決戦を前に 9
「あなたねえ、何しに乗り込んだのよ」
リオンは口角を下げて拳を腰につけ小汚い少年に質問した。
ほとんど戦闘経験のないリオンでさえも彼が場違いであると分かった。
少年が目を泳がせながら答える。
「決まってるだろ? 俺も戦いに行くんだよ」
一同は顔を合わせて溜め息をついた。
勇ましいのは良いことだが時と場合による。
帝政への反旗で戦勝の味をしめた口だろうか。
見るからになんの訓練も積んでいない一般人の、しかも子供に戦争ごっこをさせてやれるほどの余裕なんかなかった。
「なあ頼むよ。いいだろ?」
「どこかで聞いた声だと思ったら……ゾアの市街地で老人の私刑を無理強いされていた少年か」
「覚えててくれたのか英雄さん!」
しつこく懇願する少年の声はロブにも聞き覚えがあった。
一瞬だけ少年の顔が明るくなるもロブの顔を見て焦る。
全くの無表情。
情けの通用しない兵士の顔をしていた。
「擦り寄っても無駄だ。お前はダンカレムで降ろす」
「ま、待ってくれよ! 帰るわけにはいかないんだよ! 密航したことは謝るから俺も仲間に入れてくれよ!」
「そうか。そこまで言うなら、お前は何が出来る?」
「え?」
「見ての通り俺たちは戦える。魔法が使える。船を動かせる。一人たりとも無駄な人員なんかいない。そこにお前が加わったとして、お前は俺たちに何を提供できるのかと聞いている。それに答えることが出来たら連れてってやる」
「あのロブさん、船長は私ですけど」
「また一人で決めてる!」
提案に外野から抗議が入ったがロブは少年に顔を向けたまま微動だにしなかった。
ウィリーはロブの真剣さを察して黙り、まだ何か言いたげなリオンはラグ・レがその肩に手をかけ黙らせた。
少年はいよいよ引き返せなくなる外洋に出るまで船底に隠れているつもりだったので自分に何が出来るのかの返事など考えていなかった。
少年は暫く懸命に口触りの良い言葉を考えていたが、どれもロブを納得させられるに至らないと諦め静かに呟いた。
「……ケネス・レオナールって知ってるか?」
「誰よ?」
「バエシュ領の領主やってた奴だよ。俺はそいつを倒すためにランテヴィア解放戦線に入ったんだ。でも雑用とか、気晴らしの嫌がらせ要員とか、そんなことでしか使ってもらえなかった。結局、俺はなんにも出来なかったんだ。倒そうと思ってた男は誰も知らねえところで勝手に自殺するし。だから俺が手柄を立てるには、もうこれくらいやるしかねえんだよ!」
「お前はまだ若い。確かに争いの終結したランテヴィアではもう武功を立てることは難しいだろう。だがな、武功だけが手柄じゃない」
「そうですよ。勉強するなり商売をするなりして成功すればいいんです。あ、でも私の商隊は新入社員は募集していませんよ。何故ならこれから私たちがしにいくのは商売ではなく戦争ですから」
「だから連れてって欲しいんだよ! ブロキスなんだろ!? 敵の親玉はよ!」
「ブロキスの首を取りたいのか」
「そうだよ! それ以外にこの船に乗り込む理由なんかねえだろうが!」
荒唐無稽。
無謀にもほどがある。
少年はあの空に浮かぶ目を見なかったのだろうか。
あれを見たうえで打倒ブロキスを掲げているならば余程の大馬鹿者だろう。
「話にならん。どうせ夢を語るなら身の丈にあったものにしろ。俺は死に急ぐ奴が一番嫌いだ」
ロブが怒った。
流石に少年も啖呵を切ることが出来なくなった。
目の前の男から放たれる気配は恐怖そのものだ。
おそらくこの男よりも強いのであろうブロキスには少年は一矢報いることさえ出来ないのだと痛感させられる威圧感だった。
「あなた、確か子分がいたわよね? 子分を置いてきたの? 親分なら一人で勝手なことするべきじゃないと思うわ」
「さっきから……なあリオン、俺、前に名乗ったよな? 俺みたいな石っころには目もくれねえ高みにいるって言いたいのかよ?」
「はあ? ち、違うわよ! 違うけど、ごめん。そうじゃないけど、名前なんだっけ」
「……ラグナだよ、世界を救うリオン様」
「なによその言い草。なんかむかつく」
「ほう」
少年の名乗りに一番反応を示したのはラグ・レだった。
「私と名前が似ているじゃないか」
「あんたは?」
「ラグ・レだ。アナイの戦士にして誇り高きジウの有力な戦士である。名前が似ているよしみで教えてやるが実はロブはお前のことをとやかく言えた義理ではない。何故なら奴のほうがよっぽど死に急いでいるし、過去に積荷に隠れてジウ行きの船に乗り込んだ先輩でもあるからな」
「おい」
「まあ聞けロブ・ハースト。ラグナよ、ロブ・ハーストはお前が心配なのだ。奴はお前に色んな者の姿を重ねている。リオンもお前と面識があるからこそお前を止めているんだ。正直いうと私はお前の事を全く知らんかったからお前みたいな馬鹿者がどうなろうと知ったことではない。勇敢に死にたいのなら死ねばいい。なんの役にも立たん無駄死にだろうがそれがお前の選択ならば仕方がないのだろう」
「辛辣ですね」
「あの子は昔っから割り切るとあんな感じさね」
「いいかラグナ。リオンは確かにお前より若い。そんな若い奴が船に乗っているのに自分は降ろされるなんてと理不尽に感じているかもしれない。私も昔は若さを理由に除け者にされたからな、辛さはよく分かる。だが、考えて見ろ。ここにいる誰か一人にでもお前は戦って勝つことが出来そうか? はっきり言うがブロキスはまた別の強さを持っているぞ。何故なら奴は魔法使いだからな。お前は魔法にどうやって立ち向かう?」
