英雄 2
「あのじじい……」
こちらに確認を取ることもなく急に消えてしまった賢者に対してリオンは悪態をついた。
せっかく思い浮かんだ疑問に答えて欲しかったのに何を急ぐことがあったのだろう。
よもや、はぐらかされたのだろうか。
もしもそうなら巫女の力を以てすればまた会いに行けるはずなのでその時に問い詰めるまでだ。
そんな事を考えているとぼんやりとした視界が徐々に鮮明になっていき、リオンは自分がオタルバたちに見下ろされていることに気づいた。
オタルバとラグ・レと、あとシュビナがいる。
よく見ればここは自分の部屋だ。
気脈の中に迷い込む前は確か談話室にいたはずなので誰かが運んでくれたらしい。
つまりそれは賢者と会っていた時の自分が実体ではなかったということになる。
となるとあの場所へは何時でも気軽に行けるわけではないのかもしれなかった。
賢者が有無を言わせずリオンを帰したのは、むき出しの精神があの迷い人のようになることを危ぶんだからだという可能性もある。
それほど自己という殻に守られていない魂は変異しやすく脆い存在なのだ。
目の前でラグ・レが手を振る。
三人のことを無視したわけではないが考え事に夢中になり過ぎてしまったようだ。
リオンは慌てて笑って見せた。
ともあれ、今はオタルバたちに心配をかけないことが第一だ。
「みんなごめん。おはよう! って言ってもまだ夜だけど」
「おおリオン、ようやく反応してくれたな。なんだ急に倒れて。鈴の音とは何だったのだ?」
「リオン、さっきのじじいってもしかして、その……ジウのことかい? ほんの少し前さ、あれだけ目覚めなかったジウが目覚めたんだよ。あんた、何かしただろ」
「み、みこの、ちから、は?」
「ちょっとちょっと、一斉に話しかけられてもさ。ええとなに? 鈴の音? 私そんなこと言ったっけ?」
リオンはラグ・レの質問にしらばっくれた。
大賢老の意識が戻っているのを感じたからである。
ここは大賢老の内部と言っても過言ではない場所だ。
思考以外の全てが大賢老に筒抜けになっている。
だからリオンは言動に気を付ける。
巫女の力を手に入れたことは話せるが、虚ろなる山や時の賢者に関わることは他言しないほうがいい。
あの迷い人は大賢老だった。
あんな無様な姿になってまで固執した山の先をリオンが知っていると知れば執着の炎が再燃するに違いなかった。
もしかしたら大賢老のあの行為はアスカリヒトを倒すうえで必要なことだったのかもしれない。
しかしリオンにはどうしても世界の安寧を顧みない私欲の行動にしか思えなかった。
リオンは大賢老に不信感を抱いていた。
自分がラーヴァリエに連れ去られて大変な思いをしている時にそんなことをしていたという事に失望したからである。
「じゃあリオン、じじいってなんだい。あんたが巫女の力でジウを救ったんだろう?」
「なによ救ったって。じじいはじじいよ。ラーヴァリエの教皇のこと。色々あったのが夢に出てきちゃったみたい」
「なんだ、そういうことかい。新年早々嫌なもんを見たねえ」
「っていうかおじいちゃん目が覚めたの!? 良かった! けど、なんで?」
我ながら自然な演技が出来たと心中で自賛するリオン。
その時まるで図ったかのように大賢老の声が脳内に響いた。
――リオン。目覚めたようだね。我も先ほどイエメトから仔細を聞いた。我が眠りについている間、恐い思いをさせてしまったね……。
「あ、おじいちゃんだ」
「ぎっ! ぎっ!」
「ぐぬぬ……この中で聞こえてないのは私だけか……!」
――リオン。我の元へ来なさい。巫女の力、真に授かっているか見せるのだ。
「わかった。一人で行けばいいのね?」
リオンの部屋と、大樹の底の神殿。
距離はあっても魔力で会話出来ているのでわざわざ傍までいく必要はない。
大賢老は魔力の範囲を絞り二人だけで話がしたいのだ。
もしかしたら虚ろなる山での事を覚えており、探りを入れようとしているのかもしれなかった。
「もう立ち上がっても大丈夫なのかい?」
「うん、平気だよ。巫女の力ってやつ、今のところ私は全然実感ないけどさ、おじいちゃんならなにか感じ取ってるのかもね。ちょっと聞いてくる」
「じゃああたしはルーテルに知らせてこようかね。ラグ・レとシュビナは皆に大賢老とリオンが目覚めたって伝えてきておくれ。でも二人は話があるから神殿へは押しかけないようにってね」
「うむ、わかった」
「ぎ」
「ありがとうオタルバ! じゃあ皆、ちょっと行ってくるね」
リオンはオタルバたちと別れてジウの神殿へ向かった。
なるべく平静を装っているが果たして大賢老にはどう伝わるだろう。
アスカリヒトが目覚めるまであと三か月半。
身内に疑いの目を向けている暇などないというのに用心しなければならないのが残念で仕方がなかった。
神殿に行くと大賢老は魔力の範囲を絞りリオンだけに話しかけて来た。
リオンが無事にラーヴァリエから戻ったことを喜ぶ大賢老だったがリオンはそれが白々しく感じてしまっていた。
結局は、虚ろなる山への入口を開く大きな気脈の乱れを創造できる者として手元に置いておきたいだけなのではないか。
救いを求める者を自ら助けにいかない姿勢や思わぬ好機に私欲を優先させた事でリオンは大賢老の本性が見えた気がしていた。
大賢老によればリオンの魔力は恐ろしいほどに凝縮されているとのことだ。
