◆一話-上
スノウ=デイライトという少女について、俺――天木秦は多くを知らない。
金髪碧眼の美少女で、男子に受けそうなスタイルの持ち主。二学年に上がり、同じ教室で過ごすことになってから初めてそのフルネームを知った程度だ。
――じゃあ、どうしてそんな少女について言及しているかというと。
「見られている気がする? デイライトさんに? 天木が?」
一学年からの付き合いである友人――玖島哉は疑わしそうに俺の言葉を復唱した。
「あぁ、たとえばこうやってデイライトの方に目を向けると――」
弁当から手を離し、教室の窓際で友人とお昼ご飯に興じているデイライトへと目を向けると、目が合う。視線が絡む。ただしそれは一瞬で、俺と目が合ったことを表情に出すことはなく友人へと視線を動かし、何かを話し始める。
「見てないじゃないか」
俺の対面に座っており、振り返るという動作を伴うために遅れてそちらを見た玖島の目には、友人と談笑するデイライトが映るのみ。
「いや、見ていたんだって」
説明しようとするが、玖島は「やれやれ」といった感じに首を振ると、俺の肩を叩く。
「いいかい天木くん。天木秦くん。それはアレだ。ライブとかでアイドルがこっちを見て目が合ったと勘違いするイタいファンのソレだよ」
「どれだよ」
とは言いつつも、玖島が言いたいことはなんとなく理解できてしまった。
「なに? 天木はデイライトさんが好きなのか? まぁ、綺麗だものな」
年頃の男子高校生らしく、案の定な方向へと話が転ぶ。
「綺麗だとは思うけれど、好きかどうかと言われるとなー……」
腰まで伸ばしているであろう癖のない金色の髪を後ろで纏めており、それはポニーテイルと呼ばれている髪型。幼さの残る相貌は少女の柔和な微笑みを無垢なモノに見せ、時折見せる物憂げな表情を映えさせる。髪や瞳、名前からして外国人だと分かるし、そのプロポーションは明らかに日本人と違う。一言で言うと、とてもえっちで、素敵である。一言で言えてない。
「まぁ、ストライクゾーンではあるな」
というか、あの見栄えでストライクゾーンに入らない野郎なんていないだろう。
「なんだ、恋が始まる感じか?」
「いや、始まらないな。ストライクゾーンではあるけれど、ど真ん中ではないし」
恋が始まるほどの衝動は起きない。告白でもされれば付き合うかもしれないが、こちらから告白しようとは思わない。そんな感じだ。――そして、向こうが告白することもないだろう。
――つまり何も始まらない。
「あれで真ん中じゃないとか。なに? お前って黒髪信仰なの? それともロリコン?」
「どっちでもねぇよ。……あー、でも初恋のお姉さんは黒髪碧眼で背の高い人だったな」
ロリコンではないとして、黒髪信仰なのだろうか? いや、アレはあのお姉さんが黒髪だったというだけで、黒髪だからお姉さんが好きだったわけでもないしなー。
「なんぞそれ。微妙に変わり種な属性だな。非実在性お姉さんか?」
「実在していたわ! ……実在していたよな? なにぶん幼少期の記憶だからちょっと不安になってきたぞ……。というか、あんまり自分の好みど真ん中! ってのをよく分かっていないのが現状だな」
あまり深く考えたことがない命題だった。
「おいおい、高校生にもなって自分の好みを把握できていないとかお前本当に男かよ」
言われてみると、確かにこの年になって自分の好みを把握できていないというのは些か不便なのではないかと考える。考えてはみるも、では好みを把握しようとは思えない。
「じゃあ、玖島は把握しているのかよ? 教えろや」
そう聞くと玖島は口を開いて、何か音を発そうとして、すぐに口を噤んだ。
「あのですね、ひとさまに言えるようなものではないので、ここで言うのは控えさせて貰っていいでしょうか……」
「……ひとさまに言うことが出来ないような好みを把握出来てしまっているのも、大概ではないでしょうか」
周りには昼食を取っているクラスメイトが多数いて、食事時に聞かせるべきではない話になる可能性もあるので黙秘権の行使は許可した。気まずくなった俺と玖島は食事を再開し、黙々と穀物や肉を口に運ぶだけの機械となる。
