかの呪いを施した。
その一つは密かに生きることだった。
魔術による革新などを積極的に行うことはせず、異邦の血を土着させ、絶やさないこと。
女が嫁いだ先の家は成功を収め、いくつかの山と平野を手中に収めていた。
けれど、それ以上を求めることはせず、その土地を大事に、丁重に扱った。
土地との繋がりを深めた。何代にもわたって血を馴染ませた。
目的のための下地を整え続けさせた。
――人の身一つでは不可能な領域であると理解していた女は、その後押しを土地によって補助しようと考えたのだ。
女は故郷において土地の確保に失敗し、敗北し、追い出された。
そして、流れ着いた先で望む条件を満たす土地を見つけ出すことに成功したのだ。
そこまでは至極順調。
誰の手にも染められていない上質な土地が存在するという奇跡との邂逅。
当時の国の中心であった『都』から距離のある地域だったことが幸いだった。
女の残した『呪い』は一族の存続と、目的へと至るための試行錯誤を強制し続けた。
それから幾星霜の時を経て、家の名は『空海』と呼ばれるようになり、土地にとって当たり前の存在となった。
そして、試行錯誤はすでに行き詰っていた。
もはや、当時の方法では失敗にしかならないと結論が出ていた。否、結果が出ていた。
だが、一族に刻まれた『呪い』はそれを許さなかった。その結論を許容できなかった。
最初の女魔術師の遺志。ただそう在れという願い。
意思なき意志はそれでも尚、進むことしか選べなかった。
――故に、狂った。
万に一つも在り得ない可能性を、億が一にも成り得ない可能性を、無数に連なる失敗の可能性の中からもしもの一節を、唯一の成功を掴めるのではないかと、接続を試みた愚か者がいた。
結果は無論、失敗に終わる。愚か者が一人、世界から消えただけ。
――だが、それだけに止まらなかった。
一族へと浸食した『呪い』を伝い、罰が『血』へと流れ込んだ。
溶ける。解ける。融ける。熔ける。そして、消えていく。
その血はもはや咎人の証となり、一族を焼いた。伝播した咎はにじり寄るように空海の人間たちを侵食し、一人、また一人と殺していった。
不幸中の幸いはその速度に個体差が存在することだった。比較的無事な者たちは早急に対策を講じた。土地の運用方針を転換し、土地の範囲下での存在消失の抑制を主体となるようにし、そうして生まれた猶予を活用し、空海の術式を改良した。
一度開いた『孔』を閉じ切ることは出来なかった。
故に、その出先を強引に集める手法を編んだ。
そして、失われた箇所の代替を形作ることへと特化していった。
それから幾年が過ぎ、空海家は安定し始めた。
咎は未だにその身を焼き続けていたが、土地から離れることが出来なくなる代償を支払うことによってどうにか抑えることが出来ていたし、ソレの集い先を強引に制御することで致命的な欠損を避け、十分とはいえないまでも、残し、育て、伝え、見守ることが出来る程度の猶予を確保できるようになっていた。
――猶予を確保できるように、なってしまったのだ。
咎による断絶の憂き目を逃れた先には、呪いが待ち受けていた。
狂ってしまった呪いは、悪化の一途を辿っていた。
一度は頓挫した道を空海の人間たちは再び歩み始めた。
そして、ある者が土地による存在の消失抑制へと目を付けた。個体差による存在消失の速度に目を付けた。存在としての強度を求めて、子を成していった。
それから幾らかの時が経ち、一人の男の子が生まれた。
その男の子は、一族の歴史の中でも出生時の欠損率が著しく低かった。
右眼球の消失のみで留まり、成長しても尚その欠損を右眼球のみで済ませ続けたのだ。
親が作成した代替の眼球を埋め込まれたその少年は、些か感情表現が希薄な部分があったが、それでも成果としては十分だった。
故に期待した。少年の両親。直系の血族。呪いを一番に引き受ける存在達が生んだ成功作とも呼べる個体。では、その少年を元に調整を加えた、次に生まれる個体はそれ以上――完成品へと至るのではないかと、期待させた。
そして、少年の母は子供を孕んだ。
女の子だと言う。少年にとっての妹だ。
だが、それ以上に重要な事実があった。
母体の中で赤子としての形を取ったその個体は、どこにも欠損がなかった。
魔術による感知と医療機器によるエコー検査では、四肢に欠けはなく、表面上に異常が見受けられなかったのだ。
空海は『次の段階』へと足を踏み入れたのだと、一族の誰もが思った。
――そして誰も気付かなかった。母体の呪いが加速していることに。
――否、加速自体は誰もが理解していた。ただ、呪い自体は当たり前のことで、妊娠による体力の低下などが原因だとそう結論付けていた。