今までは島を覆うほど無駄に放出していた魔力がリオンの内側に全て収まっているという。
寝て覚めただけでこれほどまでの変化があることに大賢老は驚き、一層眠っている間のことで何か覚えていないか聞いてきた。
だがリオンは全く覚えていないとうそぶいた。
だから大賢老を救ったことも覚えていないという設定だ。
大賢老によれば、大賢老自身もロブを救ったあとの昏睡は覚えていないという。
それが本当なのかは分からないが、大賢老から虚ろなる山のことを言い出さない限りはリオンも喋る必要がないので黙っていることにした。
無事に巫女の力は得ることが出来た。
それだけは変わらない事実だ。
だが大切なのはこの後どう動くかである。
それもまだ不明瞭なのでリオンは大賢老に尋ねることにした。
「おじいちゃんはさ、繋世の巫女に会ったことあるんだよね? なら知ってるよね。どうやったらアスカリヒトを倒せるのかとか、巫女の力ってどうやったら使えるのかとかさ」
――そうだな。巫女は反魔法を得意としていた。普通の魔法使いとは異なり、巫女は気脈をも自身の魔力と同じように自在に操ることが出来る。我も似たようなことが出来るがね、それは我がこの大樹と一体となり大地の気脈に触れているからだ。だが巫女はどこでもその力を使うことが出来る。対象の魔法を包み込み無効化させる、鞘の巫女とはその特性からきた異称だ。
「なんだ……。やっぱり知ってたんじゃない。なんでそんな大事なことをずっと黙ってたのよ。こっちは心の準備も出来てないまま色んな人から狙われて大変なんだからね!」
――君が巫女を自認すれば人伝にそれは広まり、結果としてもっと早くラーヴァリエなどに洩れてしまっていただろう。君の強大な魔力も、ここにいて我のものだと誤認されることで君を守っていた。黙っていたのは君のためだったのだ。十五の数え年を迎える直前に全てを打ち明けるつもりだった。だがその前に、どうやってかは知らぬがラーヴァリエは情報を掴んでいて君はルビクと共にここから出て行ってしまった……。
「……う」
それを言われると痛い。
確かにルビクの口車に乗ってしまったのはリオンの落ち度だった。
そういえば脱走した件はまだ怒られていなかった。
その話になる前にはぐらかさなくてはならない。
「と、とりあえずさ、これからはどうしたらいいわけ? アスカリヒトって目覚める前に封印しなきゃいけないの? 目覚めないと封印出来ないの?」
――封印は何時でも出来るようだ。先代の巫女がアスカリヒトを封印したのは確か年明けからさほど経っていなかった頃だと記憶している。そして封印をした日がどうやら復活の日となるらしい事も分かっている。明確は日にちは……すまないね、覚えていない。
時の賢者は3月15日だと言っていたので封印した日がすなわち数百年後に封印が解ける日というのは事実らしい。
何時でも封印出来るならもっと遅らせてくれれば良かったのにとリオンは思った。
封印を急いだということは先代の時はアスカリヒトが目覚めていたということだろうか。
目覚める前の方が絶対に楽そうなので封印は急ぎたいところだった。
「じゃあさ、巫女の力って反魔法ってことはさ、それってつまりアスカリヒトを消し去るってことだよね。だったらさ、なんで消し去ったものが復活するの?」
質問すれば結構素直に答えてくれるようなのでリオンは時の賢者にしようと思っていた質問を大賢老にも投げかけてみることにした。
もしも復活するのなら無駄なことではないか。
消し去る、というのは大げさな言い方で単に極限まで弱らせるという事なのだろうか。
ただそれにしては時の賢者が自分のことを最後の巫女と言ったのが気がかりだった。
――分からぬ。我も繋世の巫女がアスカリヒトを封じているところを直接見たわけではない。
「気脈を辿って見られるのに?」
――見れなかった。両者の戦いは凄まじく大いに乱れた気脈を辿ることが出来なかったのだ。
「やっぱり前の巫女さんはアスカリヒトが目覚めてる状態で封印をしようとしたんだね。すごい戦いになるの嫌だからさ、私は目覚める前に封印したいよ」
――…………。
「ブロキスは今ラーヴァリエにいるの。向こうの準備が整う前にこっちから仕掛けなきゃ。ウィリーの力を借りないとね。あとはロブとかも来てくれたらいいんだけど、強いから」
――……ふむ。悠長に構えてはいられないということだね。ロブ・ハーストと言えばちょうどゴドリック帝国では昨日決着がついたようだよ。
「そうなの? じゃあさっそくシュビナに頼んでウィリーたちに迎えに来てもらわなきゃ! ウィリーは知ってる? 今テルシェデントにいるはずだから来たら紹介するね!」
――リオンよ。君自ら行動する気かね?
「当たり前でしょ。ぶっつけ本番で戦えっての? やれることならなんだってやるわ。忙しくなるわよ! もういいでしょ?」
――やれやれ。お転婆に育ってしまったものだ。もはや止めはしない。だが気を付けなさい。
「分かってるわよ!」
リオンは神殿から駆け出して行った。
夜も遅いというのに心配していた住人たちに総出で迎えられるリオン。
リオンはオタルバたちに顛末を話して再びゴドリックへ行くことにした。
シュビナがテルシェデントに行くよりも早く、頼んでもいないのにザッカレア商船がアルマーナに着いたのはそれから数時間後の早朝のことだった。