決戦を前に
日も明けて1月2日、帝都ゾアは空前の賑わいを見せていた。
逃げていた住民が戻り各地から戦勝を聞きつけた人々が入ってきたせいだ。
人死にの少なさの割には損壊の大きい街並みを直すのには労働力がいる。
ティムリートはさっそくこれを公共事業として人足を募った。
要人もまた帝都に参集を始めていた。
新政府を作るのに官僚が少なすぎるのでティムリートが各地に召集令状を飛ばしたのだ。
遠いところからの来訪にはもう一日かかるだろうが、沈黙を貫いていたエキトワ領のマーカス・ナッシュ上級大将などは令状が届くよりも早く帝都へ優秀な人材を派遣したほどである。
自領からはまるで損害を出さず今後の展望を読んで行動した切れ者にティムリートは恐ろしさを感じたほどだった。
ティムリートは王座に就くつもりはなかった。
今回の件で自分がどれほど不甲斐ない存在かを痛感した彼は、国の運営を大きく転換させるつもりでいた。
マーカス・ナッシュやバンクリフ・ヘジンボサムら古老はそれを読んでいたのである。
ランテヴィア解放戦線の古株や早々に登城した要人らにティムリートはゴドリック帝国を共和制にする方針を打ち出したのだった。
今までとは全く違う舵取り故に基礎作りにはかなりの時間を有するだろう。
平民にも公平な法は特権階級の反発を招くに決まっている。
だがブロキスのような存在を出さないためにも権力は分散させるべきだった。
既存の政を踏襲するよりもずっと困難な道だがきっと上手くいくはずだ。
同日、リンドナル領から都長トゥルグト・ヘジンボサムも入城した。
祝賀のために訪れたトゥルグトは見事な笑みを顔に張り付けていたが、バンクリフの姿を確認するや否や人目もはばからずに父の膝に縋りついて泣いた。
挿げ替えられた偽りの皇帝とはいえ戦争の倣いでは斬首に処されて当然の父が生きていたことにトゥルグトは平身低頭してティムリートに謝辞を述べた。
バンクリフを殺せと息巻いていたならず者たちはその姿を見てティムリートの判断に舌を巻いて黙るしかなかった。
南北両領の緊張緩和に伴いバエシュ領からも父ナダルの臣下が到着する。
西側諸都市からも利権に媚びる者以外に新時代の夜明けを感じた若く優秀な人材がやって来た。
諸外国との国交も正常に戻りそうだ。
こうして多忙を極めた一週間が過ぎた。
帝都ゾアのエセンドラ城中庭。
爽やかな晴れ間とは真逆の面持ちをしたロブがぼんやり椅子にもたれかかっていた。
平服を着て得物も持たずに呆けている姿はくたびれた休日の中年そのものである。
実際問題、ロブはやることがなかった。
アスカリヒトの復活まで時間がないものの後ろ盾となるこの国がある程度の落ち着きを取り戻さないことには出発も出来ない。
ティムリートはもちろんのことウィリーは他国民のくせに商人の視点からの意見を求められて重要な会議に出席しっぱなしだ。
ブランクは城下町の再建の陣頭指揮に当たっている。
そしてリオンまでもがティムリートに呼ばれて何やら忙しそうにしていた。
巻き込むな、と言っていたくせに。
あの時とは逆に今はロブのほうがいじけている。
リオンは城下を丹念に周り人々と会話をするというお勤めにご満悦の様子だ。
ロブは警護についてやると言ったがその任は地元出身の帝国兵に取られてしまった。
「はあ……」
「ん? 珍しいなロブ・ハースト。お前が溜め息とは」
そばで変なお守りを作っていたラグ・レが反応した。
あの変なお守りは新しく知り合った人々に押し付ける用らしいが未だ誰からも貰われていないらしい。
民族的すぎて趣味が合わない上に主材料の牙狼の牙が臭うのだ。
何度かそれとなく教えてやっているのに一向に理解しようとしないので、貰ってもらえないのは完全に彼女の責任である。
「あれから今日で一週間だ。なにもしないという事は……辛いな」
「だから手伝わせてやると言っているだろう」
「俺は、それを、作らない」
「頑固者め。不器用がばれるのがそんなに恥ずかしいか。しかしまあ、私もお前も身体しか使えない人間だからな。今は必要とされなくても仕方あるまいよ。せいぜい鋭気を養っておくがいい」
「実に悠長だ。誰一人として実感が湧いていないというのが正解なのかもしれないがな。俺も含めて」
「アスカリヒトのことか」
ロブが頷くとラグ・レは手を止めてロブに向き直った。
当然ながらアスカリヒトはまだ復活する時期ではないのでラーヴァリエのブロキスからはなんの変化も感じられない。
島嶼に出した偵察も返ってくるなり伝鳩を飛ばすなりするにしてもまだ時間がかかる。
「それもあるし、色々だ。色々悠長すぎる」
「考えても仕方がないことだろう。たまには気分転換に街にでも遊びに行ったらどうだ? なんなら私も一緒に行ってやるぞ」
「断る。色んな奴らに話しかけられて面倒だ」
「ふんっ、有名人様は辛いな! だったら演説の練習でもしておけ」
