◆Interlude-2
――ある日のお話だ。
休日の午後を迎え、若干の眠気を覚えた俺は微睡むかどうか悩んでいた。
「…………」
場所はスノウ(と刀河)宅スノウの部屋。スノウたっての希望で、暇な休日は極力スノウの部屋で一緒に過ごすようにしているのである。
部屋の現在のコンセプトはスイートルームだとかで、旅番組で紹介される高級ホテルの一室のような構成である。スイートルームといえば夜景を見るための一面のガラスが印象的なのだが、そういった一面ガラス窓というのがないため、一目見た時の違和感があるにはある。ただまぁ、もし一面窓ガラスなどがあったとしても、その窓の向こうに見えるのは周囲に並ぶ家屋の壁や屋根であるということを考えればそうなっていないのは当然か。
……まぁ、そんな俺のどうでもいい引っ掛かりは置いておくとして。
部屋には見るからに高級感漂うキングサイズの天蓋付きベッドが一つ。大きめのローテーブルとそれを挟むようにロングソファが設置されている。また、壁には大型の液晶テレビがあり、ベッドのヘッドボードを背もたれにして座った際に見える角度でそれは設置されている。
コンセプトがスイートルームであることを考えれば納得できる構成だが、そういったコンセプトとは別に人一人が寝起きし生活する空間でもあるので、本棚やら小型の冷蔵庫やらクローゼットやらも設置されているため、ややちぐはぐな気もする。暮らしやすさを意識した結果なのだろう。
そして俺はそんな部屋で何をしているかと言えば、特に何もしていない。
俺は自分が五人いても横になれそうなベッドに寝転び、スノウを眺めていた。
こちらの視線の先にいるスノウがしていることはというと、ソファで腹ばいになり手元の漫画を真剣な表情で読みながら、時折「ふんふん」と声を漏らす作業だ。
スノウが読んでいるのは有名な海賊の漫画である。俺と玖島が教室で話していたのを盗み聞いた際に興味を持ち、全巻揃えて読んでいるのだとか。
休日を一緒の空間で過ごすようにはしているが、別に必ず二人一緒のことをしようと決めているわけでもないので、こうしてスノウが同じ部屋にいる俺を放置して何かに打ち込む姿を見るのは何度も見た光景である。
「同じ空間にいることが当たり前になる感じにしたいのです!」
というのがスノウさんの弁である。
できるだけ一緒にいることを自然にしたいと、そう言われたのだ。
スノウ的には将来のことを見据えて『同じ空間で過ごす』という部分の感触を確認したい意図があるらしく、俺にもその確認をしてみて欲しいと言ってきた。
俺は日々をなんとなく過ごしているというのに、スノウはだいぶ先のことを見据えている。ちょっと内容が具体的過ぎるし他人事ではないので、俺は俺で前向きにスノウが言うような感触を確かめている。
実際、金曜の夜から泊まって日曜の午後までいるとかもあるので、生活を一緒にしている感はかなり強い。
俺はわりと一人が平気というか、一人の時間というものを好んではいるので、自宅では特に理由がなければ自室に籠るというのが常なのだ。そういった人間が同じような条件下で『すぐそばに誰かが居続ける』ことに対して違和感や忌避感を覚えないかを知りたがっていた。
「そりゃ、個室はもちろん設けるつもりだけれど、そこにいるのが基本じゃなくて、一緒にいることが普通なのが、そういうのがいいなって、私は思うわけです」
などと顔を赤らめながらも自身の主張をしっかりと言ってきたスノウ。
――可愛いかよ。
初めのうちは、お互いに相手がそばにいることにどこか照れがあり、どちらかの挙動に対してどちらかがついつい反応してしまう初々しい空間が形成されていたのだ。
――ただ、最近はそれに慣れてきた感じがある。
スノウがすぐそこに居続けるということに引っ掛かりを覚えない。日常の光景として、俺の日常として、スノウが視界に収まり続けることやスノウの息遣いが聞こえてくること、スノウがそばにいるのを感じられることを自然だと、そう覚えるのだ。
そのことをスノウに伝えたら、えらく喜んだのもつい最近の話。
「俺がそこらへん雑なのか、スノウが相手に合わせるのが上手いのか、はたまたそこら辺の空気感とでも言えばいいのか、波長とでも言えばいいのか、まぁ、ともかく相性は良いのかもな」
