決戦を前に 3
「軍曹、私にはもう抵抗の意思はない。サネス少佐と約束したのだ。生きてこの国を守ると。それこそが私たち帝政派残党の使命なのだと。だから頼む。上に掛け合って私を解放してくれないか。私はヘイデンを捕まえなくてはならないんだ」
ぎらついた光を湛えた瞳でピーク准尉はロブに懇願する。
自分たちには死を命じておきながら一人だけ逃げたヘイデンが許せなかった。
そして疑問だった。
何故アシンダル博士は殺されなくてはならなかったのか。
化身装甲や装甲義肢の修理や調整は既に彼の教え子たちも出来るのでアシンダル一人を殺したところで兵器を無効化することは出来ない。
そもそもヘイデンは十数年前から策を弄してアシンダルを守ってきたはずだ。
かつてアシンダルが政争に巻き込まれた時には敢えて逮捕して失脚させることで不慮の事故死などに晒されないようにした。
この期に殺害するということは、ブロキスと自分無きあとのゴドリックにおいてアシンダルの存在が邪魔だったということなのだろうか。
「マーロウ大尉殿、あなたからも私の助命をお願いします。私は刑死することを恐れているのではありません。この国の未来のために生き恥を晒してでもやらなければならないことがあるのです。この気持ちはあの時あの場所にいたあなたならお分かりのはずだ」
ピークに顔を向けられて目線を逸らすマーロウ。
敗軍の将にそのような権限はなく、弁えていなくてはならないので話を振られても困るというものだ。
あの時あの場所とはサネス少佐の演説の場のことを言っているのだろう。
ピーク准尉の言うようにヘイデン大佐がアシンダル博士を殺し敵前逃亡したというのが本当なら、旧知の仲でありかつて同隊の上司部下の関係であったサネス少佐を見殺しにしなければならなかったピーク准尉の無念はマーロウも痛いほど理解できた。
「ピーク、ヘイデンは既に指名手配されている。お前が追わなくても捕まるのは時間の問題だろう」
「いいや、もう遅い」
「何が遅い」
「すぐに動いていれば奴を見失うことなんかなかっただろう」
「それを言うならお前の読みだって見当はずれだ。奴が妻子を連れて逃げると思ってここに来たのか? マーロウ」
「えっ!? あ、ああ、うむ。ここでは戦後ヘイデンを見たという話は入って来ておらぬ。妻子も既に官憲が尋問を行ったみたいだが全くなにも知らないようだ」
「というわけだ。それにヘイデンが逃亡先として頼るとしたらブロキスのいるラーヴァリエだろう。西海岸は真逆なうえに島嶼行きの船便なんか出ていない。ちなみに東部三領の港はずっと厳重体制が敷かれているが異常なしだ。ピーク、お前は冷静じゃない。そんな奴を野放しにするわけがないだろう」
「軍曹、あなた方はあの男を軽視し過ぎている」
「まさか。逆だ」
「では何故もっと人手をかけて捜索しない……!」
「奴を一番許せない人間が、国家の再建のほうを優先しているからだ」
「……ティムリート・ブランバエシュか?」
「そうだ。あいつはレイトリフの一番の信奉者だった。だが十二年前、大転進記念祭でレイトリフは暗殺された。ヘイデンにだ」
「なんだって? レイトリフはブロキスを逃がすために時間稼ぎして死んだんじゃなかったのか」
「目撃者がいる。ヘイデンとレイトリフは親子だったんだ。公式の記録では上手く改竄されているみたいだがな。暗殺の件は証言も得られているから立件だって出来た。だけどしなかった。レイトリフを家族関係のいざこざで死んだなんて情けない最期にしたくなかったからだ。結局レイトリフは英雄になって、おかげでヘイデンの罪が暴かれることはなかった」
「まさかこの戦いは」
「そうだ。ティムリートがレイトリフに捧げる仇討ちの戦いでもあった。決起の日にレイトリフの都長就任記念日を選んだことがその証拠だ」
「ならば余計に悔やんでいるだろうに。ブロキスも、ヘイデンさえも取り逃がして」
「それが……そうでもないようだ。多くの人間を巻き込んで多くのことを学んだせいかもしれない。あいつは復讐にこだわらなくなった。今は不幸にしてしまった人たちのために頑張っている」
