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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
二章『世界端末の失敗作』

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◆三話『どんなに遠く、離れていても』-3

 

 地上から高さ三十メートルほどの足場など何もない場所にその二人は立っていた。


「なにこれ」


 本来の到着地点とは明らかに違う位置へと降り立ったスノウ=デイライトは、冷たく呟く。


「あぁ、結界ね。座標がズレたのはこれが原因か」


 隣に立つ刀河火灼は酷い疲労の色を見せているが、それでもいつも通りにスノウの疑問に答えた。


「なるほど」


 納得し、理解したスノウは無造作に拳を振り下ろした。



◆◆◇◇◆◆



 天井に穴が空いた。ここは屋外であり、青天井である筈なのに、そこには確かに穴が空いた。


 そこから覗くのは人の手。拳だった。その拳はすぐに引っ込められたかと思うと、その直後に穴を基点として空が開き破かれ、人が降って来た。


 それは、開かれた穴から降り注ぐ本物の陽光を背に浴びながらゆっくりと舞い降りる。


 たなびき広がる金糸のような髪に通された光はさながら後光のようで、一つの光景を思い出す。


「天使みたいだ」


 ぽつりと、そんな感想が漏れる。


 中々の高さから降って来たというのに、着地音一つ立てずにスノウは俺の横に降り立った。


 そして、その横で刀河が着地に失敗して「あだっ」と声を出しながらこけていた。


 なんでここにいるのだろうかとか、少し考えた。

 でもまぁ、スノウだしなぁ……と、そう思い考えるのをやめた。

 そんな俺をスノウは一目見て、成世と赤髪の女を一瞥して、


 動いた。


 初動は見えなかった。刃物が何かを切り裂いた音だけが、追いかけるように聞こえてきた。


「――は?」


 気付けば成世の左腕が肘の部分から切り落とされていた。成世の口から間の抜けた声が出る。


 ――それだけではなかった。


 赤髪の女を囲っていた死神が全て消滅していた。


 赤髪の女が構えていた大鎌が大きく折れ曲がっていた。


「ん、んん?」


 まるで「思っていたんと違う」みたいな感情が込められた声は横から聞こえた。


 スノウは俺の横に立ったままだった。いつの間にかその手にはナイフが握られており、そのナイフは酷く損耗していた。


 スノウはさらにもう一度成世を見るが、その腕を見てまるで『心底どうでもいいものを視界に入れてしまった』かのような目をしたかと思うと、すぐにその目線を赤髪の女へと向ける。


「目測を誤ったか」


 と、スノウは誰に聞かせるでもなく小さく小さく呟く。隣にいる俺が、唇の動きまで見えているからこそ聴き取れたかのような囁き声。


 ――女は動かない。先んじて動けばそれを基点に潰されると察したのだろう。


 スノウの真横に空間の裂け目が発生する。


 ――女は動けない。スノウが何をしようとしているのかが判断できない。


 その裂け目から一本の日本刀が滑り落ちる。


 ――女は動いた。先ほどと同様のことが一段階『上がって』起きると理解したから。


 スノウが刀を手に取ると同時に、その腕がブレた。


 瞬間、空間が爆ぜた。


 横にいた成世は一瞬にしてその鳩尾へと打撃を受け、もんどり打って倒れる。それと同時に、赤髪の女の眼前で火花と激突音が連続して――それも、それぞれが重なって――発された。


 先ほどまでと変わらずに俺の横に立っているスノウの口が動く。また間違えた? と。


 片眉を顰めながらのそれは、今度は音としての振動にすらなっていない。正真正銘、思考がつい口にまで漏れてしまった。そういうモノだった。


「はーっ! はーっ!」


 赤髪の女は立っていた。成世とは違い、五体満足であり、地に足のみで立っている。だが、その様相は一瞬前までとは別物になっていた。


 握っていた大鎌は砕け、地面にはその残骸が散らかっており、その手には柄の一部が残っているだけに過ぎない。呼吸は荒く、身体中の至る所に斬撃の痕が刻まれており、血は止めどなく流れている。スノウの攻撃を『防ぎ切った』のではなく、致命傷だけを避けた最低限の防御で『どうにか受け切った』ということが見て取れた。



