英雄 4
テルシェデントに到着したリオンたちは町が大きく浮かれているのを目の当たりにした。
まるでお祭りのように屋外へ繰り出した人々が笑顔で酒を飲み交わし、踊っている。
人々は新年を祝っているのではない。
ランテヴィア解放戦線による革命の成功を称えていたのだった。
12月31日のうちに帝都陥落の報は帝国全土へ知れ渡った。
人々は新しい時代の幕開けを歓迎していた。
しかしこれからが大変なのだ。
それを理解できている人間が、果たして何人いるのだろうか。
早馬を手配したウィリーは群集を見て浮かない顔をしていた。
帝都での攻防を途中まで見ていたから分かる。
暴徒をのさばらせてしまったという汚点は根深い。
現にテルシェデントの人々でさえ、最後の皇帝バンクリフの責任を言及しリンドナル領の土地を没収せよだとか、西側貴族の既得利権を剥奪せよと騒いでいた。
持っていた者が持たざる者の為に不利益を被ることは平等ではなく公平ですらない。
このままでは内部分裂し、政務の役割分担すら決まっていない現状では前政権に遠く及ばない悪政が始まってしまうだろう。
人心を掴む象徴的存在が必要だった。
残念ながらティムリートはその器ではなかった。
リオンはラグ・レの馬の後ろに乗り帝都エセンドラへと急ぐ。
帝都の方角からは邪悪な魔力を強烈に感じる。
あれはロブの魔力だ。
大賢老が何も言っていなかったということは暴走はしていないのだろうが、リオンは不穏な空気を敏感に感じ取っていた。
時は一日前に戻る。
エセンドラ城、現政権防衛側。
ヘイデン大佐が去った後、サネス少佐とピーク准尉は出撃の準備に取り掛かっていた。
ピーク准尉は既に装甲義肢を着込み敵方のロブ・ハースト軍曹がいつ出現しても良いように備えている。
対してサネス少佐は兵器の生みの親であるアシンダル博士から着装の許可が下りていなかったので、ヘイデン大佐の命令だとして兵士に化身装甲を搬出させに向かわせている途中だった。
暫しの手持無沙汰にピーク准尉は隣に立ち城下を見下ろしながら風を浴びるサネス少佐に目を向けていた。
見れば見る程美しい顔立ちであり初めて出会った時に比べて色気も増している。
それは准尉が密かに愛した女性と同じ瞳をしていた。
最期の時を前に、ともすれば少佐に心境を吐露したくなる衝動を抑え准尉は今後の見通しを語る。
「少佐。私は軍曹相手に手加減なんか出来ん。大佐の御命令通り、軍曹が現れたら私が先に対応するが良いか?」
「はい。どうせあなたは勝てませんから」
「腹立たしいが正論だな。あの怪物のような力を相手に、私だって勝てるとは思っていない。だがこれはけじめだ。帝国軍人として。……サネス小隊の一員として」
「…………」
「間もなくこの国は終わる。今なお抵抗する士官以上の人間は生き残ったとしても軍法会議にかけられるのは必須だ。どのみち国と共に命運を共にしなければならないのなら、私は筋を通したい。お前もそうなんだろう?」
「……どう、なんでしょう」
「うん?」
同意が得られると思っていたのに疑問の声を返され准尉は眉を顰めた。
彼女ならばここで華々しい最期を誓うところではないだろうか。
「私たちは……ずっと親の言いなりになって……生きてきました。妹は神童なんて呼ばれて、でも姉は何をやっても駄目で。そのせいで姉はすごく苦労して、妹を恨んで。……誰も見ていないところで、親にされた言動を、妹にぶつけたりも、していました。でも……それでも……妹は姉が大好きで、ずっと一緒にいたくて……駄目なふりを、するようになりました。そうすれば、姉のほうが優秀だって、皆が思うかと思ったんです」
「何を……」
「そうしていたら、そのうちに妹はどんどん自分が誰なのか分からなくなっていきました。なんのために生きているんだろうって。でもそれは姉も一緒で。私たちはお互いが嫌いで、蔑み合って……でも、かけがえのない存在だったんです」