そして出産の日。
赤子は産まれた。外気に晒され、呪うように産声を上げた。
少年は見て、気付いた。
赤子の左眼球が本物ではないことに。
赤子の左手が本物ではないことに。
精巧な義眼と義手。空海が編み上げた魔術によって成された形成術の賜物。見慣れた偽物。見慣れない赤子という物体が、どうして産まれた時からそんなモノを形成しているのか。そういった疑問を少年は抱いた。
そして、それを抱けたのは少年だけだった。
他の誰一人として気付かなかった。
彼ら彼女らが浮かれていたのか、少年が慧眼だったのか、今となってはわからない。
ことの顛末を簡潔に述べるならば、産まれた赤子は他の誰よりも一族の呪いを背負っており、存在消失を局部に集中させる術と、その消失によって無くした箇所の代替生成を本能的に一族の誰よりも上手く行っていただけだった。
誰かが赤子と母体を繋ぐへその緒を切った。それによって、赤子は物理的に存在していた『咎』の流し先を失った。失ったことにより『咎』は赤子を塗り潰しに掛かった。
己が身体ではなく、外部に流すことによって自身の消費量を抑えるという方法を本能的に学んでいた赤子の『呪い』は、それに対応して、赤子を生かそうとした。
呪いによる繋がりに、その咎を流した。
咎が伝播した。暴走するように、今まで堰き止めていた分が放出された。
赤子が己の内に留めていたものまで呪いは吐き出したのだ。
一番に母が消えた。
赤子の咎の受け皿として幾度も試されていたその肉体は、真っ先に影響を受けた。
次に父が消えた。祖父が消えた。祖母が消えた。叔父が消えた。伯母が消えた。従兄が消えた。
消えた消えた消えた消えたみんなが消えた。
残ったのは赤子の兄――少年だけだった。
状況を誰よりも真っ先に理解し、そして唯一対策を取り、それに辛うじて成功した。
誰もが自身の消失を認識できなかった。
赤子をその両手に抱くことが出来たのは、少年だけだった。
◆◆◇◇◆◆
「という昔話なのですが、面白かったでしょうか?」
「これ聴いてそんな感想言えるようなやつに見えますかね?」
相も変わらず淡々とした表情と声音で繊さんは語り終え、こちらに感想を求めた。
あの後、雑談もそこそこに会話が途切れると「えー、こほん、一つ、昔話をしましょうか。それではご清聴くださいませー」などという前振りから聞かされたのだが、意図が理解できない。
「質問に質問で返すのは無作法ですよ」
「笑えない話をして、面白かったかを質問するほうがどうかと」
そう返すと、
「『笑える』のと『面白い』というのは別物ではないですか?」
不思議そうに言われた。僅かばかりの時間しか共にしていないのに、すでにこの無表情巫女の内々の表情が分かるようになってきた気がする……。
そして、確かにその通りだとも思えた。コメディもギャグもなく、鬱々とした陰惨なだけの話を聞いて、笑いはしなくとも『面白い』と思うことはある。だけれど、それは愉快や愉悦に類するものというよりも、興味深いという感情が適切だろう。知識欲を突き動かす衝動。特定の事柄に対して興味関心を持つことを、俺たちは『面白い』という言葉で表すのだ。
「……まぁ、そうですね」
だから、俺は素直に答えた。真偽など放り投げて、今の話と空海成世が言っていた事柄の関係性を推測し、彼女が今回の行動へと行き着いた理由を推察する。
「不明瞭な部分もありましたが、空海の生い立ちの一部を知ることができたのは良かったです」
ただ、疑問なのは、
「どうして、その話を俺にしたのですか?」
「それは私が話しますよ」
横から声がした。男、成人を迎えている声だ。そちらへと首を回す。
男が立っていた。第一印象は『病弱』『衰弱』『死に体』の三つ。
……全体的な線が細く、佇まいにどこか女性的な所作を幻視してしまったが、声などからして明らかに男だし、体格も細身ではあるが男のソレなので男性だろう。
着流しの上に丹前を羽織っていて。髪の毛は白髪の混じる長い黒髪を後ろでお団子にしている。こういうのなんて言うんだっけ。野武士がするような……マンバン? ツーブロックにはしていないタイプ。サムライヘアだ。
顔色は悪いがその造形は良い。今にも消えてしまいそうというか、病院から抜け出してきましたと言われても違和感がない程度には生命力が儚げではあるが、成世と面差しが似ており、なんとなくその間柄を理解できる。
右手には杖を握っており、左手には繊さんと似た容姿の巫女さんの手が添えられており、もう見るからに自分の足で立つのが厳しいというのがわかる。
儚げな美男子が異国風美女に介添えされているという絵面はとても様になっている。
