時が満ちる前に 8
ルビクの瞳は真剣そのもので見ていると吸い込まれそうだった。
何故か頬が熱くなるのを感じリオンは自分の感情の変化に戸惑っていた。
そんなリオンの目線の高さにまで腰を落としたルビクはますます純真な眼差しでリオンを見た。
リオンは目を逸らせなくなっていた。
「ねえリオン、僕と一緒に遠くへ行かないか?」
魅力的な言葉がルビクの口をついた。
「とお……く?」
「そうだよ、遠くだ。ここにいては君が潰されてしまう。皆、君の価値に気づいていないんだ。だからここを出て、君がいないことの損失に気づかせよう。じゃないと君は一生をジウの中で終えることになるよ」
「それはいや……」
恐ろしい未来を告げるルビクの言葉にリオンは力なく首を振った。
このもどかしい生活が一生続くだなんて考えたくもなかった。
リオンの手を握っていたルビクの手がするりと解けリオンの両頬を包む。
顔を固定されたリオンはもはや身動きさえ取れなくなっていた。
「じゃあ、行こう。僕と一緒に」
「でも……」
微睡みながらも疑問を口にするリオンにルビクは優しく微笑んだ。
「何も不安はいらないよ――」
「――僕はずっと君の味方だから」
ルビクの後ろにいつの間にか二人の影が立っていた。
一気にリオンの脳が覚める。
まったく気が付かなかった。
影は男女だった。
一人は長身細工の中年で、波がかった白髪に髭を蓄えた紳士だ。
そしてもう一方は女性なのだが愛らしい顔と服装には不釣り合いなほどの逞しい肉体をしていた。
二人とも最初からそこにいたかのように自然体で立っている。
それが不自然でリオンは混乱して何度もルビクの顔を見た。
彼らが件の侵入者なのだろうか?
すると、まるで驚いていないルビクは彼らといったいどういう関係があるのだろうか?
疑問を感じているのは紳士のほうも同じようだ。
紳士は方眉を上げてリオンを品定めしたあと口を開いた。
「ルビク様、まさかその娘が例の重要機密なのですか?」
重要機密?
なんのことだろうか。
あれほど自分の心情を酌んでくれたルビクが今はまるで自分のほうを向いてくれない。
不安のあまり服の裾をつまんでもルビクは紳士のほうを向いたままだった。
「おそらく、ね。あの大賢老の孫というお粗末な設定もさることながら、あからさまに庇護しようとしていてたくらいだからな」
「しかし……魔力をまるで感じませんが」
「サイラス、お前もか」
「私も感じません、ルビク様」
「……そうか。お前たちも何も感じないか。僕もなんだ。だけどね、リオンは魔力を見ることが出来る」
「なんですと!?」
「ジウを覆う強大な睡眠魔法の弱点を教えてくれたのもリオンなんだ。リオンが魔力の流れを視認することが出来るのは僕が身をもって知った。不思議だろう? 魔力を感じないのに魔法を見ることが出来るだなんて」
「ふうむ……」
「いずれにせよ他をあたる時間はない。はやくここを脱出しよう。サイラス、頼む」
「はあ」
「何をそんなに急いでいらっしゃるの、ルビク様?」
「何を、だって? 決まってるだろう、お前たちが森で焚き火なんかするからだ!」
苛立ちを隠せないルビクに対し二人は顔を見合わせる。
「焚き火?」
「アルマーナの亜人どもに追われているのに気づいていないのか? 奴らの土地にお前たちの焚き火の跡があったせいで連中は怒っている! そのせいでジウでは侵入者が捕まるまで住人全員が暫く籠城するという決定がなされてしまった。これを急がずに何を急ぐ!」
「あの……」
静かに怒るルビクに女性がおずおずと手を挙げた。
「なんだ、エーリカ」
「私たちじゃないです」
「なに?」
「焚き火はしてないです」
「神明に誓って」
「…………」
「…………」
「…………」
三人は怪訝な気持ちと焦燥の入り混じった表情を浮かべて互いを見た。
話についていけないリオンは一層ルビクの服を引っ張った。
ようやく裾を掴まれていることに気づいたルビクは一瞬だけリオンを見た。
そしてすぐさまルビクは命令を出した。
「サイラス! 詠唱を始めろ!」
「え……しかし大賢老に気取られるのでは」
「もはや目的は達した! 細かい話は向こうでするぞ!」
「……か、かしこまりました!」
「ねえルビク、どうなってるの? 何を話してるの!」
「リオン、不味いことになった。敵がいるかもしれない」
「え?」
「敵だ。僕たちの敵だ。君を狙う者がいるんだ。……急げ、サイラス!」
「急いだって私の魔法は早まりませんよ!」
「くそ。妙な胸騒ぎがする……いいかい、リオン――」
ルビクが何かを言いかけた時だった。
「ルビク様、危ない!」
ルビクの前に躍り出たエーリカの額に一直線に飛んできた短刀が突き刺さる。
仰向けに倒れるエーリカを見てリオンの叫び声が森に木霊した。