◆一話『後輩の生まれ方』-7
いくらかの雑談を楽しみ、一息ついたところで「それでは本日の本題なのですが」と言って南雲さんは俺に『ある物』を手渡した。
「これは……?」
南雲さんに手渡されたのは錠剤の入ったピルケース。中の錠剤は淡い青色をした円形で、そのチープさから一目見て彷彿とさせるのは、
「MDMA」
「違います」
即否定が入る。
「『劣化接続薬』と、便宜上は名付けさせていただきました。正確に言えば、『劣化』ではなく『調整』なのですが、そこは語感を優先させました」
南雲さんの説明が続く。
「刀河さん協力の下、成分などを弱め、安定性を高めたモノを作成させていただきました。とは言っても、まだ試作の段階ですがね」
そう言われて、俺はなんとなく察する。
「なるほど、これを治験すればいいんですか?」
だが、南雲さんからの返答は違った。
「いいえ、違います。使わないでください」
「……では、何故これを俺に?」
「もしものときのための保険です。僕やネセルは当然として、スノウくんや火灼くんも君のことを庇護対象として見ています。公私としての割合が前後で大きく違うでしょうが、それでも、現在の我々は君という『世界端末』の安全を第一に考えている」
――でも、
「必ずしも僕たちが君のそばにいられるとは限りません。だからこそ火灼くんやネセルが手ずから魔術や護身術を教えています。何かがあった際に、君自身の力だけで切り抜けられるようにとね」
そこまで聞いて、そういうことかと納得する。
「だから、これは何かがあった際の保険と、そういうわけですね。近くに皆さんがいなくて、俺だけではどうしようもなかったときに『死ぬよりは安い』と、実力以上の能力を引き出させるためのもの」
だからこそ、前提としては『使わないモノ』なのだ。そう返すと、南雲さんは頷き言葉を続ける。
「常に改良は続けますし、その度に手持ちのと交換はします。そして、君がすべきことはその薬を使うことではなく、使う必要がない程度には自衛できるようになること。それ以上に、使う必要に迫られる状況に陥らないようにすることです。いいですね?」
「はい」
そう返事をすると、南雲さんは満足そうに微笑んだ。
「すごく今更な疑問なのですけれど、この薬を使えば誰だって世界への接続ができるわけじゃないですか。それなら、スノウやネセルさんのような器としては俺なんかよりもよっぽど上質な人が使っても、それなりの効果が得られたりしないんですか?」
なんとなくピルケースを掲げ、思いついた質問を二人に投げる。
「私が使ったらその場で死ぬ」
「スノウくんが使っても、その場で即座に消失するでしょうね」
湯呑を持った二人が即答する。
「……何故に」
ネセルはともかくとして、どうしてスノウが消し飛ぶのだろうかと疑問する。
「スノウは現在進行形で俺と繋がっていて、俺の魂では許容できない上位階の情報を代わりに受け止めているわけじゃないですか。それが通用するのはスノウの魂が殊更頑丈で、俺なんかとは違って許容量が圧倒的だからこそ大丈夫なわけでして、それなら、調整さえすれば薬を使用しての能力の底上げも可能では?」
思ったことをそのままに言葉にする。すると、南雲さんは少々困ったような――というか、困ったやつを見たような味のある表情をする。
「大雑把にしか説明をしていなかった弊害と言えますね……。まぁいいでしょう。これまた細かく説明するのが面倒ですので、大雑把に説明してあげましょう」
本音ダダ洩れな南雲さんのその発言に隣のネセルは頭を抱えている。俺は俺で、細かい話は得意ではないのでざっくばらんに教えてくれるならそれでいいと身を正して聞く姿勢を見せる。
「簡潔に言うと、量と質です。以上」
ざっくり過ぎる。大根二つに切って千切りって言い出すレベルで無理がある。
「先生、もう少し、もう少しお願いします……」
俺(と隣のネセルの)気持ちが届いたのか、南雲さんはばつの悪そうな顔をし、咳払いを一つして説明を追加する。
「上位階という言葉について、天木くんはどこまで理解していますか?」
「天使とか悪魔、あとは神様とか世界とか、それらがいる? そんな感じの場所ですよね?」
「まぁ、大体そんな感じです。そこは根本的に我々のような生物が在るところとは法則が違います」
――正確には、世界はそれら全てを内包しているのでまた別ですが、まぁいいですねー。と、細かい説明を放棄する南雲さん。
「法則が違うのですが、その違いには分かりやすく言うと強弱があります。で、我々生物が在る場所はその法則がそれらに比べると弱いです」