◆◆◇◇◆◆



 最初に抱いた印象は災害。


 実物を見て思い浮かんだ感想は特別。


 男の子の隣で幸せそうに微笑む姿は羨望。


 一目見て、思ったんだ。――あぁ、この人は特別だと。


 生に恵まれ、家に恵まれ、親に恵まれ、才に恵まれ、色に恵まれ、時に恵まれ、人に恵まれ、その結果として幸福を謳歌している。唾棄したくなるほどの不平等の体現者。


 この世は不平等だ。けれど、そんなことを嘆いても仕方がない。


 クソではあるがそれが現実だ。それがこの世界だ。それは受け入れるしかない。嫉妬したところで何かが変わったりはしない。


「そう、どう足掻いたところでこの『世界』はそうなっている。受け入れるしかないわけよ」


 日々消失していく肉体。喪失していく感覚。それらを受け止め、それでもどうにか限りある生を延ばそうと必死に生きる方法を探る毎日。


「普通ならね」


 女は言った。


「でも、アンタは違う。アンタには可能性がある。この『世界』を超えて『新世界』へと至るための可能性が存在する」


 蜜のように甘い言葉。どうせ終わる命だからと、私はそれに乗った。駄目で元々だからと、悪魔の取引に応じる気持ちで手を取った。


 ――けれど、現実は残酷だ。『本物たち』はその悪魔を易々と打ち払った。


 現実へと引き戻される。ほんの一瞬だけ、意識が遠のいていた。


 視線を落とすと、左腕は切り落とされており、その断面は人のそれではない。


 痛みなんてない。左肩から先はすでに存在しておらず、『代替品』が繋がっていただけに過ぎないのだから。だから、私のダメージはそんなにでもないのだ。血は流れていないし、先ほど打ち込まれた一撃もフェリシティへの攻撃の「ついで」で行われたものなのだろう。そこに入っていた『代替品』が衝撃を吸収してくれたおかげか、動ける。


 きっと、本来ならば気付けたであろう感触の違いをこいつ――スノウ=デイライトはフェリシティへと意識を向け過ぎたがために見落としたのだ。


 甘く見られたものだ。低く見られたものだ。


 だから、それを後悔させてやろう。一矢報いることが出来ればそれでいい。


 ――術式を起動した。


「チッ」


 舌打ちが聞こえた。――それに気付いたときには、私は地面へとうつ伏せになっていた。


「今の一瞬で逃げられたか。機を窺っていたのね」


 そこまで言葉を聞いて、スノウ=デイライトが私のすぐそばにいることを理解する。


 魔力が霧散していた。術式が解消されていた。背中に鈍い痛みがある。


(なん……なにを、これは)


 私は疑問を漏らすが、それは音にならない。発声が封じられている。


 スノウ=デイライトはそんなこちらを一瞥だけして、天木先輩のほうへと歩み寄った。



◆◆◇◇◆◆



「だいじょうぶ?」


 火灼から治療を受けている秦くんに近づき、言葉をかける。


「あー、うん。とりあえず大丈夫」


 元に戻った肩や腕を動かして具合を確かめながら答える秦くん。火灼に視線を向けると、首を縦に振られるので、実際に大丈夫なのだろう。


「で、えーと、とりあえず色々と言いたいことがあるんだけれど、いいか?」

「どうぞどうぞ」


 両の手のひらを差し出すと、秦くんはこちらをまっすぐに見据え、


「ありがとう。助かった」


 そう感謝の言葉を告げる。


「……どういたしまして!」


 何よりも真っ先にお礼が出てくるのは秦くんの美徳だよねー、と内心悶える。


「そんで次、なんでここにいんの?」

「空間跳躍でひょいっと」


 空中に指先で山なりの線を描く。


「……ついさっきまでイギリスに居たのですよね?」

「うん」

「そんな長距離を空間魔術って繋げられるのか?」


 魔術の知識に幾分か精通してきただけあって、秦くんはそれの意味を理解している。


「火灼がやってくれました」


 そう言って火灼へとウィンクを飛ばすと、


「マジでもう二度とやんねぇ」


 心底から吐き出すようにそう言い捨てられた。


 ――帰宅の準備をしている際に、秦くんの身に危険が迫っていることを感じ取った私は火灼に頼み、秦くんの現在位置へと空間を繋いでもらったのだ。若干のズレはあったが、それは火灼の技術ではなく相手の結界に干渉した結果なので仕方がない。