僻みをふんだんに含んだラグ・レの提案に鼻に皺を寄せて拒否の意を示すロブ。
近いうちにティムリートは国民に向けて帝政を改める演説を行うらしいのだが、その際にロブとリオンも演説に抜擢されていた。
ある意味でロブは十二年前から帝政に抗い戦っていた存在と言えるのでリオン同様多くの人々の関心を集めていた事が人選の理由だ。
リオンに協力しろと言った手前、自分は嫌だと言えなくなってしまったロブはこれを受諾するしかなかった。
「演説か……。リオンはやたら乗り気だったな。あいつの考えていることが俺にはわからん」
「そうか? 単純だと思うぞ。必要とされて嬉しいんだろう」
「俺だって同じことを言ったんだがな」
「なんだ、まだ元日のことを引きづっているのか軟弱者め。お前は奴に相談もなく色々勝手に決めただろう」
「それは」
「状況的に仕方がなかった、だろう? 何度も聞いた。だがなロブ、お前は奴の親じゃない。友達でもない。お前が勝手に奴を守るって決めただけで、奴からしたらお前なんか急に現れた変なおじさんだ。そんな変な奴が勝手に自分のあれこれを決めちゃうんだぞ。嫌だろ。いい加減理解しろ」
「……変な奴は言い過ぎだろう」
「お前は昔っから一人で突っ走る傾向があるからな。言い過ぎじゃなくて荒療治ってやつだ」
「お前に言われたくないな」
「……で、演説では何を言うつもりなんだ?」
「まだ考えていない。というか、ルーテルは来ないだろうな。あいつに聞かれたら一生馬鹿にされる気がする」
「さあなあ。そもそもジウがティムリート・ブランバエシュの招きに応じるかどうか……」
ティムリートはジウとの国交を宣言し、建国記念にジウの使者を招待するつもりでいた。
ブロキスが世界の敵でありリオンがそれに抗える唯一の巫女であることを説明するにはジウの存在も不可欠だった。
ティムリートは既に、十二年前にブロキスに囚われていたリオンを解放戦線の前身ともいうべきレイトリフに協力していたロブが救い出しジウに届けたという物語を用意している。
時系列は若干異なるし当時レイトリフは巫女のことなど全く知らなかったはずなのだが、国民に分かりやすく説明するには多少の脚色も必要らしいのでとりあえずリオンが巫女だと認知されればそれで良いと思っているロブは黙っていることにした。
その内容で公表してもよいかの確認を建国記念の招待の書に添えてシュビナに持たせたところ、以後ジウからの音沙汰がなくなってしまった。
気脈の乱れを感じないので何かあったわけではなく単純に無視されているようだ。
いや、合議が紛糾しているという可能性もある。
だが真実はまだ分からない。
「世界に拒絶された者たちの集まりだからな。無理もないのかもしれないが」
「うむ。使者として来るとしたらオタルバが適任だろうが奴は亜人だしな。貴族連中は亜人をそうとう馬鹿にするんだろう? もめると分かっていて快諾なんか出来ないものな。だがこのままジウは中立を貫いていたほうがいいかもしれんぞ」
「何故だ? そういうわけにもいかないだろ。巫女の説明が上手くいかなくなる」
「だって考えてみろロブ・ハースト。ここにはブランクがいるんだぞ。私も見た時には本当に驚いたが……オタルバが見たら殺すかもしれんぞ」
「流石にそれは……ないとは言い切れないな」
「オタルバの三百年弱の人生の中でも喧嘩してジウに散々暴言吐いて去って行ったのは奴が初めてらしいからな。たぶん根に持ってると思うぞ。女の恨みは怖いのだ」
「根に持つくらいなら大丈夫だ。本当に嫌っていたらいないものとして扱うだろう。まあ……」
ブランクの判断も分からないでもないがなと言おうとしてロブはやめた。
大賢老は人の世に興味を示しておらず注視しているものを突き詰めれば気脈の流れのみであり、ブランクもその違和感に気づいたからジウを出て行ったのだ。
ジウは一人だけ違う時間を生きているせいか人の世の正義に疎くなってしまっているのかもしれない。
だがそんな事をラグ・レに言えばまた諭されるに決まっている。
ロブが何かを言いかけたことにラグ・レが訝しんだ時だった。
何やら声がして、どうやら中庭に兵士がやって来たようだった。
「ロブ・ハースト軍曹殿! いらっしゃいますか!?」
「お、呼ばれているぞロブ・ハースト。……ラグ・レもいるぞ!」
「ああ良かった、探しましたよ軍曹! ティムリート様が至急王の間へ来るようにと仰せです」
「ティムリートが? なんだろうな」
「ラグ・レもいるぞ」
仕事なら暇を潰すことが出来る。
演説の内容が決まったかどうかの確認なら適当にはぐらかそう。
ロブとラグ・レが急ぎ王の間へ行くと大勢の知恵者を従えたティムリートが真剣な眼差しをしていた。
各地に張っていた捜査網に旧帝政派の大物が掛かり、捕らえることに成功したという。
その逮捕者はロブとの面会を所望しているとのことだった。
ロブとラグ・レは顔を見合わせた。