ちらりと、目だけをデイライトへと向ける。――また視線がぶつかる。ただ、今度はすぐにその視線を外されなかった。実物を見たことはないのだが、きっと蒼玉というのは彼女の瞳のように美しいのだろう。そう思わせるほどに彼女の瞳は青く、碧く、蒼い。光の反射によって様々な彩りを魅せるその瞳だけでも既に魔的で、真白な肌と金糸のような髪もまた陽の光を弾いて彼女の存在を際立たせる。
そうそう、俺がデイライトについて知っていることの一つにこんな噂がある。
――曰く、スノウ=デイライトは魔女である。
◆◆◇◇◆◆
天木秦という少年について、私ことスノウ=デイライトは多くを知っている。
黒髪黒目の中肉中背、男子高校生としてはスタンダードとも言えるような様相をしている。顔立ちは整っているが、擦れたような目つきが減点対象だと他の子たちは言っている。
――個人的には、それは加点対象なのだけれども。
初めて彼と出会ったのは一年とちょっと前の冬。
イギリスにある『学府』の中枢で、魔術の研鑽に勤しんでいた折、実の兄であるスコールが『席』を取る為の権力闘争に本格的に参入し、場合によっては陰湿な争いになる可能性も十分にあり「お前は危ないから」と妹である私は国外へ放り出されることになった。
多分だけれど、都合の良い厄介払いの口実であったのだとも思う。そうして、どこかしらの国外へと行かなくてはならなくなった私に、日本に帰郷する予定だった刀河火灼が一緒に暮らさないかと誘ってくれたのだ。親友の優しさに甘え、私は兼ねてより興味のあった極東の島国へとその住処を移すことになったわけである。
火灼と共に私立明樹高等学校へと入学することになった私は入学式の二ヶ月前、気まぐれで深夜の明樹高校へと足を向けた。それはほんの気まぐれで、ただなんとなく思いついただけのことで、実行に移してしまえる程度には私が暇だったから。――だからそれは偶然だったのだと思う。偶然であるはずなのに、私はそれを奇蹟のようにも思うし、運命だったのだとも思う。
吐く息を視認することが出来るほどに空気は冷え、自らの足音がどこまでも響いていくかのように空気は澄み、それでいて先を見通すには点々と設置されている心許ない街灯にでも頼るしかない闇夜。そんな夜道を歩いて校門へと辿り着き――案の定しっかりと閉められている校門を乗り越え、私は学校の敷地へと侵入した。一度、火灼と入学の手続きをするために訪れてはいたのだが、夜の学校というモノは昼のモノとは雰囲気が違う。その異質さに感心しながらも、学府とは違い至って平和そうな場所であることに変わりはないので安心もしていた。火灼の話では日本の学校というのはそういった話の場になりやすいとのことだが、見た感じ『そういったモノ』はいなかったからである。
校舎を眺めながら中庭へと足を進めていると、設置されているベンチに人が座っていることに気付く。
「こんな夜中に何をしているの?」
近付きながら、私はその人物に声を掛ける。――近付くとまずは体つきと顔の輪郭がなんとなくわかるようになる。
「散歩、だと思う」
その人物は私と同い年ぐらいの少年だった。
少年は「聞かれたから答えただけ」といった態度で、私のほうを見ることはなかった。彼はただベンチに深く座り、細い三日月と、点在する星々によって辛うじて照らされている校舎を見上げるばかりだった。私へ視線を向けることは一度もない。
「……そう、それなら、私と同じだね」
そして、私もまた少年を見るばかりだった。
胸が高鳴った。これまでの人生で聞いたことがないほどの動悸が脳を揺さぶった。防寒具から覗かせる顔は外気に晒されてつい先ほどまで冷えていた筈なのに耳まで熱い。
――同じ。私と同じ。
自分で言った、ただそれだけの言葉が妙に嬉しい。ただそれだけの言葉しか言えなかったのはそれ以上喋ると声が上擦りそうだからで、よくわからない見栄による自制だった。
「そっか。同じなのか」
――ただ、彼はその言葉を酷く寂しそうに繰り返した。
それからしばらくの間、彼はベンチに座って校舎を眺め続け、私はそんな彼を見つめ続けた。
「それじゃ」
どれくらい経ったのだろうか、時間の感覚を失ったかのように少年を見続けた私は、彼のそんな一言と共に現実へと引き戻された。現実へと引き戻され、その落差に呆然としている間に少年は私の横を通り抜け、夜の校舎から抜け出していった。
