英雄 5
ビクトル・ピークはニファ・サネスが嫌いだった。
私生活もままならず姉に頼りきりの戦闘狂。
十余年前の彼女の身勝手がロブ・ハースト軍曹を取り逃がした。
そこから今日が運命付けられたと言っても過言ではない。
姉が戦死した後は姉に成りきった彼女。
政治の判断がそうさせたとはいえ真実を知る仲間の前くらいはその茶番はやめて欲しかった。
諫めても演じ続ける彼女が腹立たしかった。
だから、嫌いだった。
しかし彼女の独白を聞いた後でどうして尚も責めることが出来るだろう。
むしろピークは哀憫の念さえ覚えていた。
彼女もずっと苦しんできたのだ。
そのまま人生を終えるなど、あっていいはずがなかった。
「少佐。やはりあなたは帰るべきだ」
涙を拭うサネス少佐にピーク准尉はきっぱりと言い放つ。
過去は取り戻せない。
それでもやり直すことは出来る。
今ならまだ間に合うはずだ。
「あなたは負傷している。この戦闘に参加さえしなければ敵も無下には扱わないはずだ。帰って子供とやり直せ。あなたにはそれが出来る」
「准尉。私が戦女神として復帰したことはもう広く喧伝されています。それなのに帝国の危機に起たなかったとあれば多くの人から後ろ指を差されてしまいますよ」
「……ならば敵側につくといい。西海岸の都市は既に反乱軍に迎合している。おそらく……いや確実にあなたの町もだ。言いたくないが私たちは……今や国民の敵なんだ」
「私に残されている道はただ一つです。准尉だって分かっているでしょうに」
「分からない。謝るんだろうが……子供に」
「会ってすることだけが謝罪じゃないと思うんですよ。私はあの子に生き様を見せて、それを贖罪とするつもりです。いつかあの子がもっと大きくなったら、人がこの事を歴史として客観的に見る事が出来るようになれば、きっと誰かが語ってくれるはずです。親族に兵士としての本分を全うした者がいたことを」
「…………」
「准尉。みんなにも言いたいことが出来ました。緊急の用件です。急ぎ部隊の召集を願います」
「…………了解しました」
ニファの顔つきが兵士のそれになったのでピークももはや多くを語らず従った。
正門を守る兵士たちがニファの前に集められた。
光のない瞳の兵士たちはみな精悍だった。
この期に及んで敵に寝返らない兵士など余程の忠義者か、帝都の出身者くらいなものだろう。
精鋭である。
文字通り最後の砦だった。
「あの、皆さんはなんで戦おうと思ったんですか?」
唐突なサネス少佐の質問に顔を見合わせざわつく兵士たち。
指名されたわけでもないから明確な返事をする者などいない。
聞かれても困る質問だ。
何となく残ってしまったというのがある意味正しいのかもしれない。
逃げられるものなら逃げたかった。
だが自身の不幸を他者に責任転嫁しているあの暴徒集団に白旗を揚げるのも、与するのも恥だと思った。
ならば残るしかないではないか。
少佐は予想通りとでも言いたげに微笑みながら何度も頷いた。
「まあ、今更って感じですよね。でも多勢に無勢ではありますし、このままだとみんな絶対死んじゃいますよ」
「わ、我らは死など恐れません。我らが恐れるのは無法者に正義が踏みにじられることです!」
「あなたは?」
「アイザック・マーロウ、大尉です」
上下に目を泳がせながら高らかに答える若手の士官。
マーロウ大尉はカヌークの漁村でロブたちに完膚なきまでに叩きのめされたエキトワ方面軍所属の貴族である。
男はロブ達との約束とはいえ、家のため保身のために帝都に虚偽の報告をし結果ランテヴィア解放戦線の台頭を許してしまったことを悔いていた。
真実を明かす勇気はなかったがそれでも故郷の西海岸へ避難することを良しとせず、いずれ来るであろう決戦を予期して療養休暇を申請し帝都に駐留していたのだった。
サネス少佐はマーロウ大尉の台詞を小さな声で復唱すると大尉の手前で立ち止まった。
上官を見つめ返すことなど不敬であるため大尉は敬礼をしながら上の方を見ていた。
実に規律正しい兵士の手本のような男だ。
そして戦争で最も割を食うのはこういう性格の人間だったりするのだろう。
「正義かあ。私たちに正義はあるんでしょうか」
「え……?」
驚いて見つめ返してしまったマーロウにサネス少佐は笑顔を見せた。
「みんなも分かっているでしょう? 私たちは守っていたはずの国民から恨まれています。忠誠を誓っていた皇帝陛下もいつの間にか逃亡しちゃってるし、今玉座についているのは全く関係ない人です。そんな私たちに、正義ってありますかね?」
「そ、それは……」
「本当は、出来る事なら戦いたくないですよね。のんびり毎日を過ごせるなら誰だってそうしたいはずです。戦いたくない。死にたくない。なんで召集令状にすぐに従っちゃったんだろう、待っていればこんな目に合わずに済んだかもしれないのに。私はそう思ってます」
降伏の勧告か。
兵士たちは内心でほっとした。
だが同時に不安にも襲われる。
武器を捨て投降したところであの漠然とした復讐者たちにその意思が通じるとは思えないからだった。
「ねえ、このまま私たちが降伏しちゃったら、私たちってどうなるんでしょうね? ここの帝都の住人たちはどうなるんでしょう? あのリンドナルから来た無関係なおじいちゃんは? みんなの家族は? 友達は?」
「……奴らが語る正義の元に蹂躙されるでしょう」
「ですよね。でも、私たちってそこまでされるほど悪いことしたでしょうか。してないですよね。してないですよ。普通に生きていただけじゃないですか。誰かの幸せを奪ってやろうだとか、思って生きていたわけないじゃないですか」
そうだ。
思っていない。
普通に生きていただけだ。
なのに何故このような目に合わなければならないのか。
確かに帝国国内には東と西で貧富の格差があることは知っていた。
だからと言って同じ境遇に合わせろというのか?
自分たちが真面目に働いて得た富を無償で分け与えれば良かったのか?
東側の中ででも格差はあっただろうに。
その証拠にティムリートのような貴族だっているのに、それを棚に上げて我々ばかりが強欲な悪だというのか?
兵士たちの心に再び悔しさの炎が灯る。
だがどうすればあの身勝手な断罪者たちに抗うことが出来るだろう。
どう考えても投了の未来しか見えないというのに。
少佐はいったい何を兵士たちに語りたいというのか。
「私に策があるんですよ」
唇を噛んでいた兵士たちが顔を上げるとサネス少佐だけは自信に満ち溢れた顔で笑っていた。