 魔力は私の方から術式へと流し込んではいるが、座標の探知と固定、跳躍距離を伸ばすことによって生じる空間の歪みの矯正などなど諸々の調整は全て火灼が行った。


 魔力量や戦闘技術という観点では私の方が秀でているが、純粋な魔術の技量という部分では圧倒的に火灼の方が優れている。


 国から国へと――それも隣接した国家間ではなく、海を越える規模で、人間二人の空間跳躍を一人で成し遂げることができるのは、私の知る限りでは火灼以外に存在しない。


 まぁ、とはいえ、元来一人で行うようなモノではない。私のお願いに対して一も二もなく頷いて対応してくれたが、その表情はとても嫌そうだったし、実際に空間跳躍を終えた後の疲労具合は以前に一週間ほど徹夜で作業をした時よりも酷そうだ。


 そんな状態で黙って秦くんの治療にあたってくれているのだから、本当に痛み入る。


 今度の連休にでも温泉旅行に連れて行って労おうと、そんなことを思う。


「で、あんた、なんでこんなことになってんの? しかもこんな遠出して……」


 火灼が面倒くさそうな表情を浮かべながら秦くんを問い質す。


「あれは一週間以上前のことだったかな……」


 秦くんは地べたに這いつくばる少女を眺めながら、少しばかり遠い目をする。


「まとめろ」


 回想が長くなりそうな雰囲気を察した火灼が手短に纏めるようにと秦くんの頭を小突く。


「仲良くなった後輩と遊ぼうとしたら罠だった件」

「うーん、簡潔ぅ! ……そして何やってんだお前」

「軽率だったとは思うよ。魔術関連のことになる可能性は低いと考えていたけれど、甘かったよ。気を付ける」


 ばつの悪そうな顔をしながら反省の意を示す秦くんを見て、火灼はあきれたように嘆息し、首を振る。


「いや、そっちじゃないよ。なんでお前スノウっていうとびっきりに可愛い彼女がいるのに、後輩の女の子と出掛けようとしていたんだよ。ええおい? 浮気か? 浮気かぁ? 浮気が男の甲斐性だとでも思ってんのか?」


 そう言って火灼が秦くんに詰め寄ろうとするので、私は手を挙げる。


「浮気じゃないよ?」

「……なぜにスノウが言い切る」

「いやだって、私は秦くんにその子のこと逐一報告されていたし。今日出掛けることも、事前に連絡を受けて、私に大丈夫か確認されているし」


 別に、私に確認などしなくても秦くんのしたいようにすればいいとは思うのだけれど、秦くんとしては私に許可を取るべきことであるとかどうとか。そんなことを言われたのだ。もしも私が嫌だと言ったら、どうにかして断るつもりだったと聞いている。


 なにより、


「怪しいと思った後輩が『本物』なのか、もしくは単なる秦くんの勘違いなのかを確認したいだけと言うのだから、それは浮気にはならないでしょ」


 ――それに。


「もしも、何かがあったとしても私ならそれに気付けるし、火灼がいればすぐに駆け付けることができるから、それなら大丈夫と思って信じて送り出して、実際にこうして大丈夫だった」


 そう言うと、秦くんはがくりと項垂れた。


「あー、そういうことね。『私は大丈夫だと思うから、好きなようにしていいよー』って意味はそういうことなのね……。俺の実力的に何かがあったときにどうにか対処できるとか、俺が出来心で浮気をする筈がないという信頼とか、そういうのを見越しての発言とかではなく、何かがあったときにスノウがすぐに駆け付けられるから、俺の実力に関係なくどうにかなると考えていたわけだ……」


