◆三話『どんなに遠く、離れていても』-2
「お前が『世界端末』か」
フェリシティの言葉を聞いて、私は固まる。
――天木先輩が『世界端末』?
「噂は真実で、そして真実はさらに先行していたということかね。そう考えればスノウ=デイライトが恋人を作ったなどという戯言も合点できる」
「……なんの、ことか」
膝をつきながらも体勢を整えた先輩は、絞り出すように言葉を返した。
「取り乱せよ。せめて理解が追い付かないフリでもしとけ。腰に回した手も露骨だぞ?」
「っ……」
先輩は右手を腰に回しており、何かを握り込んでいるのが見て取れる。
指摘をされても、その手を離さない。
「そう警戒しないでよな。アタシがアンタと話をしたいのは分かるだろう?」
フェリシティはそう言って、並べた『魂を喰らうモノ』を顎で示す。
襲い掛かろうと思えば、召喚してすぐに動けた。それにも関わらずそれらを待機させ、天木先輩に声を掛け、武器に手を掛けたことに気付いている上で指摘するに留めたと、そういう事実を伝える。
先輩は喋らない。
何かを見極めようとしている。
それはこちらの強さを――彼我の戦力差を見定めようとしているのだろうか。
――落ち着いている。
その落ち着きは、彼が何も知らない一般人であることを否定する。
「フェリシティ」
先輩を挟んで、私はフェリシティに呼びかける。私の声に反応して、先輩がこちらへと視線を向けた。その目は一瞬、ほんの少し見開かれて、すぐにいつもの死んだ魚のような目に戻る。
――彼は今、私のことを改めて認識した。
「『世界端末』であることの判断材料は?」
そう問うと、フェリシティは『魂を喰らうモノ』の大鎌だけを呼び出し、それを手に取る。
――いや、他三体が構えるものとは形状がやや違う。最初に先輩を刺した大鎌と同じ形状だ。
性能が違うのだろう。
「記憶情報の引き出しのために魂に触れようとしたけれど、弾かれた。魔術的な反応はなかったから、そういう性質だ。……なにより、干渉に対して存在崩壊まで跳ね返ってきた」
――上位階の情報に触れようとした際に起きる現象。
「なによりスノウ=デイライトが見初めた存在だ。一考の余地は充分にある」
スノウ=デイライトの探知機としての覚醒。
兄やフェリシティが蓋然性の高さを認めたからこその接近。
「……先輩」
私は上擦りそうになる声を努めて抑えながら、問い掛ける。
初めて会ったときの会話を思い出す。弱者の嘆き。敗者の恨み言。欠陥品の妬み。
共感するように答えられて、私は安堵したのだ。スノウ=デイライトという何もかもを持つ人間の隣にいるこの人ですら、私と同じような苦しみと痛みを理解できるのだと。
「先輩は『世界端末』なんですか?」
苦しんでいるのは私だけじゃなくて――それには種類も大小も全く違ったりするけれど、それでも苦悩していることに変わりはなくて、のんびりへらへら笑っている普通の人にだってそういうものがあるのだと、こっちの一方的な安心を――
「もしもそうだったとして、お前たちはそんな俺にどういった要件だ?」
――裏切られたように感じた。
だってそうだろう? 彼は本物なのだ。類似しただけの紛い物だったとしても、失敗作である私とは違う。私とは違うのだ。それは圧倒的なまでの違い。
似ているということは、絶望的なまでに違うということだ。
――決して、同じではないのだ。
「アタシたちには目的があってね。そのためには『世界端末』が必要なのさ」
私が答えないのを見て、フェリシティが対応を引き継ぐ。
「どんな内容なのか、拝聴させていただくことは?」
「ここではできないね」
「流石に、なにを考えているか分からない人に付いていくほど意識は低くないですよ」
「大人しく従ってくれると助かるんだけれどね。悪いようにはしないよ?」
「いきなり後ろから刺すような人が悪くないとは思えないですねぇ」
「痛みも傷もなかっただろう?」
「自我の喪失とか、そんな怖いことを囁かれた記憶ありますが」
「言葉の綾だよ」
小気味良く交わされる言葉を聞きながら、私は呼吸を整える。
「さてまぁ、振られちまったね。ただ、振られたとしてもアタシはアンタを諦めるわけにはいかないのでね。力尽くにでも付いてきてもらうとしようかっ!」
言い切る前に、フェリシティが『魂を喰らうモノ』たちを先輩へと嗾ける。
動くと同時に、先輩も呼応するように腰から短刀を抜いて構える。
私もそれらに併せて、魔術を行使する。
地面に手をつき、右腕に刻まれた術式を起動。地面を這うように術式が伸び広がり、先輩の足元まで到達する。
