決戦を前に 8
邪神復活の予兆は瞬く間にランテヴィア中に広まった。
ブロキス帝は邪神に乗っ取られていてセイドラントを滅ぼした次はゴドリック帝国を滅ぼす予定であったこと、
しかしそれにいち早く気づいたロブ・ハースト軍曹がジルムンド・レイトリフ公を後ろ盾にして国交のなかったジウの大魔法使いの助力を乞うたこと、
要請が成功しジウから邪神を封印する力を持った少女が遣わされたことがまことしやかに語られていった。
だいぶ脚色はあるもののオタルバもジウの代表としてその内容を承認した。
ランテヴィアの内陸以西の民は初めて実際に見る亜人に抵抗があったようだが救世主を輩出した地として恐る恐るながらオタルバを受け入れた。
残るは巫女に恐れをなしてラーヴァリエへと逃げたブロキスを倒すだけだ。
ランテヴィア共和国は打倒アスカリヒトに燃え一丸となった。
とはいえランテヴィアの国民にすることはない。
せいぜい余計な問題を起こさないように自戒に努めるくらいだ。
祝賀会のあとリオンたちは早急にテルシェデントに入った。
少しでも早くブロキスの凶行を止めるためである。
テルシェデントではウィリーたちが出航の準備を急いでいた。
ランテヴィア海軍も準備が整いしだい後に続いてくれることになった。
問題はラーヴァリエはもちろん島嶼の国々が何故かラーヴァリエになびき敵対してしまっているという点だった。
そこでランテヴィア海軍が突破口を切り開く役目を買って出てくれたのだ。
海軍はテルシェデントに加えリンドナル領のダンカレムからも出陣する。
有象無象の敵を相手にしていてはアスカリヒトの復活に間に合わなくなってしまう恐れがあるので援軍は非常にありがたかった。
援軍といえば唯一味方してくれたナバフの民のことも気がかりである。
クランツやエルバルド、ノーラが残っているとはいえ多勢に無勢であった上、今や島嶼の情報がまるで入らない以上彼らの生存は祈る他なかった。
一方で思わぬところからも協力の申し出があった。
北の列強ノーマゲントがウィリー・ザッカレアを介して巫女の後援を申し出て来たというのだ。
聞けばノーマゲントにも目が出現し、情報を集める過程でリオンのことを知ったという。
対応はティムリートらが請け負ったが、どうやらアスカリヒトの脅威は世界の共通認識となっているようだった。
リオンはティムリートにもブロキスがアシュバルの民を虐殺していることを伝えていた。
自治領とはいえ自国民の虐殺は国際社会にラーヴァリエ非難の大義名分を与える恰好の題材であるため、ティムリートはノーマゲントや諸国にその旨を組み込んだ檄文を飛ばした。
多くの人々は繋世の巫女の伝説を思い出していた。
今まさにかつてのように世界が繋がろうとしていた。
出航の日、大勢の人々が港に駆け付けた。
ティムリートやランテヴィア解放戦線の面々はもちろん、敵であった者までリオンたちの無事を祈った。
船出にはカヌークの民も来てくれた。
リオンは一宿一飯のお礼をし、船頭や飯屋の老夫婦と抱擁した。
「巫女リオン! 無事を祈っている!」
「ぜってえ生きて帰れよな!」
「ハースト軍曹よ、巫女をしっかりお守りするのだぞ!」
ティムリートが、コーエンが、アイザック・マーロウ大尉が大声で叫ぶ。
リオン、ロブ、オタルバ、ラグ・レが船に乗り込み、ウィリー、グレコ、ダグ、ビビ、カートと合流した。
シュビナもリオンたちとジウ、ランテヴィアを繋ぐ連絡要員として船に乗り込んだ。
リオンが感謝の言葉を述べると群衆の歓声が最骨頂に達した。
ロブは人々の中に見知った光が見えるのを認識した。
隣にいたオタルバの肩を叩き顎で方向を伝える。
そこには衆人に隠れるようにブランクが見送りに来ていた。
ブランクは既にランテヴィアの人間として生きておりオタルバと確執もあるため巫女の一行には加わらなかったのだ。
オタルバはしっかりとブランクを見ると大きく頷いた。
それを察してロブもブランクに向けて槍を持った手を上げる。
ロブの仕草が勝鬨だと勘違いした大衆が再燃し一斉に鬨の声を上げた。
ブランクはそれを見て視線を地に落としたが、暫く葛藤した後に目に涙をいっぱいに浮かべて胸を叩いて戦士たちを激励した。
全員が全員出征することはない。
ブランクの戦いはもう終わり、あとはランテヴィアを良い国にするために尽力すればいい。
ジウの有力な戦士のうちルーテルもジウを守るために残っているので恥じることはないのだ。
それぞれがそれぞれの守るもののために選んだ道に貴賤や上下などあるわけがない。
ザッカレアの最新式の船が石炭の煙を盛大に上げて出港した。
あとにはテルシェデント海軍が続く。
半日後にはダンカレム海軍が合流して先導し、ザッカレア商船は船団の中央に守られながら進むことになる。
島嶼の小国ごときでは手出し出来るわけもない大軍勢だ。
船が海流に乗ると商船は石炭動力を弱め帆を広げる。
燃焼による機動力は万が一のために取っておかなくてはならない。
暫くは急ぎたくても急げない船旅となる。
焦りは禁物なので各々は今出来ることを考えてやるのみだった。
リオンはロブに魔法を使ってもらい浄化の力の修練を始めた。
オタルバもロブに魔法を習う。
そして三人はさっそく甲板を破壊してしまい、船を愛してやまない航海士のカートに怒られた。
ウィリーが仲裁し、勘定方のグレコが天を仰ぎ見て、その様子を見てラグ・レが笑った。
「おういお前ら、楽しそうだなあ」
船室から呆れ気味にダグが現れた。
「ああダグさん、いいところに……」
「なんでえ、さっそく馬鹿やらかしたのか。巫女様とその守役がよ。カート、航海日誌に書いて後世に残してやれよ今の状況をよ」
ぷんぷんと怒っていたカートはそれは名案と留飲を下げた。
とりあえず正座されられていた三人は解放されることになった。
「ところで社長、そんなことはどうでもいいんだよ。報告がある。鼠が一匹もぐり込んでやがった。船底にいた。今船室でビビに見張らせてる」
「鼠?」
船に鼠はつきものだ。
だが放っておくと食料や商品をかじって駄目にしたり病気を広めたりするので見つけたらすぐに殺処分しなくてはならない。
それを見張るということは元来あり得ないことであり、この場合の鼠は密航者の暗喩であった。
死地に赴く船に内緒で乗り込んでくるなど何処の命知らずだろうか。
「見覚えのある顔ですか?」
「いいやあ知らねえ。知らねえ餓鬼だ、俺は」
「俺は?」
「向こうは俺様のことを知ってる口ぶりだったけど、覚えてねえのよ」
「子供……。ううん、奇妙ですね。とりあえず船室は狭いですから皆にも顔を見て貰うために連れてきてください」
「あいよ」
暫くして縄で縛られ連れてこられた少年を見て一同は首を捻った。
汚らしい浮浪者のような子供に誰も見覚えがなかったからだ。
巫女の船だから良いものを積んでいるのだろうと盗みに入った孤児だろうか。
だがリオンはその顔を暫く見ていて思い出し、あっと声を上げた。
「あなた! カヌークにいた木炭売りの嫌な奴!」
「ひ、ひでえな。名前くらいは覚えててくれよ、リオン!」
二人が知り合いだと分かったものの、木炭売りの少年がいったい何の用で密航するのかと首をかしげる一同であった。