――その間、彼は一度も私の顔を見なかった。
その後、帰宅した私は火灼が驚き青ざめ心配するほどに落ち込んだ。
「名前を聞いていなかった……」
もう一度会いたいと思った。会って話をしたいと思った。それにも関わらず、私は彼がどこの誰かなのかを一切聞いていなかったのだ。
そんな後悔に酷く苛まれながら私は春を迎え、火灼と一緒に高校一年生となった。
そして桜の花びらが地面に積もり始め、誰からも歓迎されないモノへと成り下がった頃の昼下がり。箒で中庭の片隅へと掻き集められた桜の花びらを――蕾のときは期待され、花開いたときは歓迎され、舞い散るときは楽しまれ、散り終わった後はただ踏みにじられただけのそれらを――どこか寂しそうに眺めながらも、購買で買ったのであろう総菜パンを君は美味しそうに食べていた。
パンを頬張る君を私がひたすらに見ていると、その視線に気付いた君は私の方を見た。
ただ、君は私を見ても不思議そうな顔をするだけだった。それもそのはずで、あの夜、君は私のことを一度も見なかったから。
――だから、それがスノウ=デイライトと天木秦のファーストコンタクト。
それから一年が過ぎて、二年生になった私は秦くんと同じクラスになり、彼は私の名前と顔を一致させるようになった。そして、そして……そこで私たちの進展は終わる。それまでは私の独り相撲で、今もまだ私の独り相撲が続くのみ。どすこーい。
「――どうしよう、目が合った」
お昼ご飯に興じる秦くんと、その友人である玖島。彼らを眺めながらお弁当をつついていたら、秦くんはまるでそれが自然な動作であるかのように私へと視線を向けたのだ。
交錯は一瞬。私は慌てて視線を逸らすと、視界の隅で玖島がこちらを見るために振り返っていた。
「そりゃあ、四六時中見ていたら目も合うでしょうにね」
机を挟んで同様にお弁当を食べていた火灼は、呆れを隠そうともしない。
「それに、天木だってスノウがやたらと見ていることに気付いたようだし、玖島の方はそんな天木に勘違いじゃないかって言っているし」
私と違って彼らには背を向けているはずの火灼は、こともなげにそう言った。
「……盗聴はどうかと思うよ」
私たちと秦くんたちの距離はそれなりにある。狭い教室内といえども、窓際の後方と廊下側の前方とではそれなりになるのだ。当然のようにそれだけの距離があれば通常の音量で交わされる会話を聞くことはできない。秦くんと玖島は今現在ベランダで屯っている野郎どものように騒ぐことを進んでやるような人間ではないから、その二人の会話が聞こえるはずがない。それにも関わらず、火灼はまるで聞こえているかのように二人の会話内容を口にする。
「盗聴じゃないわよ。ただ、ちょっと聴覚の精度を上げているだけ」
「…………」
聞こえない筈の会話を意図的に聴いているのだから、それは盗聴に他ならないとも思うのだけれど。
「それにしても、下卑た会話をしているわねー」
火灼は少し面白そうに二人の少年の会話に耳を傾ける。私は視覚や触覚の精度を上げることには特化しているが聴覚に関しては門外漢なので、火灼のように彼らの話を聞くことが出来ない。盗聴だと非難したのも、私には聴くことが出来ない内容を彼女が聴けるからという不満に他ならない。
「どんな話をしているの?」
ただ、その不満を火灼に晒したところで意味がない、それよりも、私は秦くんがどんな話をしているのかが気になった。
――彼のことはたくさん知っている。この一年でたくさんのことを見たし、聞いたし、調べた。住所とか、携帯の番号とかアドレスとかアカウントとか家族構成とか経歴とか購買歴とか活動範囲とかとか。彼のことはいくらでも知りたい。
「本人に聞きなさいよ」
一蹴される。
「聞けたら苦労しないもの」
「してないでしょ、苦労」
「む……」
私としてはしているつもりなのだけれど、火灼はそれを否定する。
「だいたい、一年のときに一度も会話をしていない時点でダメでしょうに」
「変なこと言って嫌われたくないし、変だと思われたくないから、機会を伺っているだけだもの……」
「それで結果としてストーカーはどうかと思うけれどね」
「…………法に触れるようなことはしていないし」