「初めまして、空海玄外と申します」
男はそう名乗った。
◆◆◇◇◆◆
繊という式神の持つ役割については、先ほど繊自身が述べたように家事と教育であり、世間一般では主に家政婦や使用人と呼ばれる部類に近い。存在自体は『式神』という魔術側ではあるが、施す教育も情操教育などの家庭教育が主体であり、彼女自身はそういった魔術的な価値観と隔意を持って成世と関わってきた。そうすることによって、空海成世の持つ価値観に魔術師とは別の一般的な思考回路を形成させていた。
今の時代、魔術師が完全に世間から切り離されて生きることは難しい。余程のことがない限り、世間一般の常識を認識している必要がある。そういったズレの補正こそが繊の役割だった。
そのため、成世に巻き込まれる形で一緒に跳んできた秦に対しても、あくまでも客人の一人として接した。いくつかの疑問はあったが、それは自身が問うべきことではないと判断し、聴き取りは最低限に留めた。
秦を一先ずの脅威として除外した理由は彼が成世の手を握っており、成世が彼の手を握っていたからという理由が大きい。
そうして必要最低限――成世の学校の先輩であるという情報を聞き出した段階で、邸宅の主である空海玄外より、ある程度の事情を目の前の少年に話すようにと指示が出た。
「あぁ、君が名乗る必要はないよ。すでに聞き及んでいるからね、天木秦くん」
名前を言われて訝しむ秦をよそに、玄外は別の式神に高座椅子を持ってこさせ、それに腰を下ろす。そしてここまで玄外のことを支えてきた式神――須臾に命令する。
「それを離れに連れて行きなさい」
そう言って、持っていた杖で成世を指し示す。その仕種に、その言い方に、黙っていた秦の片眉が少し動く。だが、口は動かなかった。
命じられた須臾は「失礼します」と言いながら成世に近づき、そして繋がれている手を見て困ったように固まる。
「あぁ、少し待ってください。ちょっと強引にやれば解けるかと」
秦はそう言って、どうにか成世の指先から引き剥がしに掛かろうとするが、力加減を間違えないようにと慎重な手つきになっていた。強引に、とは言いつつも丁寧に行おうとし、結果として上手くいかない。
それに見かねた繊は声を掛ける。
「成世様は」
言いながら手を伸ばす。ただし、伸びる先は握られた二人の手ではなく、
「脇が弱いのです」
成世の脇腹だった。
「ひゃぅ」
えらく可愛らしい小さな嬌声が眠り姫から漏れ出る。それに併せて、秦は自身の手を拘束していたモノの力が弱まり、あっさりと解放してくれたことを理解する。
自由になった手と繊を何度か視線で往復し、最初からそれをやれば良かったのでは? と、秦が目で訴えるが、繊はそれをそのまま流す。成世が無意識的にとはいえ握ることを望んでいたのだから、それをわざわざ邪魔する理由がなかったのだ。
須臾はまるで重さを感じないように成世を抱きかかえて部屋を出ていく。
繊は須臾と入れ替わるように玄外の横に使用人よろしく立って居る。
「さてさて、君は繊の話を聞いて、どこまで理解できたかな?」
探るように、玄外は問い掛ける。
「話半分といったところです」
秦は色々な思考を駆け巡らせた上でほとんど素直な答えを返す。自身がそこまで嘘を上手く言えるような人間ではないという自覚があり、相手が嘘を見破ることに慣れていた場合のことを考えてのことだった。
「だろうね」
玄外としても、秦のその言葉に嘘偽りがほとんどないことを予め理解していた。
秦から回収された武器・暗器の類の検分はすでに完了している。率直な感想としては『質が良く、手入れが行き届いており、使い込まれた逸品』という評価が適切だった。
ただし、『魔具としての価値はほとんどない』という注釈が付くものとして。
年齢に対して使い込まれた得物たちは師事する者から譲り受けたモノであると推測し、その上で魔術的付与が施されていないという時点で師の実力と、この少年の重要度が窺えた。
式神達の検査により、秦の内臓魔力量が平均的な魔術師たちよりも遥かに多いとの報告も受けている。つまりは突然変異によって発生した原石として発見され、その発見者のもとで魔術的な研鑽を積んでいたであろうことが想像できたのである。
あまり良い師ではなかったのだろう。だが、そのおかげで成世は出会うことができたのだと思えば都合自体は良いと考え、玄外はほんの僅かばかりだけ口の端を吊り上げる。
「君の師がどこに所属しているかわかるかな?」
「……学府の所属と」
秦は質問の意図を考え、どう答えたものかと迷うも、正解などわからないし、どう答えたところで裏目は存在するので『嘘を吐かない』ことを意識して答える。