 どうやら、秦くんの中で育まれていた自信の一部みたいなものを壊してしまったらしい。


「あ、もちろん秦くんがある程度の自己防衛が出来て、私が到着するまでの間の最低限の安全が担保できているからこそのだよ!」


 よよよ、と悲しみに暮れる秦くんの頭をよしよしと撫でる。


 あー、生の秦くん。いい。すごくいい。やはり秦くんは生に限る。写真を見て声を聞くだけでは埋められなかったものが即座に満たされていく。


 私が秦くんに触れて感慨深く頷いていると、火灼は私たちの話を把握し終えたのか、額に青筋を立てていた。


「とりあえず理解した。お前らはもう少し報連相を意識しような? 大事だからな? 南雲にしなくても私にはしろ。頼むから」


 するまでもないことだと思っていたのだけれど、


「――って顔をしているが、それはスノウだけの話に限るよ。天木をお前と同等の尺度で扱うのは無理があるんだ」

「……了解」


 私はそこまで表情に思考が出ているのかと思い、頬の辺りを手で撫でる。


「天木もね。別に、あんたとスノウの私生活に過度な口出しをするつもりはないが、こと魔術が関連しそうな案件だったら兎にも角にも私に言え。おーけい?」

「おーけー」


 治療を受けている手前、素直に頷く秦くん。


「とりあえず、私は南雲に連絡を取るから、スノウは『ソレ』の後処理をやってくれ」


 携帯端末を取り出しながら、火灼は地に這いつくばる『ソレ』を顎で指した。


「ん」


 私は軽く返事をして、再び『ソレ』に向き直る。



◆◆◇◇◆◆



「後処理ってなにをやるのでしょうか……?」


 治療が終わり、取り出してもらった新品の服に着替えながらスノウに質問をする。


 後処理。語感からして穏やかな雰囲気ではない。


「とりあえず尋問かな。洗いざらい答える気があるなら連れて帰って詳細を聞き出すし、無理そうならここで始末する」

「さいですか……」


 慣れた雰囲気だった。


 どうなるのかと思い、成世のほうに目を向ける。


 ――散々な状態と言って差し支えない有り様。


 左腕は切り落とされ、明らかに生物の肉質ではない断面を覗かせている。身体中の至る所に細長い杭のようなモノが打ち込まれており、それによって地面へと固定されている。顔色も悪く、憔悴が見て取れる。


 けれど、その瞳だけは熱を帯びたままだった。


 睨むように、恨むように、こちらを見上げている。


「これって何をしたの?」

「術式が乱れるようにして、魔力を編めなくした。ついでに声も封じたのだけれどっ」


 そう言いながら、打ち込まれた杭の一本を抜き取る。


「これで喋れるよ。――で、どうして秦くんを狙ったのか。その理由の子細を喋る気はある?」


 抜き取った杭を開けた空間の裂け目に放り込みながらしゃがみ、成世に話し掛けるスノウ。


 成世は喋らない。ただただ、射るようにその目でスノウを見つめるだけ。


「――ん。じゃあいいや。殺すから」


 一分きっかり待った後、スノウは言葉を続けた。


「何か、言い残すことはある?」


 そう言って、スノウは黙った。


 ――スノウは彼我の戦力差を把握し、自身が相手を殺せることを確信し、逼迫しておらず、確実に殺せる状況になると相手の最期の言葉を聞こうとする。


 スノウが師匠から言いつけられた作法の内の一つと、刀河から聞き及んではいたが、実際にそれを目にすることになるとは思いもしなかった。


「…………」


 殺すと言いながら、一向に動こうとしないスノウに成世は訝しむ。


「なにかないの? やりたかったこととか、死にたくないとか、生きたいとか、死ねとか、殺してやるとか、呪ってやるとか、罵ったり、泣いたり、恨み言でもなんでもいいから、思いつくものを思うままに言いなよ。聞いたげるからさ、ほら、言ってみなさいな」