最初に行うのは崩壊。足場を崩し、初動を潰す。
軟化したアスファルトはあっさりと先輩の脚をのみ込み、引きずり込もうとする。
脚を引き抜こうにも、踏みしめるための地面を失っている。逃れようにも、周囲も同様に軟化しているため手を伸ばそうと体重の掛け先など存在しない。
単純な行動阻害だが、浮遊する――足場を必要としない――『魂を喰らうモノ』との連携行動としては十分な威力を発揮する。
――現段階で私たちの目的は『世界端末』の捕獲となった。
不明瞭な部分も多い『世界端末』だけれど、それでも判明していることはある。
意識があること。自我があること。生命活動が行われていること。
器が器であるためには、そこに魂を必要とするということ。
だから命を取るようなことはできない。殺すのではなく捕える。
難易度は跳ね上がるが、それは仕方のないことだ。
大鎌を構えた『魂を喰らうモノ』たちが狙うのは天木先輩の手足。
万全を期すのならば五体満足であることが望ましいが、無力化という観点では四肢を封じ込めることが一番確実だ。それに、四肢ならば時間経過による壊死や大きな破損さえなければ切り落とした後に繋げ直すこともできる。
一時的に行動不能へと追い込むのならば、これが一番。
大鎌が振り抜かれる。
先輩はそれに合わせるように刃を当てようとする。
足場の悪い状態で行えば、一撃目で捲れる。
案の定、強引な防御によって金属同士がぶつかり弾ける音を響かせながら先輩の姿勢は崩れ、短刀を握る右手と添えられていた左手がかち上げられる。
――取った。
無防備に晒された胴ではなく、掲げられた両腕を刈り取るように振るわれた二撃目の大鎌を見て、私は確信する。
◆◆◇◇◆◆
腕を真上に弾かれた勢いで右足を引き抜いた。
体重移動――重心の移し替え――などというよく分からない挙動を行うことが出来たのは、右手に握っている短刀から得た経験のおかげだった。
いや、足の持っていかれかたが厳しい。なんだこれ。
小学校のときにあった田植え体験を思い出す。あの泥に足を取られる感覚に近い。
ただ、あの時と違うのは足の着き先がないということだ。田んぼはまだ片足が着けばそちらを基点にもう片足を引き上げて歩けたのだが、この足元はぬかるみの先がない。
だからどうやって足を引き抜こうかと考えていたのだが、スノウの経験はそれをあっさりと実行してのけた。
ただまぁ、このまま何もせずにいたらすぐに身体が沈んでいってしまう。
けれど、そんなことを気にする余裕などなく、二体目の死神? みたいなやつの大鎌が、俺の掲げられた両腕目掛けて振り抜かれようとしていた。
一秒後にはロケットパンチができるようになりそうだが、流石にそれはいけない。
――腕ってそんな気楽に切り離せる部位じゃないと思うんですがねぇ!
唐突な事態のせいでわりと混乱している俺の思考とは別に、読み込まれた経験則から肉体は自動的に動く。
空間魔術を起動。
右真横に空間固定で壁を生成。魔力を叩きつけるように吐き出す。アウトラインなどは不明瞭なままで、凹凸のならしなどもできていない。ただ厚さだけを重視して形成し、それを引き上げた右足で踏み抜くように蹴る。
姿勢の崩れを加速させる。
腕は相手が合わせた位置をワンテンポ速く通過し、辛うじて斬撃を回避する。
が、このまま倒れれば軟化したアスファルトに横倒しになって、そのまま生き埋めとなるだけ。不味い。――そういった俺の不安など関係なく、身体は動く。
倒れる先にも空間固定の術式を飛ばし、魔力を叩き込む。
これは一瞬だけ体重を掛けられればそれでいい。厚みも強度もそこまで重要としない。
疑似的に作成した足場に手をつけ、側転の要領で跳ねる。
手を放す頃には固定が砕けるが、問題ない。
そのまま連続で足元や空中に固定空間を形成し、それらを辿って跳ね、軟化していないところまで退避する。――退避した。
「……雑技団に就職できそうだな」
改めてスノウが積み重ねた経験と、それを憑依することの強さというモノを実感する。
距離を取ると同時に、空間魔術を展開する。
経験を補助として、地を這うように魔力を流し込む。
十分な集中によって行われたそれは地面上の空間を覆うように固定し、成世による足元の軟化を気にせず動けるようにする。この規模なら半時は保つだろう。
「空間の固定――足場の形成かっ……!」
赤髪の女が声に出す。音によって成世に情報を共有したのだろう。成世は己が地理的有利を失ったことを即座に理解したようで歯噛みする。
――さて、どうする?