「…………」
「ピーク。お前ももうやめておけ。お前自身もさっきマーロウに言っただろう。ヘイデンなんか構っている暇はない。お前は優秀な義肢使いだ。これからの戦いに必要な人間だ。釈放はする。最初からそのつもりだったからな」
「これからの戦い?」
「ブロキスが世界を滅ぼそうとしている。厳密にいえばブロキスの中にいる邪神が。戦える者は多いほうがいい。力を貸してくれ」
「……馬鹿げている」
「お前だって俺の力を知っているだろう。不思議なことがこの世界にはあるんだ。そしてブロキスの力はあんなもんじゃないぞ。繋世の巫女の伝説が今、蘇ろうとしているんだ」
「ブロキスの力は……身を以て知っている。一度会ったことがあるからな」
「だったら」
「いいや駄目だ。そんなのはあなた方でなんとかしろ。私はヘイデンを追う。止めなくてはならないんだ」
ビクトル・ピークは頑なだった。
彼が味方になれば心強いのにその意思を曲げることは出来ないようだ。
ラグ・レがうんざりして無理やり連れていくことを提案したがロブは静かにそれを抑える。
ピークの瞳の中に私怨以外の意思を感じたからだった。
「まだ他にも……ヘイデンが何か企んでいるのか?」
「博士のところで見た書類の名前に聞き覚えがあった。フレイマンの設計図というものだ。化身装甲もそこに書かれていたものらしい。いつ書かれたものかは不明だが相当昔から存在すると聞いている。だがその内容は高度な技術がないと作れないものだらけで時代錯誤なものだった。今までに多くの研究者が再現しようとして出来なかった。それを再現することに成功したから博士は一躍有名になったんだ。私が銃声を聞いて博士らの死体を見た後に検査室に戻ったらあの設計図がなくなっていた」
「どういうことだ? ヘイデンが持って行ったと?」
「私はそうだと確信している。検査室前の廊下は直線で長い。検査室で博士を殺せば検査室を出た時に銃声を聞きつけて来た誰かに見つかる危険性がある。ヘイデンは博士にあの書類を出させたあとに部屋から連れ出して殺害し、設計図を奪って逃げたんだ」
「ラーヴァリエに持って行っても……あそここそ前時代的な国じゃないか。そんな回りくどいことをして意味のないことをする必要があったとは思えんが」
「軍曹、前提からして間違っている。ヘイデンはラーヴァリエを目指していない」
「なに?」
「奴が頼ったのは……北の列強ロデスティニアだ」
「なんだって?」
「リベルアンネからはロデスティニアとの交易船が出ている。そしてロデスティニアは強国だが周囲の国々と微妙な関係だ。あいつとロデスティニアには何の縁故もないだろうが、だからこそ逆に頼りやすい。フレイマンの設計図はあの国の最先端の技術があれば博士がいなくても再現可能だろう。それに、ヘイデンはこの国や島嶼の資源についてもよく把握している。そんな手土産をぶら下げているんだ、奴はきっと高待遇で迎えられるだろう」
「…………」
「船はもう向こう岸に着く頃だ。私の要請をすぐに聞いてくれさえいれば、テロートから船を出して止めることも出来ただろうに。だから言っただろう。もう、遅いと」
そうか。
今更ながらロブは理解した。
ヘイデンはこの国を滅ぼそうとしているのだ。
父の片鱗が残るこの国を。
復讐は十二年前に済んだはずだった。
だがティムリートというレイトリフの遺志を継ぐ者が現れてしまった。
だからヘイデンは気兼ねなくこの国を売る選択を取ったのだ。
ブロキスもいない今、それは容易いことだったに違いない。
「邪神だなんて私でさえにわかには信じがたいことだ。他の国の人間なら一層そうだろう。それを倒すためにあなたがたが注力している間にロデスティニアは更に力をつけてしまう。列強の均衡が崩れればいずれこの国にも火の粉は飛んでくるだろう。もう遅い、が、まだ間に合う。私を解放してくれ軍曹。この国に指名手配されている私だからこそ、この国の誰よりも迷惑をかけずにあの男を追うことが出来るんだ」
ロブは眉間に深い皺を作って暫く考えていたが、やがて重い口を開いた。