「相性がいい……。心地よい響きだね!」
――なんてことを話したわけだ。
そんでまぁ、本日は何もする気が起きなくて、何もしないをするために俺はスノウを眺め続けているわけです。
「おぉー」
面白い場面にでも遭遇したのかスノウは小さく感嘆の声を上げる。感受性が豊かなのか、スノウは娯楽作品を素直に楽しんでいる。作品を楽しんだ時に発生する衝動を、身体を動かして発散するタイプなのか、脚をぱたぱたと曲げたり伸ばしたりする。
……スノウさん室内着がスカートなんすよ。それも短め。
脚をさ、こうさ、動かすとさ、なんか少しずつ動くと言いますか、捲れていくんですよね。
「…………」
視線が釘付けになる。
「秦くん」
漫画を読みながらスノウがこちらの名前を呼ぶ。
「はい」
努めて平静な返事をする。俺の人生でここまで澄んだ声で返事をしたことはないだろう。
「私は常日頃から魔力を周囲に充満させているのは前に教えたよね?」
「埒外な魔力の内臓量と生成効率によって、自分を包むように充満させているんだっけか?」
「そそ。基本的にはだいたい半径十から二十メートルを目安に常に展開しているんだけれど、これによって得られる効果は説明したっけ?」
「周囲への感知を行えるから、不意打ちに対応できるんだっけ?」
「そこら辺もあるねー。あとは、小規模にはなっちゃうけれどネセルと戦ったときのように、予め私の魔力が通っている場所に空間固定の術式を飛ばして足場や障害にすることができたりするよ」
「あー、俺が咄嗟に行うような固定って強度が低いから足場としては機能しないし、障害としても攻撃の威力を減衰させるぐらいにしかできなかったけれど、そっちみたいに予め魔力を先に出しておけば術式を飛ばすだけで済むから、術式の洗練にだけ集中できるのか……」
いやまぁ、元々俺とスノウの練度には遥かな違いがあるので、魔力を周囲に展開したとしてもそこまで劇的な向上は見込めない。というか、その方法が通じるのはスノウのような規格外なスペックがあるからこそだ。
現在の俺の魔力量だってそこらの魔術師よりは多いらしいのだが、いかんせん周囲が化け物揃いなせいでそんなことは微塵も思えない。いつぞやの対ネセルのときのような、スノウ以上の魔力を引き出すには薬物を打ち込んで一時的に接続率を上げ、存在消失に耐えながらという方法しかない。
さらに言えば、スノウは魔力の制御に関してもそこらの魔術師などから頭一つどころか十ぐらい抜きん出ており、それがあるからこそ体外に放出した魔力を周囲に留めるという離れ業をやってのけているのだ。
――まぁ、要するに無理。
小手先の技術を覚えて応用するのはできるが、根本的に才能を必要とするような手法は取りようがないのだ。
「それでね秦くん」
自身の至らなさに遠い目をしていると、スノウが漫画から目を離し、こちらへと視線を投げかけてきた。その目はやや半目になっており、専門用語でいうところのジト目になっていた。
――どこの専門だよ。
「はい」
「この魔力による周辺の感知ってそれなりに濃度を高めれば、結構な精度になるんだよ」
「へー」
普段――学校などでは、濃い魔力を放出すると人によっては中てられることもあるため、最低限の感知ができる程度に薄めているらしい。そして、この部屋は常日頃スノウがいる場所とだけあってその放出されている魔力の濃度も密度も高い。
「具体的に言うと、手足の動きは勿論のこと、顔の向きとかもわかったりするんだ」
「へぇ、それはすごい」
「なんなら、眼球の動きとかもわかったりするよ?」
「へ、へぇ―……」
「私のお尻、とっても見ているようだけれど、そんなに見たいの?」
「…………」
スノウさん、後ろに目が付いているようなものだった。
「なんかめっちゃ目見開いていたけれど、言ってくれれば見せるよ?」
そう言ってスカートの裾をつまむスノウ。
「いえ、違うんです」
「見たくないの?」
スカートから手が離される。
「いえ、違わないです」
「どっちやねん」
平淡なツッコミが飛んでくる。
「いやさねスノウさん、これはなんというか、そういうシチュエーションの問題と言いますかね? 無防備な女の子が見せる『見えそうで見えない状態』というものにテンションが上がっていたと言いますか」