ここからの選択肢をいくつか思い浮かべる。
闘争は論外だ。素人に毛が生えた程度の俺が選んでいいものではない。
投降もまた論外だ。あちらに捕まった後に上手くやれるような術を俺は持っていない。
つまりは逃走だ。三十六計逃げるに如かず。先人の言葉には素直に従っておけ。
――逃げるとして、どこに?
なによりも先ずはここからの離脱。その次に目指すべきは……南雲さんのところだろう。ここから幾分か距離はあるが、多分いける。頑張れ俺。
僅かな思案の合間に、赤髪の女と成世はこちらへと距離を詰め始める。
女の周りには先ほどの『死神』が二体増えて計五体。しかも、女は死神と同様の外套を羽織っており、その両手にはそれぞれ大鎌が握られている。――召喚術かと思っていたが、召喚した対象の力を自身に纏わせることができるのか……? とりあえず、純粋に敵が六体分。
成世は徒手だが、先ほどの魔術を見るに形成術士――物質に干渉し、形や性質などを操る形成術の使い手――と見て間違いはないだろう。先ほどは足止めのために使われたが、地面さえあればいくらでも武器を作れるので油断はできない。
それらを踏まえて、安直とも言える結論を出す。
――遠距離攻撃に注意しながら、一挙に引き離す!
『強化。強化。強化。負荷累積軽減。継続治癒』
脚部への三重強化。それによる損傷の減衰。減衰しきれなかった損傷部分の先行治癒。
――軋りと、頭のどこかから音がする。
魔術の多重起動による反動が身体を蝕もうとしている。
スノウやネセルならばこれ以上のことを容易に、さらに複雑に、連続して行う。
――いやまぁ、比較対象が間違っている。
「魔力量も十二分にあるし、限定接続からの一時的な引き出しによって『上』の感覚をなぞったことがあるだけあって、秦くんのポテンシャルは高いよ。『それ』を知っていると知らないとでは、天と地の差が生まれるって言われるモノを経験しているんだもの」
――スノウの言葉を思い出す。
「とりあえず、一つの行動にさえ集中すれば、秦くんは十分に渡り合えるよ。……え? 一芸特化は限定的過ぎて微妙? まぁ、確かに攻撃だけに集中したら防御が疎かになってダメだし、防御に専念しても攻撃が散漫になれば決着がつかない。――けれどね、一つだけ。それに特化すればありとあらゆる状況に通用するものがあるよ。それはね――」
――それは『逃げる』こと。
「別に、秦くんが戦う必要はないからね。秦くん、君が傷付く必要なんてないの」
――地面を跳ねる。
「君に迫る危険は全部、私が潰すよ。全部ぜんぶゼンブ砕く。だから、秦くんはそれまで逃げることだけに集中すればいいの」
――空間を駆ける。
◆◆◇◇◆◆
「些か、アマギを自由にし過ぎではないか?」
珈琲を入れながら、ネセルは南雲に近頃思っていた疑問を投げかけた。
「自由とは?」
それに対して、南雲は空になったマグカップを眺めながら気のない問い返しをする。
「行動の自由だ。普段であればスノウやカヤクが付いているからいいが、今はそうではない。それならば、自宅や学校以外での行動は控えさせるべきだろう」
ネセルとしては、秦が自宅にいることや学校に行くことすら譲歩している状態だった。
本来であれば、南雲と同様にこの事務所に住み、常にネセルの意識が届く範囲にいて欲しいというのが本音なのである。
ネセルはまだ万全ではない。そしてそれ以上に、南雲飾もまた万全ではないからである。
現状の南雲は、世界端末を巡る騒動から一ヶ月以上が経過したにもかかわらず、その肉体の消耗が激しいままだった。世界端末とその探知機、それらの魂に触れ、あまつさえ干渉を成功させたが、その代償は大きかったのだ。
南雲という存在には今もなお、世界に触れた反動による亀裂が入っており、その魂に引っ張られるように肉体も摩耗している。
南雲はそれだけのことをした。南雲はそれだけで済ませた。
今の南雲が、英国に戻らず日本に身を置いている事情はそういった側面も存在する。
「本日も遠出をしているようだしな……」
