鞘の巫女 10
「なに今の!?」
「時が進んだんだよ。ここの時計は運命によって動く」
飛び上がって周囲を見渡したリオンに賢者が静かに説明した。
小さな時計の針の動く音も、これだけ無数に集まっていれば集中豪雨の一瞬を切り取ったような音がする。
見回したリオンはそれらの時計が自分の知っているものと少し異なっていることに気づいた。
ことごとく針が一本しかついていなかったのだ。
時計自体、ラーヴァリエの大聖堂で見たことがあるだけなのでもしかしたら勘違いかもしれないが針は長いものと短いものがあったはずだ。
重なっているのかと思ったがそうではなさそうだ。
そうなると一体なにが動いてあんな音がしたというのだろう。
全ての短い針が七の所を指し示しているのも謎だった。
短い針は確か大まかな時刻を表していると聞いた。
七というと朝か夜になりたての頃だったはずだ。
リオンは年明けまでは起きていたはずで、この短い間に朝になったとは到底考えられない。
運命によって動くという言葉から推察するにこれは一日の流れを示す時計ではないのかもしれない。
「こういう時計もあるのね」
「ここでは時間は関係ないからね」
「うーん……なんだかあなたと喋ってるとうちのおじいちゃんと喋ってるみたいだわ。あなたも結構長く生きてるでしょ」
「長く生きるとは少し概念が違うかな。私はいずれの時代にも存在する。それは永遠かもしれないし、有限かもしれない」
まともな会話は出来なさそうだ。
だが色々話を聞かなくてはならない。
巫女の力は元日に授かると聞き、今このような状況にあるということは賢者から伝授されると考えるのが妥当だ。
リオンは今一度座りなおして咳払いした。
「ねえ賢者。私こう見えて忙しいの。だから、出来れば早く巫女の力が欲しいんだけど」
「欲しいとは? 君はもう立派な巫女だよ」
「えっほんとに?」
「導祖が君に巫女の資格を授けた。あれは闇の女神の使いだからね」
「また知らない言葉使って。はあ、もういいわ。あの女の人が力をくれたのね? それにしては……何の変化も感じられないんだけど」
「力は確実に授かっているよ。元の世界に戻ったら使ってみるといい。ただしそれは強大な力だから気を付けなさい。力を授かった瞬間の君が耐え切れずに気絶してしまったほどだからね」
「急に真っ暗なところに来たと思ったら……そういうことだったんだ」
「ああ。無意識だっただろうが君はその力を以て人でありながら気脈に入り込んだ。自力でこんな真似が出来たのは……歴代の巫女で、いや人の歴史で初めてのことだろう」
「わたしすごいってこと?」
「アスカリヒトを封印する、最後の鞘の巫女として充分な力だ」
最後の。
賢者はそう言った。
時を見守る賢者がそのように言うということは本当に自分が蛇神を倒すのだろう。
リオンは更に話を聞いた。
「ねえ賢者。あなた色々知ってそうな感じだから質問していい?」
「答えられることならね」
「アスカリヒトってどうやって封印するの? っていうか、今更だけど鞘の巫女ってなに?」
「ふむ……反魔法だ。それで封印する。単純だが膨大な魔力が必要となるため誰しもが出来るわけではない」
「鞘の巫女だけがそれを出来るってこと?」
賢者が頷く。
「アスカリヒトは神とは言われているが原初の精隷の一人だ。そう、君も知っている癒女人と似た存在なのだ。遥か昔、神代人は己の分身を作り出しそれぞれに役目を与えた。その中でアスカリヒトは死を任された。昔の人々には死の概念がなくてね、終わりを告げる役目の者が必要だったのだよ。人に恨まれる、誰だってやりたくない役目だ。だがアスカリヒトは忠実に勤めを果たした。神代人がいなくなり人が死を受け入れるようになってもなお、ずっとね。時代にそぐわなくなった古の精隷は人々に疎まれるようになった。そこで、人々のために女神が用意したのが鞘の巫女だった」
「なにそれ。女神自身が直接やればいいのに」
「人が望んだことだからね、人に直接手を下させたかったのだろう。そうしてアスカリヒトと鞘の巫女は封印と復活の因縁を繰り返し、君の時代に至るというわけだ」
「でも私で最後になるのね」
「さっきも言ったが君の魔力は今までの巫女を遥かに凌駕している。その魔力で反魔法を唱えればアスカリヒトは手も足も出ないだろう。いいかい、今までの君の魔力は島一つを覆うほどだった。だが今の君は……気脈そのものと繋がっている。つまり乱暴な言い方だが、気脈が君の魔力と言っても差し支えないだろう」
「すべての魔力が私のものってこと? うわ……なんかすごいな」
「だからこそ使い方を間違ってはいけないよ」
「うーん……じゃあさ、本番でちゃんと使えるように練習しないとね。で、アスカリヒトっていつ復活するかは分かる?」
「三月十五日だ」
「うっそ、あと三か月と二週間しかないじゃない! 目覚めたらどうなるの?」
「あらゆる生物に死を与えるために動き出す。復活をしても暫くは大丈夫だろうがあまり悠長には構えていられないだろうね」
「うーん、がんばるー……」
「他に聞きたいことはあるかい?」
「聞きたいことって言われてもなー。何が分からないのかすら分からないからなー。うん、うーん、うん。やっぱりいいわ。聞きたくなったらここに来るもん。無意識でも来れたんだから力を使いこなせるようになればいつでも来れるでしょ」
「ふふふ……楽しみにしていよう。では私からも一つ、いいかい。帰るときは虚ろなる山を下って行ってはくれまいか。そこにいる迷い人を連れて帰って欲しい」
「迷い人?」
「たまにね、いるんだよ。大丈夫、山から下りられるならあとは勝手に帰っていくから。私が迷い人のところまで案内しよう」
「ふうん、よく分からないけどまあいいわ。気脈からの帰り方もよく分からないし。こっちの扉?」
「そっちは時の眠る部屋の扉だよ。開けてはいけない。出口は反対だ」
「またそれ? これだけ大きな声で話したし、時計もあれだけ大きな音を立てたんだもの、時だって起きちゃったわよ、きっと」
「そうならばどれだけ良いことだろう」
賢者は寂しげに笑い奥の扉を見た。
部屋には対角に扉が一つずつある。
導祖と呼ばれた女性に連れられて入って来た扉はどちらでもなくおそらく何もないところに出現したものだ。
賢者は立ち上がると出口の扉を開いてリオンを促した。
「では行こう、新たな鞘の巫女よ」
扉が開かれると光が差し込み賢者の外套がはためく。
リオンは手で光を遮って目を細めた。
それでも眩しいのは吹き荒れているのが風ではなく魔力だからだろう。
賢者のあとに続き、リオンは虚ろなる山の迷い人の元へ向かった。




