鞘の巫女 9
時は少し進み繋世歴388年1月1日。
新年となったばかりの夜は静かだった。
もともとジウでは新年を祝う風習はないのだが静かな割には殆どの住人が起きている。
リオンが巫女の力を得る日がまさに今日だからだ。
ラーヴァリエに攫われたリオンを戦士たちが連れ戻して来たのが二日前。
ノーラとエルバルドがまだ帰って来ておらず、かつ大賢老も目覚めていないという不穏な状況は一年の最後の日になっても変わらなかった。
オタルバから事の次第を聞いたので眠ってなどいられない。
先の不明から来る緊張に人々は神経をすり減らしていた。
リオンの部屋ではオタルバとラグ・レ、シュビナが寝台に横たわるリオンを囲んでいた。
リオンは夜半になると明らかに様子がおかしくなった。
鈴の音がする。
そう言い残して突然眠りについてしまったのである。
一緒にいたオタルバたちは誰も鈴の音など聞かなかった。
怪異はそれだけにとどまらず、自愛のイェメトの伝言を届けに来たシュビナ曰く「今のリオンは魔力の一切が抜け落ちてしまった」状態になっているらしい。
魔力は万物が持つ生命力の源で、それがないということは死していることを意味する。
だが目の前のリオンは息をしており鼓動もあった。
何が起きているか分からない。
そのためオタルバたちは万全の態勢を整えた。
ルーテルは目視でジウの周りを警邏し、イェメトは過去にないほどの催眠魔法を以て大樹を守る。
ラーヴァリエの魔法使いたちやブロキスがこの機に攻めてこないとも限らないのだ。
では当の本人の意識はどうなっているのか。
リオンは光の届かない真っ暗な空間にいた。
大量に作られた変なお守りをラグ・レに丁重に押し返しているところまでは覚えている。
そこに急に耳慣れない音が聞こえ気が付いたらこんなことになっていたのだった。
これはラーヴァリエのサイラスという魔法使いの仕業か。
それとも空間転移が使えるようになる精隷石を持っているブロキスの仕業なのか。
不安はすぐに不可解に変わる。
前から以前夢で見た事のある女性が歩いてきたのだ。
「あなたは……何?」
女性は不思議な服装をしていた。
どこかの国の伝統衣装なのか、それは島嶼やゴドリック、ラーヴァリエのどの服装にも似ていなかった。
そして手に持つ棒の先には風よけ付きの蝋燭立があり、それがぼんやりと灯っている。
顔は透き通るような肌で美しいが双眸はどこか人形を思わせる虚ろさがあった。
――導祖。その子を連れてきてくれないか。
穏やかな老人の声が響く。
導祖とは女性の名前だろうか、女性はゆっくり反転すると先に歩いて行ってしまった。
このまま暗闇にいても成す術がないリオンは女性に着いていった。
話しかけても反応のない女性はともかく、自分を呼ぶ声はきっとこの状況を知っているに違いないから。
暫く無言で歩く。
無音で、何もない世界だ。
どこまで行っても変わらない光景かと思いきやそれは唐突に現れた。
急に立ち止まった女性が目の前の空間を手で押すと、まるでそこに扉があったかのように別の空間が現れたのだ。
女性が中に入って行ったのでリオンも続いて入ってみた。
そこは四方を時計が覆いつくす格調高い談話室のような部屋だった。
「なにこれ……」
「それは時計というものだよ」
声をかけられて驚いて振り返ると部屋は後ろにも続いていたようで、そこには今まで歩いて来た暗闇の空間はなく一人の老人が立っていた。
老人は灰色の古ぼけた外套を纏っており、腰まで届きそうな長い白髪をしていた。
深い皺の刻まれた顔に垂れ目がちの瞼がひどく年老いて見えるが蒼い眼光は猛禽のように鋭い。
だが老人を包む雰囲気は柔らかく、決して悪い人間ではないことはリオンにも分かった。
「時計くらい知ってるわよ」
「ああ、そうなんだ。それはすまなかったね」
「でもこんなにたくさんあるのを見たのは初めて。全部同じ場所にあって意味あるの? っていうか動いてるの、これ?」
「うむ……意味を求めることは意味がなくてね。特にこの場所ではね」
「どういうこと? ってあれ!? そういえば女の人は? 私の前に入った人」
「導祖は役目を終えて帰ったよ。ここにいるのは私と君と……あとは時のみだ。時は隣の部屋で寝ているがね」
「なにそれ冗談?」
悪人ではないようだが言葉の端々にずれを感じてリオンは膨れた。
からかわれていると思ったからだ。
老人は嬉しそうに笑うとリオンに椅子に座るように勧める。
素直に座ると老人は満足げに頷いた。
「君は……まだ若いね。それなのに、気脈を通って来るとは大したものだ。それとも気穴に落ちたのかね?」
「きみゃく? きけつ? 何それわかんない。ジウにいたら急にここに来ちゃったの。ここはどこなの?」
「ジウ? それは国立記念公園のかい?」
老人が興味深げに反応したがやはりリオンには何を言っているのか分からなかった。
「違うわよ。大きな木のジウ。ええと聖域とか言われてて、おじい……じゃなくて大賢老がいる所。ウェードミット諸島の北。ゴドリック帝国の隣。分からないの? 嫌だなあ……今度はどこに来ちゃったんだろう」
「ゴドリック……帝国。そうか、君はその時代から来たのか。つまり……君がリオンだね」
「私を知ってるの?」
不思議なことをいう老人が名前を当てた。
リオンが目を丸くして聞き返すと老人は神妙な顔で頷いた。
「知っているとも。私は君を待っていたんだ」
「……あなたは誰?」
「私は時を見守る者。時の賢者、などと人は呼ぶ。そしてここは気脈の還る最果ての地、虚ろなる山さ」
全ての時計の長針が一斉に動く音が響いた。