 そう言って、スノウは無表情に言葉を促す。

 お前に興味などないと、そう表情で語っておきながら言葉を催促する。


 ――彼女は、今までに何度、この問いを繰り返したのだろう。


「…………なんで」


 成世が口を開いた。


「なんで、あんたたちはそうも恵まれている?」


 堰を切ったかのように、吐き出す。


「私が何をした? 私の家族が何をしたって言うの? 父や母はただ継いで繋ぐしかなかった。呪いとも呼べるような一族の悲願に蝕まれ続けながら、そういう生き方しか知らないが故にそうすることが当たり前だった。善悪なんて関係なく、そうすることが当然だった。でも、それが原因で死んだ。祖父も祖母も叔父も叔母も親たちはみんなみんな死んだ!」


 段々と語気が荒くなる。


「お前と私の違いはなんなんだ! どうしてお前はそうやって何もかもを手に入れて! 私は何もかもを失うんだよ! おかしいでしょ! やれることはやった! 頑張ったんだ! その結果がこれだと言うのなら、ふざけているでしょうがっ!」

「……ぜんぜん話が見えない」


 スノウがぽつりと呟く。俺も俺も。俺もそう思う。


 空海成世という少女が持つ背景を知り得ないこちらからしてみれば、彼女の主張に対して抱ける感想は曖昧模糊としたものにしかならない。


 ――そして実際のところ、スノウはそれで困るわけではない。スノウは有意義な会話をしたいわけではなく、これから殺す相手の末期の言葉を吐かせたいだけなのだから。


 スノウは再び杭を取り出し、それを成世の身体に打ち込む。


 身動きの取れない成世は声を再び奪われる。口を動かしているのに、その喉は震えない。声を出せなくさせるツボとかがあるのだろうか。もしくはそういう術式がそれぞれに付与されているとかかね。


「あなたが言いたかったことはそれでいい? よくある恨み言。不公平や不平等を訴える。まるで自分こそが世界で一番不幸だとでも言いたげな主張」


 反論を物理的に封じた上で、スノウは言葉を並べる。


「私は恵まれているよ。家、血、師、友、才、出会いに恵まれている。傍から見れば私は特別の集大成だ。――で? それがどうしたの? それが糾弾の材料になるの? それが私の罪なの? それが私の犯した過ちなの? それが天木秦という一人の善良な一市民を害するだけの理由になるの?」


 スノウはつまらなそうに言葉を続ける。


「――なんてことは、私たち魔術師にとっては無意味な問いよね。それは糾弾の材料になるし、それは罪になるし、それは犯した過ちになるし、それは害するだけの理由となる。私たち魔術師はそれぞれが持つ倫理に基づいて動く。それは社会的道徳とは全くの別物。魔術師が法律に従うのは『それが一番面倒じゃない場合が多いから』に他ならない。そして、その面倒を押して動こうと思えば、私たちはそれらを容易く超えていく」


 スノウが淡々と連ねる言葉が耳朶を打つ。澄んだ声はよく響き、よく通る。彼女自身は普通に喋っているだけのつもりでも、その声は朗々としており、まるで語り掛けるように俺たちへと伝わる。そんなスノウの言葉に耳を傾けながら、俺は思ったことをなんとなしに漏らす。


「なんか、魔術師っぽくないな」


 成世の主張はひどく理解できる。けれど、それは魔術師としての自覚の薄い――まだまだ一般的な感性が根底に蔓延っている俺が覚える共感だ。それは、俺が今まで見てきた魔術師という生き物のイメージにそぐわない。


 彼ら彼女らは世の理不尽を謳う。生の不条理を語る。人の不平等を嗤う。


 謳い、語り、嗤い、それらを他に押し付ける。


 それが魔術師だ。


 歌われ、騙られ、笑われるような平等や道理を、まるで存在するかのように扱うのは『こちら』であって、そんなものなど最初から在り得ないと否定するのが『そちら』だ。


 魔術師は答えの分かりきった問いなどしない。


 自身でもわかっているであろうことを他者に投げかけたりしない。


 少なくとも、俺が見てきた魔術師はそうだった。


 魔術師たちは「運も実力のうち」などと、乾いた笑いを浮かべながら肯定する。魔術師たちは『運』などというモノを含めた上で能力主義を標榜する。だからこそ、彼らは家柄を重視する。血筋を重視する。持って生まれた才能を、生まれたときに与えられた環境によって補強する。そこに公正さなどは皆無である。