秦は自分の置かれている状態というのに理解があり、自身の行動について定期的な報告をネセルに行っている。
「僕たちは彼を拘束できるような立場ではありませんからね。……とはいえまぁ、ネセルの心配もごもっともです。ごもっともですがまぁ、彼なら大丈夫でしょう」
「……その根拠は?」
「いえほら、最近頑張っているらしいですし」
「素人に毛が生えた程度のものだぞ?」
「スノウくんの武器も持っているのでしょう?」
「確かにスノウの経験を使用すれば、そこらの有象無象であればどうにかなるだろう。とはいえ、経験憑依にだって限度がある。引き出せる経験に偏りは発生するし、結局のところ引き出せるのは一部の技術であって能力ではない。それに、なにより、あれは不意打ちに弱い」
「あっはっは」
誤魔化すように朗らかに笑う南雲を冷たい目で見るネセル。
「まぁ、大丈夫ですよ。彼の身体には色々と施してありますからね。それに――」
◆◆◇◇◆◆
――詰んだ。
意気揚々と全速力で走った。
なんなら調子に乗って『俺は今、一陣の風になった!』みたいな妄言を脳内で垂れ流した。
――テンション上がっていたんだよ。年頃の男子高校生なので許して欲しい。
実際、成世や赤髪の女は一瞬で引き剥がせたのだ。
二人がこちらに追いつく様子もなく、完全に撒けたと思った。
ただ、その後が問題だった。
――周りの風景が変わらなかった。気付けば元居た場所に戻っていた。
そこで気付いたのだ。これが『迷いの森』であることに。異界化による空間の切り離し。終点を壁として作るのではなく、繋げることによって物理的な脱出を不可能にさせる術数。
外界との境目を視覚的に捉えることが出来る『壁』による隔絶であれば、そこを突くという力尽くで突破するという手段が取れるのだけれど、こういった『迷いの森』形式の場合だと、その力尽くの当て先を探すのが困難であるため、取れる対処法は三つに限られるようになる。
術者を特定し、殺害ないし気絶させ術式を解除させる方法。
異界化の際に設けられた『ルール』に則って動き、手順を踏んで脱出する方法。
……あとは一応、空間自体を大規模魔術によって壊すという方法がある。
ただ、この『迷いの森』形式は課したルールによって術式の強度が高まっており、大抵の魔術師では空間の破壊など不可能に近い。
たとえ偶然であろうと、ルールに則った動きさえ出来れば徘徊老人だろうと抜け出せるのが『迷いの森』の特徴だ。
そしてそれに相反するように、たとえ術者の力量が低くてもルールの組み立て方によっては力量差にかなりの開きがあっても壊すのが至難なレベルになる。よって、大抵の場合は前者二つの内どちらかを選ぶことになるわけだ。
――刀河による日々の魔術講座のおかげでここまでは理解と把握が出来た。
だけれど、この先がどうしようもない。
俺にはルールを導き出せるほどの知識も頭脳もないからだ。この規模の術式の解析なんてやったこともないし、こういった場所で法則性を見定める際の定石なども知らない。
だから、取る選択肢は一つに絞られた。
術者の打倒。それによる解除。
多対一という状況自体は問題ではない。スノウはありとあらゆる状況の戦闘で十全に戦うことが出来る。その経験があれば戦えるはずだ。
――実際、戦えたのだ。
複数方向からなる攻撃というものに対して、こちらはたった四本の手足で迎撃するなどどだい無理だろうと思っていた。けれど、相手が複数の場合、たとえ完全な意思疎通ができたとしても物理的な攻撃――この場合は『死神』の大鎌や成世の形成術による変形した地面からの突起物攻撃――は重ねることが出来ないのだ。それらがぶつかり合ってお互いに干渉することを防ぐため、攻撃の軌道や範囲が限定される。だから、思った以上にこちら側が行う防御行動に複雑さが要求されない。
勿論、数的有利による間断のない連続攻撃は脅威だ。攻勢に回る暇など与えないと、数による暴力で叩き潰そうとしてくる。
けれど、それすらもスノウの経験は捌いた。
避け、躱し、受け、流す。
それらを組み合わせて、相手の攻撃を崩す。