「秦くんたまにアホなこと言い出すよね」
「アホじゃないですぅー! 全国の男子高校生が諸手を挙げて賛同するシチュエーションなんですぅー!」
「わぁ必死」
鼻で笑われた。最近のスノウは俺に対するツッコミに切れ味を出すようになってきた。
「まーそんなことはどうでもいいとしてさ。これ面白いね! 登場する人たちが魅力的なのばっかりだよ!」
漫画をいくらか読み、一息入れたスノウが楽しそうに言ってくる。漫画から目を離したのは一区切りついたからのようだ。
「まぁそりゃね。だからこそ国民的な作品になっているわけですし」
「ここの剣士さんが言った『背中の傷は剣士の恥』とか、信念や誇りって感じで格好いいよね!」
「わかるわー」
「でも、男なら背中の引っ掻き傷はむしろ勲章だよね!」
「わかんねぇわー」
いや、言いたいことは理解できるが、唐突に下ネタを振られて思考が追い付きたくなかった。
「……え、ていうか爪立てないでね? 別に俺そういうの欲しくないよ?」
「やだなー、爪どころか歯だって立てたことないでしょ?」
「そうだね。そうだけれどお前さんほんとそういうの臆面もなく言えるの凄いよ」
「うんまぁ、ここにいるの私と秦くんだけだし」
そういう問題か? ……そういう問題かなー。
「そっかー。俺は話の方向性が急速に切り替わってだいぶ困惑しているよ?」
――などと言ってみたところ、スノウがちょっと拗ねたように頬を赤らめながら言うのだ。
「……誰かさんがお尻をたくさん見てくるから、なんだかそういう気分になったのです」
言っていて恥ずかしさが出てきたのか、言葉は後ろになるにつれて小声になっていた。
「…………」
…………。
◆◆◇◇◆◆
「とまぁ、そんな感じ」
と、俺は話を終えた。
目の前で話を聞いていた玖島は、徹夜明けの人間が浮かべるような表情筋の死んだ顔になっており、ぼそりと呟いた。
「殴っていい?」
「なんでだよ。俺とスノウがどんなふうに過ごしているか聞きたいって言ったのはお前だろ」
玖島が気になるから教えろと言うので、最近の思い出を語ってやったのだ。
もちろん魔術などに関する部分は適宜カットしながらだが、そういった非日常的要素を排除すれば、俺とスノウの日常とはそんなものである。
「甘酸っぱい話を頂戴しようとしたら、ジャムだけつっこまれた気分だよ」
「ジャムだって酸味はあるだろ」
「比率考えろバーカ。ていうか、お前とデイライトさんのそっち方面の関係性がちょっと窺えちゃったのもあれだよ! デイライトさんに怒られろ!」
「いや、スノウには事前にちゃんと『こんなこと話すよ? いい?』って許可取っているから」
「強いなデイライトさん! その手の話って、この年頃の若者たちからしてみりゃ格好の会話のネタだけれど、話して大丈夫なんだな……」
「いや、スノウはそういう話を学校の友達にはしないぞ。だから、もしも俺とスノウの『そういうの』の噂が流れたら間違いなく玖島が発信源扱いされるぞ」
「天木が言い触らす可能性は?」
「俺、学校でお前以外とはあんま話さんしなー。そういった踏み込んだ話は特に」
「なんか俺、爆弾一つ抱え込んだだけじゃね? 青春っぽい話を聞こうとしただけなのに……」
頭を抱える玖島を放置して、俺は用意されていたコップを手に取りその中身を呷る。
――中身はミルクティー。甘くて美味しい。
現在地について補足すれば、ここは玖島の家である。アパートの一室。その中にある玖島哉の部屋にて、俺と玖島は放課後をだらだらと過ごしていた。
スノウと付き合う前、低頻度ではあるがこういう機会が設けられていたのだけれど、最近はスノウとの交際や南雲さんのとこでのバイトがあったため、玖島とこうして学校の外で遊ぶのは久しぶりだったのだ。
「こういうのもいいよなー。いやー、青春青春」
しみじみと、平穏に舌鼓を打った。
「惚気話をする方はそうかもしれんが、される方はそうでもないぞ……」
などと後方から怨嗟を多分に含んだ声が聞こえてきたが、空耳ということにした。
スノウは三話から本格的に登場します。
彼女の活躍が楽しみ人などは、三話をお待ちいただければと……




