決戦を前に 6
人々が静まり返る。
ロブ・ハーストという男が何を言うのか関心があったからだ。
かつては最強の兵士と称され、ゴドリック帝から政権を強奪したブロキスに十年も前から抗ってきた男である。
行方不明の期間もあるが彼の帰還が打倒帝政の流れを勢いづけたと言っても過言ではなかった。
目隠しをして戦っているというのは本当らしい。
化身装甲や装甲義肢に槍一本で勝利したというのは本当だろうか。
ブロキス帝と同じように不思議な力も使えるという。
好奇の目が一点に集中した。
「……戦勝という声が聞こえるが、俺たちはもともと同じ国の人間だ。勝ち負けなんて最初からないし、死んでいった命には敵も味方もない。命を奪ってまで手に入れたのがこの状況で、俺たちはそのことを忘れてはいけない。あとはティムリートがだいたい言ったし、皆に説明しなければならないことが次に控えている。だから俺からは……以上だ」
最強の兵士による檄や鬨を期待していた人々はぽかんとした。
ぼそぼそと喋るので実際にはほとんど聞こえず、復唱者が喋って初めて周囲に内容が伝わっていく。
短すぎじゃない? と不満を漏らすリオンの傍らでティムリートは苦笑いした。
演説なんかしたことがないというので当たり障りのない祝賀と激励を紙に書いて持たせてやったというのに見もせず、練習した内容とはまるで違うことを喋り出すとは思ってもいなかったからだ。
群衆からも不満の声が漏れた。
お説教を聞くために集まったわけではない。
ロブが降壇しようとすると誰ともなく勝鬨が上がった。
ブロキス帝の恐怖政治からの解放と貴族制の崩壊を讃える声が高らかに響いた。
「ブロキス政権下で、お前たちは何をしたんだ……?」
得体の知れない存在感から暴君などと呼ばれてはいたが当のブロキスは政治のほぼ全てを先代ゴドリック帝の旧臣に丸投げしていたので内政自体は安定していたはずだ。
むしろ東海岸の軍港に投資し鉱山を開き、経済は潤ったはずである。
ブロキスのリンドナル領重視を不満に思っていた貴族たちならいざ知らず、ここにいる群衆のほとんどは逆に恩恵を受けていた側ではないか。
それなのにあの男がいなくなり自分たちの勝手が出来るからといって前任を貶めるとはどういう了見だろうか。
貴族制の崩壊についてもそうだ。
確かに貧富に格差はあったが今までは執政の面倒事を貴族が行っていた。
しかしこれからは平民もそれに関わり責任を負っていかなくてはならない。
その困難が分からないのか。
強大な力の前では媚びへつらって被害者意識を持ち、隙あらば暴力に訴え被害者意識を正義にすり替える愚かな集団。
この場には先の戦いに敗けた者もいるというのに、気づいてか気づいていまいか平気で面子を潰すことを吠える衆愚。
自分たちさえ良ければそれでいいのだろう。
ああ、ブロキスもきっとこの光景を見たのだろうな。
一瞬にしてロブから禍々しい殺気が放たれた。
黒い炎雷が全身に蛇のようにまとわりついていく。
オタルバの体毛が逆立つほどの魔力だ。
それはどんな言葉を発するよりも確実に衆人を黙らせる効果があった。
「いいか。これだけは覚えておけ。お前たちが勝手に俺の逸話を作ったように、俺が為政者の暴虐を許せずに立ち上がったというのなら、それは今度からこの国の全ての人間に当てはまるということだ。自分たちは被害者なんだとか、いつまでも声高に叫び続け他人から大切なものを奪う奴や……努力では変えようのない身分や出自、性差で威圧する者が。もしもそういう輩が誰かの幸せを脅かしたのなら……それこそ暴虐だと言えるだろう。そんな奴が現れたなら、俺はそいつが例え地の底に逃げ隠れても、引きずり出して後悔させてやる。いいか、俺にはそれが出来るということを、忘れるな」
誰も声を発することが出来なかった。
「結局……こうなるのか」
「いいの!? ティムリート、ロブあんなこと言っちゃってるよ!?」
「やってしまった……だがここでうろたえているところを見せるわけにはいかない。予定していたものだと押し通す」
「何もしなかったらロブの言動はあんたらの公認ってことになるんじゃないかい?」
「どのみち抑止力は必要だった。ウィリーの故郷のノーマゲントだって紆余曲折を経て民権主義を手に入れたんだから。私たちには早すぎたんだと……思う」
「抑止力?」
「残念だけどね、リオン。どんなに弁を尽くしても話の通じない人間はいるし、そういう者たちに罪を犯させないようにするには力をちらつかせることも必要になってくるんだよ」
「なによそれ。それってその……じゃあ、今までと変わらないってことじゃないの?」
「いずれ変えていく。その意識を持ち続けることが大事なんだ」
オタルバは以前に似たような演説を聞いたことがあった。
あれは十二年前の大転進記念祭でブロキスが行った演説に似ていた。
それが同じ呪いに身を焼かれた者としての思考なのか、大衆を律しなければならなくなった者の思考なのかはオタルバには分からなかった。
だがその背中が酷く孤独に見えたことだけは確かだった。
その時である。
魔法使い達の背筋に戦慄が走った。
空気そのものと化す圧倒的な魔力。
気脈を歪めるほどの惰気が吹き荒れた。
最初にその存在に気が付いたのは群衆だった。
息も絶え絶えに空を見上げ、一体何があるというのか。
リオンたちが人々の指す先を仰ぎ見ると、そこには天を塞がんばかりに燃え盛る巨大な単眼が浮かんでいた。
ロブに似た性質の魔力、それがブロキスのものであることを理解するのに時間はかからなかった。