「…………」
「駄目になった妹に居場所なんか、家にはありませんでした。人前に出せないから、納屋に閉じ込められて、遠くに養子に出されたことに、なりました。そして姉は……もっと苦しむことに、なりました。妹にかかっていた期待が、全て姉にかけられるようになって、でも、期待には応えられなくて。ぜんぶ自分のせいだと思い込むようになって。家名の為に、自分のせいで駄目になってしまった妹のために、両親のために。そうやって姉は懸命に生きました。軍に入ったのもそのためです。でも……軍曹が全て壊してしまった。いいえ、軍曹のせいじゃない。姉を殺したのは私たち家族だったんです」
今更明かされるサネス家の事情。
独り言のような独白にピーク准尉は黙って聞いていた。
姉妹揃って入隊してきたことには裏があるとは思っていたがそういうことだったのか。
だが、もう知っても遅い話だ。
ピーク准尉もアシンダル博士も、彼女が一度退役する前のジメイネスやディライジャ、ウリックでさえ姉のふりをする彼女に苛立ってしまった。
それを望んだのは周囲だと言うのに。
妹でいられず、姉に成りきることも戦友に拒否されたサネス家の息女は世間の賞賛とは裏腹に独り寂しく退役していった。
しかし苦難はそれで終わらなかったらしい。
「政略で姉の死は妹のものとなって、私は妹の遺骨を抱えて故郷に帰りました。……興味は、ありました。両親の反応に。駄目になった妹は、最後くらいは褒めて貰えるんだろうかって。それとも両親は真実に気付いて、姉の為に涙してくれるのかなって。でも……両親の反応はどちらでもありませんでした。両親は喜んだんです。姉の大手柄を讃え、妹の名誉の戦死を讃えました。……両親は……私たちが誰なのか、分からなかったんです」
エイファとニファは双子の姉妹だ。
顔はそっくりだが髪型が違うし、似せたとしても元々の性格だって違う。
ピークたちは時々見間違えることはあったが両親さえも判別できなかったというのか。
いや、もしかしたら気付かないふりをして自分たちの都合の良いほうに話を合わせたのかもしれない。
「私は姉として両親の自慢の娘となりました。毎日が笑顔で溢れ、私ももうそれで良いと思いました。両親の望むままに両親のお気に入りの婿を迎え、私は子供を授かりました。傍から見たら誰もが羨む家庭だったことでしょう。でも……私はだんだん怖くなりました。この嘘はいったい何時まで続ければいいんだろう。お腹が大きくなるにつれて不安も大きくなっていきました。生まれた子供は一体だれの子供なんだろう。お腹を痛めた記憶はあるのにそれが分からなくて、そもそも私のお腹にあんなものが入っていたことが信じられなくて」
泣き叫ぶ赤子の声を使用人が聞いて駆け付けた時、そこには赤ん坊と自身を切りつけぼんやりと血を眺める母の姿があった。
両親は跡取りに危害を加えた母に納屋での暮らしを言いつけた。
もともと乳母がいるので母の役目はない。
こうしてサネス家では乳母に夢中になる婿と、娘の恩給を食いつぶす両親の幸せな生活が送られるようになった。
母は昼間は社交界で要人と会い家族のために報酬を得て、夜は家族のために納屋で過ごした。
もはや人生に目標はなく何のために生きているのか分からなかったが、今一度帝都から召集令状が届いた時に女の中の感情が甦る。
もう一度誰かに必要として貰えるだろうか。
私として、誰かに死を悲しんで貰えるだろうか。
「ああ……でも私、あの子の親なんです。あの子に謝らなきゃ……」
サネス少佐は後悔の笑みを浮かべながら両目を見開き大粒の涙を流した。
赤ん坊の頃のことなど幼い息子は覚えていまい。
それでも謝りたかった。
両親からの認知を渇望していた自分が子供を認知せずに死にゆく運命にあることが、今になって実感が湧き心の底から恐ろしくなっていたのだった。