「君自身はどういう扱いなのかな?」
「一応、学府の所属らしいんですが、あんまり実感はないですね。基本はそこらによくいる高校生なので」
秦としては、これは結構な本音だった。
「…………」
玄外は近くに待機させている式神から秦の体温や脈拍などの変化を取らせているが、そちらからの反応はない。少なくとも嘘は吐いていないと判断できる。そうして、自身の推測は正しいと論理を補強する。
よくいる学府に籍だけを置く魔術師だろう。師の名前を聞いたところで自身には分かりようもない有象無象に違いないと考え、玄外はそれ以上の確認を止める。
止めて、本題に移る。
「大まかな概要は話しただろうけれど、もう少し詳細を話そうと思ってね」
そう言いながら玄外は秦の横を示す。
それに釣られて秦が顔を横に向けると、いつの間にか高座椅子がもう一つ用意されていたことに気付く。座れ、ということだろうと受け止め、秦はそれに腰掛けた。
「これは返そう」
玄外がそう言うと、式神の一人が三方を秦の前に置いた。
三方の上には秦が所持していた暗器が並べられていた。それを見て、秦は「迂闊に手を出したら何かマズいのでは……?」という顔をして窺うように硬直する。
「調べは済んでいるからね。業物もあるようだし、いつまでもこちらで預かっていては君だって嫌だろう?」
この段階に陥って初めて秦は気付く。スノウや火灼が『凩』などの魔術的な観点でも逸品として扱われるような武器ではなく、スノウが使い古した「ただの武器」を携帯させるようにしたのはこのためか、と。
秦が扱う魔術の一つである『経験憑依』は使用者の絶対数が少なく、ほとんど知られていない。廃れていった原因としては効率や手間など、様々な理由はあるが、通常の魔術師が使う分にはあまりにも無駄が大きいから、というのが大まかな理由だった。
――魔術師からしてみれば、「ただの武器」は「なにもない」のと同じだ。だから、もし取り上げたとしても、それを返却することに躊躇いがない。むしろ、そんなどうでもいいものを返すことで相手に少しでも恩を着せられるなら、安いものなのだろう。
などと、スノウや火灼の思惑に感心半分、空海家の面々を騙しているような後ろめたさ半分を抱きながらも、短刀などの暗器を回収して服のあちこちに仕舞う秦。
そんな、どこか居心地悪そうにしている秦を見て、玄外は傾ぐ。
「どうしたのかな?」
「いえ、なんと言うか、もてなされているように感じられて」
「客人だからね。丁重に扱うのは当然だろう」
「妹さんが気絶しているときにくっついてきた存在ですよ?」
気絶している女子に引っ付いてきた野郎なぞ、怪しさ満点ではなかろうかと秦は愚考する。
「君が、そうしたのかい?」
「いえ」
即答する秦。嘘ではないので、はっきりと答える。
「だろうね」
秦の言葉を首肯する玄外。あっさりと信じるその素振りにむしろ秦が疑いを見せる。
「どうしてそう信じられるのですかね?」
玄外は、単純なことだよと前置きして理由を明らかにする。
「手を、繋いでいたじゃないか」
そう言い、視線を秦の手へと投げる。成世が握っていた手へと。
「アレには術式が仕込まれていてね。生命の危機に陥ると発動する空間転送で、この地へと戻るように出来ている。それに巻き込まれたということは、アレに手を差し伸べたということだ」
――そして、アレがその手を掴んだということだ。
発動した転送魔術に付いていくような敵対者など在りはしない。転送先が不明な時点で危険度が高過ぎるのだ。事実、こうして秦は空海の領域へと身一つで来ている。
魔術師の拠点のど真ん中に落ちるなど、致命的な所業だ。自殺行為と愚弄されてもおかしくない。
つまり、そのような『敵対者であれば絶対にしない』ことをして、あまつさえ手を握られているような人物が敵対者であることはない。と、玄外はそう説明する。
「なるほど」
神妙な顔をして、納得したように頷く秦。
けれど――
「――だとしても、空海家の詳細を俺に話す理由がよくわからないです。そういうのっておいそれと赤の他人に教えていいものではないでしょう?」
その疑問に対して、玄外は言葉を返す。至極当然のことのように、
「それはそうだよ」
と答える。そして、秦が言葉を挟めないように、うん、と繋ぎを入れて、玄外は続ける。
「だけれど、君は今からここで一生を過ごすのだから、その限りではないだろう?」
決定事項として、そう言い放った。
その言葉を受けて、秦は少しばかりの思考停止を行い、約五秒後に思う。
――俺、こうやって本人の了承なしに先のことを決められているのばっかだなぁ……。