ネセルが小型のホワイトボードを持ってきたので、南雲さんはそれを受け取り、マーカーで書き込み始める。
「そんな法則の弱い僕たちに強い法則をぶつけた場合、当然のように弱い側が負けます」
世界>神>天使・悪魔>人間(生物)と、ホワイトボードに書き込まれる。
「接続というのは、そういった上位階の情報をそのまま取り入れることです」
デフォルメされた人間が描かれ、それが薬を飲みこんで弾ける絵が描かれる。
「天木くんが『こう』ならない理由は、君が世界端末という『世界の器』でもあるからですね。要は、君という存在の法則は世界と同列の場所にあるのです」
世界と書かれた部分を指で示される。
「実際には、君は人間という器でもあるため、それと同時に人間としての法則にも縛られています。――まぁ、特殊と言ってしまって構いません。君は世界でありながら、人として存在しています。それこそが、世界端末の特徴とも言えますね」
世界と人間、両方の隣に『天木秦』と書かれる。さらにその下には俺の顔のデフォルメらしきものも描かれる。南雲さん、字も綺麗だし絵も上手いな……。と、そんな感想が浮かぶ。
「そんな世界端末の天木くんは、接続を行ったとしても流れ込む世界の情報と同じ法則を持つため大丈夫です。――厳密に言えば、世界の情報の法則を人間の法則に落とし込むことができます。けれど、スノウくんやネセルは基本的に人間としての法則しか持たないため大丈夫ではありません。対応していない情報を取り込もうとすれば壊れてしまうわけです」
人間という文字の隣にスノウとネセルのデフォルメ絵が描かれる。なんか可愛い。
「先生、それだと俺が限定接続のやり過ぎで消失したのっておかしくないですか? というか、その理屈では俺と魂を繋げたスノウが世界の情報の流入に耐えられたことと矛盾があるような」
そう疑問を投げかけると、南雲さんはホワイトボードの表面をタオルで拭き、そこにさらさらと何かを描き込み始める。
「そうですね。そしてここで最初に戻ります。『量と質』です」
そう言って、南雲さんはホワイトボードをこちらに向けた。
「過剰接続によるオーバーフローとそれによる自壊。それらを防ぐための魂の連結」
デフォルメされた俺の顔から、同じようにデフォルメされたスノウの顔へと矢印を引き、その矢印の下に『魂の連結(やったのは僕。すごい)』と書かれる。
「天木くんは接続と情報の引き出し自体は行っても問題ありませんが、その引き出す情報量には限度があります。あの時のように、過ぎた引き出しはそのまま消失へと至ります。君の許容量の問題ということですね。これが『量』」
俺のデフォルメ顔の下に『器が小さい』と書かれる。オイ。
「逆にスノウくんは『質』です。彼女の情報に対する許容量は圧倒的です。けれど、人間の法則しか持ち得ませんので、どれだけ量が少なかろうと世界の情報には対応できません。これが質の問題です」
スノウのデフォルメ顔の下に『器も大きい』と書かれる。『も』ってなんだよ。『も』って。胸か? 尻か? 態度か? などと思っていたらネセルが南雲さんの頭を引っ叩いて『器が大きい』に訂正させていた。
ネセルはそこら辺のネタに厳しい。
「僕がやったことは天木秦という存在を通すことによって情報の法則を変換し、スノウくんが対応できるモノを彼女に流れるようにしたと、そう考えてください」
「あー、なるほど?」
なんとなく、わかるような? などと考えていると、南雲さんが簡素な図解を描く。
「つまりは、こんな感じですね」
世界の情報・質→天木秦(変換・対応可) スノウ(変換・対応不可)
世界の情報・量→天木秦(受容不可) スノウ(受容可)
「拡張子の問題と言うと、少しばかりわかりやすくなるかもしれないですね。天木くんは特殊な拡張子に対応していますが、そのファイルを開くにはメモリが足りない。要は処理落ちしてしまうわけです。それに対して、スノウくんは特殊な拡張子に対応していませんが、メモリは十分な大きさがあり、問題なく処理できるというわけです。僕がやったことは君とスノウくんを繋げ、君だけではできないファイルを開くための処理をスノウくんにも負担させていると考えてください」
「なんとなくわかりました」
納得を身振りで示すと、南雲さんは微笑む。
「置き換えた話なので正確には違うのですが、現状はその『なんとなく』の理解さえしてくれれば問題ありません」
ちらりとネセルのほうに視線をやると「まぁよかろう」みたいな顔をしていた。