「…………」
「分かる。復讐の目標を見失って、無謀でも怒りを維持しないと自分自身を保てないんだろう。わかるぞ。だが、皆の言う通りだ。お前のいるべきはここじゃない」
打ちひしがれて俯く少年にラグ・レは罪悪感を覚えた。
かつての自分もこのように何かを成したくて無謀だった。
ロブやリオンも思うところがあるらしく少年を神妙な顔で見ている。
ラグ・レは背中の鞍に取り付けていたお守りを一つ外し少年の手に持たせた。
「……ほら、これをやるから。アケノーキナがお前を導いてくれるはずだ」
「これ……俺、持ってるよ」
思いもよらぬ返答にラグ・レはきょとんとした。
不思議そうに見つめ合う二人だったがラグナが首にかけていたお守りを服の下から取り出すとそれは確かにラグ・レお得意の牙狼のお守りであった。
少年にお守りをやるのはこれが初めてである。
だが、それがだいぶ古いものであることを確認したラグ・レはかつてジウの住人以外で初めて自分の力作を受け取ってくれた女性のことを思い出した。
「お前……これは」
「かあちゃんがくれたんだ。勇敢な戦士のお守りだって。俺の名前もその戦士にあやかってつけたんだって、言ってた」
「勇敢な……戦士……炭焼き……。お、お前の家はテルシェデントの内陸にある山の中か?」
「嘘だろ。じゃあ、あんたが……」
「なんてことだ……」
なんとラグナは十余年前、アルバレル修道院からリオンを連れ出した時にラグ・レが一時的に身を寄せた炭焼きの村の夫婦の子だった。
確かにあの時は三、四人くらいの子がいたし、逆算すると少年は恐らく三番目か四番目の子に違いない。
村独自の文化なのかは知らないが七歳になるまで名前は付けないと言っていたが、ラグ・レの名を受け継いだのが彼となると長男次男はどうしたのだろうか。
なつかしさに胸が溢れたラグ・レは興奮気味に後ろを振り返った。
「おいロブ・ハースト、リオン! こいつは我々の運命を助けた炭焼きの女の子供だ! 以前話しただろう? なんという奇跡だ。母は元気か?」
「殺されたよ」
ラグナの淡々とした返答にラグ・レは顔をこわばらせた。
「……なに?」
「殺されたんだよ、さっき言ったケネス・レオナールに! 俺の村の大人たちは皆、解放戦線に味方してるんじゃないかって、疑われて殺されたんだ!」
「なんてことだ……。お前……だから解放戦線に入ったのか。復讐のために」
「そうさ。でもかあちゃんも、とうちゃんも、その前から死んでるようなもんだったけどな。ブロキスの野郎が木炭の値を下げたせいで売れなくなって、生活もままならなくなって。かあちゃんなんかもう何年も前から俺のことさえ分からなくなっちまってたんだ」
「……おい、お前たち。こいつを連れていくぞ」
「駄目ですよラグ・レさん」
「ラグ・レ。こいつみたいな境遇の人間はごまんといる。確かに恩人の子なのだろうが、それなら余計に連れていくことなんか出来ない。死なせに連れて行くようなものだ」
「恥ずかしい話だけどねえ、あたしらもきっと自分の身を守ることに手一杯になっちまうはずさね。邪神だけでも手ごわいってのに、狂信しているラーヴァリエまで敵なんだからねえ」
「戦わせなければいいだろう! 私たちがラーヴァリエに乗り込む時に船の番でもさせていればいい。それまでの船旅は暇なはずだ。皆でこいつに知識や技術を教えてやろうではないか! それとも何か? お前たちは恩人の息子を邪魔だからと言って放り捨ててもいいというのか!」
「人聞きが悪いな」
「うーん……確かに非戦闘員としてグレコさんやカートさんも乗ってますしねえ」
「いい考えだと思うよ。私、ラグナのお母さんにおっぱい貰わなかったらお腹すいて死んじゃってたかもしれないんでしょ? お母さんに直接お礼が言えなかったのは残念だけど、だったらラグナにその分だけお礼をするのが筋だと思う」
「リオン、お前まで」
「はい決定! もう覆させないぞ。さてラグナよ。お前の母はお前に私のように気高くあれとその名を付けたのだな? ならば私の船室に来い、男にしてやる!」
「えっ? えっ?」
「その発言大丈夫ですか?」
「服を脱げ。いろいろ汚れるからな!」
「は、はい! お願いします!」
「やだ馬鹿なにやってるの!?」
「なにをやってるラグナ、まだ脱がんでいいしそもそも下を脱げとは言ってないぞ」
「え?」
「いいから、こい!」
「はあ……強引ですねえ。どうします、ロブさん?」
「ダンカレムに補給に寄った際にはおそらくヘジンボサム家の誰かが来てくれるだろう。働き口を斡旋してもらうように取り計らって貰おうか。いずれにせよ連れていくことは出来ん。断じてだ」
「まあ、そうですよね」
積極的に手を引くラグ・レに良からぬ期待を抱いたラグナ。
ロブたちはリオンに聞こえないように今後の方針を定めた。
船出早々に面倒なことになってしまったものだ。
暫くの後に呆けた目をしたラグナがラグ・レの船室から出てきたのだが、その顔や上半身には戦士の化粧という名の奇妙な絵がびっしりと描かれておりリオンに大笑いされるのだった。