 ――いいや、その不公正さを踏まえた上で公正に世界を見る。


 同じように努力しようとも、最初に与えられた環境と才能に違いがあれば結果に差が出るのは当然であり、魔術師たちはそれを十全に理解しているからこそ、逆恨みをする気になれない。


 けれど、成世はそれを理解はしているはずなのに、逆恨みの言を並べた。


「そうだね。まるで未成年の主張みたい。現実を見ていない――いや、現実から目を背けているかのような姿。なんなんだろうね……。――そんなこと、私に言っても無意味なのに」


 と、そう呟いてスノウは握っていた日本刀の柄に手をかける。


 聞いたのはお前だろうと言いたくはなるが、スノウにとっては聞き出すことが目的であって、その中身など二の次であることを踏まえれば仕方がない気もする。スノウの師がどのような意図で彼女にそれを行うように言い付けたのかなど、俺には分かりようもない。


「スノウ」


 そう声を掛けると、スノウは予想していたのかすぐに柄を握り締める力を緩めた。


「まぁ、私には無意味でも、秦くんに対してなら意味はあるんだろうね」


 理解が早くて助かる。いや、これは早いのではなく深いのだろう。


 一歩踏み出し、成世へと近づく。少女の視線がこちらへと移る。


 さて、どうしよう。知人が目の前で殺されるのはどうかと思い止めてみたが、それ以上の『止める理由』が思いつかなかった。


 でもまぁ、別に俺は理詰めで生きているわけではないし、わりと感情に流されまくる未熟な若者だ。止めたいと思ったのなら、止めればいい。



◆◆◇◇◆◆



「さて、どうしたものか」


 そう呟き、空海成世の前へと近づいた天木秦をスノウ=デイライトはただ見る。


 スノウは周囲に展開する魔力の量をより一層濃くし、その密度を高める。成世がいかなる行動を取ろうとも、それに対して遅れを取らないようにするために。


 身動きを封じ、魔術を封じ、魔力を乱し、声を封じた。並みの術士であれば一巻の終わり。先ほどの赤髪の女――フェリシティレベルの魔術師であっても死を覚悟するような状態。スノウと同程度の実力者であっても、ここまでの拘束が施されれば外的要因による介入がなければ厳しいと判断する状況。


 そこまでして尚、スノウは構えた。秦の万全を期すために。


「あー、まぁ、どうしてこうなったんだろうな」


 秦が話し始める。


 他人事のような語り出しに成世は眉を顰める。いくら魔術による治療を施し、すでに回復したとはいえ、放置すれば確実に死に至るような外傷を受けておきながら、秦は自身のことを線の外側に置いた。


 傷は消えても、痛みは無かったことにはならない。それなのに、秦は何事もなかったかのように喋る。


「月並みなことしか言えないけれど、どうしてこんな力尽くを選んだのかね? 別に、俺は自分が真っ当な善人であるとは思っていないさ。それでも、目の前で困っているような人がいたら、よくあるような良心の呵責には苛まれる。それが知り合いで、嫌いな相手ではなかったとしたら……、いや、たとえ嫌いな相手だったとしても、その度合いによってはできるだけどうにかしたいとは思うよ。そう思う程度には、俺は俺のことをそういう人間だと理解している」


 秦は一度、言葉をそこで区切りスノウを見る。スノウは急かすことなく、ただ秦と成世のことを眺める。時間の猶予があることを再確認し、秦は言葉を続ける。


「そういうのは最後の手段だと思うんだよ。いやまぁ、もしかしたら空海にとってはそれが一番手っ取り早かったのかもしれないのだけれどさ……」


 秦は言葉を選びながら、できるだけ説教のような言い方にならないようにと注意する。『正しさ』などという酷く薄く脆い建前を相手に押し付けるような形にならないように、自分が言いたいことを伝えようとする。


