決戦を前に 4
「……人員を割くことは出来んぞ」
「むしろありがたいことだ。私一人のほうが怪しまれなくて済む」
「軍曹!? 准尉にヘイデンを追わせる気であるか!? そのような重大なことを勝手に……」
「俺からティムリートに言っておく」
せっかく捕らえたビクトル・ピークを一存で釈放する発言にマーロウは驚いたが、詰め寄ろうとしてラグ・レに襟首をつかまれ自分も捕虜であったことを思い出した。
とやかく言える立場にないのは分かっているがヘイデンを追うにせよ既に国外に渡っている可能性があるのならもっと慎重になったほうが良いのではないか。
マーロウは社交界の経験もある貴族だから国家間の面倒なやり取りのことも何となく想像できるがロブ・ハーストは野蛮な平民なので外交の何たるかが分かっていないのかもしれない。
そもそもティムリートはこれから皇帝になる男だと言うのにそんな彼を差し置くなんて不敬を許して良いものだろうか。
「マーロウ、官憲に牢屋を開けるように伝えてきてくれ。ごねたらティムリートの許可を得ていると言えばいい」
「わ、私はどうなっても知らぬぞ!」
扉を出ていくマーロウ。
案の定、外でもめる声が聞こえた。
だがすぐに鍵を貰ってきた。
ティムリートの名前を出したことは正解だったようだ。
釈放したピークは少しよろけたが体の関節を鳴らして大きく息を吐くとロブに向かって兵士の敬礼をした。
それがロブにはピークが、私怨で動いている一般人ではなく国家のために動いている志士であることを表明しているのだと察した。
酷い顔を隠せるようにと外套と短剣、路銀だけは渡してやる。
薄情な話だがピークの行動は国家間の摩擦にも繋がりかねないのでそれ以上の支援をしてやれることはなかった。
「ところでお前、装甲義肢は?」
「稼働限界がきたから道中に乗り捨てた。直線で来たから探したいならすぐに見つかるはずだ」
「そうか……。動かせる者は他にいないだろうから放っておいても大丈夫かもしれないが。リベルアンネの連中に探させよう」
「動力のセエレ鉱石は外して持っていたが官憲に取られた。確認してくれ」
「了解。マーロウ」
「ぐぬぬ……こき使いおって……!」
「ほりょなんだから仕方がないだろう」
「お前の釈放の件を知っているのは今現在は扉の外の官憲くらいだ。街中やら門兵やらに情報が届くのには時間がかかる。だからまずはこの町を自分の力で抜けるんだな。それが出来ない奴にヘイデンを追う事なんか出来ないだろう」
「分かった」
「だが、待て。船はリベルアンネからは乗るな。東門に俺たちの乗って来た馬がいるからそれを奪ってテロートに行け。その頃にはお前の指名手配を解いておく。あと……お前に渡したいものがあるからそこで使者と落ち合ってくれ」
「渡したいもの?」
「ヘイデンを捕らえるうえで重要になる証拠品がある。あれさえあればロデスティニアも奴を匿うことが出来なくなるだろう。それをお前に託す。写本もしてないから無くすなよ」
「ロブ・ハースト、それってあの手記のことか」
「手記?」
「そうだ。カーリー・ハイムマン。彼女がレイトリフの娘ということはお前も知っているだろう。つまり、ハイムマンはヘイデンの姉というわけだ。その姉が、奴がセイドラントで行った事を手記に付けていたんだ」
「セイドラントだと?」
「セイドラント滅亡にもあの男が関わっている、ということだ。二つの国の滅亡に関わるような男を置いておこうとするほどロデスティニアは危機管理能力のない国じゃないだろう。最悪、設計図は取り返せないかもしれないがヘイデンの身柄については目を瞑るはずだ。突きつけてやれ」
「……分かった」
「そんな大事なものを勝手に准尉に渡すだなんてそれは流石に」
「ナントカ・マーロウよ、お前は黙ってろ」
「あ、はい」
外套を羽織り、短剣を靴に差して簡単に準備は整った。
部屋の外に出ると官憲とそのお偉方が困惑しつつも一歩引いて道を開けた。
庁舎からはロブ達は正面から出て、ピークはどこか別の場所から出ることになる。
ここで今生の別れになるかもしれないという時にピークは少し立ち止まってロブを見た。
「軍曹、ブロキスのやる事成すことには必ずヘイデンの影があった。今思えば……大転進記念祭も奴の策略だったのだろうな。ダンカレムに潜んでいたラーヴァリエの信者をあぶりだして、国民に敵を認知させ結束力を高めたというわけだ。上手いものだ。すると……少尉の死も英雄を作るために仕組まれたものだったのかもしれないな」
「ピーク……」
「軍曹、あなたもそれに巻き込まれた。あなただって少尉を殺したくはなかっただろう」
唐突に思い起こされる光景。
槍を引き抜いたことで中身が一気に噴出した化身装甲。
自分を慕っていた、雲のように白い肌の女性から溢れた醜くも赤黒い物体。
ピークは最後に自分がロブを理解してやることでロブとの確執を解こうと思ったがそれはロブに罪を再認識させるものとなった。
「私は兵役の中であの小隊にいた時が一番幸せでしたよ。何をやっても空回りなくせに絶対にめげない上司に、巡回と仲裁くらいしかない生活。ニファがほぼ毎日問題を起こしましたが今となってはそれすらも愛おしく感じます。そんな私たちサネス小隊は、奴らのせいでこんな事になってしまった。軍曹、私はヘイデンを追い少尉と一等兵の仇を取る。アシンダル博士が殺されなければならなかった理由を知り、博士の無念も晴らす。あなたはブロキスを追い……まあ、頑張ってください。私には世界だと邪神だのは……やはりよく分かりません。だが、奴らさえいなければこんなことにはならなかった。それだけは事実でしょう。健闘を祈ります」
「……お前もな、兵長」
小さく頷いたピークは庁舎裏へと走って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまでロブはピークに言う事が出来なかった。
確かにブロキスとヘイデンさえいなければイムリントの撤退戦は起きなかっただろう。
元はと言えば原因は奴らにあるのかもしれない。
そうなればロブがエキトワ領へ配属されることもなかっただろうし、ピークたちと出会うこともなかった。
ラグ・レに出会うこともなければ、リオンがアルバレル修道院から連れ出されることもなかった。
だが国を棄てラグ・レに協力すると決めたのはロブ自身だった。
あの時ロブが兵士としての本分を全うしていれさえいれば今日の状況には至っていないのだ。
違うんだピーク。
お前を、姉妹をこんな目に合わせてしまったのは俺なんだ。
俺があんなことさえしなければ、お前たちはこんなことにはならなかった。
……俺さえいなければ!
「ロブ・ハースト?」
ラグ・レの心配そうな声が聞こえたのでロブは大丈夫だと言うように手を顔の前に上げた。
今の考えはラグ・レをも愚弄することになってしまうので、それはいけないことだ。
懺悔するには多くの人を巻き込み過ぎてしまっている。
もはや罪の清算さえままならない身になっていることを再認識し、ロブはリベルアンネを後にした。
ロブ達はエセンドラ城に元に戻り仔細を報告した。
手記の提出はウィリーが若干の難色を示したが、ティムリートはロブの判断を支持しピークに専属の取次人を捻出して手記を託した。
ヘイデンに関する続報がいつになるかは分からないが世界の危機のその先のゴドリックの未来は一人の名もなき敗残兵に委ねられることとなる。
そしてそれよりも前に、世界の命運を委ねられた少女は帝都ゾアにて初舞台を踏むことになった。