攻撃をずらし、本来ならば重ならない攻撃を重ねさせ、意図しない方向へと力を弾けさせる。
そうやって崩れてきた相手の攻撃を今度はそのまま別の相手への攻撃として転用する。
大鎌が激しい火花を散らしながら交差したかと思えば、刃はそれぞれの『死神』の胸元へと吸い込まれるように突き刺さり、その存在を終わらせた。
身体強化の補助があるとはいえ、スノウの経験はそれを技術のみで行った。
――いける。
そう思った。それは慢心で、気の弛みで、失敗だった。
――俺の影から『死神』が現れた。
それは音もなく、するりと這い出てきた。
『影潜み(ハイド・イン・シャドウ)』
対象の影に溶け込む能力。いつの間に? などという疑問は愚かでしかない。
ここが『迷いの森』であるからこそ、敵は全力で逃げる俺を必死に追おうとはしなかった。
この『影潜み』があったからこそ、これを仕込むことが出来ていたからこそ、俺が『迷いの森』から逃げ果せたとしても問題ないと理解していたのだ。
――反応が遅れる。
スノウの経験が戸惑う。どうしてこんなものの接近を許したのかと叫ぶ。
スノウなら視覚に頼ることなく『影潜み』からの奇襲を感知することが出来ただろう。
スノウなら、そもそも影に同化されるようなことなどなかっただろう。
周囲への魔力展開・自身の魔力の充満による己の場の形成。
スノウはそれらを常に行うことによって、こういった不意打ちや意識外からの攻撃を防いでいた。けれど、それは今の俺には到底出来ないことで、だからこそスノウの経験とは別に俺自身が思案しておくべきことだったのに、それが出来ていなかった。
短刀で受けようとするが防御は間に合わない。
振られた刃の切っ先は右肩へと食い込む。
衝撃は一瞬だけで、後に続くのは強烈な鋭い痛みと異物感。
遅れた防御が刃へとぶつかり、肩以上への食い込みを止める。金属の強烈な衝突とその擦れ合いが、肉や骨に直接響く。神経から直に伝達される痛みは気持ち悪いほどに明瞭で、自分の意思などとは無関係に視界が明滅し、奥歯が震えて噛み合わせがずれる。
俺の怯みなど関係なく敵は動く。むしろ、相手からすれば絶好の隙だ。
大鎌をさらに食い込ませようと力を籠める死神を蹴り飛ばし、大鎌を無理に引き抜く。
血が溢れる。これ以上の出血はまずいと思い治癒術式を起動するが、痛みによる思考の乱れでまともに組み上げられない。相手もこちらの治癒など待っちゃくれない。
出来たのは瞬間的な起動による止血がせいぜい。左手を動かし、動かなくなった右手から強引に短刀を奪い取り、迫る脅威へと意識を集中する。
――まだ動ける。動けるからこそ俺は俺自身の意思によって動かなければならない。
これ以上は駄目だ。そう頭の中で何かが訴える。限界だ。これ以上は閾値を超える。
――これより先に進めば何かが『終わる』と本能が叫ぶ。
だから、俺はまだ俺として戦わなければならない。
――が、すでに詰んでいた。
背後に成世がいた。成世は地面を流動させ、隆起させ、先端を太い縄状にしながら操り、俺の両腕をそれで巻き取り、強引に背後へと折り曲げながら固定した。
本来の向きとは違う方向へと曲げられた腕から音が鳴る。
関節が外れ、骨が割れ、割れた骨が内側から筋繊維を切り刻み、その一部が空気と触れ合う。
――もはや声すら出ない。
激痛による意識の掠れに身を任せたくもなるが、ここで意識を失うことがどのような結果をもたらすかということを理解しているせいでそれだけはできないと必死に歯を食いしばる。
だが、こんなのは意味がない。
成世は次の行動に移ろうと俺の横に回り込み、赤髪の女は新たな死神を出してそれらをこちらへと仕向けていた。
――ふと、脳裏を過る。
『絶対に使わないでください』
碌に思考もまとまらないはずなのに、俺は思考内で――慣れた手順で――空間魔術の起動を行おうとした。
その瞬間。
空間が揺れた。
成世の動きが止まる。
死神たちは気付けば赤髪の女の許へと戻り、囲うように――守るように浮いていた。
赤髪の女は顔を青褪めさせ、上を見上げていた。