「言葉が通じなければ戦争で」


 秦の言葉は成世に届く。


「言葉が通じても理解が得られなければ戦争で」


 秦の言葉を成世は理解する。


「言葉が通じ、理解され、それでもなお拒絶されたら戦うしかないのも分かるけれどさ」


 秦はまだ、成世を拒絶すらしていなかった。


 成世は当惑の顔色を浮かべる。秦は小首を傾げる。


 そこまで伝えて、自身の言葉は迂遠なのかと秦は考え、一言にまとめる。


「うん。相談すればいいんだよ」


 そこまで言われて、成世は秦が何を言わんとしているのかを理解する。


 今からでも遅くないからと、この期に及んで未だ『最後の手段』を選ぶ前段階であり、秦が自身の『助けて欲しい』という言葉を待っていると、理解した。


 ――なんだ、それは。


 ことこの段階に至って尚、平然と己に言葉を掛ける秦を理解出来ず困惑する。


 成世はすでに彼を裏切った。そういう認識を持ち、敵として相対した。敵として逆恨みの言葉を吐き棄てたのだ。


 ――なんで、


「なんで、先輩は――ぎぃあああああああああぁぁああいいいいいいいいあああああああぁぁぁあああああああ!」


 成世の口から疑問の言葉が出るのと、その身体を蝕むような痛みが襲うのと、獣のような悲鳴が叫ばれたのは、ほぼ同時だった。


「だっ」


 大丈夫か? という言葉は最後まで出なかった。秦はそれを本能で理解した。


「っ!」


 スノウは構えた。成世が言葉を発するのと、痛みによって身動きするのを見た。


 どちらも封じた筈の行為。それを成していた杭が『崩壊』していた。


 成世は絶叫しながら、秦とスノウへと顔を向け、手を伸ばした。


 それに対して、スノウは後退した。


 距離を取ることを選んだ。例えどのような挙動を取られようとも対応し対処するために。


 後ろへと跳ねたスノウの横を、秦が通る。


 スノウは成世の手に意識の六割近くを向け、注視していた。ブラフやフェイントの可能性も考慮しつつ、何かを行う際の起こりの基点として、一番に在り得る部位だったからだ。


 だからこそ、拘束の解除を行い、脅威と成り得る挙動を見せた成世に対して、秦が向かって行ったことはスノウにとっては予想外だった。



◆◆◇◇◆◆



 存在崩壊。存在消失。上位階の情報による存在の塗り潰し。


 ――これは、それだ。


 スノウが打ち込んだ杭の崩壊跡を見て、成世の存在崩壊に伴う肉体の消失を感じ取って、俺は成世の肉体に生じていることを理解した。


 成世の顔を見た。痛みに歪んだ顔。目尻には雫が溢れている。瞳孔は開ききっている。


 ――俺はその痛みを知っている。


 少女はこちらへと手を伸ばした。


 スノウは後ろへと跳ねた。


 けれど、俺はその手に、手を伸ばした。


『助けて』


 と、少女は泣きながら、そう言ったように見えた。


 ――視界が暗転した。

不定期更新(しかも次の投稿までの間隔が長い)で申し訳ないです。

頑張って書いてるから! 頑張って書いているから気長に待ってね!



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そういうのがあると、励みになって執筆頑張れます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 個人的にだれのセリフなのかわかりづらい所があった。 [一言] 書籍化おめでとうございます。楽しませてもらっています。
[一言] 更新お疲れ様です。 スノウさんの秦への愛の深さと信頼、改めて凄いですね。 助けを求める成世に対して、秦がどう動くのか楽しみです。 次回更新も首を長くして待っています!
[一言] 時間さえ稼げば絶対に助けてくれるヒーロー(ストーカー)なんだなぁ ツイッターフォローしました!秦くんの目がめっちゃ死んでるw
感想一覧
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