「問題は法に触れるかどうかではなくて、天木に未だに触れられていないことでしょう? 振られるのが怖くて触れるのも恐いだなんて、ただの臆病でしょうが」
「…………」
火灼は可笑しそうに笑う。私はただ閉口するだけ。火灼はそうやってダメだしをするだけで、決して私の背を押してくれることはない。秦くんに嫌われたくないからと、入念に準備をしようとして、その準備がさらに自身の不安を煽って、なおさら準備をして、それがまた自信を削り取る。こうして負の螺旋へと陥っていく私を見て楽しむのが火灼のここ一年の娯楽になっている。
「きっかけが欲しい。それも出来るだけ浪漫に溢れて劇的な感じなのが。そこから何かが始まるぐらいのやつ」
「劇的はともかくとして、魔術師がロマンを語るのはどうかとおもうよ」
――私たちはソレの対極に位置する存在でしょう。と、火灼は鼻で笑う。
「いいじゃない。遠いからこそ、語りたくもなるのよ」
反論しておきながら、自分の言葉になんの重みもないことを理解している私は、火灼から目を逸らす。目を逸らして、秦くんへとまた視線を向ける。
――また、視線が合う。
ただ、今度は視線の逸らし先がないせいで目を離せないでいた。ひたすらに彼の向ける視線を自身の眼球で受け止める。私もまた、彼へと視線を投げつけ続ける。……あぁ、いいなぁと思う。面食いのつもりではないけれど、私は彼の顔の造詣がとても気に入っている。一目見た時に、彼こそが私の追い求めるモノに違いないと奇妙な確信があった。それから一年間、私は彼を見続け、気持ちは変わることはなかった。むしろ、より一層強く補強された。
『彼が欲しい』
と、ただ一心に思うようになった。
三十秒ほど見つめ合うと、今度は秦くんの方から目を逸らした。彼の方から目を逸らしたという事実に少なからずショックを受けていると、火灼が溜め息を吐いた。
「欲しいなら、手に入れればいいじゃないの。グレノールの爺さんのところから媚薬とか取り寄せてあげようか?」
甘い誘惑をしてくる。
「それはなんか違うのです……」
意思や心の在り方を変容させたとして、それは私の欲しかった彼なのだろうか。そう思うと、その手のモノに頼るのは違う気がする。
「じゃあ軽いモノを使えばいいじゃない。数日も経てば消えるのでも、きっかけぐらいにはなるでしょう」
面倒なヒトを見るような目で私を見ながらも、妥協案を出してくれる火灼。私はそんな火灼をまじまじと見てしまう。
「……どうしたのよ?」
「いや、なんか今日の火灼は優しいなって」
いつもなら茶化して弄って終わりなのに、今日は――方法はともかくとして――私の背を押すかのような物言いをするものだから、どうしたのだろうかなー、となったのだ。
「流石にそろそろ飽きてきただけだよ。停滞も見飽きたし、そろそろ進むか降りるかをして欲しくなったの。そんで、友人としては進んでほしいわけだから、こうして助言をしているわけだ」
飽きたからという理由で人の慕情に口出しをするのもどうかと思うが、それでも進展を望んでくれてはいるので非難はできない。
「か、火灼さん……」
友情に感じ入っていると、火灼は私のおでこをつついた。
「さっさと進んで撃墜されるなり撃沈するなりしておいでよ」
「火灼さん?」
それはどちらも似たような意味だと思えるし、その意味は大変不吉なモノなのですが。
――実際のところ、この時点で火灼は理解していたのだと思う。私たちという逸脱が、彼という通常と寄り添うことが不可能であることを。だからこそ、火灼は私に動くことを求めた。
この想いがより重くなる前に、それを砕くべきだと考えたのだ。それは火灼の優しさだった。私の想いが本物であると認めたが故の行動。それ以上に私と彼とではどうしようもない溝があることを理解しているが故の言葉。だから、私には彼女を責めることが出来ない。感謝こそすれ、非難するような部分はない。
ただ、この時点で刀河火灼はスノウ=デイライトと天木秦について真の意味での理解を出来ていなかったのだ。私の想いがどのような本物であるのかを。私と天木秦に存在する溝というモノを。それ故に、私たちはこの後どうしようもなく傷つくことになる。
――そうなることを今の私たちは知らない。
――知らないまま、私と秦くんは急激に距離を縮めていくことになる。