時が満ちる前に 9
風の音か、何者かが距離を取って走る音か。
草木のざわめきがリオンたちを包んだ。
「囲まれた……?」
何かに見られている感覚はあるがそれはアルマーナの亜人のものとは到底思えない無機質な気配だ。
ルビクはサイラスに傍に来るように促すと恐怖で息を乱しているリオンを預け、足元で痙攣しているエーリカの顔に刺さった短刀を引き抜いた。
「ぶぁば」
奇妙な声を漏らし眼球をこぼすエーリカを見てしまいリオンは卒倒しそうになる。
それを優しく抱きとめたサイラスは、見ればその魔力は周囲の気脈の流れを変えるほどに膨らんでいた。
魔法使いにおける詠唱という行為は発動条件に至るまでに魔力を増幅させる集中時間のことを指す。
増幅していくサイラスの魔力はオタルバほどではないがジウの住人に比べて高く、ついに大賢老が開眼する気配がリオンに伝わって来た。
異変に気付いた大賢老はオタルバに命じてここに急行させるだろう。
その時ルビクはいったいどうやって言い訳をするつもりだろうか。
そして、侵入者と思わしき男女はいったい何のためにアルマーナ島に潜入していたのか。
ルビクはいったい彼らとはどういう関係なのだろうか。
疑問が多すぎて頭の回転が追い付かない。
登場したと思った矢先に女性は殺され、他に侵入者がいるとルビクたちは周囲を警戒している。
ルビクは短刀を手に入れて立ち上がると躊躇せずにリオンの喉に刃を当てた。
横に滑らせれば切れてしまうであろう冷たい感触にリオンは硬直した。
「出てこい! どこの手の者かは知らないが、お前たちの望みもこの娘だろう!」
ルビクが森に向かって叫ぶと二人の男が姿を現した。
警戒するルビクたちにもはや奇襲は不可能と判断したのだろう。
四方から囲まれる気配があったにも関わらず敵がたったの二人だったことにルビクはより一層警戒を強めた。
防塵面をつけ黒に近い深緑の上下を着た彼らは立ち振る舞いからみても強者でありどこかの軍人である事が見て取れた。
「お前らが焚き火を起こしたのか」
「そだよ。だっておさかな焼けないじゃない」
「よほど腕に自信があるみたいだな。だが正規の軍人とも思えない。傭兵か?」
「そだよー! やるじゃん! どこに雇われてるかは言えないけどね」
やたらと元気のよい男は両手に短刀と金槌を持っている。
対してもう一方の男は片手に短刀を持っていた。
投擲してきたのは静かなほうの男らしい。
足元に転がるエーリカは既に痙攣が止まりうつ伏せになっていた。
「こんなところにこんな娘に用事があるだなんて珍しいな。実は僕たちもなんだ。雇い主が被っているかもしれない。こちらの人員の損失には目を瞑るから話し合わないか」
「時間稼ぎは意味がないぞ。そっちの男の魔力はすでに気脈に影響を及ぼしている。異変に気付いた大賢老がオタルバを遣わしたようだ。彼女の到着までに魔法を発動させることなど出来ない」
「気脈に影響……!? お前、何故魔法を知っている?」
防塵面の男たちからは魔力を感じない。
しかし魔法使いの原理を知っており、ジウの内部情勢も知っている口ぶりだ。
まさか雇い主はジウか。
自分たちのような人間が現れることを予見して大賢老が雇っていたのか。
「くそっ!」
ルビクはリオンを羽交い絞めにすると無理やり場所を移動する。
「おおっと逃がさないよん」
逃げると思ったのか元気のよい防塵面が追いかけようとした刹那、その側面を思いもよらない人物からの攻撃が繰り出された。
エーリカが立ち上がり拳を振るった。
すんでのところで腕を出し防御した防塵面だったが、体勢が悪くそのまま殴り飛ばされてしまう。
残身を決めるエーリカの顔は深く短刀が刺さった面影などまるでなく元の状態となっていた。
「いてぇー」
「大丈夫か!?」
「腕折れたー。その狒々女やべえぞ。気をつけろー」
遠くの茂みから声が聞こえるが暗くて姿は見えない。
不意打ちとはいえ重量級の男を軽々殴り飛ばすエーリカを見て物静かな男は自身もようやく戦闘態勢に入った。
「まさか超蘇生の使い手だったとはな。死んだふりをして機会を窺っていたのか」
「同じ相手には使えない手ですけどね! でもこれで形勢逆転です」
「男のほうの光に気を取られていた……俺も鈍ったもんだ。だが形勢は変わっていないぞ。もうオタルバはすぐそこまで来ている」
「いいや、それならむしろ好都合さ」
ルビクが呟くと神速を以て駆けて来たオタルバが到着した。
オタルバは怒りの形相で空間を見渡した。
真ん中には魔法使いが二人、それを挟んで覆面の男が一人と、遠くにも気配が一つ。
そして木を背にしてリオンを守るように抱えるルビクがいた。
「ルビク、どういうことさね」
今にも噛みついてきそうな勢いを押し殺すオタルバに内心ひるみつつもルビクは賭けに出た。
「オタルバ! ああ、良かった……侵入者だよ!」
「それはいい。見ればわかる。あたしが聞いてるのはなんであんたらが外にいるかだよ」
オタルバはリオンたちを守れるようにルビクに近づいていく。
「オタルバ……わ、私……」
「待てオタルバ、その青年に近づくな!」
「……ん?」
覆面男が叫びオタルバが不思議そうに顔を向けた。
だが男の忠告も空しくルビクの眼が赤く光り、オタルバは目を合わせてしまった。
オタルバは体に電気が走ったかのように仰け反ると、反動でだらりと前のめりになった。
その目は放心しており心を失っていることが誰の目にも明らかだった。
ルビクは治癒魔法の使い手などではなく催眠魔法の使い手であった。
心を乗っ取られ放心状態となったオタルバの耳にルビクが囁いた。
「覆面の男たちを……殺せ」
オタルバの殺意が一点に注がれる。
覆面男は舌打ちをして短刀を構えた。